第八話 十八年前の真実
夕日が教室全体を茜色に染める。
その光景は情熱的だけでなく、夜の訪れを感じさせる儚さも含んでいた。
透花が佐田にとどめを刺してから間もない折、晴が意識を取り戻してから最初に思い浮かべた感想だ。
完全には覚醒してない中、陽葵が危険なことを思い出して飛び起きる。
「あれ!? ひま先輩は!?」
「おいおい、何を慌てているんだ。私ならここにいるぞ」
陽葵は、起き上がった晴のすぐ後ろにいた。
正座をしていることから、晴を膝枕していたようだ。
「よかった~。何か変なことされませんでしたか?」
「ああ、危うい状況ではあったがな。それもこれも透花のおかげだ」
「いえ、わたしは別に」
嬉し恥ずかしそうに、透花は顔を背ける。
陽葵の言う通り、佐田を含めた三人が地面にダウンしていた。透花の活躍のおかげらしいが、まるで想像できない。
「アミュレットはどうしました?」
「ここにあるぞ、ほら」
そう言って、陽葵は手のひらを見せる。
母が持っていたものと形状は似ており、色合いだけが異なった鮮やかな青色だった。
「これを透花さんに触れさせれば……」
「記憶が戻り、霊体と魂魄が一つになる。まあ、それをするのは家に帰ってからにしようか。直に日が暮れる」
「それもそうですね。佐田たちはどうしますか? 完全に伸びてますけど」
「放っておけ。本当なら木の上から逆さまに吊るしたいところだが、また今度にしてやろう。殴られたことは記憶に深く刻んでおいて、時期を見て報復するか」
ふふふ、と陽葵は黒い微笑を浮かべていた。
「さて帰ろう」
陽葵の一声でその場を後にし、旧校舎から外に出た。
陽葵の家に着いた頃には、すっかり辺りは真っ暗である。
晴は、陽葵の両親に夕食を誘われたので、ご馳走になることにした。陽葵の頬の腫れには大層驚いていたが、本人が上手く誤魔化していた。
食事の後、二階の陽葵の部屋に向かい、炬燵を囲んだ三人。炬燵の机には、アミュレットが中央に置かれていた。
「苦難の末、何とかアミュレットを手に入れることができた。さあ、決断の時だ、透花!」
「はい」
陽葵の投げかけに、神妙に頷く透花。
アミュレットに触れれば、記憶が戻る代償に、透花という一つの個体は消滅してしまう。代わりに、霊体と魂魄が合わさった新個体としての透花が誕生する。意識は一つしか持てないため、どちらか一方しか存在できない――もしくは新しい意識が生まれる。
どの意識が本来の透花――志倉芽衣なのかは、当時の彼女を知る人にしかわからない。
透花は、真剣な面持ちで口を開いた。
「わたしがわたしでなくなってしまうのは確かに怖いです。晴さんや陽葵さんと過ごした毎日が楽しい分、余計にそう思います。でも本当のわたしは十八年前に死んでいます。霊体のわたしは年を取らず、周りの時間だけが進んでいってしまい、何度も死を目の当たりにする。それはきっと悲しく辛いはずです」
透花の目に涙が溢れ出す。
「晴さんの優しさに触れて、陽葵さんのひたむきさに触れて、無名部での活動の毎日はかけがえのないものとなりました。本当に今までありがとうございました
――」
別れの言葉を告げた直後、間髪入れずに透花はアミュレットの石部分に触れた。
その刹那、アミュレット全体が光り輝いた。
「透花さん!」
「透花!」
そのまま静かに光は収束。
透花はガクッと炬燵の机に突っ伏し、そのまま微動だにしなくなった。
晴と陽葵は、透花の様子を見守る。
ちょうど一分が経とうというところ、机に預けていた上半身がわずかに震えた。
そのまま身体を起こし、顔を上げた。
「ここはどこ――あたしはだあれ――っていうのがお決まりかな」
以前の透花とは別人のような性格で、第一声を発した。
「もしかして、俺の夢に出てきた……芽衣さん?」
「当たり」
「あの、透花さんの意識はもう残ってないですよね?」
「そうだね……霊体のあの子が、無名部として晴くんたちと活動してた経験は頭の中に残留してる。でもね、意識は正真正銘の志倉芽衣みたい」
おそらくこっちが本来の意識なのだろう。
消滅した透花に向け、三人はしばらくの間、目を閉じて黙祷した。
その後、打って変わったかのような陽気に、芽衣は変化を遂げる。
「あなたが陽葵ちゃんね、私は志倉芽衣。その傷痛そうだね……ごめんね苦労させて……」
芽衣は湿布の貼ってある頬を指さして、頭を下げる。
「いや、気にするな、芽衣が悪いわけじゃない。一応医者に診てもらうから問題ない」
「勇敢だな~陽葵ちゃん。女のあたしでもキュンってきちゃう。こりゃあ、晴くんが陽葵ちゃんと結婚したら、尻に敷かれるぞ~」
芽衣のからかいに晴は赤面しながら、
「な、な、何言ってるんですかーーー!」
「そ、そ、そうだぞ芽衣。胸だってBカップの私に魅力など――――は!」
Bカップなのか……
陽葵は墓穴を掘ったことで、机の上に顔をうずめた。
落ち着いた三人は今後についての話し合い、ひいては芽衣の気持ちの確認を始めた。
「芽衣は成仏されないまま、この世界に残った。その意味は未練や願望からくるものなのか?」
「うん、そうだよ。死ぬ直前、凄まじい痛みに耐えながら、心の中で唱え続けた。眞子ねえや両親に迷惑かけたくない。このままじゃ死ねない、てね」
陽葵の質問に笑みを崩さないまま芽衣は答える。
「まあ、結果的に迷惑はかけてしまったんだけどね。だから真実を伝えて安心させてあげたい」
そこで晴が口を挟んだ。
「でも芽衣さんの姿は母さんには見えてないわけですよね? 俺やひま先輩が代弁したり、筆記で伝えるんですか?」
「ううん、あたしのアミュレットと眞子ねえのアミュレットがあれば、声を直接伝えられるんだ」
「そういえば芽衣、少し前から気になっていたのだが――」
陽葵が疑問を投げかける。
「芽衣は、肉体、魂魄、霊体に関する情報や、アミュレットに秘められた力のことをどうやって知ったのだ?」
「晴くんと交信した夢の中で少し触れたけど、霊体、魂魄の他に、神様とも友達だったんだ。その手の分野に詳しい方で、色々教わったんだよ」
「そうだったのか」
そして話は晴の母親との面会時期のことに移行した。
いつにしようか、と陽葵が問うと、
「なるべく早い方がいいかな。あんまり先延ばしすると、また未練が残っちゃいそう。でも今日は無理かな~こんな時間だし」
時間はすでに午後七時を回っていた。
「明日の放課後にするね。晴くんも、眞子ねえとの時間調整よろしくね」
「わかりました。伝えておきます」
話し合いは以上で終了した。
明日芽衣が消える。そのことを話題にすることを、三人は敢えて避けているようだった。
放課後、帰路についた三人は、歩いて晴の家の前までやってくる。
晴の合図で玄関に上がると、リビングに招かれた。
一昨日と同様、テーブルを挟んだ向かい側に晴の母。相対するように晴と陽葵が座った。
一方、芽衣はというと、
「やっほー、眞子ねえ久しぶり~。年取っても綺麗じゃん」
と、一人だけ場違いなくらいはしゃいでいた。
確かに芽衣として会うのは初めてだから、わからなくはない。
「それで、今回はどうしたのかしら?」
「また母さんを怒らせてしまうかもしれないけど、今この部屋には母さんの亡くなった妹――芽衣さんがいるんだ。記憶の戻った正真正銘の志倉芽衣さんが」
「別にもう怒りはしないわよ。でも仮にいるとしても、残念ながら私には見えないわ。芽衣であるとどうやって確かめればいいの?」
「母さんが持ってるアミュレット、それを首にかけてもらえば、声だけ聞こえるようになるはず」
「ええ、じゃあ、少しの間待ってて」
半信半疑ながらも、母は私室に向かった。
芽衣は今か今かと待ちわびていた。
「相手は眞子ねえなはずなのに、なんだか緊張してきたな~」
芽衣の首には、すでに青色のアミュレットがかけられている。
しばらくして戻ってきた母の首には、赤色のアミュレットがかけられていた。
さっそく芽衣は、母の前まで近づき、話しかけた。
「眞子ねえ、あたしの声届いてる?」
「め、い……? ほんとうに、芽衣なのね?」
芽衣の方を見た母は、見えていない彼女に手を伸ばす。
そして互いの目と目を合わせ――――抱きしめた。
「あれ? あれ? 眞子ねえ、もしかしてあたしのこと見えてるの?」
「うん、うん、芽衣の可愛い顔、見えてるよ。あの頃と同じだね。感触も、温もりも、匂いも、あの頃のまんまだわ」
予想外の出来事に、母の胸に包まれた芽衣は動転する。
母の目からはとめどなく涙が流れて、頬を伝う。
「芽衣……会いたかった、あのときのこと……ずっと謝りたかった! ごめんね、力になれなくて。ごめんね、悩んでるのに気づいてあげられなくて。ごめんね、気持ちを知りもせずひどいこと言って」
「ううん、悪いのはあたし。だって何も言わずに死んじゃったんだから。十八年前の真実を今日眞子ねえに伝えにきた」
「真実……?」
密着させていた身体を離し、母は芽衣に向き直る。
「うん。あたしの死因は自殺って判断されたみたいだけど、本当は違うの。事故死なの」
「嘘……」
「辛いとか苦しいからじゃないんだ。確かに学校ではいじめられてたんだけど、他の子に庇ってもらっていたし、死にたいなんて全然思ってなかったよ。眞子ねえや両親との喧嘩が原因でもない。自分のために言ってくれてるのはわかっていたし、あたしも頑固だったところもあったって反省してる。だから――」
芽衣は安心させるような笑顔で、
「あたしのしがらみから解放されていいんだよ」
「芽衣――ううっ」
母は、我慢できずに泣き崩れた。芽衣は母の背中を優しく撫でる。
十八年前の事故当時。
芽衣は、学校に登校して授業を受けた後、昼休みに入ったので、教室で弁当を食べた。
一人でいることの多かった芽衣は、その後四階建ての屋上に向かう。
そこで全身真っ黒い毛の猫を発見した。
猫と遊ぶため、首にかけてたアミュレットを猫じゃらし代わりにして、じゃれていた。
しかし、とっさに奪われてしまう。
アミュレットを口に銜えたまま、その猫はフェンスに空いていた小さな穴を抜け、縁に進入。
乗り越えられる高さのフェンスの向こう側に芽衣も入った。
慎重に猫の背中を抱えようとしたところ――急に芽衣のいる側に方向転換した。
驚いて体勢を崩すばかりか、不運なことに突風が吹きつける。
フェンスに手を伸ばすも届かず、真横から落下した。ショック死だった。
事故死に至る一部始終を芽衣は語り終えた。
「もう、そんなところに立ったら危ないに決まってるじゃない、ばかなんだから」
テーブルの椅子に座って聞いていた母が、芽衣を優しく咎めた。一度収まった母の涙が、再度流れ出す。
二人の姿はまるで、いたずらした妹と、それを叱る姉のようだった。
十八年の月日を取り返すかのように、母と芽衣は話をした。
突然、芽衣の身体に異変が起きる。
「もうお別れの時間がきちゃったみたい」
制服姿である芽衣の身体が透け始めていた。
手や足は特に著しい。
「そんな……まだまだ話してないことがたくさんあるのよ」
「あたしも逝きたくない! ずっとここにいたい! でも――」
芽衣は溢れそうな涙を、消え入る寸前の袖で拭き、強引に気持ちを切り替えた。
「もう、時間がないみたい。最後に一人一人話すね」
リビングの広いところで、三人は芽衣を取り囲んだ。
芽衣は最初に晴と向き合った。
「晴くん――眞子ねえはちょっと真面目すぎるところがあるけど、晴くんのことが大事な証拠だと思うの。だから大目に見てあげてね」
次に陽葵と向き合う。
「陽葵ちゃん――あたしの死んだすぐ後に生まれたんだよね。あたしと似てるのは、何か深い意味がありそう。あたしの分までたくさん幸せになってね。後、晴くんともお幸せに。ふふふ」
最後に母と向き合い、抱擁した。
「眞子ねえ――眞子ねえと最後に会えて本当によかった。いっぱいいっぱい言いたいことたくさんあるけど、これで最後にする。大好きだよ眞子ねえ」
全員が涙を流し、消えていく芽衣を見送った。
持ち主の消えたアミュレットが床にコトンと落下した。
すっかり陽が沈み、リビングにあるカーテンの隙間から見える景色は暗い。
静寂に満ちる空間。
芽衣を見送った後、三人はテーブルの椅子に座り、沈黙を保っていた。
その沈黙を破るように、母が陽葵に話しかけた。
「私、今まで陽葵ちゃんに冷たい態度で接してたわよね。本当にごめんなさい」
母に謝罪された陽葵は、突然の予想外なことに動揺する。
「いえいえ、いいんです。気にしないでください。それだけ妹さんを愛してたってわかってますから」
「陽葵ちゃんはよく出来た子だわ。晴にも見習わせたいわ」
「母さん、普通それ、息子の前で言う?」
芽衣を見送ってから硬かった三人の表情が、初めて笑顔に変わった。
すると、机の上に置いてあった青いアミュレットが一瞬光る。だが、この中にそれを見た者はいない。
三人の笑顔に安心した芽衣が、今まさに旅立ったのかもしれない。




