第三話 二人三脚? 体育祭はもう終わったはずじゃ……
晴は聞き間違いなのかと自分の耳を疑う。
運動会、体育祭等で行う、定番とまではいかないが、その名を聞けば自ずと内容もわかる競技。基本的にリレー形式の団体競技であるからして、対戦相手や仲間が必要なのだが。
「ひま先輩、体育祭はもう終わりましたよ」
「そんなことは百も承知」
「行事でもないのに誰と競うんですか……もしかして、対戦相手の目処でもついてるんですか?」
「ああ、もちろん! 絶好の対戦相手がな」
「一体誰なんです?」
バンッ! と両手でテーブルを叩き、勢いよく立ち上がった直後――
「――己自身だ! 己自身に勝る相手などいない!」
と断言した陽葵は、口角を上げ、ニヤリと晴に微笑みかけた。
ああ、嫌な予感しかしない……。
「簡単に二人三脚の概要を説明しよう。参加メンバーは私とハルの二人。実施場所――つまりフィールドとなるのはこの校舎内。そして目標タイムというものを設定した」
「いやいや、ちょっと待ってください。校舎内って、ちょっと無理がありません? せめて外を走りましょうよ」
明らかに注目の的だろう。しかも、そこそこ有名人である陽葵と校舎内で二人三脚なんてしていたら、変な噂が立つに決まっている。
「それじゃあ普通すぎてつまらない。それにみんなが見ている方が盛り上がる」
「仮に百歩譲るとしても、先生たちの目はごまかせないですよ」
「その点については私に考えがある。話を戻すぞ。要約すると、校舎内の私が決めたコースを制限時間内にゴールする、というのが二人三脚の主旨だ」
勝負でもなんでもないただの自己満足だと思う――そんな喉元まで上ってきた文句を、晴はどうにか押し戻した。
「そして次はコース説明だが、ここ無名部をスタート地点とする。無名部の部室はちょうど特別棟四階の真ん中に位置している。まず廊下を東側の端まで直進し――」
陽葵の話を簡単にまとめると――階段を上り下りするのを抜かせば、教室棟と特別棟をぐるっと一周するだけ。一階を通らず二階を通っているのは、おそらく職員室を避ければ先生たちとの遭遇率が低くなるという計算だろう。
「肝心のタイムだが、三分以内を目指そうと思う」
「三分!? いくら何でもシビアでしょうそれ」
「私が軽めに走って三分くらいだったから、何とかなるさ。さっそく実践しよう」
晴は廊下に出て、陽葵は部室内にて、それぞれジャージに着替え終えた。
晴の右足と陽葵の左足が一足になるよう、紐で括り付けて固定。部室内を試しに徘徊してみる。
「一、ニ、一、ニ……おお、新感覚だなこれ。というかハル、もっとこっちに寄ってくれないと、転びそうだ。腰に手を回してくれ」
「そ、そうですね」
陽葵に指摘され、晴は腕を彼女の腰に回し、身体を密着させる。自然と陽葵の女性的な部分に意識を持っていかれる。
髪から漂ういい匂い、身体に触れる柔らかい何か、腰に回した手の感触。
異性に触れた経験の少ない晴は、集中力が持続せず、
「うわわわっ、いだ! ハル、真面目にやってるか?」
「すみません!」
「しっかりしてくれ、まあ最初だから仕方ないけどな」
その後数回練習して、キリのいいところで二人は廊下に出た。凍てつく寒さに思わず表情を歪ませる。
周囲には幸い人影は見えない。
廊下の真ん中に立ち、スタート位置についた。
「私が三秒前から秒読みを始める。ゼロの合図で最初の一歩を踏み出してくれ。そのタイミングでストップウォッチを起動させるから」
「了解です」
「最初に踏み出すのは紐で括ってある方の足だからな。じゃあいくぞ! 三、二、一、ゼロ!」
晴たちは一斉に一歩目を前に出した。
一、二、一、二……
ひとけのない廊下に男女の重なり合う声がこだまする。窓の外より降り注ぐ雨の、天井や窓に当たる音が、幾分か心を安らげてくれるようだ。
晴と陽葵はゆっくりとした足取りで、順調に歩を進めていた。
廊下の端までくると、難所である曲がり角に差し掛かる。
「そのまま曲がろうとせず、停止してから方向転換しよう。どうせ一発クリアは無理だ。焦らず確実にゴールを目指そう」
陽葵の指示通り、九十度左に体勢が向くよう、その場で足踏みした。
そして教室棟の方面に目を向ける。すると――
「ひま先輩! 誰かがこっちに向ってきてます!」
「それがどうした? うろたえず堂々としていろ」
いずれ誰かに見られるのは明白なこととわかってはいたが、晴は完全に頭から遮断していた。
――知り合いじゃありませんように、知り合いじゃありませんように。
心の中で懇願する晴をよそに、前方から着々と接近していた。外見から察するに女子生徒のようだ。
お互いの顔が認識できる位置まで近づくと、相手と目が合った。そばをすれ違う。
「あ――」
「一、二、一、二……」
はい、思いっきり知り合いでした。しかも同じクラスの委員長。顔をそらしたあの動き、完全に他人のふり決め込んだな。
ああ……泣き叫びたい。
「ひま先輩……早くも痛恨の一撃を食らいました」
「気にするな、そうやって人は成長するんだ」
発する言葉がいちいち格言めいている陽葵。
連絡通路の両側にある窓から中庭に目を向けると、本降りになった雨の筋が窓枠内を覆いつくしていた。
通路を渡り切り、最大の難所――階段を見下ろすところまできた。
正直上り階段より難しいと晴は考える。一歩踏み外したが最後、受け身も取れないまま遥か真下まで転がり落ちていく。場合によっては命まで関わる。
一見地味だが、多くの危険を孕んだ行為をこれからやろうしているわけだ。そんなことを懇切丁寧に説得したところで、
「ふっ、障害があってこそ燃えるものだ」
と言い切るのは目に見えていた。
「ホント危ないんで、くれぐれも慎重に下りましょう」
「ああ、そうだな」
固定された方の足から踏み出し、ゆっくりとしたペースで階下に向かう。
躓かないよう足元に細心の注意を払い、踊り場まで到達。その先も何事もなくクリアし、三階へ。
三階から二階へ通じる階段に差し掛かり、数段下りたところで、踊り場から男子生徒が姿を現す。その男子生徒はスマホをいじりながら上ってきており、こちらに気づいていない。
足元に気を配っていたため、上ってくる生徒への対応が遅れ、晴はとっさに固定された右足を左に移動させた。
対する陽葵は、固定された左足を右に移動させた。
力の均衡はやや左に傾き、晴が陽葵を引っ張る作用が生じる。
重心がずれたにもかかわらず、晴を主力として足を踏ん張り耐えたことで、一段下への着地に成功。
――と思ったのも束の間、地面に接触していた二つの上履きが、突如右方向にスリップした。
「うわっ」
「くっ」
晴と陽葵が声を上げた直後、双方を巻き込みながら転倒。晴を下にして転がり落ちる。
歩きスマホをしていた男子生徒は、瞬時に異変に気付き、巻き添えを食らわず回避した。
踊り場まで滑り落ちたところで、ようやく停止する。
「いつつ、背中が熱い」
背後から転倒し、そのまま階段を滑走した晴は、何度も背中を打ち付けていた。だが、幸運なことに、軽い打ち身で済んだようである。
仰向けになった晴の上に、背中から重なっている陽葵に、声をかける。
「大丈夫ですかひま先輩? ん?」
後ろから抱きかかえるように伸びた手は、柔らかい何かを鷲掴みにしていた。大きさは手のひらに収まるくらいである、と晴が冷静に分析していると、
「ああ、全く問題ないぞ――――お前が鉄槌を受ければな!」
「ぐふっっ」
晴のみぞおち目がけ、勢いづけた肘を直角に落とした。
目を白黒させている晴を他所に、陽葵は立ち上がり、乱れた制服を整えている。
「かばってくれてありがとうなハル。おかげでこっちは無傷だ。ハルは怪我してないか?」
差し伸べた陽葵の手を掴んで、晴は陽葵の横に並んだ。
「みぞおちへの打撃による腹痛以外は大丈夫そうです」
「そうか、それは仕方ないな」
「それにしても階段から転落するなんて思ってもみませんでしたよ」
「私もだ」
偶然が重なった結果こうなった。歩きスマホの男子生徒、湿った階段。
まあ二人三脚をして固定された足が主な原因なのだろうけど。
そういえばさっきの男子生徒、いつのまにかいなくなってるな。ちょっとくらい気にかけてくれてもいいと思うのだが。
「さて、再開しようか。といっても転んだ拍子にストップウォッチは止まってるがな」
「まだやるんですか?」
「当然だ。とりあえず部室まではこのまま行くぞ」
二人は残りの階段に足を向けた。
さっきの二の舞にならないように、左端に寄って晴が手すりに手を掛けながら下りて行く。
無事二階に辿り着き、直線廊下に近づく。前方を望むと、三年生の教室に繋がる扉群が等間隔に立ち並んでいた。
道中数人とすれ違うも、目立った出来事は起きず――二度見されたり呆れ顔をされたりはしたが――廊下の端までやってこれた。
曲がり角を左折し、連絡通路を直進。特別棟に戻ってくる。
難所である上り階段は、転落の恐れがない分スムーズに通過できた。
四階まで上り切り、無名部までの直線を歩き終えると、ついにゴールインを果たした。
「は~。やっと戻ってこれた~」
あらゆる緊張から解放された晴は、ほっとした溜息を吐いた。
「お疲れ。どうだ? 楽しかっただろ?」
「はい? 楽しむ要素が微塵もあるようには思えないのですが? 楽しめるのは真性のドMかひま先輩だけですよ」
「素直になれって」
「本心です」
そんな他愛のないやり取りの後、校舎内にチャイムが鳴り響く。
「お〜、もう最終下校時刻か。もう一回くらい練習したかったんだがな。また明日にするか」
「そうですね」
内心では明日、どう切り抜けて陽葵の目を掻い潜るかしか頭にない晴。
校内二人三脚という誰も得しない部活動を終え、波乱の放課後が幕を閉じた。




