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 車は、走る。

 国道1号線で芦ノ湖方面へ。さらに進み、途中で山道に入った。どこをどう通ったのかは記憶できそうもない。国道をそれてからは、あきらかに主要幹線道路を避けているようだった。おそらくではあるが、伊豆半島のどこかに向かっていると予測できた。いつのまにか、静岡県に入っていたようだ。潮の香りが強くなっていた。

 まるでトローリングだ。大物が針にかかるまで車は停まらない。

 うまくかからなければ、だれかが死ぬ。


        * * *


 ここは、静岡だろうか? 車窓にはカーテンがかかっているから、ハッキリとはわからない。伊豆半島のどこかだろうか、それともさらに西へ行った場所だろうか……。

 どこかの港町のはずれ──車が停車した。そこは倉庫のような空間だった。車のまま、直接なかへ侵入したようだ。降ろされると、爬虫類に蹴り倒された。地面は、土だった。コンクリートでないところをみると、倉庫というほど立派なものではないのかもしれない。屋根のついた駐車場といったところだろうか。いままで乗ってきたワゴン車のほかに、眼につくものは存在しなかった。

 いや……、運転手だった男が、すぐになにかを外から運んできた。

 ドラム缶だった。背筋が凍りつく。

「何度も言うが、始末はそっちでな」

「わかってるよ」

 爬虫類に、あの男が返事をする。女がいっしょでないからか、彼は落ち着かない。

「おい、こいつを」

 男から声をかけられた。男は、同じように地面に蹴り倒されていた義雄を顎で指した。

「これでやれ」

 男の手にしているものを見て、腰が抜けた。

 拳銃だった。本物のわけがない。本物が、こんなところにあるわけが……。

「弾は、五発しか入ってない。失敗したら、てめえがドラム缶に入ることになるぞ」

 男の恫喝が、冗談のように聞こえた。恐ろしさすら通り越して、すべての感覚が麻痺してしまったのだ。背後から、からみつくように男が拳銃を指に握らせる。

「狙って引け」

 ムリだ! 逃げようとした。

 立てない。腰が抜けて。

 それだけではない。魂までも抜けていた。自分がなにを考えて、どんな結論を出そうとしてるのか……絶対零度の霧が、視界と脳内を覆っていた。

「い、いや……だ……」

「おめえが、死ぬぞ」

「いや……だ……」

 ただ、その言葉を繰り返していた。恐ろしくて、恐ろしくて──。

「どうするんだ? あんたがやるか?」

「冗談だろ。殺人犯なんてごめんだぜ」

 業を煮やした爬虫類に、男が応える。

「なあ、前回はやってくれたんじゃねえのか?」

 男の問いかけに、爬虫類の表情が変わった。

「だったら、今回もお願いしてえんだけどよ」

「なんのことだ?」

「とぼけんなよ。つぐみの──あの女子高生と二人だけになって、なんかしたんだろ?」

「そうだったか?」

「とぼけんなよ。おれにパチンコへ行ってこいって、小遣いまでくれたよな。おれのいないあいだに、すべての処理を終わらせといてくれたじゃねえか。もちろん、あんたのようなプロがそれだけじゃねえよな? あの姉妹と楽しんだんじゃねえのか? そのあげく、姉のほうをいたぶって殺したんじゃねえのか?」

「……」

 爬虫類は答えない。それは、肯定したということなのか……。

 だとすれば、姉を殺したのは……この爬虫類なのか!?

「とにかく……殺しは、こっちの領分じゃねえ。そっちでやれや」

 爬虫類は、有無を言わせぬ迫力で押し切った。

 男もこれには、ただ従うしかないようだった。

「しゃあねえな、むりやりにでも引かせるか」

 矛先が、こちらにもどってきてしまった。

 男が、勝手に人差し指を動かそうとする。

 義雄は眼の前だ。この距離では、はずれない。義雄を殺してしまう。

 いやだ、いやだ!

 抵抗した。人差し指を全力で伸ばした。

「てめえ!」

「まてや」

 爬虫類が、そこで余裕の声をあげた。

「べつに生きたままでもできるぜ。まあ、そっちのほうがおもしれえんだ。だがよ、後味は悪いぜ」

 どんなのだ?──と、男。

「生きたままやるんだよ」

「へえ」

 男の表情が、期待に満ちた。歪んだ好奇心が死神の笑顔を呼んでいた。

「おもしろそうじゃねえか」

「じゃ、決まりだな」

 爬虫類は、準備をはじめた。手足の自由を奪われている義雄をドラム缶に押し込んだ。義雄の身体を持ち上げるときには、運転手役と男も手伝っていた。

「な、なにすんじゃ!?」

 義雄は、心の底からおびえていた。ムリもない。見ているこちらも、とてつもなく恐怖を感じているのだ。

「待ってろ」

 爬虫類はそう言うと、倉庫から姿を消した。十分ほどして、エンジン音が近づいてきた。永遠にも思えた時間だった。シャッターが開き、軽トラックがワゴン車と並ぶように停められる。荷台には大きな袋に入った、なにかが積まれていた。

 家では母が園芸をやっているから、よくこういう栄養分をふくんだ土をいっしょに買いにいく。それだと思った。だがちがった。男の命令で、その積み荷を下ろす作業をやらされた。袋には、その中身がコンクリートであることが表記されていた。

 コンクリート詰め──という言葉が、脳内を占領した。

 爬虫類は、ドラム缶のなかに袋の中身を入れていく。この状態では、まだ砂と同じだ。ある程度入れたら、どこからか引っ張ってきたホースを使って、水を注いでいく。

 あっというまに、泥状のもので義雄の身体は満たされた。

「な、なにすんじゃ!? や、やめてくりぇ」

 悲鳴に近い声を、義雄はあげていた。

 どんなに泣きわめこうが、助けは来ない。この倉庫のまわりには人家がないようだ。

 コンクリートが固まるまで、はたしてどれぐらいの時間だったのだろうか。時計を見ていないので、よくわからない。二時間から三時間は経っている。いや、わずか一時間ほどのことかもしれない。そのころには、義雄はおとなしくなっていた。観念したというよりも、声が枯れ果ててしまったようだ。

 ドラム缶から顔だけを出している義雄の顔が、とても憔悴していて、哀れだった。

 むごい。人間が考えつくことではなかった。

「もういいな」

「船に運ぶんだろ?」

「そうだ」

「こうするんだったよな?」

 男が、足の裏で押すようにドラム缶を蹴り倒した。

「や、やめ……」

「おい、おまえも手伝え」

 ドラム缶をみんなで転がしていく。義雄の顔面が回転していくところが、現実味をなくしていた。まるで、おもちゃだった。

 軽トラックの荷台の縁が倒されて、金属製の頑丈そうな板を地面へとかけた。それを利用して、ドラム缶を荷台へ上げていく。コンクリートによって重量が上がっているから、簡単にはいかなかった。爬虫類たちの額から顎にかけても、大粒の汗が滴っていた。

 どうにか、荷台にドラム缶をのせた。黒いシートをかぶせて積み荷を隠し、爬虫類が軽トラックを発進させた。

 まだ地獄は終わらない。男の命令で、ワゴン車に乗せられた。

 軽トラックのあとを追う。走行していた時間は、五分もなかった。

 そこは、ボートやクルーザーの停泊場所のようだった。まだ太陽は沈んでいないというのに、人の姿はない。係留施設といっても、小さな規模だ。合計しても、七、八艘ほどしか停められていない。

 軽トラックから、ドラム缶を下ろす作業に入った。上げるよりはくらべようもないほどに楽だった。さきほどと同じように後部柵を倒し、金属製の板を通す。爬虫類がドラム缶を押した。だれも受け止める者はなく、ドラム缶は転がり続け、船をつないでおくための突起物──たしか、ビットだかボラードと呼ばれる係船柱に激突した。

 相当、衝撃が襲ったのか、義雄がうめき声をあげた。だが、過剰に騒ぎ立てるようなことはしない。精も根も尽き果てているようだった。頭の良い人間なら、力をこれまでに蓄えておいて、いま大声で助けを求めるだろう。ただし多少の叫び程度では、だれの耳にも届かないだろうが。

 再び、ドラム缶転がしを手伝わされたが、目的の船までは一分もかからなかった。丸いものを転がすという作業は、たとえ重いものであったとしても容易なことだと知った。

 ドラム缶の重量は、何キロになるだろう? 義雄の体重が70キロだとして、ドラム缶自体が10キロ、流し込んだコンクリートでプラス50キロから70キロ。コンクリートの重さなど考えたこともなかったから、おおよそでしかない。それでも100キロは、ゆうに超えていることだけはわかる。

 船はクルーザーというよりも、漁船に近かった。大きさは、まさしく「漁船」という響きから連想する規模だった。モーターボートよりは大きいが、大型と表現するほどではない。船名がついているようだが、塗装がかすれてよく見えない。読めはしないが、漢字が使われているので、むかし漁船だったものを、クルーザー風に改造したものかもしれない。

 運転主役が、軽トラックから金属製の板を運んできて、漁船と係留施設とを渡した。ここまでドラム缶を転がすよりも、重労働のようだった。今度はドラム缶を船上にあげる。軽トラックに上げるよりは楽だったが、それでも大変な力作業であることにかわりはなかった。

 ここにきて、義雄の元気はさらに消えていた。もう、自らの死を覚悟したのかもしれない。

 出航の準備をととのえた爬虫類が、最後に港の各方々に視線をはしらせた。だれの姿も確認できなかったのだろう。満足げに、凍てついた眼光をさらに冷たくした。

 エンジンがかかった。

 船の運転は、爬虫類がするらしい。

 こうして、ドラム缶詰めの義雄をのせた船は、絶望の海原へと出航した。


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