表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/25

27/28

           27


 健介は、小田原へ急いでいた。

 前日は警視庁での用事を済ませたあと、アパートに帰って、そこで睡眠をとった。久しぶりに、ゆっくり眠れたような気がした。まだ自室に馴染んでいるわけでもないが、それでもホテルよりはリラックスできる。それに、詩織もいない。

 朝の目覚ましは、奈々子からの連絡だった。勇太から報告があり、深海が諸橋家に行くことになった、と告げられた。そして深海は、そこで勝負をかけるという。

 勝負、という表現はいささか的を射ていない。犯人との戦いは、勝ち負けの問題ではないのだから。が、健介は奈々子に対して、反論の言葉をのみ込んでいた。

 すぐにもどることを伝えた。アパートをあわてるように出て、東京駅へ向かった。

 新幹線に飛び込んで、小田原へ。速いはずの新幹線が、遅く感じた。気ばかりが焦る。

 深海は、危険な賭けにでるつもりなのだ。一人で犯人たちのもとに潜入するなど、無謀にもほどがある。そもそも警察官は、おとり捜査を禁止されているはずだ。いかに、一般の警察官とはちがう『特殊Mケース犯罪研究室』であろうとも……。

 連絡をうけてから一時間ほどで、奈々子たちに合流できた。やはり新幹線は速いものだった。場所は、泊まっていたホテルの前。奈々子、詩織と二十数時間ぶりに顔を合わせた。勇太はいない。いまでも深海を、遠くからサポートしているようだ。

「どうするつもりなんですか、深海さんは? だいたい、なにをしてるんですか!?」

 奈々子の唇は重い。深海が、ある人物──おそらく架空の──になりすまして、諸橋家に入り込もうとしているところまでは教えられている。しかし、そこからどうやって、深海が解決までもっていこうとしているのかがわからない。

「いい? これからが正念場よ」

「なんのですか?」

「命令は覚えてるわよね?」

「深海さんになにがあっても、接触しないってことですか?」

「そう」

「深海さんは、これから危険なことをしようとしてるんじゃないですか!?」

 奈々子は、押し黙ってしまった。

「池田さん……深海さんなら大丈夫です。信じましょう」

 詩織の言葉にも、しかし不安がやどっている。

「わたしたちの仕事は、深海さんの身を案じて、救い出すことじゃない。救うのは、諸橋家の人々よ」

「諸橋さんたちを助け出すために、深海さんは行動してるんでしょう!? だったら、ぼくらも!」

「ちがう。わたしたちの相手は……」

 奈々子の視線が鋭くなっていた。健介は、奈々子の睨む方向に眼をやった。

 飛田がいた。同僚の刑事たち二人もいっしょだ。最初に会ったときと同じメンバーだった。

「どこに行こうってんだ?」

 飛田は、さぐるように問いかけた。

 健介くん──と、奈々子が耳元で囁いた。

「あの男は、わたしたちが諸橋さんの家に近づくのを妨害するつもりなのよ」

 自分たち警察官を遠ざけているあいだに、木島蓮美と江原丈治はなにを仕掛けるつもりなのだろう?

「どこに行こうと、わたしたちの勝手じゃない?」

 勇ましく、奈々子が声をあげる。

「また、おまえか。このあいだの暴言、忘れはせんぞ!」

「あなたのほうこそ、懲りてないのね」

「おまえらよそ者なんて、こわかねえ」

 飛田は、意味ありげに笑った。吐き気のするほど、気持ちの悪い笑みだった。

「ちょっとよ、署のほうで話を聞かせてもらおうか」

「容疑は、なんなの?」

「いろんなのだよ。恐喝でもいいし、暴行でもいい。殺人ってのもいいな」

 楽しそうに、飛田の下品な口は動きつづける。

「身元不明、死因不明の遺体なんて、日本中どこにでもあるんだ。東京だけじゃねえ」

 言葉の端々に、東京へのコンプレックスが見え隠れしている。健介は、この男のことを哀れに思えてきた。

「来てくれるよな?」

 有無を言わせぬ問いかけだった。健介は、さきほどとは逆に、奈々子の耳元で囁いた。

「どうするんですか?」

「この男は、深海さんの顔を知ってるわ」

 警察署の前で、研究室のメンバーは全員、飛田と顔を合わせている。

「彼らが、わたしたちを諸橋家に近づけたくないように、わたしたちも、彼らを諸橋家に近づけたくないの。しゃくだけど、ここは、おとなしく従って」


          * * *


 携帯の声が漏れていた。いつもは聞こえることなどないはずなのに、今日はよく耳に届いていた。「東京の刑事たちは寄りつけないようにした」──だれかの声がそう言った。

 それを聞く女の表情は、満足げだ。女は携帯を仕舞うと、男に目配せのような合図をおくった。万事整った、と言わんばかりだ。

 それからしばらくして、《高松の義雄》がやって来た。

「おうおう、よろしゅう、よろしゅう」

 いったい、どこ地方の挨拶なのか、あいかわらず見当もつかなかった。それとも高松では、みなこんな感じなのだろうか?

 今日は、母も服を着ることを許されている。父と自分をふくめて、正座も強要されていない。だが、足を崩す気にもなれなかったが……。

 義雄が居間のテーブルについた。座布団の上に胡座をかくと、すかさず妹がお茶を運んできた。義雄の正面には、女。男は一歩引いたところで、雑な姿勢で座っていた。まるで、時代劇に出てくる浪人崩れの用心棒のようだった。

 父と母、自分は部屋のすみ、玄関へ続く襖の手前で並んでいた。

「さっそくですが、義雄さん。知り合いの社長にお会いしていただくまえに、権利書の確認をしてよろしいでしょうか?」

「おうおう、いいとも、いいとも」

 義雄は、色褪せたスポーツバッグのなかを物色しはじめた。とてもではないが、価値のあるものが入っているとは考えられなかった。

「これでええかい?」

 テーブルの上に、茶封筒が置かれた。

「あらためさせてもらいます」

 そう断ってから、女がなかに手を入れる。

 数枚の紙を取り出していた。『土地権利書』の文字が、たしかに見えた。

「では、義雄さん、こちらの書類のほうにサインしてもらえませんか?」

「サイン? おうおう、どんな書類じゃ?」

 女は用意していた一枚の紙を、義雄に渡した。

「ふむふむ……権利書に記された土地を借金返済のため、木島蓮美氏へ譲渡し──ん?」

 さすがの義雄も、顔色が変わった。

「どういうこつや、ベッピンさん! わしゃ借金などしとらんぞ」

「いいからサインしてよ、義雄さん」

 女の瞳が、毒蛇のように冷徹な光をおびた。

「できんぞ、そんなこつ!」

 男が義雄の背後に移動していた。羽交い締めのように、義雄の自由を奪う。

「さあ、サインと印鑑も頼むよ、実印もあるんだろ?」

「だ、だれが書くもんか!」

 男の腕が、義雄の首にからんだ。

「このまま、絞め殺したっていいんだぜ」

「う、や、やめれ……」

 義雄の顔が、おびえの相に支配された。ようやく、女と男の恐ろしさを知ったのだ。

 もう遅い。遅すぎだ。

「書くのか、書かないのか!?」

「わ、わかっちゃ……書くっちゃ」

 観念した義雄の姿に、途方もないほどの哀れさを感じた。自分もふくめて、父も母も妹も、助ける者などいない。そうなのだ。この家は、狂っているのだ。

 義雄は、書類に署名した。そのときになって、はじめて義雄の苗字がわかった。

『高松』──ん!?

《高松の義雄》の高松とは、地名のことではなかったのか!?

「あった、これが実印ね」

 スポーツバッグを物色していた女が、なかから印鑑を取り出していた。

「や、やめちぇくれ……」

 義雄の懇願など無いことのように、女は判を押した。

「これで、高松にある山林は、わたしのものね。……え?」

 そこで、女も気づいたようだ。

「ねえ、姓が高松だったの? この山林は、どこにあるのよ!」

 女は、義雄のもってきた権利書をくまなく読みはじめた。

「どこにも書いてないわね……」

 どうやら、場所を示す表記はないらしい。これまでに権利書を眼にしたことがないからよくわからないが、そんなことがあるのだろうか!?

「義雄さん、この土地、どこにあるの!?」

「い、言うもんか!」

「教えなさい」

 しかし、義雄は口をつぐむ。

「……いいわ。どこにあろうが、調べればわかるんだから」

「お、おまんら、こげんこつして、ただですむと思うとるんか!?」

「すむわよ。義雄さんは、これから遠いところへ旅立つんだから」

 女が、氷原に立つ悪魔に見えた。

「ここじゃまずいから、移動しよっか」

 まるで子供が遊び場を決めるように、女は言った。

 携帯でどこかへ連絡をとると、十分ほどして、二人の男たちが入ってきた。そのうちの一人には、見覚えがあった。姉が消えたときにも現れた男だった。

「表に、制服警官はいた?」

「いない。だれもいない」

 ぶっきらぼうに、見覚えのあるほうが答えた。爬虫類のような顔をしていた。

「わかってると思うが、始末はそっちでやってくれ」

 無機質に、爬虫類は言った。

「わかってるわ」

 女は、男の耳元でなにかを話しかけた。

「おい! おまえ来い」

 すると、男に呼ばれた。引っ立てられるように、義雄ともどもつれていかれる。家を出ると、ワゴン車に押し込められた。数週間ぶりの外出だというのに、感動も解放感もまるでない。男と、現れた二人によって、義雄、そして自分がどこかへ運ばれていく。前回にはいなかったもう一人は、運転手役のようだ。

 ふつふつと恐怖が強くなる。そういえば姉のときは、自分ではなく妹だった。

 妹は、なにをやらされたのだ!?

 そして、自分はこれから……。




           28


 依頼主とは何度か顔を合わせているが、むこうの名前は覚えないようにしている。こちらも名乗らない。ただ『処理屋』としか。

 秀明が、後処理以外に関与することはない。

 専門外のことはしない──それが、長く業界でやっていくコツだ。

 名古屋から朝早く移動し、小田原市内で今回のパートナーとなる人間とはじめて会った。パートナーといっても、仲よしこよしでなにかをするというわけではない。人選も、こちらは関わらない。ただの《運び屋》だ。

 これまでに知っている顔ではなかった。秀明も、それなりに経験を積んでいるが、まったく眼にしたことがない人物だった。年齢は自分と同世代だろうと、秀明は見立てた。相貌は鋭く、口は堅そうだ。無論、それはあたりまえの基本適性ではあるが。

 言葉を交わすこともなく、《運び屋》の用意した車で、ある家まで行った。

 むせかえるような瘴気が充満している家だった。

 なにかのタガがはずれている。以前来たときよりも、悪化していた。

 その部屋のなかで、一人の少女と眼が合った。

 おたがいが、他人のフリだ。

 そうだ。あれは、ただの気まぐれだ。もう忘れるべきことなのだ。

 彼女のほうも、それをよく理解していた。

 それでいい。

 ふと、名古屋に置いてきた女のことを思い出した。

 結局、つれてくることはなかった。

 まだ《シンカー》は、錆びついていない。それが証明できたのだ。女一人など、ただの消耗品だ。

 俺は、プロフェッショナルなのだから。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ