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《高松の義雄》が帰ったあと、女からいろいろと尋問された。
どんな人物なのか、資産はどれぐらいあるのか……。
父や母は答えられない。知らないのだから、答えようがないではないか。
自分が、進んでしゃべった。
知りもしない人間のことだが、不思議と言葉は途切れなかった。腹をくくっていた。義雄には悪いが、女と男の生贄になってもらう。彼のほうに興味が出れば、こちらを解放してくれるかもしれない……、わずかな望みではあるが……。
義雄とは、むかしよく遊んでもらった。
面倒みがよく、困った人を放っておけない性格。
相談事をしても、親身になってのってくれる。
しかも、口は堅い。
家は資産家というわけではないが、地主で先祖代々の山と土地を所有している。
──どんどんと嘘が出てくる。
いや、このなかにも本当のことがあるのかもしれない。広い山林をもっていると本人も言っていたから、地主というのはあながちデタラメではないのではないか。
教えれば教えるほど、女の眼が輝きを増していた。金の匂いを嗅ぎ当てたのだ。
いいぞ。そのまま義雄に興味を惹いてくれれば……。
それから女は、方々に連絡をとりはじめた。
なんの相談なのだろうか。薄ら寒さとともに、希望の光が見えたような気がした。
男は、女のやることに口出しをするつもりはないようだ。テレビを観はじめた。
女は携帯で話している。監視の眼がゆるんでいた。
妹が、近づいてきた。耳元で囁かれた。
「あの人を……」
そのさきを、妹は言わなかった。
妹に瞳を合わせ、うなずいた。妹は、首を横に振る。
なぜ、これからやろうとしていることを否定するんだ!?
「わたしたちに興味がなくなったら……わたしたちが──」
やはり、そのさきを妹は言わない。
背筋にイヤな感触が広がった。
妹が言わんとしていること……それを想像したからだ。
わたしたちに興味がなくなったら、女と男は、わたしたちを……消す──。
* * *
携帯が鳴った。
予想よりも、引きが強い。
思わぬ大物かもしれない。
まだ合わせない。
まだだ。まだだ。
* * *
女が、携帯を使っている。
何人かに連絡をとったあとだが、最後にかけた相手がなかなか出ないらしい。
だれだろう?
いや、わかっている。高松の義雄だ。
市内のホテルに泊まっていると言っていたから、彼を呼び出すのだ。
なにかするつもりだ。それがわかる。
……わかっていても、どうすることもできない。自分たちには、なにも。
(嘘をつくな)
心の奥から、声がする。
なにもできないのではなく、それを望んでいるのだろう。
女と男の標的が、義雄に向いてくれればいいと──。
「ったく、出ないわね。なにやってるのかしら」
めずらしく、女が苛立ちの言葉を発した。そういう態度をよくとるのは、男のほうだ。それを余裕に満ちた女がいさめる。それが、ここでの日常だというのに。
出るな。その思いが、感情のどこかにわき上がっていた。
出るな、義雄。そのまま高松へ帰れ。
そして、二度とここへは来るな。
(なにを言う! そうなったら、またおれたちが地獄にもどることになるんだ!)
また心で叫びがあがった。さっきとは、べつの声だ。
どちらが本心で、自分がどちらを望んでいるのか……。
わからない。まったくといっていいほど……。
──わたしたちに興味がなくなったら。
妹の口にしていたことも、身体の内部に重く、しこりを残している。
いったい、自分たち家族はどうなってしまうのか……これからの道筋が、深い霧のなかに埋没している。
光は、どこにあるのだろう。
「早く出なさいよ!」
* * *
じれているのが、手に取るようにわかる。
こちらを小魚だとあなどって、食らいつきたいのだ。捕食することしか考えられなくなっているのだ。
ラインは、大きく揺れている。
水面に潜り、浮き上がっては、また潜る。
《高松の義雄》は、ロッドを握った。
合わせる!
「もしもし?」
ガサツな、そして大きな声で呼びかけた。
『あ、義雄さん? わたしです』
「ああ、おじきの家にいたペッピンさん」
女が平静をよそおいながらも、感情を乱していることがうかがえる。
『まだホテルにいるんですか?』
「おお。明日、帰ろうかと思っちょる」
『ちょうどよかった、義雄さん。わたしの知り合いに不動産屋がいるんですけど、その人に義雄さんのことを話したら、興味をもったみたいで』
「ほうほう」
『山林を見てみたい、っていうんですよ。その人が言うには、できるだけ高く買い取れるようにするって』
「そうけえ、そうけえ」
『明日にでも、ここへつれてきますので、義雄さん、会ってみませんか?』
「そうじゃのう。わしもあいたいのう」
『そうですか! では、明日、こちらへいらしてくれませんか?』
「わかったわかった。おじきん家にいくわ。十時ぐらいでいいかい?」
『はい、お待ちしています』
「もし条件がよければ、その場で売ってもいいけんね」
『え?』
「いやあ、おじきに意見聞いてもらえるんならって、土地の権利所も持参してたんよ」
『そうなんですか!?』
「おうよ、おうよ」
『では、具体的に商談ができるよう、先方には伝えておきますので』
そこで、通話は切られた。
土地の権利所を持参した理由が、理由にもなっていない。それでも、女はそれを信じて疑わなかった。
ヤツらは気づいていない。
ヤツら自身がつくりあげたフィールドから、ヤツら自身が抜け出せなくなっている。
狂いの生じた磁場が、常識を遠ざけるのだ。
ヤツらは、ルアーに食いついた。
こちらがキャストすれば、何度でも、何度でも──。
あとは、いつ釣り上げるかだ。
一匹、二匹ではダメだ。
一網打尽にしなければ……。
海底の淀みから、すべてをすくい上げる。
26
突如として、仕事の依頼が入った。これまでに何度か請け負ったことのある相手だ。少しまえにも受けている。
秀明に戸惑いはなかった。この業界では、よくあることだ。
約束は、明日。場所は、神奈川。
ここからは離れているが、あの海には近いから、むしろ楽な仕事になるだろう。
不安がないわけではない。噂として流れている。かつて依頼を請け負ったガキどもが、パクられたと。いざとなったら、すぐにでも姿をくらますことができるから、それほどの緊急事態というわけはない。これまでにも、そういうことはよくあった。
ただしそうなったら、もうここにはもどれない。
秀明は、迷っていた。
この女をどうするか……。
今日もまた、この女を何度となく抱いたあとだ。
正直、惜しいという思いが勝っていた。
どうすべきか……このままおいていくか、つれていくか。
ダメだ。つれていくわけにはいかない。この女が、ウィークポイントになる可能性がある。
いや、その心配はない──すぐに、べつの自分が囁きかける。
もしものときには、この女を囮として使えるではないか。
女が、こちらを見ていた。
秀明は、無言を通した。
明日の朝までに決めればいいことだ。




