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その日から、深海との接触は禁じられた。深海は、べつのホテルに宿をとっている。勇太もそのホテルの、ちがう部屋に。健介と詩織は、それまでのビジネスホテルに滞在していた。奈々子だけは、神出鬼没だ。地元なわけだから、いろいろとツテがあるのかもしれない。
「はい、これ」
夜になって、神出鬼没の奈々子が、ひょっこり顔を出した。
「これが……」
それは、六人分の写真だった。いずれも、顔がハッキリと写っている。
「深海さんからですか?」
うまく家のなかに入り込み、家人たちの撮影に成功したのだろうか。どの写真も、撮られていることに、まったく気づいていない様子だった。素の状態を切り取っている。
「これは、つぐみさん」
十代の少女。何度か顔を合わせているから、まちがいない。
「これが……諸橋隆?」
二十代の男性。ちょうど、健介自身と同世代。年齢からいっても、隆の可能性が高い。
「諸橋正三」
四十代半ばから、五十歳ぐらいの男性。
「奥さんの佳代さん」
やはり四十代後半の女性。
「……」
そのほかに、三十代ぐらいの女性。
その女性よりも、少し若いぐらいの男性。
「この二人が……」
資料にある家族構成からいくと、女性は長女の琴音であることも充分考えられる。だが、琴音の年齢は二六歳。写真の女では、高すぎるようにも感じる。
それに写真の女は、三十代に見えるだけかもしれない。
容姿は美しい。奈々子をもっと妖艶にしたようだった。こういうタイプの場合、実年齢よりも若く見えるということは、奈々子で学習ずみだ。
「家のなかにいたのは、この人たちだけだったんでしょうか?」
「断定はできないわね。家のどこかに監禁されていることも考えられるし」
どこかに閉じ込められている場合、普通に入り込んだだけではみつけられない。
長女の琴音は、どこにいるのだ?
いつか懸念したことが、脳裏を燻す。長女は、家のなかにいないのではないか。
つぐみに問いかけたとき、琴音の名前を出したときだけ、声の調子が変わっていた。
それは、やはり……。
「この二人のことを調べましょう」
「そうね。明日、健介くんは警視庁へ行って」
「警視庁ですか?」
「そう。餅は餅屋に、よ」
しかしそれならば、警視庁ではなく、神奈川県警でいいのではないか?
その意が奈々子にも伝わったのか、彼女のほうから補足説明をしてくれた。
「その二人が、神奈川の人間であるという保証はないわ。いえ、むしろ県外の可能性のほうが高い。このテの犯罪者に、縄張りはないから」
「は、はあ」
「だから、わたしたちの部屋が結成されたの。警察官は、逆に縄張りが好きだから」
なるほど、と考えさせられた。
「だとしたら、警視庁のほうがいいでしょ? 全国の道府県警に顔が利くから」
それでも軋轢は生むのだろうが、たしかにそのとおりかもしれなかった。
「それに、神奈川には《金魚》がいるみたいだし」
「金魚?」
「あ、深くは考えないで。あまり意味はないから。ま、勇太を逮捕したような警官のことよ」
どういう意味があるのかまでは理解できなかった。だが、金魚という響きから連想できる、可愛らしい意味でないだろうことはわかった。
「サノッチには、話を通しておくから」
「佐野管理官ですか?」
捜査一課の管理官といえば、多忙で有名だ。凶悪事件の多い警視庁管内では、いくつもの事件をかけもちで指揮しているという。
「サノッチは、キャリアだからヒマなのよ」
冗談だろうか? 健介は、笑うべきなのか苦慮した。
結果、硬い表情で軽く笑ってみせた。そういえば……と振り返ってみた。研究室やそのとなりの部署に出入りしているところをみると、暇を持て余しているようにも受け取れる。
「本当は、わたしが行ければいいんだけど、いまはここを離れられないのよ」
奈々子は言った。どうして離れられないのか……、そう問いたいのを我慢した。なぜだか訊いてはいけないことだと自制心が働いたのだ。健介も、なんとなく察していた。奈々子が、ただの仕切り上手の内勤職員ではないことを。
翌日、警視庁へ出向いた。帰った、という表現でもまちがいないはずだが、大きな問題がなにも解決できていないだけに、心は小田原から離れていない。とりあえず捜査一課のオフィスへ立ち寄るまえに、自分たちの部屋へ行った。待ち構えていたように……というより、そこに馴染んで佐野がいた。
ピーポくんたちとも馴染んでいるようだ。
佐野は、笑みを浮かべていた。それが、ピーポくんたちの邪悪な笑みと重なる。
室内全体までもが、邪悪に染まっていた。
「あ、ど、どうも……」
言葉がうまく出てこなかった。
「やあ、新入り君。たしか、池田君だったよね?」
「は、はい」
「調べてほしい人間がいるんだって?」
「そうです! この二人です」
健介は、深海が撮影したであろう写真を渡した。
「わかった。ちょっと待っててくれ」
佐野は、部屋を退出していった。
それからしばらく、ピーポくんたちだけの室内に取り残された。三十分、四十分、五十分……。一時間を過ぎたころ、佐野がもどってきた。
「お待たせ」
「すみません。お手数かけます」
「わかったよ。二人の身元が」
二人の写真を取り込んで、照合システムのようなものにかけたのだろう。
「男のほうにマエがあった。恐喝で、神奈川が捕まえてる。それが四年前。懲役三年の実刑で、半年前に出所している。名前は、江原丈治。年齢は、三一歳」
予想していた年齢と、ほぼ同じぐらいだった。
「出身は広島で、むこうでは若いころから相当なワルだったらしい。成人してからの逮捕暦はなかったみたいだが、県警の四課も、つねにマークしていた一人だったそうだ」
生まれもっての犯罪気質だったということか。
「女性のほうは?」
「女にマエはなかった。だが、広島県警に問い合わせてみたんだ。そしたらヒットした。江原は恐喝で捕まる少しまえまで広島にいたんだが、そのころから、その女とツルんでたらしい。名前は、木島蓮美。年齢は、四三」
やはり、見た目よりも年上だった。
「……それだけだ。江原とツルんでいた、ということしかわかっていない。名前と年齢も江原に詐欺容疑がかかったとき、女にも聴取してその記録だけが残っているにすぎない。職業や経歴、出身地なども不明だ」
まさしく、謎の女というわけだ。
「詐欺容疑……逮捕まではされてないんですよね?」
「ああ。まあ、そのすぐあと、神奈川で引っ張られてるから、悪いことをすれば、必ず報いをうけるってことだね」
キャリアである佐野が、引っ張る、という言葉を使っていることに、軽い違和感をおぼえた。
「でも……女のほうは、捕まってないんですよね?」
「そうなるね」
なぜだろう。健介は、確信にも似た思考に行き当たっていた。広島での詐欺容疑。神奈川での恐喝。そのいずれも、主導したのは、女のほうではないのか?
「どうかしたのかい?」
「あ、いえ……」
「恐喝事件のこと、もう少し調べてあげようか?」
「そ、そんな……お忙しいでしょうし!」
「ほら、おれ、キャリアじゃない。キャリア管理官なんて、ただのお飾りだから、捜査本部にいても、やることないのよ」
とても、そんなセリフを鵜呑みにできるわけはなかった。
「じゃあ、なにかわかったら、ナナッチに連絡するわ」
「え!?」
ナナッチ、という呼び名に、眼を丸くしてしまった。
佐野警視は、そのまま去っていこうとしたのだが、健介は呼び止めていた。
「あ、あの!」
「ん?」
「このあいだの犯人グループ……どうなりました?」
茂原で検挙した、彼ら──。
葛飾区で発生した行方不明事件にかかわっている可能性があるという。
「これはね……まだどこにも出してない情報なんだが……」
そう言って、佐野は声をひそめた。
「犯行をほのめかしはじめた」
同じ警察官なのだから秘密にしなくてもいいとは感じたが、部署がちがう(そもそも自分たちは警視庁ではないのだが)人間に、おいそれと捜査情報は口外できないということなのかもしれない。それとも、佐野なりのユーモアなのか。もしユーモアだとしたら、いささか不謹慎だ。
「ほのめかす……どんなことですか?」
緊張をはらんで、健介は問いかけた。
「福島時江殺害」
背筋が、一瞬で凍結した。そうであってほしくないことが、現実となった。
「まだ自供とまではいえない。攪乱するための嘘かもしれないしね。で、ヤツらいわく、殺しはしたが、死体の処理はべつの人間にまかせた、ということらしい。だから、福島時江がどこにいるのかは不明のままだ」
健介は、視界が暗くなるのを感じていた。嘘であってほしいと願った。
ピーポくんの視線も、さらにドス黒い。
早くしなければ……。所在がまだわかっていない諸橋琴音を早く──。
焦りだけが募っていった。




