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 いなくなった、いなくなった──男が、能天気に喜んでいた。

 女は、そんな男を冷やかにみつめる。

 外で、なにかしらの騒動があったようだ。詳しくは、わからない。

 恐怖を感じた。そして、あらためて実感した。本当に恐ろしいのは、女のほうだと。

 女こそ、本物の悪魔なのだ。


        * * *


 健介と詩織、奈々子の三人は、小田原城下警察署の前にいた。すぐに深海も合流するはずだ。さきほど深海から奈々子の携帯に連絡があり、ここで集合することにしたのだ。

 奈々子の予想によれば、もうじき勇太が釈放される、とのことだった。根拠はよくわからなかったが、異を唱える材料のない健介は、それに従うしかなかった。

「深海さん」

 ある一点をみつめ、詩織が明るい声を放った。深海が、ゆっくりとした足取りでやって来た。健介は、これまでのことを報告しようと、彼に近づいていく。が、深海は手を挙げて、それを制した。わかってる──短く、そう言われた。

 奈々子からも耳にしていたのだろう。健介は、勇太まで巻き込んでしまったことに、罪悪感を抱いていた。自分は、これからどうすべきか……それを教えてほしかった。しかし深海は、それ以上、なにも言ってくれなかった。

 みんなの視線が、警察署の入り口に向けられた。湖内勇太が、刑事二人につれられて、外へ出てきた。その一人は、あの飛田だった。

「お情けで釈放してやるんだ、ありがたく思え」

 飛田の不遜な態度にも、勇太は怒りをあらわさない。とても冷静だ。健介は、自分ならと考えずにはいられない。

「おい、おまえら! ここでデカい顔するつもりなら、覚悟しとけよ」

 飛田は、研究室のメンバー全員に向かって宣告した。健介は、頭に血が昇った。

 殴りかかりそうだった身体を、深海に抑えられていた。

「あら、あなたのほうこそ、覚悟しておいたほういいんじゃない? あなたは、警察庁に喧嘩を売ったのよ」

 奈々子は笑顔をたたえて、そう告げた。

「へッ! ほざいてろ! なんて言ったかな……ナントカ研究室とかいう組織なんて、警察庁の職員にも知られてねえってな」

 飛田には、恐れる素振りは微塵もない。

「あなた、バックに大物がついてると思って安心してるんでしょうけど、権力なんてね、次の日にはどうなってるかわからないものなのよ」

「あ!? そりゃ、どういう意味だ!?」

 飛田が凄味をきかせた。奈々子は、涼しい顔でやりすごす。

 いまのは、どういうことなのか──健介も知りたかった。

「将来の心配をしておきなさいってことよ」

「な、なんだと!? てめえらこそ、夜道には気をつけろよ! ここらは、物騒だからな」

 飛田は下卑た笑みを浮かべてから、署内へ去っていった。あの男の勤務場所は県警本部なのだろうが、研究室を監視するために、ここを拠点にするようだ。

「どうも心配かけたッス」

 勇太が、何事もなかったように発言する。

「勇太さん……ぼくのせいで、すみませんでした……」

「健介くんの責任じゃないッスよ」

「そうそう。悪いのは、あいつらよ」

 その『あいつら』のなかには、飛田と襲撃者たちのほかに、諸橋家に巣くっているであろう悪魔のことも入っているのだろうか?

「これで、全員そろったな」

 まるで号令のように、深海が言った。

「これより、特殊Mケース犯罪研究室による、諸橋家の本格調査をはじめる」


        * * *


「こ、答えてくれ……姉さんは……姉さんは、どうなったんだ!?」

 とてつもなく、身体がすくんでいた。

 恐怖。恐怖……恐怖。これまでの人生で味わった恐怖など、所詮は恐怖とは呼べなかった。命の危険があったわけではない。だが、いまは……。

 案の定、男から殺意のこもった眼光で睨まれた。男よりも女が《頭》であるとわかったいまでは、男に畏怖はそれほど感じない。やはり恐怖の対象は、女のほうだ。

 女は、余裕に満ちた……それでいて、とても冷淡な表情を崩さなかった。

「姉さんを……殺したのか!?」

 横で、父と母が凍りついたのがわかった。どうにか母の容態はもちなおしていたが、服はあたえられないままだ。それは言ってはいけない──そう両親が語りかけていた。

 しかし……、訪問してきた警察官も排除されたのだから、もう救いの手は望めない。

 うちの貯金も、もうじき底をつくはずだ。そうなったら自分たち家族はどうなるのか……。

 きっと、姉と同じ道を歩むことになる。姉が連れ去られたとき、女と男の仲間なのだろうか、二人の粗野な男たちが押しかけてきた。震えて泣いていた姉は、その二人とこの男、そして妹とともに、どこかへ消えた。それ以来、何者かわからない二人も、姉もここにはもどっていない。この男と妹だけが帰ってきた。

 最悪の事態を、想像せずにはいられなかった。これまでにも何度か訊こうとしたが、そのたびに、いまのような男の睨みに阻まれていた。薄々はわかっていたことだ。

 姉は、殺されている──と。

 姉は、女と男をこの家につれてきたことを悔いていた。

 ある日、呼び鈴が鳴った。男を先頭に、女、姉が家にやって来た。姉はすでに独り暮らしをしていたはずだが、二人とともにもどってきたのだ。姉は、男と結婚すると言った。そしてしばらくのあいだ、ということで、三人との奇妙な共同生活がはじまったのだ。

 すぐに、男と女は本性をあらわした。

 最初の標的は、姉だった。男の手により……凄絶な……。

 顔は大きく腫れ、精神的にも脆くなっていった。もちろん父は、警察へ相談しようとした。が、そんな考えは、さらなる姉へのリンチで消えてしまった。

 ──警察に告げ口したら、もっと酷いことになるぞ。

 しかも、いっしょになって姉を殴らないと、妹が同じめにあうと脅迫された。

 家族の思考は、そこで停止した。

 そこからは、男と女の言いなりだった。二人にとって、姉は邪魔な存在になっていた。かわりに、従順な妹をみつけた。この家のヒエラルキーは、こう組み替えられた。

 女。男。妹。父。自分、母。姉は、無いものとなった。

 そして、確信がある。いずれ、この家の住人は、すべて無いものとなる。

「どうするよ、教えてやるか?」

 男が、女におうかがいをたてる。

「もうどうせ、この家に金はほとんど残ってねえだろ? そろそろ潮時じゃねえか?」

「まだよ。この土地と家がある」

 それを聞いて、男が下品な笑みを浮かべた。

「それまでは、ちゃんといてもらわないと」

 そのときだった。

〈ドン、ドン! ドン、ドン!〉

 扉を叩く音。

〈ドン、ドン! ドン、ドン!〉

 呼び鈴は使う気がないのか、がさつに騒音を響かせる。

「なんだ!? おい、つぐみ」

 指示されて、妹が玄関へ急ぐ。

「正三のおじき、おじき!」

 外から、そんな怒鳴り声がした。

「開けてくれよ、高松の良雄だよ!」

 高松の良雄……知らない。そんな人物は。両親の顔をうかがった。

 父も母も、よくわかっていない。だれなのだろう!?

「あ、あの……どちらさまでしょう?」

 戸惑いがちな妹の声が届いた。

「おう、つぐみちゃんか? 最後に会ったのは、まだ赤ん坊のときだったからなぁ」

 いまのノックに似た、がさつなダミ声。

「ちょ、こ、こまります!」

 なかに入ってきたようだ。廊下をドタドタと進んでくる。襖が大胆に開けられた。

「久しぶりだな、おじき!」

「あ、ああ……」

 あきらかに、父は思い当たっていなかった。

「あれ、なんで佳代さん、裸なん?」

 突然の侵入者は、どこの方言だかわからない言葉づかいで驚いていた。

 年齢は、三〇代後半から四〇歳ぐらい。サングラスをかけ、オールバックの髪形からは、おかたい職業は思い浮かばない。

「いま、着替え中だったのよね」

 あわてることなく、女が言った。《高松の良雄》と、女が視線を合わせた。

「だれや? このぺっぴんさん」

「わたしは、琴音の友人です」

「そうけえ、そうけえ。そっちのは?」

「あ、お、おれ?」

 男がたじろぐ。女に肘をつつかれて、男がようやくわれに返った。

「こ、琴音のダンナです」

「お、そうけえ、そうけえ、琴音ちゃん、結婚したんけえ!」

 興奮したように、高松の良雄は声をあげる。

 そのあいだに母は、女から渡された寝間着を羽織っていた。

「隆くん! おぼえちょるか? よくむかしは遊んだけえ」

 今度は、こちらに話をふられた。

 しゃべればしゃべるほど、どこの方言なのか不明になる。高松──ということは、香川県の出身なのだろう。香川の方言を知らないから、なんともいえないが……。

「そ、そうですねえ……」

 なんと応えればいいのかわからない。とりあえず、適当に話を合わせるしか。

「ところで、琴音ちゃんはどうしたん?」

 父も母も、表情を曇らせた。男は、途端に眼が泳ぐ。つぐみと女だけは様子が変わらない。女は冷酷なだけだが、つぐみは感情表現が欠落しているのだ。

 思わず、この謎の男性に救いを求めたかった。いや、素性のわからない人間に、なんと言っていいものか……。それに、これは罠かもしれない。女か男の知り合いで、自分たち家族を試しているのかもしれない。

 そうだ。ここは、話を合わせるべきだ。高松の良雄にも、女と男にも。

「そ、それで良雄さん、今日はどうしたんですか?」

「お、そうそう、おじき! うちのオヤジがさ、裏の山林売りたいって話してるんだわ。だだっぴろいだけの山だけんどよ、売れば、数千万になるつうて」

 ハイテンションに、良雄は言った。言われた父は、ポカンとしている。

「田舎の山だよ、父さん」

 父をのせるために助言をしてみたが、高松に田舎などない。というより、高松など自分の知るかぎり、これまで縁もゆかりもなかった。

 それでも、合わせるしかない。なにがどうなっているのか見えてくるまで……。

「す、数千万ですか、すごいですね……」

「おうおう、隆くん! でもな、わいの知り合いがな、億の価値はあんじゃねえかって言いよるんでよ!」

 興奮したように、良雄は顔を赤らめた。

「お、億ですか? さすがにそれは……」

 どんな山なのか当然知りもしないが、そう口を挟んでみた。

「そうじゃろ! わいもそう思うんじゃ。でよ、おじきにどう思うか聞きにきたんじゃ」

「そ、そうだったんですか……」

 チラッと、女と男の顔をうかがった。

 男は、良雄のテンションに、ただただ眼を丸くしていた。女のほうは、どうだろう……なにかを考えているようにも、やはり良雄に圧倒されているようにも感じる。

 いや、眼の奥で輝くものがあった。

「へえ、良雄さんの実家の山は、そんなに大きいんですかぁ」

 甘えた声で、女がつぶやいた。


        * * *


 釣れた。

 異常な空間のなかの、ありえないシチュエーション。

 すべての常識が狂っている。ズレている。ズレている。

 そのズレた隙間に、キャストした。

 常識が通用しないからこそ、魚は疑似餌を本物だと誤解する。

 あとは、ロッドを巧みに操ればいい。

 誘う、誘う。

 そして、ルアーに食いついた。

 ここからが、ファイトのはじまりだ。


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