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           14


 家から遠のいていくさなか、健介は自身の無力さに怒りすらおぼえていた。

 なにもできない……自分には、この家でおこっている問題を解決できる実力も才能もない。結局、いまも彼女に、扉さえ開けてもらえなかった。

 深海たちに来てもらいたかった。だが彼らを呼ぶにも、確証がない。もう少し、自分一人でどうにかしなければならない。なんとしても、この家に巣くう異変の証拠をつかまなければ──。

 声をかけられたのは、無力感を上回る、新たなる決意を誓ったときだった。

「池田さん」

 ハッとして振り向くと、そこには天沼詩織が笑顔をたたえて立っていた。

 今日は、白衣姿ではない。さすがに住宅街の真ん中でそんな格好をするはずはないのだろうが、はじめて眼にする私服姿は、どこか違和感があった。もちろん、似合っていないというわけではない。タイトぎみの青いスカート。ブラウスも、さわやかな水色系。

 二十代女性のなかでも、イケている部類に入る私服だ。

「住所をたよりに来てみましたけど、迷いました」

「来てくれたんですか!?」

「はい」

 元気よく、彼女は返事をした。

「ほかのみんなは?」

「いえ、わたしだけです」

「え?」

「ですから、わたしだけです」

「は、はあ……」

 健介は、すぐにリアクションをとれなかった。来たのが天沼さんだけ……どういうことなのだろう?

「で、どうでした?」

「は、はい?」

「家の住人の反応です。交番の警察官になりすまして、近づいたんですよね?」

「……あまり、かんばしくありません。というか、高校生になる次女が応対には出るんですけど、いまは扉すら開けてくれません。態度も、邪険にされてるみたいで……」

「もし、なにか異常がおこってる場合、犯人……一応、そういう呼び方にしますけど、犯人によって洗脳、もしくはマインドコントロールをされていると考えられます」

「なにもなったか場合は、どうですか?」

「成人だったなら、警察官に邪険な態度をとることは多くあると思います。公務員、とくに警察官に対して毛嫌いしている方もいらっしゃいますから。ですが、未成年ではあまり考えられません。ふだつきの不良とかなら話はべつですけど」

「不登校ぎみだったようですが、非行少女というわけではないと思います」

 それに、不登校になったのは、何者か──詩織に合わせて『犯人』とする──が、原因かもしれない。いや、その可能性が高い。

「どうですか? 専門家としての見解は?」

「うーん、五分五分だとしか……それじゃ、参考になりませんね」

 自虐的に彼女は言った。これだけの材料では──しかも直接、当事者たちに会ったわけでもないのだから、仕方のないことだ。

「家からは、だれも出てこないのですか?」

「はい。すくなくても、ぼくが見張っているときには」

「当ててあげましょうか? 池田さんは、わざと向こうから見える位置で監視してるでしょう」

「そ、そうです」

「警察官の制服をみせつけることで、相手にプレッシャーをかけようとしている」

「どうしてわかるんですか!?」

「池田さんは、警察という組織を信じきっています。もし、そういう人が相手にメッセージをあたえようとするのなら、その信じきっているものを最大限に活用しようとするでしょう」

「……」

 正直、その分析が当たっているのかどうかはわからなかった。

 自分は、それほど警察の力を信じきっているだろうか?

 自覚はない。だが心理学の専門家が言うのだから、そうなのかもしれない。

「信じきってますよ」

 心のなかを見透かしたように、彼女は続けた。

「そんなことは考えたこともないでしょ?」

 警察というものの本質について思慮したことなど、たしかにない。

「それが、信じているという証拠ですよ」

「そういうものでしょうか……」

「不信感は、考えるところからはじまりますから」

 いつのまにか彼女の顔から笑みが消え、真剣な眼差しになっていることに気がついた。

「深海さんにくらべたら、あなたは恵まれています」

「深海さん……? 深海さんは、信じていないんですか?」

 会話の流れをひもとけば、そういう解釈をするべきだ。

 だが彼女は視線をそらすと、それ以上のことを語ってはくれなかった。べつの話へ。

「いつかは外に出るはずです。それまで待ちましょう」

「そうですね……」

 ある程度、買いだめをしていたとしても、いつかは食料を調達しなければならないはずだ。だれかが家から出てくるだろう。

「ですが、池田さんが監視していたら、出てきてくれません」

「わかりました。どこかに隠れましょう」

「いえ。もう少し、見張っていてください」

 彼女の言う意味がわからなかった。

「まだお昼ですから。買い物に出ていくとしたら、夕方じゃないですか?」

「そ、そうかもしれませんね……」

「あの家にだれかが潜んでいるとして、その人物は池田さんがいなくなるのを待っているはずです。ずっと監視されていると思ったら、焦りもするでしょう。外出できる時間は短い──そう考えさせればいいのです」

「なるほど」

 このまま監視を続けて、相手を焦らせる。ずっといるつもりなのではないかと心配させたところで、監視をやめる。相手は、そのすきに外出しようとするだろう。また、いつもどってくるかわからないのだから。

「すごいですね」

「え?」

「さすがは、専門家です」

 わたしなんかは──と、詩織は謙遜してみせた。

「深海さんは、こういう捜査のプロフェッショナルなんでしょうし……奈々子さんは、仕切りがうまいというか、人脈もありそうだし……いろいろと事務処理や手続きなんかが迅速で、段取りにたけているというか……」

「あ、わかります」

「勇太さんは、信じられないぐらいに強い」

 あの不思議な体術は、なんという技なのだろうか? 聞こう聞こうと思っていて、聞けずじまいだった。

「みんな、特殊ななにかをもってるのに、ぼくにはなにもない」

「そんなことはないと思いますよ」

 詩織の言葉が、ただの慰めだということはわかっている。

「ぼくは、お荷物にならないように、がんばっていくだけです」

「きっと、そういう前向きなところが、池田さんの長所なんですよ」




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 夕刻まで監視を続け、詩織と入れ代わるようにホテルへもどった。それまで詩織がいたからだろうか、甘い香りが漂っている。ただの気のせいだとわかっていても、居心地はいい。

 健介は、壁際に配置されている机とセットになっている椅子に座ると、缶紅茶を飲み干した。

 いまは詩織が、あの家の様子を見てくれている。なにか動きがあれば、すぐに連絡が入るはずだ。警察官でもない心理カウンセラーの彼女を、こういうことに使っていいのかは疑問だ。健介のような新人の立場では判断できなかった。だが、彼女をここへ来させたのは、深海なのだ。もし、いけないのであれば、勇太か奈々子を送ったはずだ。

 時計を見た。定時連絡は、朝九時と夕方五時。もうすぐ時間だ。健介は携帯を取り出した。かけようとするまえに、かかってきた。詩織からだった。

「天沼さん!?」

『あ、池田さん、家から出てきました』

 さっそく、詩織の思惑どおりに動き出したようだ。

「だれですか?」

『高校生ぐらいの女の子です』

 次女のつぐみだ。

「わかりました、すぐもどります!」

 通話はそのままにして、健介はホテルを出た。



 つぐみの向かった場所は、近所のスーパーだった。詩織と合流したとき、ちょうどつぐみがレジに並んでいた。スウェット姿というラフな格好。そういえば、室内にいたときと同じだ。

 面の割れていない詩織が、どういうものをカゴに入れているか、すでに確認していた。健介は素直に感心した。自分なら見張ることだけに固執して、そこまで頭が回らなかっただろう。

 食料が五、六分あったようだ、と詩織は分析した。五人家族なのだから人数は合致している。しかし長女の琴音は、あの家にいないのではないか、と健介は考えている。

 だとしたら、少し多い。犯人がいるとしたら、勘定が合う。

 いや、もし支配と隷従の関係が成り立っていると仮定すれば、はたして傲慢な支配者が哀れな奴隷に充分な食料をあたえるだろうか?

 犯人は、一人ではないのかもしれない。

「充分に栄養をもらえないと、人間の思考力は当然、落ちます。わずかの食べ物と飲み物で飢餓状態にしておけば、自分の思いどおりに籠絡することも可能です」

 健介の推理が伝わったのか、詩織がそう解説してくれた。

 つぐみは会計を済ませ、スーパーを出ていった。あとをつけ、しばしタイミングを計った。つぐみを監視している者はいない。陽は、だいぶ暮れかかっていたが、まだ明るい。女性の一人歩きとはいえ、不用意に近づいても警戒される時刻ではない。

 健介は声をかけようと、小走りでつぐみとの距離をつめた。

 と──。

 つぐみのスウェットのポケットから、なにかが落ちた。彼女に気づいた様子はなく、そのまま歩き続けている。

 健介は、声をかけるのをやめた。

 ひらめくものがあった。落ちたものを拾い上げる。

 つぐみとの距離は、再び開いていた。だが、健介は追いかけなかった。

「どうしたんですか?」

 数歩あとからついてきた詩織に、そう問われた。

 つぐみの落としたものは、丸められた紙屑だった。

 広げてみると、そこには『2』と書かれていた。

「なんでしょう?」

「たぶん、二人です」

 健介は、答えた。

「え?」

「犯人……と呼んでおきましょうか、その人数が『2』だと思います」

 確証があるわけでは、無論なかった。しかし、自信はあった。根拠など、どこをさがしても見当たらなかったが。

「……ということは、わざと落としたんですか?」

 健介は、うなずいた。これにも根拠はない。


        * * *


 警察官がいなくなった──とあの男は、はしゃいでいた。女が、それをたしなめる。油断はできないわよ、と。

 妹が、その隙に買い物へ行かされることになった。いつもの役目なのだ。男と女は、妹が絶対に逃げないものだと信じきっている。実際、妹が逃げることはこれまでなかった。

 きっと、逃げたら家族が酷いめにあうということがわかっているからだ。

 妹は、父や母、自分を守ってくれているのだ。

 ……そう願いたい。

 けっして本心から、あの男と女につき従っているのでないことを……。

 一時間ほどして、妹が帰ってきた。変わった様子はない。あの男と女に言われたとおりのものを買ってきただけだ。女は、それに満足したようだ。

 女は、妹だけは気に入っている。

 妹も、機械のように命令をこなす。

 ふと、恐ろしい想像が浮かんでいた。

 妹は、女の命令なら、どんなことでも従うのだろうか……!?


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