フランクフルト
久しぶりの投稿です。
相変わらずのクオリティですが、皆様のお暇がつぶせたら幸いです。
とても退屈な毎日だった。
朝起きて夕方コンビニでレジを打つだけの――鬱になるだけのバイトをして夜寝る。ただそれだけ。何の変化もない。何も生まれない。昔の無産市民のようである。ただ、彼らと一つ違うのは自分は何の戦いにも行けず、世の中から必要とされるときなんて一生無いというところだ。
シフトが終わるのは午後十時。あと十分ほどだった。もうすぐこの憂鬱なときから解放される。金を稼ぐだけでやりがいのないバイトは苦痛でしかなかった。
そんなときに限って、タイミング悪く――むしろタイミングよく客が来るから困ったものだ。
「いらっしゃいませ」
愛想もなにもない空っぽの笑みを浮かべて客を迎える。よく知りもしない客と良好な人間関係を築くなんて気はさらさらなかった。
その客が前に立った。小太りのおっさん。肉まんを好んで食べていそうな雰囲気である。
ここからは流れ作業だ。失敗なくこなせば口のくさい店長から小言を言われずに帰れるので、何も考えずに作業をした方が得なのだ。このコンビニに来る客は会社員であることが多く、ゆっくりしている暇などないので、そちらにとってもミスなく淡々とやったほうがいい。どうせ自分の財布と腕時計しか見ない。
しかし、この客は違った。レジの隣にある総菜コーナーをじっと見つめたのだ。
本当に肉まんを買うつもりか。だとしたら笑ってしまうかもしれない。そういえばここ最近笑うこともなかったな、と気づいた。
我ながら暗い毎日だと思った。
そのおっさんは果たして、
「フランクフルトだ……」
と呟いた。
だから何だ。買う気があるのかないのかはっきりしてほしい。それに肉まんを買いそうにないことに無性に腹が立った。
あと五分。この客が終わればおそらく帰れるだろう。だからさっさとこのコンビニから出て行って欲しかった。
「フランクフルトですか?」
じれったかったので尋ねた。しかしおっさんは黙り込んでしまった。 何なんだろう。優柔不断なのだろうか。
それとも、さっきの言葉でフランクフルトを頼んだということなのだろうか。
仕方がない。はっきり言わないこのおっさんが悪いのだ。半ば強引にフランクフルトを袋に入れた。
そのとき。
「入間……」
とおっさんは呟いた。
その瞬間、はっとした。
なぜこいつはおれの本名を知っているのだ?
名札にはちゃんと仮名が書いてあるはずだった。たかはし、とひらがなで。
なぜだ?どこで知ったのか?検討もつかない。
仮名を使っているのは以前に罪を犯したからだった。殺人である。幸いと言うべきか、不幸と言うべきか、まだ捕まっていない。逃亡中の身なのだった。そもそも罪自体が発覚していないのだが、警察が遺体を発見するのは時間の問題だった。それまでどうやって身を隠すかを考えに考えた。そしてなるべく遠くに行こうとして見つけたのがこの田舎町だった。全てが順調だった。知り合いがいないので気も楽だった。
だが……。このおっさんが本名を知ってるとなると話は別である。
消すべきか。とっさにそう思ったが、早とちりは禁物だ。一体どんな人物なのかもわからないのに無意味な罪を重ねても意味が無いように見えた。
知ってる顔ではない。どこにでもいる、2,3日すればすぐに忘れそうな顔だった。もしかしたらどこかで会っているのだろうか。忘れているだけということもあり得る。しかし、どうやって本名を?
一刻も早くこのおっさんの正体を知りたかった。
ちょうどそこで。
「おー稲村さん」
店長が外から入ってきた。裏でたばこでも吸ってたのだろう。
「おーこれはこれは」
おっさんが目を細めた。
「久しぶりだね。」
「そうかい?数日前に会った気もするが」
「そうだったかな?それにしてもこんな時間に来るなんて珍しいな――まあいいや。最近仕事はどうだい?」
「こんな田舎町に事件なんてないよ。いつも暇さ」
「だろうね。こんなとこで油売るような刑事なんてこんな町でくらいしか見かけないだろうね」
そう聞いた瞬間、背筋がぞくっとした。このおっさん刑事なのか。
おしまいだ。そう思った。
なにかおかしかったのか、突然店長は口を開けて笑った。どうしたらそんなに下品な笑い方ができるのか甚だ不思議だった。
「じゃあこれで失礼するよ」
「おう、お疲れさん」
結局おっさんはフランクフルトを購入して外に出た。
空っぽの挨拶で見送る――というわけにはいかなかった。やはり刑事だったか。もうここまで情報が広がってるのか。いつもニュースをチェックしていたので、あの殺人が露呈したとは考えられなかったが、見落としていたという可能性もある。いやきっと見落としていたのだ。警察が遺体を発見し、さらに犯人まで特定した。そして先ほどの刑事が手配書に描かれている顔と同じやつを見て、思わず「入間……」と呟いたのだ。そうに違いない。
今日中に手を打っておく必要があった。さてどうするか。
「もう十時だ。高橋君、帰っていいよ」
さっき談笑していたのとはうってかわった低い口調で店長は言った。いつものことだから慣れている。
店長が奥に消えるのを待つ。
一品盗んだところで気づきはしないだろう。棚に並んでいる紐を盗んだ。
そのままコンビニを出て刑事の行方を目で追う。
いた。曲がり角にさしかかるところだった。
音を立てないように、早歩きで進む。
そういえばこんな風に前も殺したっけ。
ふっと思い出された。
今回は相手が刑事だからしくじるわけにはいかない。もはや頭の中に殺した後の処理をどうするかはという考えはなかった。ただ殺さなければならないという黒い感情が溢れるばかりだった。
刑事はそのまま角を曲がる。
一旦角で立ち止まってあたりの様子を確認した。誰もいない。田舎の夜十時だし、人が通ることは滅多にない。好都合だった。
街灯の下にさしかかる前に殺す必要があった。
そっと歩き出す。
刑事はまだ気づいていなかった。のんきに鼻歌を歌っている。
紐を握り直した。汗で変な感触がした。若干息が荒くなっている。落ち着け。きっとできる。できないはずがない。
もう目の前に彼の体があった。心臓が音を立てる。相手に聞こえてしまうのではないかと危惧した。
大丈夫だ。前と同じように。背後から。息を止めて。相手の喉に紐をかけて。
フランクフルトを食べようか。
稲村はふとそう思った。事件がめったにおきないところで刑事が仕事をさぼっても迷惑はかからないだろう。
近場のコンビニに行く。知り合いの店長がいるところだった。口臭がひどくてあまり好きではないが。
入ると、やる気がなさそうな若者がレジに立っていた。誰だったか。田舎といえども、人の顔を覚えるのが苦手な稲村は彼の名前を思い出せなかった。名札にたかはし、とある。やはり思い出せなかった。新参者なのだろう。
フランクフルトが見当たらなかった。どこに売ってるはずなのか思い出せず、仕方なく先ほどの若者のレジに行く。若者の動作は全てが淡々としていた。
退屈そうだなあ、と感じた。
ふっと目を横にやると、肉まんやフライドチキンが並ぶ棚が目に入った。ここか。フランクフルトを探してみると、あった。
「フランクフルトですか?」
思わず呟いていたのだろうか、若者が訊いてきた。
どうしようか。金はあるが実のところそれほどおなかが空いてるわけではなかった。
さんざん悩んだあげく買わないことにした。
「いりま……」せん、と言いかけると、既に店員がフランクフルトを袋に入れていた。
仕方ないか、とそのまま袋を受け取った。
そのときちょうど店長と出くわし、話をした。相変わらず口が臭かった。
コンビニを出るとき、そう言えば若者が自分の顔を凝視していたことに気づいた。
そんなにフランクフルトを買うのが意外だったのだろうか。案外自分には肉まんがあってるのかもしれないなと思った。
一人称を入れずに書くのってわりと難しいですね。
いいコンビニライフをお過ごし下さい。
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