第2話 『誘いと導き』
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裸電球がフランマーリの食堂を明々と照らす。
窓から差し込む月の光も、彼らの表情を克明に映し出した。
星の煌めきを宿したような紫色の髪と眼が鮮やかな絶世の美丈夫アルフォデル、その美丈夫と対をなす太陽の如き黄金色の髪と明々と燃える深紅の瞳が魅惑的なブローディア、そして顔面の左側を革の眼帯で覆った緑とも青ともつかぬ斑髪と深い青い右眼を持つカラーの三人組だ。その三人組は、結局はフランマーリから動けずにいた。
夕暮れに街を出れば、野宿は目に見えているし、なによりアルフォデルがクサギに別れを言わずフランマーリの宿屋を後にするのを嫌がったせいだ。
昼間にカラーとブローディアが稼いだ金もあと一泊分くらいなら捻出できる事もあり、もう一泊だけフランマーリにお世話になる事にしたのだった。
夕飯時からだいぶ時間が過ぎたせいか、客足がパッタリと途絶えた。
店内を見回してみても、十五席あるテーブルは四つしか埋まっていない。
ベロベロに酔った連中が時折、愚痴の言い合いや傷の慰め合いをしているようだ。ともあれ、アルフォデル達には関係がなかった。
本来は商談の席にしか使われない奥の部屋を貸してもらえたからである。何しろ、食堂に下りてくるなり、酔っ払い達に囃し立てられる美形二人と平凡顔が一人。
ゆっくり食事も出来ない彼等を気の毒に思った従業員が、今日は使ってないからと、奥に案内してくれたのだ。
人目に晒されていると言う事に慣れているとは言え、せめて食事くらいは静かに取りたかったカラーは素直にその申し出を喜んだ。ブローディアもどこかホッとした表情を浮かべていたが、ただ一人アルフォデルだけは、どこかつまらなそうな表情である。
「お前、元気ないな・・・どうした?」
「クサギちゃんの姿がなかった」
アルフォデルの言う通り、普段なら客の案内は彼女がするはずだが、案内してくれたのはここに滞在してから初めて見る従業員だった。
それどころか、普段ならカウンターで酔っ払いをあしらっている女将の姿も、この宿屋の主人の姿も見なかった。そして、なによりクサギがいない。それだけで、すでにアルフォデルの機嫌は急降下しているのに、さらにもう一つ。アルフォデルの機嫌を急降下させていることがある。
・・・目の前にある、空っぽになった食器のせいだ。
「・・・足りん。これくらいでは、俺の腹は満たされない」
贅沢をする金を持たないアルフォデル達は、食堂の一番安い定食を頼んだ。味のほどは文句は出ない。それはいい。しかし、如何せん量が少なかった。
「足りない分は、水でも飲んどけ」
そんなアルフォデルを斜め前に捉えつつ、さほど気にした様子を見せないカラーはそう言って熱いお茶を啜る。
「何故・・・この俺が、こんな少ない食事で我慢せねばいけないのだ?」
「誰かさんがお金を貢いじゃうから、こっちの食事を切り詰めないといけなくなったんじゃない?・・・・・なぁ?」
飲み干した湯呑みをダンっ、と、テーブルにたたきつけ、ニッコリ微笑んだカラー。が表情とは裏腹に、口許がピクピクと痙攣して見えるのは、気のせいではないだろう。
「当然、文句はねぇよな?」
冷たい声音が、三人のテーブルを包む。カラーの隠されていない右目がマジだった。反論しようものなら、テーブルの上のポットを、投げつけることくらいするかもしれない。
内心、焦りながらも冷静を装いながら、渋々と「文句は、ない」と、頷いた。
「・・・アル様・・・可哀想ですわ」
そんな、しょぼくれた姿のアルフォデルに耐えかねたのか、
「足りないのでしたらわたくしのをお食べになりますか?」
と、ブローディアが、まるでゴムのような肉を差し出した。
「いや、気持ちはありがたいが・・・何があるか分からん。自分の分は食べておいた方がいい」
「平気ですのに・・・。それに、いざと言う時はアル様が守ってくださいますでしょう?」
ブローディアはそう言って、薔薇の花びらのような唇で微笑んだ。その麗しくも蠱惑的な笑みに大抵の男なら、骨ごと蕩かされてしまいそうだが・・・
「うわぁ・・・・お前の価値は、その安肉分しかねぇのかよ。随分と激安だな」
アルフォデルが返答する前に、へっ、と、鼻で笑いカラーが言った。
「・・・あら、カラー。もしかして喧嘩を売っていますの?このお肉よりも安そうな喧嘩ですけれど、買って差し上げない事もありませんわよ?」
「・・・おいおい安肉女が何言ってんだよ、オレの喧嘩はマジで高いよ」
「・・・ご冗談は顔と身長だけにしていただけません?」
交錯する赤と青の瞳。両者とも口許を綻ばせ、その隙間から渇いた笑いが洩れた。日常の見慣れた光景とは言え、この二人が本気でやりあえば、こんな小さい宿屋など粉微塵になってしまうだろう。そんなことになったら、どんなにあの少女が悲しむか・・・、アルフォデルは亜麻色の可愛らしい少女を思い出し、溜め息とともに口を開いた。
「・・・いい加減にし―――」
「お客さんっ!」
珍しく仲裁に入りかけたアルフォデルの言葉を遮って、背後から切羽詰った男の声が飛んできた。
振り向けば、顔色の優れない中年の男がそこに立っていた。―――このフランマーリの宿屋の主人、つまりはクサギの父親だ。
禿げ上がった頭に、可愛らしいファンシーなエプロンの組み合わせは、なかなか奇抜である。
「おっちゃん、どうしたの?」
「安肉なんて言うから怒ったんですわ。ほら、カラー謝りなさい」
「・・・え?マジ?あ、ごめんなさい」
カラーとブローディアのやり取りを見ても、その沈痛な表情になんら変わらない。それどころか、よりいっそう表情を硬くしたようにも見えた。
「連れが失礼を。・・・我々に何か」
二人を視線で制止し、見かねたアルフォデルが主人に声をかける。
「ウチの・・・娘を、クサギを・・・見ませんでしたか?!」
肩を震わせ、言う。その主人の様子に、ただならぬものを三人とも感じ取っていた。
「・・・・いないのか?」
一番に口を開いたのはアルフォデルだった。鋭い目線を主人に向ける。それに頷き、
「夕方から・・・娘が見当たらなくて・・・」
青ざめた顔を強張らせ、骨ばった身体を小さく震わせている。気を抜けば娘と同じ、その濃い茶色の目から涙が零れてしまいそうである。
「休憩ではないんですの?」
「休憩はとっくに終わっていますし、もし用事が出来たら、伝言は残していくよう言ってあります。それなのに・・・」
ブローディアの問いと、主人の予想出来た答えに、どうでもよさそうにカラーが言った。
「忘れちゃったんじゃない?もしくは家出?あーでも、家出する理由もないか」
チラリと、アルフォデルを一瞥し、カラーが溜め息をついた。
「そ、そんな娘ではありません!!今、家内達が捜しに出ているんですが・・・娘の身に何かあったんじゃないかと心配で心配で・・・」
グッと目頭に熱いものが込み上げてきたのか、そのファンシーなエプロンで顔を覆う。芝居や、嘘ではないらしい。ブローディアは肩を竦め、仲間達を見た。
カラーは相変わらず乗り気ではなさそうだが、一方のアルフォデルは・・・ガタン、と席から立ち上がり、
「俺も捜しに行こう」
唇を引き締め、当然のように言い放った。
「ほ、本当ですか、お客さん!」
「ア、アル様ぁ」
半ば予想出来た事態なだけに、余計悲しくなる。なんで、これほどまでに、あの少女に執着するのかが、ブローディアには理解できなかった。
「・・・クサギちゃんに何かあったのならば一大事だからな」
「あ、ありがとうございます!!」
本来ならこんな手に乗せられるアルフォデルではないのだが、どうやら恋は盲目と言う奴らしい・・・。大げさにカラーが溜め息をこぼした。どうやら、諦めたらしい。
「と、言うわけだ。悪いが、このままクサギちゃんを捜索に向かうが・・・良いか?」
「はいはい。どーせ嫌だって言ったって、連れてかれるんでしょーから・・・行きますよ、行きゃぁーいいんでしょ」
睨み付けられたカラーは、やっぱりやる気も無さそうに立ち上がる。
ただ一人ブローディアだけが、席から立ち上がらない。普段ならば、アルフォデルの意志に一番に従ってくれるのだが・・・しかし、彼女が動きたくない理由も、よく分かる。
「ブローディア・・・すまないとは思うが・・・付き合ってはくれないだろうか」
細められた紫の瞳の中に、かすかに揺れる光を見た。それは自分に対するものか、それとも行方の知れなくなった少女に対するものか・・・考えても判別はつかない。ただ、
「・・・・わかりました」
アルフォデル直々に、言われてしまっては、いつまでも椅子に座ってはいられない。
例え、アルフォデルが他の女の為に自分を利用しようとしていたとしても、きっとブローディアはアルフォデルの為に動いてしまうだろう。
「・・・ブローディア、ありがとう」
困ったように、しかし、嬉しそうに微笑みを浮かべる。
そこには上空に浮かぶ手の届かない月のような美しさではなく、水面に揺れる優しい月のようだ。そんな一面を垣間見れば見るほど、ブローディアはただ純粋に慕ってしまう。
この人の力になりたいと思ってしまうのだ。
「ズルいですわ、アルフォデル様は」
「・・・・すまない」
「いいえ。アル様の為ですもの」
ブローディアは少し悲し気に目を伏せ、口を尖らせた。
納得はしていないが、だって、どうしようもない。
出会った瞬間に恋してしまったのだから。
「ちゃんとお返ししてくださいね」
「・・・考えておく」
「はいはーい、そこまで。つーわけで、全員参加ってことで。そいじゃ、おっちゃん、どこか、クサギちゃんの行きそうな所とか心当たりねぇの?」
見つめ合うアルフォデルとブローディアに耐えかねたのか、パンパンと両手を叩きカラーがついに部屋の沈黙を破った。
「それは家内達が当たっています。もちろん娘の友達に連絡してみましたが、誰も・・・」
そう言って主人は黙った。
内心はアルフォデル達の言動にハラハラしていただろうが、それを表に出す事すらないようだ。そんな余裕すらないというのが正しいところかもしれないが・・・娘の安否を気遣う父親の肩をそっと叩く。
「あと、ありそうなのって言ったら・・・例の人攫いくらい、か」
ボソリと、絶対ないとは言い切れない事がカラーの口から零れ落ちる。
「ま、まさか!」
「カラー、お義父さんを心配させるような事をここで言うな」
「・・・・・おとう・・・さん?」
カラーは溜め息を吐き、ブローディアが非難するようにアルフォデルを睨みつける。しかし、アルフォデルは気にした素振りも見せず、目の前の主人の手を取り、
「とにかく、お嬢さんのことは我々に任せてください」
鋭い笑みを浮かべて言い放った。
自信に満ちたそんな顔も素敵だなぁ、と密かに感嘆の溜息を洩らしつつ、ブローディアは力を込めてアルフォデルの長い髪をギュッと引っ張ったのだった。
普段は高飛車だけど、好きな人の前では恋する乙女になるタイプは、なんていうんだろう。
タカデレ???