第1話 フランマーリの宿屋
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チャリン。
チャリーン。
銀色の硬貨が、眼帯の若者―――カラーのよく日に焼けた指で弾かれて、宙を舞う。
財布を受け取った後、男を一撃殴って昏倒させ、あの場に放置してきた。
もちろん、他には危害を加えてはいない。後は、財布の中身だけ頂いて、財布自体は倒れた男の上に返しておいた。もう一、二時間もすれば目も覚めるだろう。自衛団の詰所にでも駆け込もうものなら、まず自分がいたいけな老婦人から財布を拝借したことから説明せねばなるまい。つまり自衛団が出てくる可能性は低いというわけだ。万々歳。
ふふん、と、愉快そうに鼻で笑う。
「ねぇ、ちょっと」
背後からの声に呼び止められ、硬貨を投げようとした手を止める。
「ねぇ、カラー。その硬貨投げるのやめて。目障りだわ」
「あぁ?」
カラーと呼ばれた男は相変わらずやる気もなさそうに返事をするが、しかし止める気はなかったようで、硬貨を再び宙へと放った。
「だから、目障りですわ。・・・・もう、大体、大切な500フォン硬貨ですのよ?無くしでもしたらどうしますの?」
「・・・・」
カラーの少し後を歩く美女ブローディアの言葉と、赤い眼が突き刺さるようにカラーを非難する。確かに500フォン硬貨と言えど、今のカラー達には馬鹿に出来ない金額である。
「・・・わかったよ」
パシっ、と、小気味よい音を立てて、硬貨を手の平に収めると、無造作にズボンのポケットの中にしまいこんだ。
「これで文句ねぇだろ?」
「そうね、目障りなものが一つ消えてよかったわ。出来ればカラーごと消えてくれると―――」
「・・・オイ」
片方だけの深い青の瞳に睨まれ、ブローディアは言いかけた言葉を飲み込み、形の良い唇を綻ばせた。
日の光によって青とも緑とも見える斑髪と片目を覆う眼帯以外に、これと言った特徴もないカラーに比べ、ブローディアは身に纏うような艶やかな黄金の髪だけでも人の眼を惹きつける。
燃えるような双眸もまたしかり。その緋色は見たものの心を焼き尽くす一方で、恋焦がれずにいられない強い力の灯る深紅。そして、大きく開いた胸元は豊かな膨らみを後押ししているし、赤いタイトスカートから覗く白く引き締まった長い脚は、いっそ目の毒だ。
しかしカラーはというと、
「目障りは随分ひどくねぇか?」
見慣れたブローディアの姿に何の感慨も抱くことなく、表情を歪めただけだった。
「あら、ゴメンなさい。そうね、目障りなほどの身長じゃないですわね」
「・・・・・ぐっ」
スラリとした長い足を持つブローディアの身長は、カラーよりも少しばかり高い。そのことを持ち出しては、楽しそうに笑うのだ。実に性格が悪い。わかってはいたが、人の心を抉るのが得意とは、御伽噺の中に出てくる魔女より性悪だ。
「どーせ、身長足りませんよー・・・」
「ふふ、冗談よ。わたくしが完璧すぎるだけなんだから、そんなに落ち込まないでいいわよ」
当然のように言い放ち、立ち止まったカラーを追い抜いて、歩き出す。
完璧。
確かに、街を歩けば民衆の視線の先にはブローディアがあり、彼女自身も見られている事を前提とし、常にそのように振る舞う事を忘れない。―――そのはず、なのだが。どうもカラーと一緒にいると、調子が狂う。相手のペースに持ち込まれてしまう。まったく、厄介な男だとブローディアもまた小さく笑った。
「・・・わたくしもまだまだですわね」
たった半年足らずで随分と、この環境に毒されたものだと小さく苦笑をもらした。
「でも今は、500フォンが貴重なのは事実ですし、無くしたら承知しませんわよ。また一からやり直しなんて無様な醜態を晒したとなると、アル様に顔向けできませんわ・・・」
意識しながら豊かな胸を強調するように、背をやや後へと反らした。
「・・・・ちくしょう、この世はなんでこんなに不公平に出来てやがんだ。ほら、ちょっと足りねぇだけじゃねぇか!・・・金だって、ちょっと半分!」
前者は身長。後者は宿代。ちょっとどころの騒ぎじゃない。
「・・・情けないですわねぇ」
そう呟いたブローディアの方を振り返ることもせず、苦虫を噛み潰したような表情を作り、奇声に近い叫び声を上げそうになる。・・・が、もちろん、そうなっただけで、こんな白昼の街中で奇声など上げるほどカラーはバカではなかったが。
「仕方ないじゃない。まさか食事は別料金だったなんて思わなかったんですもの」
「宿屋にしたら安いと思ったんだ、安いって・・・それが、15万フォンなんて暴利じゃねぇか・・・いや、あの宿は悪くねぇんだ。あそこだって仕事なんだ、仕方ねぇ。なにが悪いって・・・・あんちくしょー、・・・テメェが働けってんだ!あー、まぁ・・・ここにいない奴に不平を漏らしてもしかたねぇか。・・・さぁ、次の仕事だ、次の!」
すぐに賃金を稼げる雑用をギルドに紹介してもらいつつ、スリや引ったくりを見つけては先ほどの手際で金を巻き上げるというキャッチ&リリースの要領を繰り返し、なんとか9万フォン弱まで稼いだのだ。褒めてほしい。
「そーね、キリキリ働きなさいよ」
「お前もな」
「えぇっ!?このか弱い美少女にまだ働かせる気なの!?」
心底驚いたように、ブローディアが口許に手を当てる。
「美・・・少女・・・?」
カラーは文句を言いたそうに呟いたが、幸か不幸かブローディアの耳に届くことは無かった。『美』云々はまぁ・・・見た目通りなのだから今さらとして、少女か?女か?と、聞かれれば化粧の威力も手伝って、ブローディアは間違いなく完成された女と、見られることだろう。
しかし、実際はカラーより年下だろうし、宿屋で待機している仲間よりは確実に年下だろう。十代であることは間違いないだろうが、はっきりしていない。
すべてが憶測なのは、ブローディア自身が自分の過去を失っているせいだ。・・・平たく言えば、世に言う―――記憶喪失、らしい。
なにせ、ブローディアは六年前より以前の記憶がストンと抜け落ちている。
どこで生まれ、どこに住み、誰の子供で、どうして記憶がないのかも。
なにより、自分自身が何者なのかすら、彼女は知らない。この『ブローディア』と言う名前も、不便だという理由で後から付けられた名前であると零していた。
そんな記憶のないブローディアとカラー達が、パーティを組んだのは約半年前。
「記憶探しの旅」と「魔導力の向上」と言う名目で、強引にパーティに入ってきたのだ。
そんな理由ならどこのパーティでもいいだろう、と思ったのだが・・・追い出さねばならぬ理由も特にない。そういうわけで、それ以来、ずっと組んでいると言うわけだ。
しかし、ブローディアの記憶が甦ったとしても、この性格に変化が訪れることはないだろう・・・と、カラーは密かに思っている。
「驚いたわ、なんてヒドイ男なのかしら?むしろ、女一人満足させることも出来ない男に何の価値があるって言うの?いっそ、アル様のようにわたくしと並んでも見劣りしないくらいの美貌を誇っているならまだしも・・・・。まったく、貴方という人は、やる気もなければ、甲斐性も、ついでに身長もないわけ?って、ちょっと聞いていますの?」
矢継ぎ早にカラーに対する不満を言い放っていた。
「聞いてるよ、って、身長は関係ねぇだろ!」
「あぁ、アル様と共に資金集めが出来たのなら、どんなに幸福だったか・・・万有の女神が祝福するようなお似合いのカップルだったでしょうに。それに比べて、本当に女の扱い方が分かっているのかしら?こんなにか弱くて暴漢に襲われればひとたまりもない美少女に、働かせる気なんて・・・っ!」
ブローディアの丁寧な罵声に、どちらかと言えば気の短いカラーのこめかみがピクピクと引き攣っていく。ひとたまりもないのは暴漢だと思うのだが・・・そう思いながらもカラーは、ぐっと、言葉を呑んだ。
「前々から思っていたけれど、まったく使えない男ね。貴方ってホントに―――」
「―――・・・・あー・・・アルフォデルが待っとんぞ」
ブローディアの言葉に割り込んで、カラーはある一定の女にだけ有効な魔法の呪文を唱えた。
できれば、この手は使いたくなかったのだが、こうも女の高い声で罵られ続けていると真っ当な感性の持ち主は頭痛を訴えるだろう。
「はっ!そうだったわ、こんなバカ相手にするだけ無駄よね!待っててアル様っ!」
はた、と、カラーの存在を忘れたかのように、熱に浮かされた表情で空を見上げる。言っておくが、アルフォデル―――アル様と呼ばれる野郎は無論の事ながら、空には存在していない。
そんなブローディアの姿を確認し、脱力を覚えていたところにさらに脱力が加算され、さらなる脱力感に襲われながら、
「・・・・・はぁ~あ、どうしてオレがこんなことしなきゃなんねぇんだよ・・・・」
死人のような顔色を浮かべ、呻くように呟いた。
―――そう、事の発端は、数時間前の・・・アルフォデル、アイツの言葉から始まったのだ。
モンスター退治なんて、そうそう依頼は来ていません。
なので、金稼ぐって本当大変です。