第3話 『浸食』 ④
3-4
雨音が遠くに聞こえる。
どうやら、本格的に降り出したようだ。
静まり返った廃都に、雨音と、そして金属がぶつかり合う音が響く。
ギンッ
鈍い金属音が教会内にこだまする。
ギギンっ
ギギギっ、キン!
「らっ!」
アルフォデルの剣が静まり返った空気を切り裂く。狙うはカラーの首。心臓は胸当てに守られ、この剣では貫けそうに無い。ならば、
「大人しく、くたばれ・・・カラーッ!」
「あぁッ?!ふざけんなっ!」
薙ぎ払った切っ先がカラーの髪を掠める。が、
ガンッ!
前髪の一房を斬り付けただけで、それ以上の進攻はカラーの両腕が押し止めた。
「グッ・・・!――ゃろっ!」
篭手で受け止めたまま、力任せに押し返す。が、半ばで静止して動かない。睨み合う紫の双眸と、蒼い隻眼。
ギリギリッと、拮抗を保つ二人の距離。
口を開いたのはアルフォデルが僅かに先だった。
「さっさと・・・どうするか決めろ・・・むしろ大人しく死ね」
「うっせぇなっ!そう簡単にオレの命をくれてやれるかよ!!てめぇこそ、死ね」
ふんっと、鼻で笑い飛ばす。
しかし、実のところそう長い時間はアルフォデルの剣を受け続けることは無理そうだ。ピシっ、ピシッと、篭手から聞こえる亀裂音がカラーに訴えてかけている。これが砕ければどうなるか想像するに容易い。だが、考えても仕方のないこと。カラーは思考するのを止め、その代わり、
「やべぇ、なっ!」
言葉を吐き出すと同時に、腕に力を込める。
「―――ッァ、ブッ飛びやがれぇっッッッ!」
殴りつけるように、カラーは叫ぶ。
ビリビリと鼓膜を刺激するカラーの咆哮と共に、アルフォデルの身体が後方へ吹き飛んだ。いや、アルフォデル自身が逃れた、と言うべきか。
空中で身体を捻り、一回転すると、体重を感じさせない動きで床へと着地した。
「小さいくせに・・・相変わらず馬鹿力だな」
「褒めんのか、貶すのか、どっちかにしろよ」
ジンッ、と、腕が痺れているらしく、慣らすように腕を動かす。
・・・しかし、次の一撃を受けたら確実に篭手が壊れるだろう。そうなれば、自分の両腕もおさらばだ。そして、真っ二つ。それだけは、絶対に御免だとカラーは頭を振るう。
逆に、アルフォデルは余裕の笑みを浮かべ、真っすぐとカラーに剣を向け―――
タンっ
流れるように剣を脇に構え、カラーの懐目掛け駆けだした。
「はっ!」
床に散らばる小石の山を蹴り上げ、相手が思わず顔を背けた一瞬の隙をついて懐にもぐり込んだ。そして、剣をそのまま横一線に薙ぎ払うも、
「うお・・・っと!」
しかし、あらかじめ軌道を予想していたのか、カラーは一歩後ろに下がるだけで、その切っ先を避ける。挑発するように乾いた唇をペロリと舐めて不敵に微笑んだ。
「・・・チッ!」
アルフォデルがその美貌を歪めて、舌打つ。
が、これだけで終わりではなかった。宙を斬っただけに終わった剣の軌道を振り切らずミチミチと音を立てる筋肉を無視し、そのままカラーの鼻先目掛けて斬り上げる。
ヂィッーー!
金属の擦れる音と火花が目の前で散る。惜しくもカラーの胸当てを擦っただけで、アルフォデルの渾身の一撃も残念ながら失敗に終わった。
「とと、、あぶねぇ」
今度はカラーが後ろへと跳ね飛び、長剣の間合いに入らないように距離を取った。
「もう一手あったら斬られてたかも。うへぇ、怖い怖い」
「・・・・逃げてばかりで面白いのか?いい加減、俺は飽いたぞ。・・・・次は、首を刎ねる」
「へっ、言ってくれるねぇ」
カチリ、と、左の篭手を固定していたベルトに手をかける。
「じゃあ、ご期待にお応えして・・・終わりにしてやるよ。いっぺん、その小奇麗な顔を本気でブン殴ってやりたかったんだ」
ひがみじゃねぇぞ、と口の端を吊り上げてカラーが笑った。左足へと体重を乗せ、弾丸のようにアルフォデル目掛け一直線に走り出す。―――と、同時にカラーの右腕が動いた。
「ぐっ・・・!?」
反射的に、アルフォデルは剣で己の身を庇う。予想以上に、重い衝撃のせいで剣の重心がずれ、跳ねた。
「――――ぐ・・・・・ッ!」
ジンっと、痺れた手があろうことか剣を取り落とすのと、銀色の閃光が二つに割れ、地面に落ち、乾いた音を鳴り響かせるのは同時だった。
銀色の閃光・・・―――カラーの篭手だ。
地面に落ちたそれを、認識してしまった。そのせいで注意が逸れてしまった。
ハッとして面を上げる。
カラーの姿が、ない。
しまった。―――そう、アルフォデルが思うよりも先に、殺気が真横から襲い掛かる。
「―――・・・・・・チッ!」
再び、青とも緑ともつかぬ不思議な彩色が瞳の端に映り込んだ時には、既に遅し。
自ら作ったチャンスをカラーが見逃すはずもなく、素早くアルフォデルの脇に自身と比べて小柄な体が潜り込んだ。
拳が空を切る。
「っ!?」
「・・・だが、遅い」
嘲り笑うようにアルフォデルが囁いた。
打ち出された拳をいなし、わざと剣を取り落とした手を引く。拳を解き、手の平で押し出すようにカラーの腹部を打ちつけた。
浮いたカラーの体の下に素早く潜り込み、カラーの横っ面を殴り飛ばした。
「――――・・・・・・・っ!!」
防御することも間に合わず、アルフォデルの拳をもろに喰らったカラーはまるで人形の如く、入り口近くの壁に吸い込まれるようにして叩き付けられる。
ドグゥンっッ―――!
「・・・―――がッっ」
短い悲鳴は派手な効果音に打ち消され、モウモウと立ち上る土煙によってカラーの姿は完全に見えなくなった。
蝋燭が風に揺れ、そして付近の火が大きく燃え上がったと思うと一瞬にして消える。厳かな雰囲気を醸し出していた教会の壁の一部は決壊し、瓦礫と化した。
「カラーッ!」
反射的にブローディアが悲鳴を上げるが、こうなることを望んだ本人――クサギは興味無さそうに薬指に嵌った指輪を弄るばかりで見向きもしない。
瓦礫の下敷きにでもなったのか、土煙が収まっても、カラーの姿は見えなかった。
「・・・・しばらくは動けないだろう・・・さて、次はブローディア、お前だ」
言って、カラーを殴り飛ばした拳を開き、地面に転がした長剣を拾う。カラーの安否を気に止めることなく、次の対象――ブローディアへと歩みを進める。
「・・・・あ、あ、ウソ・・・」
怯えるブローディアに切っ先を向ける。冷たい切っ先が体を貫く前に、この眼に心を貫かれて死んでしまいそうだ。
「アルフォ、デル・・・さ、ま」
けれど・・・剣を向けられながらも、その優美な仕草に心を奪われてしまいそうだった。
「せめて、一撃で終わらせてやろう」
振り上げられる剣を見た時、反射的に身を竦め、目を強く瞑る。
一瞬だけ、ほんの一瞬だけ、ブローディアはアルフォデルに斬られる自分を想像した。
彼に斬られるなら、それで彼の思い出に生きられるなら・・・それも良いかと。重ねた両手を強く握り、次に襲うであろう衝撃にブローディアは身を固めた。
「・・・・・―――――っ」
しかし、いつまで経ってもアルフォデルの剣は振り下ろされない。
何故?と、ブローディアは瞑った瞳を薄く開く。見上げればアルフォデルの剣はブローディアの頭上で止まっていた。
かすかに震える鋭く尖った剣の切っ先。薄く噛んだ唇が、躊躇いを顕著に表していた。
そんなアルフォデルを責めるように、
「何を・・・何をしているの?なんで、止めるの?どうして、殺さないの?アルフォデルさん、早く殺して、殺して、ねぇ・・・アルフォデルさん?!」
クサギが声を荒げる。焦点の定まらない瞳で、指輪の嵌った手でブローディアを指差す。
―――ギリギリだ。これ以上は、もう・・・。
アルフォデルは静かに思った。剣を持つ手に、力を込める。
しかし、剣は自分の意志に反するかのように、これ以上動かない。
もしも、クサギが狂気に身をやつしていない状況下で、仲間の死を望んでいたのなら、躊躇うことなく斬り捨てたかもしれない。・・・しれないが、彼女が彼女のままだったのならば、こんな意味のない殺し合いなど、起きなかったに違いない。
場違いだと分かっているが、苦笑が洩れる。クサギの声に耳を塞ぐことも出来ず、ブローディアを一刀のもとに斬り捨てる事も出来ない。
いっそ、ブローディアが抵抗のひとつでもしてくれれば、斬るのは容易かっただろう。酷い責任転嫁だ、表情はそのままに昏い気持ちが吹き出した。
「・・・・・・・・・・・」
ふぃに、風が頬を撫でた。アルフォデルの長い髪が湿気を含んだ風に揺れる。
カラーを叩きつけた衝撃で壁に穴でも空いたようだ。雨の匂いと共に流れ込む絡みつくような風に僅かに顔を顰める。
「〈〈始【滅〈還〈躯〈闇〉呼〉魔〉獣】了〉〉・・・・―――」
雨音と共に、簡略化された呪文が、アルフォデルの耳朶に触れた。顰めた表情が、僅かに和らぐ。目の前のブローディアが驚く様が、少し愉快だった。
しかし、面白がってもいられない。アルフォデルは剣を引き、その場から数歩後ろに下がる。
次の瞬間、
「―――・・・・・召喚・影渡りの獣(ニフタクティノス)!」
ギチリっ
ギチギチギチギチ
感情のこもらない声と、歯を噛み鳴らすような音が、この瞬間空間を支配した。
「・・・・っ!?なっ、えっ?なに?なんで?!」
ブローディアが息を呑む。当然だ。これはブローディアが最も得意とする闇の眷属の召喚呪文。魔導師の常套手段に用いられるはずの―――魔力を持つものだけが使える、秘技だ。それなのに、何故?魔力を持たぬ一般人が?!
「・・・・砕け、アヴァチスタ」
カラーの声はよりハッキリと、『影渡りの獣』の名を口にした。風に乗る、カラーの声。魔力を持たぬ一般人には、意味をなさない契約の言葉。
しかし、変化が起きた。
蝋燭の揺らめきでいくつにも重なるブローディアの影が、確かに・・・震えたのだ。
「―――まさか!」
そうブローディアが叫ぶより早く、ギチギチと歯を擦り合わせる音と共に、黒い塊が影から飛び上がる!
何に?・・・決まっている、壇上の上で笑っていた、少女目掛けて、だ。
「クサギ―――っ!」
逸早く気付いたアルフォデルが、クサギに向かって走り出すが・・・一瞬にして、ブローディアの影から抜け出た影渡りの獣(ニフタクティノス)がその横をすり抜ける。
「・・・・ヒッ」
虚ろな瞳をする少女も己の命の危機を悟り息を呑んだ。真っ黒な影が意思を持って自分に襲い掛かってくる。瞬間、クサギは身を守る術すらも忘れて、ただ悲鳴を上げた。
「きゃあああああああぁぁぁーーーーッ!」
「やめろ、カラーッ!殺すなっ!!やめろォッッ!!」
アルフォデルの叫びと、クサギの悲鳴が重なる。
「・・・喰らい尽くせ」
しかし、無情なカラーの声音が、二人の悲鳴を割った。
ブローディアの影から生まれた黒い塊はカラーの言葉通りクサギを覆い尽くす。姿も、悲鳴も、何もかも・・・―――無音が訪れ、そして、闇が収束する。
収束した闇が、パンッ、と、小さな音を立てて弾けた。
「――――・・・・・クソッ」
悪態を吐くアルフォデル。力なく地面に崩れた彼は拳を握り締める。わなわなと震える指先がまるで泣いているようだった。
「・・・・な、にが・・・」
―――起きたの?と、ブローディアが言葉を紡ぎ終わるよりも先に、背後に人の気配を感じた。
振り返れば、顔の左側を眼帯で覆った、いつもと変わらないカラーが立っていた。あちこち土埃で汚れているし、アルフォデルに殴られて頬は赤く腫れている。それでも、いつもと同じように、人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべながら、なんでもない顔をして笑っていた。
「よっ」
篭手を失った左腕を上げて、そう言った。
「貴様ぁっ!クサギちゃんをよくもっ!!」
弾かれたように、アルフォデルがカラーに掴みかかる。
「まぁまぁ、落ち着けって」
「クサギちゃんを闇に喰われて、落ち着いてなどいられるかッ!」
「喰ってない、喰ってない」
底意地の悪そうな笑みを浮かべて、アルフォデルの手を払う。
「なら、どこへ・・・」
アルフォデルの問いかけに、顎で祭壇を示す。
獣の影は消えその真下にうつ伏せになって倒れる少女の姿があった。
「クサギちゃん!」
クサギの姿を確認したアルフォデルは、地面を蹴るようにして祭壇を駆け上った。
「・・・生きて、いますの・・・?」
ブローディアとカラーも、クサギの横に膝をつく。
うつ伏せになったクサギの体を、抱きかかえるように仰向けに寝かし直す。
ほのかな胸の膨らみが、小さく上下していることを確認し、アルフォデルが安堵の溜め息をこぼした。
「・・・・どんな魔法を使った?」
気絶しているクサギに向けた表情とは打って変わって、完全に据わった双眸をカラーに向ける。黙ったブローディアもつられるようにして、その視線に続く。
「あー・・・ブローディアの獣以外はなにも。ちょっと引っぺがしただけだ。・・・ほれ」
四つの目玉に凝視され居心地悪そうに肩を竦め、アルフォデルへと小さな金属片を放り投げた。
「これは・・・?」
「嵌めんなよ、それが今回の『遺産』だから」
銀のリングに血を閉じ込めたような赤い石が埋め込まれている。至ってシンプルな小さな指輪だ。アルフォデルの小指にすら入らないだろう。しかし、この小さな指輪は、クサギの薬指に嵌っていたものだった。
「・・・これが、『遺産』ですの?」
アルフォデルに手渡され、まじまじと見つめる。ツルリと磨き上げられた表面には傷一つ無く、特に呪いが彫られているようではないようだ。魔術師の自分が感知できるようなそれらしい力もない。それでも、こんなちっぽけな指輪がクサギを狂わした。
ブルリと身震いを覚え、すぐにアルフォデルの手のひらへと指輪を戻す。
「意外と、普通ですのにね」
ぽろりと漏れたブローディアの率直な感想に、カラーは苦笑を零す。
「身に着けなきゃ、ただの指輪だ。だが、嵌めたらクサギちゃんと同じ目にあうぜ」
「・・・彼女は、大丈夫ですの?」
「まぁ、命に別状はないと思う。・・・ここ最近の記憶が混乱するかもしんねぇけど」
「・・・そうか・・・命の危険は、無いのだな」
安堵したアルフォデルが、躊躇いがちに乱れたクサギの亜麻色の髪を優しく梳いた。
「でも、影渡りの獣(ニフタクティノス)に呑み込まれたのならば、何故・・・彼女は無事なんです?いいえ、そもそも、どうして魔導師でもないカラーが呪文を使えるんですの?あれは、私の使役獣ですのに。それに私しか知らないはずの獣の真名も知っているし!それにあのクサギさんの変わり様・・・『遺産』ってなんなんですの?」
成り行きを見守るしか出来なかったブローディアが、ついに噛み締めた桜色の唇と開いた。
「・・・それに影渡りの獣(ニフタクティノス)に飲み込まれたのに、無事ですし・・・・それに、侵食だとか、切り離すだとか、意味が分かりませんわ!もう、内緒話はいい加減にして下さいましっ!」
まだ状況が掴み切れていないブローディアが、早口で捲くし立てる。同じような内容を二度ほど口にしているのは、大切だからなのか、それとも混乱しているからなのか。どちらにせよ、炎を宿した強い瞳に見つめられ、カラーはどこから説明をしたものかと、盛大な溜息をつきたい気持ちでいっぱいだった。
アルフォデルに助け舟を期待して視線をそれとなく送ってみるが、答えてくれる気はないようだ。ふぃっと、視線を逸らされてしまう。
どうやら、クサギを助けたはいいものの、助けた手段がお気に召さなかったようだ。
相変わらず難儀なヤツだ、と人知れず溜め息をこぼしブローディアに向き直る。
「・・・えーとな、『遺産』ってやつは・・・最終的には、人の肉体と精神を壊しちまうんだよ」
うー、とか、あー、とか、途中に挟みながら、それでもカラーは口を開いた。
そんなカラーの様子に、ブローディアは小首を傾げる。
「壊す?」
「よくあるだろ、望みを叶える力を与える代償に・・・・ってやつ」
「早い話『遺産』に取り殺されるのだ」
言い渋ったカラーの言葉を遮って、アルフォデルが静かな声音で呟いた。
「でも、まぁ・・・今回に限り、完全に人と『遺産』が同化してなかったからできた裏技っていうか、なんていうか」
「普通は出来ないんですの?」
「感情が死じまうと無理だな。もう、そうなると呼吸するだけの『遺産』になっちまってるから。ゾンビみたいなもんだな。まぁ、今回はまだアルフォデルに対する執着もあるみたいだし、ひとまず、指輪から引き剥がせれば間に合うかなと思って一芝居打ったってわけだ」
「指輪が引きはがせなかったらクサギさんは・・・助からなかったってこと?」
「そうなるわなぁ」
カラーのやる気のない言葉に、ブローディアは首を傾げる。
「侵食が進むと、『遺産』が体の一部になるってか、そのものになるってか・・・まぁ、同化が起きて、『遺産』自体が宿主の心臓になるってわけだ。で、なっちまったら手遅れ。アウト。ゲームオーバーってな」
「・・・『遺産』ってなんなんですの?それが彼女の指に嵌っていたから、おかしくなってしまわれたんですの?」
「そういうことだな。いやぁ、『遺産』って怖いなー」
肩を竦めるカラー。その言い回しは、少なくとも率直に事実を告げる気はなさそうだ。のらりくらりと質問を躱すのはカラーの常套手段だ。そうはさせまいと、
「・・・言い方が気にいらないですわ。ハッキリ言ったらどうですの?」
キッパリと、ブローディアが言い放った。
「え、・・・・いや、まぁ・・・なんだ・・・」
言い返されたカラーは、もごもごと口の中で言葉を反芻させるだけで、歯切れが悪い。―――が、
「『遺産』は例外なく使用者の魂を狂わす。今まで遭遇した『遺産』関係を見ても、如実に現れている―――ということだ」
カラーを横目で一瞥したアルフォデルが、世間話のような気軽さで口を挟んだ。
「え・・・?そ、それって・・・・」
「一つ目巨人、人型植物、性悪鬼、軟泥、毒と瘴気の竜。遭遇した五体ともクサギ同様に侵食が起きていた。どれも、同族から見れば常軌を逸していた事だろう。ただ、他種族からしてみれば、常軌と異常の境目が明確ではない。・・・・それだけだ」
「実際、侵食されちゃってるのって結構多いわけ。まぁ・・・だーれも、気付かないんだけど」
「・・・・・そうなの?」
「だってさー言って信じる?『遺産』が侵食するとか?『遺産』に殺されるとか?」
「・・・・それは・・・」
今、目の前にクサギという少女が横たわっていなかったら、おそらく自分も、信じきれなかったかもしれない。いや、今ですら、まだよく分かっていないのに。
はた、と、気付いて、
「そうだ。・・・カラーは?貴方は大丈夫なの?」
「ん?何が?」
「・・・だって、カラーの眼って・・・その・・・『遺産』、って言っていたじゃない」
言い難そうに、ブローディアが口を開く。
普段は少々高飛車で傲慢なところもあるが、根は優しい娘なのだ。苦笑をもらしながら、カラーは小さく肩を竦めた。
「今のところはな、上手く使えてるつもりだぜ。なにせ、この眼のおかげで魔導師でもないオレが
お前の十八番を借りることが出来るんだからな」
「・・・・?」
「ま、その話は追々な。とりあえず当分はコレに取り殺されるつもりはないから安心しろよ」
苦笑を浮かべ、トン、と、眼帯の上から叩く。
「本当に大丈夫なんでしょうね」
「大丈夫、大丈夫。『遺産』に望まなきゃ、侵食も同化も起きないんだからさ」
あっけらかーんと言い放ちカラーは立ち上がった。これ以上は話さないという意思表示だろうか、ブローディアに背を向けると軽く肩を竦め歩き出す。なにか言いたいのに、なんと言葉をかけていいのか思いつかなかった。ギュッと唇を噛みしめたブローディアに、アルフォデルが静かな口調で話しかける。
「ブローディア」
「・・・・はい」
「色々と黙っていたのは悪かった。しかし、知ってしまえばお前がそういう顔をすることも想像できた・・・だからこそ、話したくはなかった。お前は優しい娘だからな」
真摯な瞳がブローディアを真っすぐに見据えた。
「・・・・アル様」
除け者にされたことも知らされなかった事実も、この瞳に見つめられていると、些細なことのように思えるのが不思議だ。なによりもアルフォデルが、自分を心配し、配慮してくれたことにブローディアは静かな感動を覚えたのだった。
「嬉しいです。わたくしの事を慮ってくださって。けれど隠し事はしないで――――」
「おい、クソアルフォデルー!」
しかしその感動を割るかのように、カラーの声が飛んでくる。なにやら、先程までアルフォデルと交戦していた辺りで叫んでいる。
「どうしてくれんだよ、コレ!もう使いもんになんねぇじゃん!」
手には、アルフォデルの剣によって真ん中から二つに割られた銀の篭手。
故に、今カラーの左腕には篭手が無い。しかも右の篭手にも亀裂が入り、こちらもあと数回防いだだけで壊れてしまいそうに見える。
「手加減しろよなー・・・バカヤロー!」
「・・・手を抜くなと言ったのはお前だ」
「・・・あのなぁ。少しは考えろって・・・。そっちの剣だって借りもんだろ?」
篭手を斬ったせいか、アルフォデルの持つ剣もまた、刃零れがおきていた。
「クサギちゃんを助ける為に役に立ったのだ・・・この剣も本望だろう」
そう言って尖端に指を這わせながら、アルフォデルが凄惨な笑みを口許に浮かべた。
「・・・さいですか」
カラーが押し黙る。渋々と、篭手を床に置き、手を合わせてから、祭壇へ戻ってくる。
沈黙がしばし、三人の間に流れる。が、沈黙に耐えかねたブローディアが口を開いた。
「あ、で、でも・・・迫真の演技でしたわ。わたくしも本気で騙されましたもの」
アルフォデルに向けられた剣先を思い出し、わずかに身震いを覚えた。そんなブローディアの様子に二人はそろって肩を竦め、
「クサギちゃんを抑えられなかったら、アルフォデルは殺して逃げようと思ってた」
「そうか、奇遇だな。俺もクサギちゃんの愛に応える為に本気だった。口惜しくも失敗したがな」
一方は真顔で言い放ち、もう一方は自嘲を浮かべた。二人とも目が本気だった。
「・・・・え、えーと・・・冗談ですよね?」
まだ二人とも地に足が着いているのだから、殺す気はなかったと思いたいが・・・細められた紫の瞳と、ちっとも笑っていない隻眼を見ていると、もしかしたら本気だったのかな?なんて、思ってしまう。
けれど、アルフォデルに限って言えば・・・ブローディアへ剣を振り下ろせばよかっただけなのだ。それをしなかったという事は・・・少なくとも本気でではなかったのだろう。・・・そう思いたい。
「そういうことにしておこう」
人を食ったような笑みを浮かべてアルフォデルがカラーに視線を送る。祭壇へ続く短い階段に腰掛けているカラーは、「どーでもいい」と、すでに興味を失ったように手を振る。
「・・・でも、あんなに心臓に悪い芝居を打たなくても、クサギさんを・・・というか、『遺産』をはじめから狙えば良かったのに・・・」
「それだと『遺産』自体に防がれるんだなぁ、これが」
殺してから『遺産』を引きはがすのは容易い。抵抗をしないからだ。しかし宿主が生きている内に『遺産』を正面から引きはがそうとすれば『遺産』は宿主という名の傀儡の持つ能力を最大限に引き出し、己を守らせる。本来なら使えない魔法だとか、肉体のキャパシティを超えさせてでも。だから、一瞬でも傀儡ではない宿主の感情を引きずりだす必要があったんだ。と、カラーがつまらなそうに言った。
「仮に、真っ向から挑んでクサギちゃんと戦ってもよかったんだけど、ただの宿屋の娘が戦闘なんてできると思うか?あっという間に体がついていかなくて死んじまうだろ」
「まぁ、その前にそんな愚策を講じるようであれば、有無を言わさず貴様を殺していただろうな。賢明な判断をしたな、カラー」
「そうだね。それなら少しはオレを褒めてもいいんじゃねぇ?」
拗ねたように鼻を啜りカラーが呟いた。
アルフォデルとブローディアは交互に見合い、そして吹き出した。
笑い声が雨音と共に教会内に響き渡った。
大団円・・・・とはいかないのが、世の常です。




