第3話 『浸食』 ③
3-3
瓦礫の上に、それはあった。
あまりにも場違い。あまりにも不似合い。あまりにも不自然だった。
「・・・・教会・・・?」
周りから隔絶されたような真新しい教会。
外壁は何者にも汚されない純白を誇り、屋根の上の十字架は曇天を切り裂くような金色。ステンドグラスが中の光に揺れ、描かれた登場人物達が笑うように揺れている。
廃墟に佇む、神の家。
「・・・しっかし、もろ罠じゃん・・・ヤだなぁ」
「・・・・そうだな」
そう言いながらも、アルフォデルとカラーは、その教会へと歩き出す。
「え?!作戦も立てないんですか?ちょっとっ!」
慌ててブローディアも二人の背中を追った。
ポツリ、と、一滴。天の滴が大地を濡らした。
薄暗い教会の中を、まずカラーが覗き込んだ。
チロチロと燃える蝋燭の火と、色鮮やかなステンドグラスが中を照らしていた。一定の間隔で壁に埋め込まれた羽根を模した燭台以外変わったものはない。なさすぎて困るほどだ。本来ならば聖女の像が中央に鎮座し、その前に祈りを捧げる信徒達の椅子が整然と並んでいるはずなのだ。
なのに、ここには何も無い。
唯一、一段高い石畳の祭壇が存在するだけであり、まるでアルフォデル達の為に誂えたかのようにも受け取れる。
不意に、
「―――・・・いらっしゃいませ」
声がかけられた。何の感情も声に感じられない。しかし、まだ幼さの残る少女のこの声を忘れるはずがなかった。
「クサギちゃん・・・・?」
アルフォデルが目を凝らす。ゆらゆらと揺らめく蝋燭の灯火の中、祭壇の陰に隠れるように、少女が座っていた。
「クサギちゃんっ・・・!」
弾かれたようにアルフォデルが駆け出す。が、しかし白く細い腕がそれを制止する。
「アル様!いけませんわ、アル様・・・まずは、落ち着いて下さい」
ブローディアの言葉に我を取り戻し、進みかけた足を一歩後退させた。
胸を撫で下ろし、祭壇を睨みつける。視線の先には、祭壇に身体を預けるようにして石畳に座るクサギの姿。
クサギと分かっていても、見間違えそうになる。最後に宿屋で見かけた時とは異なる、そのクサギの様子。容貌。雰囲気。
その身に纏うのは上等な生地で作られた淡いオレンジ色のロングドレス。豊かな髪も頭の上で結い上げ、あちこちにトルマリンを散りばめている。赤いルージュを引き、耳元には大粒のダイヤモンド。幸せの証のように薬指に輝く指輪。輝くまるで、おとぎ話から抜け出したお姫様のようだ。
しかし、その反面・・・宝石のようにキラキラと輝いていた双眸には光がなく、その微笑みも虚ろ。まるで生気がなく、しかし唇から時折覗く赤い舌がやけに毒々しい。
フランマーリの宿屋でアルフォデルを一目で虜にした、あの輝くような笑顔は完全に失われていた。
「・・・・クサギちゃん・・・・」
アルフォデルが小さく名前を呟いた。その顔には苦悩が見て取れる。
「わたしを捜しに来て下さったんですね・・・」
「そうだ、帰ろう」
アルフォデルの優しい声に、クサギは首を左右に振る。
「だって、わたしが帰ったら、アルフォデルさんは次の旅に出てしまうのでしょう?」
首を傾げ、ひどく悲しげな声を絞りだす。
「だから、わたしは帰りません、帰りたく、ない」
「クサギちゃん・・・そんなに俺のことを・・・っ!」
「だぁっ!喜ぶな、頼むから喜ぶな!」
「そうですわよ!どっからどう見ても正気ではありませんわ!」
電撃が走ったように体を震わせ、言葉に詰まるアルフォデル。
それに対して、泣きたくなるような気持ちと湧き上がる怒りを隠しもせず、ブローディアとカラーは交互に声を荒げた。
「・・・ねぇ、アルフォデルさん。一緒にここで暮らしましょう?ここなら誰もわたし達を邪魔することは出来ないですから。・・・お願い、アルフォデルさん」
首を可愛らしく傾げるも、どこか壊れた人形を思い出させる。ゾクリ、と背筋に嫌な感覚が走った。
しかし、そんな嫌悪にも似た感覚を無視しつつ、ブローディアは言い放った。
「さっきっから、アルフォデルさん、アルフォデルさん、ってなんなんですの?少しは、家で心配しているお父様達の事をお考えなさい!」
感じた憤りをそのまま言葉に乗せる。
純粋に真っ赤に燃える怒りは、彼女の瞳そのものだ。身勝手なクサギの言い分に当たり前のように怒る事が出来る・・・そんな当たり前の事が、アルフォデルには眩しい。
「もぅ、アル様もカラーも何か言ってやってくださいまし!」
「・・・まぁまぁ」
息巻くブローディアを宥めるように肩に手を置き引き寄せる。多々良を踏むブローディアの横をすり抜け、一歩クサギに近づいた。
「今のクサギちゃんに何を言ったってムダみたいだぜ」
そう言って、ブローディアの燃えるような赤い目から、濁った水のような瞳を向けるクサギへと視線を移す。トン、と自らの眼帯を指で弾き、
「・・・乗っ取られちまっている」
掠れた声でそう呟いた。
「乗っ取られた・・・って、カラー・・・?」
肩に触れる指がカタカタと小刻みに震えている。よく見れば、指先からは血の気が引き、いや、顔色すらも死人のように蒼白で、無表情だった。
「・・・・カラー?」
ブローディアの呼びかけに口の端を歪め、振り返った。蝋燭の揺らめきとステンドグラシ越しに入る弱い光り、薄暗い部屋の中ではブローディアの金の髪すらくすんで見えた。
その横を対照的な銀糸が流れる。わずかな光を受けて、輝くそれは月の輝きの様。
「―――っ!ア、アルフォデル!」
ゆっくりとした足取りで一歩、二歩と前へと進む。咄嗟のカラーの呼び声にすら振り向くことなく、アルフォデルはクサギの元へと足を進める。
「―――・・・クサギちゃん、まだ今なら間に合う・・・戻って来い」
「それは出来ません」
祭壇へとゆっくりと、しかし確実に足を進めるアルフォデル。罠の類はないようだ。たとえ、あったとしても、歩みを止める事はなかっただろうが。
「クサギちゃん・・・ならどうしたらいい?」
クサギに手を伸ばせば触れるところまで近づき、アルフォデルは足を止めた。死人のようなクサギの腕が、それ以上近づく事を拒んだから。
「クサギ、出来ることなら、なんだってする・・・だから、俺と一緒に帰ろう」
「・・・なら、アルフォデルさん・・・。わたしと、ずっと一緒にいてくれますか?」
拒んだ手が、今度は差し出されるように、アルフォデルに向けられる。
伸ばされた華奢な腕。これを掴めば、終わるのだろうか?あの魔族は?『遺産』は?・・・いや、それは後回しでもいい。今は、クサギを連れて帰ることが先決だ。
躊躇いながら、アルフォデルはクサギの手を掴もうとした。
「なにふざけたこと抜かしてますの?!アル様っ!?アルさっ・・・――むぐっ」
大人しく自分の歩みを見守っていたはずの、ブローディアの叫び声が背後から聞こえる。自分の感情に素直な彼女ならではの叫びだ。クスリ、とアルフォデルは小さく笑みをこぼした。
ふっと、視線だけをずらせば、暴れるブローディアと、その口を押さえつけているカラーの姿が目の端に映った。視線に気付いたカラーが、「お前の判断に任せる」とアルフォデルに告げる。判断もなにも、この手を掴まなければ、何も始まらないし、何も終わらない。その事を分かっていて「判断に任す」と、言うのだからカラーも性格が悪い。
・・・―――静寂が、教会を包んだ。
「・・・・わかった」
その中でアルフォデルは愛を囁くより自然に、クサギの小さな手を取った。
「一緒にいるよ。だから、街に戻ろう。ここにいては駄目だ」
「・・・・・・本当?」
「あぁ、キミが望む限りずっと。宿屋に残れというならば、残ろう。一緒に旅に出てもいい。二人っきりがいいと言うなら、カラーとブローディアとはここで別れよう」
ブローディアが目をパチクリと見開く。「そんな?!」と、叫びたいのだろうが、カラーの手がまだ、ブローディアの口を押さえていた。
「本当に?・・・・ああ、嬉しいっ!本当に、あの人の言う通りになったわ!」
恍惚とした表情。光の移らなかった茶色の瞳に、初めて感情らしい感情が浮かぶ。
「―――・・・あの人、ねぇ」
クサギとアルフォデルのやり取りを隻眼で眺めながら、カラーは一人ごちた。
あの人、つまりは・・・アルフォデルに接触した魔族の事だろう。それは恐らく、間違いない。だがしかし、人への干渉が制限されている魔族が、何故・・・ただの人間の小娘に手を貸した?その利点は?見返りは?価値は?代償すら厭わないものなのか?
いや・・・―――全てに、繋がる答えは、そこにあるじゃないか。
「・・・まずいな」
無意識のうちに、左眼を覆う眼帯を静かに撫ぜた。
「優しい優しいわたしのアルフォデルさん、一つだけお願いがあるの」
「なんだい、クサギちゃん?」
「・・・わたしと二人っきりでい続けるために」
すっと、クサギの視線がアルフォデルから逸らされる。そして、
「―――その二人を殺して・・・」
一度も見ようともしなかったカラーとブローディアに、冷たい笑みとともに、そう投げかけた。
「――――――っ!」
「・・・・なるほど、そうきたか」
言葉を失うブローディアと、愉快そうに口許を歪めるカラー。半ば予想の範囲内だったのか、アルフォデルの表情も動く事は無かった。
「それで、キミが戻るならば僕は二人を、一片の慈悲もなく死をもたらそう」
絶世の美貌の持ち主は、静かに、そして優雅に振り返った。
「本気かよ、アルフォデル」
面白いものを見るような目で、カラーがアルフォデルを見る。
「・・・・・カラー?」
塞いでいたブローディアの口から手を離し、「離れていろ」と、言わんばかりに手で追い払う。それに従う道理は無いはずなのに、教会を包む雰囲気に呑まれたせいか、ブローディアは無意識の内に、数歩後ろに下がっていた。
「で。・・・どうなんだ、アルフォデル?本気か、って聞いてるんだけど、オレ?」
「―――あぁ、俺の為・・・いや、クサギちゃんの為に死んでくれ」
星々の煌めきを宿したような瞳が、カラーに向けられる。
アルフォデルに狂わされた女なら、喜んで死ぬかもしれないが・・・生憎と、カラーは恋焦がれる女でもなければ、死にたがりというわけでもない。
ただ、肩を竦ませ、面白いものを見るように、嗤うだけだった。
「・・・アル様、本気ですの?本気で、わたくし達に死ねと?」
カラーの後ろで、ブローディアが困惑した表情を浮かべながらも、口を開いた。信じられない、信じたくない。そう言った顔だ。
「・・・・ああ。ブローディア、すまない」
チャキリ、と、手にしていた長剣をカラーと、そしてブローディアに向ける。穏やかに細められた瞳には、断固として揺るがない決意が見て取れる。
「・・・・・・・アル様」
それ以上は何を言っても無駄だと、察したブローディアが口を閉ざした。悔しそうに紅い唇を噛み締め、ただクサギとアルフォデルを睨みつけた。
「まっ、オレは死にたくないんで、殺す気で抵抗させてもらうけど、いいよな?」
右手を前に突き出して、カラーは愉快そうに口の端を歪める。
「俺はかまわん。しかし、クサギちゃんと俺の幸せの為には、死んでもらうしかない」
「幸せねぇ?仲間より女を取って、何言ってんだか・・・。まっ、今に始まった事じゃねぇか・・・。ブローディア、少し向こう行ってろよ。まずはオレとアルフォデルの真剣勝負だ」
ニヤリ、と、底意地の悪そうに口許を歪め、クサギが座る祭壇を顎で示した。
「手ぇ出すなよ」
「・・・・・・・・」
カラーの言葉に頷く事も出来ず、立ちすくむ。
どうしたらいいのかなんて分からない。なんで、こんなにカラーが落ち着いているのかも分からない。アルフォデルの目がこんなに怖いと感じたのも初めてだ。どうしたらいいの?どうすればいいの?
「・・・・・・・・カラー」
「んな、顔すんなよ。・・・なんとかなるって」
困ったように笑うカラーの手が、ブローディアの背を叩いた。
そして、アルフォデルの剣が静寂を斬り付けた。
友情と愛情、天秤にかけたらどうなるかしら?