第3話 『浸食』
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「見事なまでの曇空だな~」
皮肉げに微笑んで、薄暗い空を見上げた。厚い雲が太陽を覆い隠し、気分まで憂鬱にしてしまう。はぁ、と溜め息をこぼし、カラーは手綱を握り締めた。
今、カラーは仲間を乗せた馬車を走らせている。
―――クサギがいるであろう『廃都エームングリン』へ。
昨夜、アルフォデルが夫妻に嘘と真実を織り交ぜながら、クサギの行方を説明し馬車を用意させた。
当然、宿屋の夫婦が一緒に来ると行って聞かなかったのだが、何とか説き伏せ、アルフォデル達は幌馬車に乗り込んだ。その際に手綱を取ったのはカラーだった。
本来ならば、この馬車の持ち主・・・つまりは馬を操る御者もいたはずなのだが、カラーの独断で御者には宿屋の隅に転がっていてもらっている。
魔族が関わっているというのに、一般人は足手まといでしかない。カラーが実行しなければ、アルフォデルかブローディアが同じ事をしていただろう。
「・・・・マジ、魔族なんてやってらんねぇって」
ふっと、背後の荷台へと振り返る。幌の隙間から、アルフォデルとブローディアが大人しく座っているのが見えた。楽しく談笑とはいかないらしい。
緊張した面持ちを隠せずにいるブローディア。
まるで能面のように表情の読めない顔で、外を眺めるアルフォデル。
馬車の振動に身を任せながら、ただ二人の時間は沈黙と共に過ぎていく。そうしていると、まるで一枚の絵のようだ。
「・・・まったく」
そんな二人から視線を外し、ボソリと、カラーは呟いた。
少しは気の聞いた言葉くらいかけてやればいいものを。と、内心苦々しく思いながら、鞭を振り上げた。二頭の黒馬が嘶く。土煙を上げながら、三人を乗せた馬車は、より早く、より速く、廃都エームングリンに向かって駆け走る。
「ヤ、な色だぜ」
強い輝きが先に魅える。魅える痛みが心地いい。左眼が叫んでいる。チリチリと焼けるような熱さが、この先に何が待っているのか教えてくれる。
焦る自分を落ち着かせるように、カラーは渇いた唇をペロリと舐めた。
ややあって、沈黙を割ったのはブローディアだった。
「カラーってば、随分と気合が入っていますわね」
御者台で鞭を振るうカラーの背中を一瞥し、ブローディアは僅かに笑った。
微妙な中腰に、威勢のよい掛け声。風になびく青とも緑ともつかない柔らかそうな斑髪。振り上げる鞭、馬達の嘶き。
普段のやる気のないカラーに見慣れているせいか、今の彼はまるで別人のようにすら感じられた。
「・・・・・そうか」
呟くように言葉を返すと、再び黙するアルフォデル。
過ぎ去る景色を眺めながら一体何を考えているのだろう、とブローディアはアルフォデルの横顔をまじまじと見つめた。
片膝を立て、風に長い髪を遊ばせている、その奇跡のように美しい容貌。赤い外套を背中に流し、身を包むのは鋼色の軽量鎧。剥き出しの二の腕は無駄のない筋肉で引き締められている。
魔族と戦うかもしれないというのに、随分な軽装だ。
だが、彼自身が無駄な装備を嫌うのは今にはじまったことではなかった。最低限の装備があれば十分だと言う台詞を何度聞いただろう。
だからといって、アルフォデルの手に握られている鞘のない剣は如何なものか。
宿屋の主人に託された剣というのはいい。だが、それはどう見ても大量生産されたただの安物の剣だ。
彼は武器を選ばない。自分の命を握っているというのに、執着がない。
手に馴染みはじめたはずのブッシュナイフですら、クサギを助けるのに使ってくれと手渡された長剣に簡単に取って代わられてしまった。
そんな剣で大丈夫かと問えば、僅かに口角を上げてこう言う―――「敵が斬れて、叩ければそれで十分だ」と。
それを聞くたび、ブローディアの胸は締め付けられる。それで、本当に不安はないのだろうか?と。手に馴染まない剣に裏切られることは?簡単に折れてしまったりはしないの?しかも今回は下手を打てば魔族が相手になりかねないというのに。アルフォデルが負けるところは想像できないが、それでも、心配なのだ。それ故に自問自答を繰り返す。
「・・・・ィア?おい、ブローディア」
耳朶に触れる低い声。不意の呼びかけに体が跳ねるほど驚いた。
「っ、ぁ、な、なんでしょうか?」
名前を呼ばれただけで心拍数が上がる気がする。視線が合うだけで呼吸が乱れてしまう。
「・・・そんなに見ても、何も出ないぞ?」
「・・・・っ!」
意地悪く細められたアルフォデルの眼に見つめられ、慌てて視線を足元に落とした。真っ赤になって俯いたブローディアを横目に、アルフォデルはクツクツと、咽喉の奥から愉悦を洩らした。
からかわれたのだと気付くと、さらに恥ずかしくなった。どうしようもなく、この狭い空間から逃げ出したくなる。いっそ、カラーの横に腰を下ろそうかと本気で考えたブローディアだったが、アルフォデルの視線に気づいた。
「・・・見ろ、廃都だ」
アルフォデルが静かに呟いた。形の良い唇を綻ばせ、ゆっくりと指で外を指し示す。その長い指の先を目で追うと、確かに崩れかけた建物の残骸が見えた。ただし、はっきりと確認できるほど近くはない。しかし、近づいていることは、確かだった。
「思ったより早かったな」
空を覆う厚い雲を見て呟いた。おそらくまだ太陽は傾いたままだろう。
「昼より前に片が付けば理想的だな」
「・・・アル様・・・」
「・・・どうした?」
「・・・・廃都に行って、それでお終いには・・・なりませんわよね・・・」
ブローディアの自問とも、質問とも取れる言葉を最後に、暫し会話が途切れた。しかし、数十秒の間を置いて、「・・・・そうだな」とだけアルフォデルは短く呟いた。
その胸中は図ることができない。
「たとえ、罠だとしても、切り抜ければいいだけだ。―――できるだろう、ブローディア?」
そう言って、アルフォデルは口許を吊り上げた。その肉食獣を思わせる笑みと、輝かんばかりの紫水晶の瞳。震えるほどに壮絶で、言葉を失うほどに麗しい。
無意識の内に「もちろんですわ!」と、ブローディアは言葉を返し、アルフォデルはつられるように口許に笑みを浮かべた。
カラーは器用貧乏なので、なんだかんだ押しつけられてしまいます。
かわいそうに。