第2話 『誘いと導き』 ⑤
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アルフォデルは、一度フランマーリの宿屋へと戻ってきた。
あのまま広場で夜を明かしたところで、なんの解決にもならないことは誰の目にも明白だったからだ。
カランっ
宿屋のドアを開けると、そこには誰もいなかった。客はおろか店員の気配すらない。
さすがに酒場自体、運営が出来る状況じゃないらしい。それにしても、アルフォデル達以外にも泊まりの客がいたはずだが・・・静か過ぎる。アルフォデル達同様に、クサギ探しを手伝っているのだろうか?
あの少女は、真実この宿屋の看板なのだ。と、アルフォデルは改めて認識した。
とりえあず、カラー達を待つために部屋に戻ろうかと、食堂を横切ろうとすると、
「あッ、アル様!お帰りなさい!」
厨房から顔を覗かせたブローディアと目が合った。普段は垂らしている金の髪を、今は頭の上で一つにまとめている。
「・・・ブローディア?・・・お前一人か?」
内心カラーを役立たずと罵った。クサギとは別に例の誘拐事件が脳裏をよぎったからだ。
「ええ、カラーはいつもの病気ですわ」
そう言ってブローディアは左眼を指して、困ったように微笑んだ。
「おいおい・・・・病気ってヒデェな・・・・」
ダルそうな声が上から降ってくる。左眼をタオルで覆ったカラーが階段上の手すりに身体を預けたまま呻いている。思ったほど顔色は悪くは無いが、タオルの端から覗く右目が憔悴しきっていた。
トントントンっと、ふら付きながらも足場を確認し、一歩ずつ階段を下りる。
「随分と、死にそうだな・・・。それで、ギルドは?」
酷薄とも聞こえるアルフォデルの台詞だが、心配しても意味のないことだ。ブローディアの言葉を借りるとまさに病気。しかも、持病だ。それをいちいち心配するような性根は持ち合わせていない。当然、カラーもブローディアもそれは承知している。
「行く途中でブッ倒れた。悪い・・・」
うー、とか、あー、とか唸りながら食堂に下りてきたカラーは、崩れるように近くの席に腰を下ろした。
「そうか・・・まぁ、仕方ない」
カラーの左眼がおかしくなるのはたまに起こる。三週間前も左眼はイカれて、ついには完全に寝込むはめになった。半日程度で治るのだが、本人は「それでも痛いものは痛いんだ」と、時々ぼやいている。
「・・・・で。怒らねぇところみると、手がかり見つけたのか?」
テーブルに突っ伏したままカラーが片目だけで、アルフォデルを見上げた。
「ああ、廃都エームングリンらしい」
「―――西か・・・」
トン、とタオルと眼帯の上から軽く叩き、苦痛そうにカラーは笑った。
「・・・ヘタすると、同じ場所かもなぁ」
「・・・そうか」
沈痛そうなアルフォデルの表情。そんな表情を見ているだけでも辛いのに、これ以上話の除け者にされるのも辛い。ブローディアは、躊躇いながらも、二人の話に割り込んだ。
「・・・あの、話が見えないんですけど?」
と、率直に二人に問いた。
「・・・・そーだな。わかんねぇように話してるし」
「なんですの、それ?!」
ブローディアの噛み付くような言葉に、カラーは耳を押さえ苦笑を噛み殺す。どうやら、軽口を叩けるくらいには回復したようだ。それならば、カラーの心配はいらないだろう、とアルフォデルは胸を撫で下ろす。
しかし。問題はブローディアだ。本来なら彼女は巻き込むべきじゃない。
おそらく、カラーも同じように思っているはずだ。しかし、「ここで待っていろ」と、言ってみたところで、彼女が大人しく従うはずもない。そうなると、これ以上黙っておくわけにもいかないだろう。
「・・・・ブローディア・・・」
口を開きかけたアルフォデルに気付いたカラーが、視線を振り払うように手を振る。
「いいよ。アルフォデル。・・・・オレから言う」
なんでもない事のように、アルフォデルへとそう言い、アルフォデルとブローディアに席につくよう促がした。
そして、向かいの席についたブローディアが怪訝そうに眉を顰めて言う。
「それで、何がどうなっているんですの?」
「お前と組んで、半年だったっけっか。・・・オレたちの目的は、前に話したよな」
「『遺産』を集めているんでしょう?」
「ああ、そうだ。この間の毒と瘴気の竜の依頼・・・覚えてるか?」
椅子の背に完全に身体を預け、深い青い瞳だけはブローディアを見据える。
「当然ですわ!と、言いたいところですけど・・・あの時の事あまりよく覚えていませんの」
瘴気に中てられ、早々にリタイアした時のことを思い出したのだろう、眉の間が無意識に寄った。そして、それがどうしたんですの?と言いたげなブローディアの視線を受け流し、カラーは薄っすらと微笑んだ。
「・・・オレがさ『遺産』のある場所を案内できるのって不思議だって言ってたじゃん」
「ええ、でも・・・優秀な情報屋がついてるって」
「あれ、嘘だ。どんなに優秀な情報屋でも早々『遺産』なんてもの見つけられねぇ。九割方はハズレだと思っていい」
声を落とし、嘲り嗤うような口調でカラーが言う。
情報屋は確かに優秀だが、『遺産』に関しては大雑把な表現の事が多い。たとえば、「スレッジ地方の森の中にある」というのが精一杯だ。しかし、ブローディア達はそれだけの情報を得、その数日後には『遺産』に辿り着いている。不思議だとは思っていたが、何らかの方法で――例えば脅すとか――表に出ないような正確な情報を引き出しているのだと思っていた。
「・・・・なにが、言いたいんですの?」
「ん?いやな、ある程度の目星は情報屋に頼んで、近くなればオレの眼が捜す」
眼帯に当てていた、氷を挟んだタオルをテーブルの上に静かに置いた。まだ痛みは引いていないようだが、痛みのピークは過ぎたようだ。
「え?」
「オレの眼な・・・―――『遺産』、なんだ」
呟くようにそう言うと、ゆっくりと指先で眼帯を撫ぜる。
「だから、魅える。オレの意思もお構いなしに、嫌でもな」
「・・・気付かなかったわたくしってマヌケかしら?」
「マヌケではないが、鋭くはなかったな」
投げかけられたアルフォデルの言葉に、ブローディアは一瞬だけ項垂れる。確かに、と。二人は信頼に足る人物だとは思っているが、いつから・・・こうも簡単に警戒を解いてしまっていたのだろう。「おかしなものね」と、ブローディアは内心ひとりごちた。
「で、他に聞きたいことは?」
カラーの右目が笑う。横に座るアルフォデルも同じように笑っている。まるで、ブローディアを試すように。それならば、と、ブローディアは口を開く。
「ねぇ・・・それって、いつも見えるの?」
「いつも魅えるわけじゃねぇよ。そんなことになったら、軽く狂うね」
「どうして、そんな面白い眼になっちゃったのよ?」
「・・・まぁ、それはあんまり言いたくねぇわな」
一瞬だけ深い青の眼が辛そうに細められる。それを見逃さなかったブローディアは、
「・・・ゴメン、訊かないわ」
と、すまなさそうに首を振った。そんなブローディアの態度に、カラーが嗤う。
「なぁ、キモチ悪いとか思わないわけ?」
自嘲的に、左眼の眼帯を触りながら。
「そうねぇ・・・あんまり。眼帯姿のカラーなんて見慣れちゃったし。・・・そう言えば、外した顔って見たことない・・・ような気がするんだけど?」
ブローディアの疑問に、短く「まぁな」と、だけ答える。現に今もタオルで左目を抑えているし、倒れた時も善意でブローディアが外そうと手を掛けたが、眼帯自体に特殊な術でも仕込んでいるのか外れたためしはない。
これも触れてはいけない事だったのかも、と気付いたブローディアはそれ以上の追求をやめた。
「月並みだけど、私は今のカラーしか知らないし。別に何が変わるわけでもないでしょ」
ブローディアは赤い瞳を細めて笑った。
「そっか、ありがとな」
予想外の答えだったのだろう、カラーは困ったような、しかし嬉しいような、どちらとも取れる笑みを浮かべ、最後はただ純粋に微笑んだ。
側で途中から一言も発しなかったアルフォデルが、少し安堵したような表情を見せたのも、気のせいではないだろう。
少なくとも、二人に少しだけ近づけたような気がした。その事がブローディアの中に余裕を生み、自然と口に出る。
「では、彼女を助けに行きましょうか」
クサギの行方が知れないと聞いた時には、決して出なかった台詞が、だ。
そんなブローディアの小さな、そして確実な変化にアルフォデルとカラーは少し驚いたように顔を見合わせる。しかし、少し気まずそうにアルフォデルが首を振った。
「いや・・・今日は駄目だ」
「え、でも場所がわかるなら、早い方がよろしいのでは?」
「・・・明日の昼、だそうだ」
唇を強く噛み締め、そして開く。
簡潔に、しかし自分が不覚を取ったことだけは巧妙に隠しながら、あの男との話のあらましを二人に伝えた。
「しかし、少女と、魔族と・・・おそらく『遺産』・・・か、ホント嫌な組み合わせだぜ」
アルフォデルから事のあらましを伝えられたカラーは、そう呻くように呟いた。
「なにか恨みでも買うような事をしたんじゃないでしょうね?」
「バーカ、そしたら、オレの方にくるだろうが」
ましてや、こんなにも弱っている男を放ってはおかないだろう。
「俺に用があるのだろう、ヤツらは」
「あ、そんなつもりじゃ!」
「いや、魔族には・・・俺も借りがある」
フッと口許を歪め、アルフォデルは人知れず呟く。
仲間達も聞き取れなかったようで、ただアルフォデルの顔を見つめることしかできなかった。
「・・・アル様・・・?」
「なんでもない」
二度言うつもりは無いと言うことか。ブローディアはすぐに理解し、そして思考を切り替える。
「でも、いまさら魔族なんて・・・」
視線を落とし、ブローディアは言葉を閉ざした。
当然だ。魔族は200年前の魔王アカンサスと聖女マリー・ゴールドの戦いのおり、その身を封じられる代わりに、人間への不可侵条約を交わしている。
元々、静観を決め込んでいた神族、妖族とて同じ事。つまり、4つの種族が互いに領地を侵さない事で、今の世界は落ち着いているのだ。
「魔族のくせに契約を破れるとは、な。・・・オレはそっちの方が感心するね。一体どんな魔法を使ったんだか」
「・・・普通は、破れないんですの?」
「ああ。魔族は契約を交わせば、それを反故にする事が出来ない。たとえ、それが口約束だったとしても奴等にとって契約は絶対。違えれば苦痛が、そして、遅かれ早かれ例外なく死が訪れるようになっている」
「けど、それを払ってでも、アルフォデルにチョッカイかけたかったってわけだ・・・。その魔族は。しかも、ご丁寧に逃げられないように、人質まで取って・・・ついでに、『遺産』までぶら下げて。手の込んだコトしやがる・・・あ、でも、これで行かなかったらお笑いだよなぁ~・・・―――ん?あぁ、そっか、行かなきゃいいじゃん」
クツクツと軽薄な笑いを咽喉の奥で噛み殺し、カラーは言い放った。しかし、次の瞬間には、凍れる紫の眼と焼き尽くす赤い瞳がカラーを射抜いた。
「じょ、冗談だよ、冗談。さすがに、オレもそこまで非道じゃないって」
二人の視線に射竦められたカラーは手だけをパタパタと振り、視線を振り解いた。
「しかし、嫌になりますわね」
「カラーがか?」
「おい!アルフォデル、なんつーことを!」
「ええ・・・もちろん、それもありますけれど」
「あるのかよっ!冗談だって言ってんじゃん!」
「こちらも冗談ですわ。・・・嫌になるのは、カラーですら知っている事を、知らない自分の常識のなさ、ですわ」
「いや、お前は賢い。それに、この自体を飲み込めているということは、多少は知っていたという事だろう。・・・今は忘れているかもしれないが、な」
「そうでしょうか」
机の上に視線を落とし、手持無沙汰な指を遊ばせる。
「おいおい覚えていけばいい。協力は惜しまない」
「あ、ありがとうございます。アルフォデル様」
感激に打ち震えるブローディアを横目に、アルフォデルはもう一つ気になった情報を口にする。
「それからもう一つ。最近の連続誘拐事件のことなのだが・・・」
魔族の話を振るよりも遥かにアルフォデルの顔が顰められた。水車小屋での恐怖を思い出しているのだが、そんなことをわざわざ伝えることはない。
ただ、不思議そうな目が三つ、こちらを見ていた。
「二十代前後の人間の娘で、赤い目、魔力値が高いと言うのが被害者の共通点らしい。ヘタをするとブローディアが犠牲になりかねない。十分、気を付けろ」
「え・・・え?心配してくださいますの?」
「当然だ」
困惑したようなブローディアの顔が、アルフォデルの言葉で薔薇色に染まっていく。
「だ、大丈夫です!わたくしこれでも魔導師の端くれ!人攫い如きに遅れはとりませんわ!」
だからその魔導師の資質が狙われてるんだろうが・・・と、思わずカラーは突っ込みを入れたくなったが、今は黙って見ていよう。口を開くのも億劫だ、とひとりごちた。
「だが、万が一ということも想定しておかねば・・・夜は一人で大丈夫か?」
「大丈夫です!・・・夜は影渡りの獣あたりを喚んでおきますから」
そう自信満々に答える。欲を言えば、アルフォデルに守ってもらいたい。傍にいたい。けれど、そう思うだけ。我侭は言えないし、言う気もない。
それに、アルフォデルに言った通りブローディアには影渡りの獣という、守護者がいる。こちら側に留めておく為には魔導力と媒体が必要となるが、いつも通り自分の影に魔導力を定着させればいいだけのこと。ブローディアの意識が途切れても、己の魔力が尽きない限り召喚獣は決して離れることはない。
少なくとも、影渡りの獣をこちら側に留めておくことなど、ブローディアにとっては、呼吸をするようなものだ。
「じゃ、話もまとまったところで、オレは明日に備えて寝るわ」
ガタン、と、椅子を引いて、立ち上がる。
「あー・・・クサギちゃんのことは」
「主人達には俺から伝えておこう。お前は早く寝ろ」
シッシッと、まるで犬を追い払うような手つきも合わせて言い放つ。具合が悪いなら大人しくしていろ、という意味合いよりも、明日何があるか分からないのだから足を引っ張るようなことをしてくれるな。そんな感じだろう。
クサギを心配するのもいいが、少しは仲間のことをもっと気遣えよ、と内心毒吐き肩を僅かに竦めた。
そして、眼帯を押さえつつ、ブローディアに向き直る。
「何よ?どうしたの?」
「なんでもねぇよ、おやすみ」
「え、ええ。おやすみなさい」
怪訝そうに向けられた赤い目に嗤い、逃げるようにカラーは階段を駆け上った。
残されたアルフォデルとブローディアも、明日の事をニ、三確認した後、各々の部屋に戻っていったのだった。
―――・・・そして、日は昇る。
生憎と、曇空だったけれど。