私=全世界
大学一年の頃からの知り合いのAに入学当初から彼女がいることは知っていた。なにかのはずみで、高校の時の彼女が忘れられないとAが言うのを聞いてから、私たちはよく会うようになった。
Aはよく気の利く男で、Aが心残りにする彼女という存在に興味はわくのは自然なことだった。
SNSのアイコンにしている集合写真に前の彼女がうつっている話を聞いたのは、数度体を重ねた後のことだった。彼女はAのそばで柔らかく微笑んでいたが、特別際立った美しさがあるわけでもなく、特別際立ったスタイルでもなかった。ただきっとその小さな身体にAの求めるすべてが入っているのだろうと思った。
Aはふとした瞬間にその彼女を求めているらしく、Aが思い出をぽつりともらすたびに生活の隅々に彼女の息づきを感じていた。
ある種の羨望と嫉妬、畏怖を持って私は必要以上にその深い闇を覗き込もうとはしなかった。私はただAの求めた時に体を預け、さらに言えば私が求めた時にAも応じるだけだった。
そういえば、と同じく入学からの知りあいの言葉を思い出す。
君はまだ、本当の恋愛をしていないから、そんな風に言うんだよ
当時20にもならないやつが何を知った口ぶりで、と思ったが実際どうにも私は恋愛が苦手だった。
顔は普通、体型も普通、話も面白くないことはないだろう。
ありがたいことに求めた時に恋人という存在ができなかったことはなかった。妥当や計算など様々な問題に一切目をつむれば、決して周りからみて私は不幸な少女ではなかったと思う。
真白な肌、細い手足、ひょろりの高く猫背気味の背、
どこをとってみても私の恋人とAは正反対で、ただ恋人の外見に特別の愛情のない私には大きな問題ではない。
健康的に焼けた腕にはほんのりとついた筋肉の上に新しく張った脂肪が薄く乗っている。
二人の腕に私の頭を乗せた時の視界の差を楽しむほどの余裕もそのうちに出てきていた。
彼らにはほとんど接点はなく、ただうすぼんやりとした男の影を私の恋人はじっと見つめていた。彼が私を攻めるでも問い詰めるでもなく淡々と自らの愛を語ってみせた時に、いよいよ私は自分が半分自らの恋人に愛想をつかす段階にまで進んでいることを知った。
今となっては私の恋人に魅力はほとんどなく、しかしAを恋人にするような魅力もなかった。
つまり、Aは他人のものであるからこそに魅力的な男で、私はひどく傲慢で我儘な女だった。
「私、手の届く範囲しか愛せないみたい。」
別れるという選択をするべきだろうかとぼんやり考えながら私は恋人に向かってそう切り出した。
一流企業に就職の決まったと報告をしたばかりの彼は、その言葉をしばらく咀嚼し、やがて吐き出した。
「地方にでも飛ばされたら大変だね。」
わかってない、とため息を隠す。私たちはもう終わりに向かっている。私たちは今この瞬間、ついさっき体を一つに重ねて、そして離したあの瞬間から、私たちは一直線に終わりへを走り出している。
そうね、と気のない返事をしても、彼の耳には伝わっていない。
今私の手の中にあるものは何だろう。
私は今何を全力で愛せているだろう。
一人でいる時には必ず聞く音楽。お気に入りの写真集。ブランド物のバッグ。お金をかけた服。
そんなものすべて捨てられたってかまいはしない。もちろん困りはするけれど。
本当の恋愛
それがもしも、誰かを一番に愛して誰よりも愛してキスをして抱きしめてほほをすりよせて、そして離れれば思いを馳せて身を案じて祈るようなものなら、私にはきっと一生できないだろう。
ほんの数日前にAが私を引き寄せたベッドで、彼は同じように私を引き寄せて髪を撫でた。
今は私は彼のことがまぎれもなく好きだ、そうして最後の皮膚一片が離れる瞬間まで、心を引き裂かれるように彼を思うだろう。しかし完全に二人が二人となったその時から、私は確かに私だけを見つめ、彼はどこか遠くの方で私を見つめているだけなのだ。
会えば必ず身体のどこかを触れさせるAは、彼よりも格段に私を知っていたのだろう。さよならのキスと同時に私たちはまるで何もなかったかのように離れ、そうして心に何かさみしげな空洞ができた時にまた都合よく埋め合わせをしようとインスタントな愛を持ち出す。
素敵な世界だわ、とつぶやいた声は、彼のキスで潰された。