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続き
アールヴが去って3日。
俺はいつも通りの日常生活を送っている。
「ローランド、いるか?」
ノックと同時に聞こえてきた声は、兄のレオナルドのもの。
珍しい。俺の研究室に来客が来るなど。ん?初めてのことか?
「何か?」
「・・・・入れてはくれないのか?」
ふむ、客はもてなすものだな。
俺はカギを開け、兄を部屋に招き入れた。
「相変わらず研究に明け暮れているのかい?」
「ああ、まだまだ知らないことが多い」
「で、何も食べてないんだろ?」
言われて気づく。最後に食事をとったのはいつだったか?
最後にアールヴと会った日だろうか?
今気づいた、という俺の様子に、兄は苦笑いを浮かべ手にしていたものを差し出した。
「研究結果を見る前に餓死する気か?」
「まさか?結果を見れないのに、研究する人間がいるのか?」
そこにあったのは、片手で食べられるようにパンに具材を挟んだものだった。
研究の片手間に食べられるように、アールヴがいつも用意してくれていたもの。
うむ、いなくなった人間のことを考えても意味がないな。いや、アールヴは人間ではなく、森の民か。
「で、研究は進んでいるのかい?」
なんだか気持ちが悪い。風邪だろうか?研究は体が資本だ。あとで医者に診てもらうか。
「正直、はかどっていない。この3日の間、得られた知識は皆無だな」
実験はどれも失敗続き。単純なミスが続いている。
疲れているのだろうか?
そういえば、アールヴがよく言っていたな、適度な睡眠と食事、それが脳を働かせる一番の栄養です、と。
ふむ、今の俺は確かに健康ではないのかもしれない。なかなかパンが飲み込めないのもそのせいだろう。
これでは、俺の得たいものが得られない。
「悪いが兄上、今日はもう帰ってくれないか」
「ん?どうした?体調でも悪いのか?」
「ああ。どうやら俺は健康を害しているらしい」
「へぇ~、どこが悪いんだい?」
「この3日間、俺は注意力が低下していた。体に必要な栄養素である食事を、この体は拒んでいる」
兄に言いながら、俺は頭の中で医学書を広げる。この症状に当てはまるのはどんな病か?
「それは、本当に病かな?」
「??どういうことだ?」
兄の一言に、俺は興味をひかれた。
「お前は3日間、といったね」
「ああ」
「それは、お前の傍にアールヴがいなくなってからということだろ?」
そう、かもしれない。
「今まで、アールヴはお前の近くに常にいたからね。環境が変わったせいじゃないかな?」
「なるほど、確かに。では、アールヴのいない環境に順応できれば、この症状は治まるのか」
「順応、できるのかい?」
「できる、できないの問題ではない!」
「どうした?声を荒げるなんて、珍しいじゃないか?」
なんだ、このもやもやは?
「アールヴは森に帰った。あの植物は、森の民のものだった」
「それで」
アールヴが言ったのだ、人の手は借りたくない、と。
森の民と人間の間には溝がある。
それは、はるか過去の因縁による。
「アールヴはもう、戻ってこない」
「それで、お前はいいのかい?」
「いい悪いの問題では・・・」
「問題なんだよ。お前の心の、ね」
俺の心?
心?
そんな不確かで、目に見えないものを、問題にするなんてばかばかしい!!
「兄上、質問の意味が分かりかねる!!」
「いや、わからなければいけないんだよ」
どこまでも穏やかな兄の声が、癇に障る。
「お前の生い立ちを、今の境遇を俺は知っている。今のお前を生み出したのは、確かに過去の出来事だろう」
「・・・・・」
穏やかな声。あの時と同じ。
俺は、知らないうちにこぶしを握りしめていた。
「でも、もうお前は子どもじゃない。知識以外、なにも執着しなかったお前が、初めて執着したものを、俺は取り上げなかっただろう?」
「・・・・・・」
初めて執着したもの?
「お前は頭がいいからな。自分の存在が、人にいい影響も悪い影響も与えることを知っている。だから、知識の世界に没頭した」
俺の母は、兄の母より王家に近い血筋だった。
「でも、いい加減大人になれ。人がどれだけ嫌いでも、お前は人なんだよ」
打算も計算も、下心も、みんな嫌いだ。
ふつふつと湧き上がってきた何かに、俺は歯を食いしばるしかない。
「お前にも、心はあるんだよ。醜いものも、美しいものも」
心?そんな不確かなもの・・・・・
「お前は、アールヴがいなくなっていいのか?もう二度と会えなくても、今まで通り生活できるのか?」
『ローラ、いけません』
『ローラ、食事は摂らなければ研究に差しさわりますよ』
『ローラ?』
打算も計算も、なんの下心もなく、俺に触れた最初の人。
あのまま、本当は死んでもいいと思っていたのに・・・・。
『あの時あなたが口にしたのは、ただのしびれ草です。私が解毒しました』
ぶっきらぼうに言う少女の顔が、迷惑と大きく書いてあった顔に、俺はあの時、初めて、人に対して、ほっとしたんだ。
「だが!!どうしろと!!アールヴが望んだんだ!!人の手は借りないと!!」
「だから手を引くのかい?」
兄の言葉に、イライラする。
「アールヴが望んでいる!!」
「お前は?」
俺は?
「俺は!!」
「俺は?」
「俺は!!」
「お前のしたいことは?」
俺のしたいこと?俺の望み?俺の望みは・・・・。
「俺は・・・・・」
俺の望みはただ一つ!!
「俺は、あの植物を研究したい!!」
そうだ!!俺は知識がほしい。
あの植物を研究したい。そもそもそう思っていいたんだ!!
一気に視界が晴れた気がした。
「兄上!!」
「・・・・あ、ああ。なんだい?」
俺の勢いに押されたのか、のけぞる兄に俺は迫る。
「あの植物を手に入れてくれ!!」
「あ。アールヴは人の手を借りたくないって言ったんだろ?」
「別に手を貸すつもりなどないさ。俺は俺の知識を増やすだけだ!!」
ふむ、さっきまでのもやもやはもうない。やはり病ではなかったようだ。
そうとなればいろいろと準備をしなければ!!
輝きだした瞳に、兄は思う。
(すまん、アールヴ)
晴れ晴れとした弟を前に、兄は心の中で詫びるのだった。
ああ、文才がほしい。