アルセルドの日記、3
懺悔なのか、訓戒なのか。正直よく判らない気持ちがもやもやと容を為せないでいる。さっき気付いたのだが、僕は人の機微を悟らないように。疎く鈍くいるように努めていた、ただ模型として彼・彼女等に心の在処を悟らせないで欲しいと願うように為った。何も理解したくない、誰とも傷つかず争わずに自己本位に生きたかった…
今では何気なく身に付いた少しばかりの技量も達人の域には至らない。趣味の範囲を超えられないものだった。けれど、僕はそれを是とした。「絵描きに為るといい、」と馬鹿馬鹿しい期待を抱いた母の眼差しが憎かった。過去は継続している、今でも本の少しばかりあの言葉が憎たらしいのだ。母の親は看板を造るのを生業にし、絵もまあそれなりに上手かった。だが、高尚な画家共と並べるには足りないし。僕と較べるには幾らかも上だった。
僕の絵心というやつが唐突に向上の気配を見せ始めたのは、記憶している限り思春期手前だった。周囲の朗らかさとは反対に陰鬱とした熟成期間を得た僕はそれ以来あまり成長していない。だからだろう、級友が僕を変わらないと評したのは案外的を外してはいない。
母は厳しかった。彼女の理想に沿わない職は真っ向から否定した。僕もそれがわかっていたから、本当に遂げたいと思う本心を吐き出したことは無い。もし、それすら否定されたらと考えて…。いや、そもそも僕が真に欲する職なぞ此の世にはない。遣り甲斐も、達成感も、継続性すら身に付かなかった己に賄える楽な仕事なんぞあっては為らないのだ。
色々試してみたいこと、挑戦してみたい可能性は数多有った。
しかし、それら全てに手をのばすには資金も精神的心の余暇も何もかもが足りなかった。少ない手元で満足する、それは清貧を尊ぶ聖職者の教えであって。僕には鵜呑みに出来ない話だった。折角、入れてもらった職を学び直接鍛え上げる学び舎も僕は逃げ出してきたのだから。
何故、生かすのか。親という情理に胡坐を掻いていられるほど僕は絆を感じて居ない、母親は日々を齷齪と過ごし偶の癇癪を頻発する程度には追い詰められていたし。鬱屈した僕を他の子らは容赦も寛容もしていないことだけはひしひしと染みるからだ。長子として敬わない彼らにはじめは怒りを感じたがよくよく振り返れば、僕は年長者らしい責任も度量も優しさも果たせず用意してすらいなかった。
地に生れ落ちて幾年経っているのか。その区間一体僕は何を見出したというのか。
“本当に何の為に、生まれた?”