アルセルドの日記、
読了後、気分を害しても何ら責任は負いません。悪しからず?
皆様方、自己責任という言葉の意味を理解承知の上で目を通すように。
退屈な御話ですが暇潰しにでも一役買えれば幸い。
(上記は念のためですので、一応留意下さいませ...)
『助けて、』とこころは何かに縋りたがっているのに。
僕は惨めな自分を笑うことが生き甲斐なんだ、現状に甘んじて何が悪い。
自分の価値はそもそも消失しているし、頼るだけ信じる人間はいない。
結局、自分の冷静さを維持するだけの理性のみは冴えているのかも知れない?
鬱屈は良き友だ、幼少期といっても学び舎に上がっている年齢では有ったけれど。気付けば泣いていた、ぼろぼろと毀れる涙は見っとも無く。誰も傍にいない時に決まって必ず、懺悔するでもなく思い通りに行かない現実が辛かったんだ…
久々にすれ違った級友に『・・・は変わらないね』と声を掛けられた。けど変わらないのは君のほうだろう?何ら判っていない、凄く愉快そうだ羨ましい。正義を愛していた僕は何時からだろうか。膝を屈するでもなく蹲ってばかりいた、
はじめは。一は僕だって楽しかった、一時の錯覚でも皆と似たような状態。否、それよりも病状は重かった。何も疑わなかった、心に素直でただ仲の良い子とずっと遊んでいたい、それだけだったんだ。友人に疑惑の目を向けるのは、それだけで苦い。
周囲はやがて闘争の渦さ、他人を敵か、味方かで判別しなければ安寧を得られない僕は。ついに親友を得ることが出来なかった。こんな自分にはそもそも勿体無い理想を捜し求めたって、上手く行くはずがない。そんなものは判っているし、理解しているんだ。卑下する時点で己が価値を保証する自信とか自尊心とか、は。ズタズタで使い物に為らなかった、
精神の問題は当然の如くに人体に影響を及ぼすようになるだろう?これは当然の通りだ。僕はよく我慢した方だと思う、一応成人手前に折れることは無かったし…。
唯、興味本位で挫折を選んでしまったのは失敗だった。『忍耐』とか『義務感』とかで只管自分を平常から外れる事を拒んでいた何かは。そのとき敗北を悟ったらしい、立ち上がる方法を、再起する方法を永劫に忘れていたのだから。と言うよりは、実際のところ途から外れて路頭に迷った僕は。誰の助言からも耳を塞ぐように為ってしまった、もとより尋ねる口と言うものも最初から無かったのだけど。