物書きの杞憂8
『夢の感触』
おい、それじゃあ本末転倒、見誤って悲劇の王は何も報われないだろう?
しかも文末に、幽霊として態々ディアーリに会いに行って励ましてるし、私はもう役目を降りてここに居るのに釈然としない思いは沸々と煮え滾り…―おや、丁度いいと、私は無意識に手を伸ばしていた―何故か隣で眠るディアーリの顔を抓っていた。目一杯に力を入れて抓ったから、少し手の下の頬が赤らんでいるのがわかる。痛そうだな、と思いつつも止めないで自分の手を抓った、彼には無関係の私なりの贖罪だ。
他人はよくこれを止めようとする、―無感動に痛みに耐えるだけの私を―見せつけられても嫌な気分になるだけだから、仕方ないと目の前から移動した私。他人の目を気にしない場所まで追ってくるのは何か執念深いものを感じて慄いたことが度々あった。
一週間で彼の青年期は堪能した、惜しいことに幼少期は王を主軸にしていたので珍しい配慮のようにも思われるが。悉く私の好みを外している―何故、そこは私が主役なんだ!!もっと、ディアーリについて述べろよ!―溜息をついて、三度閉じる。まあ私の読み方が悪手だったのだろう、章の題名で面白そうな場面から始めてしまったから。後回しにしていた、“悲劇の王”とか数ページに亘って私の配役に彩色が揮われている。
けれど、夢でまどろんでいた手前だ、自分の心理など掌握済みなのだ。あまり深く読み込んでも面白い記述は得られないだろう。ああ、はやく起きないかな、彼。
如何にも彼が起きないと、部屋を出ることが叶わないらしいから。
若しかしなくても、一緒に持ち出そうとした本が原因かも知れないけれど。これは余程のことでも無い限り譲りたくはないのだ、久々の収穫なのに現実と乖離した物質であろうと知ったことか。三日費やした、終局に向かう物語はその密度を増した気がする。
けれど、私の手が止まることはなく。最後幾つかの余白を残して、彼は大往生を演じた。子供や孫、遠縁や幾多の親戚、挙句には曾孫まで…。随分と子沢山だ こと、呆れるよりも凄いことだと素直に思った。だって、彼は微塵も疑いもしなかった、最期までそれが現実だと一度も懐疑しなかったのだ。
羨ましいなどと、言っていられない。もうすぐ、彼が、ディアーリが起きる時間だ。
私は頬を流れる感触を素知らぬ振りをして、拭い取った「おはよう御近所さん。」一週間と三日と八時間目、彼御近所さん改め人間不信は目覚めた。