物書きの杞憂2
『彼岸の君』
上記に他意なし...
「ええ、その“アヴェリ姫”が、です」十数年も前のことは覚えが無い私。実際には二十一年と数時間前、生後何ヶ月だったか。それくらいに娶わせられた御姫様がいた、記憶の隅にも掛からないほど遠くの昔だ。ただ、姫と言われて一番に思い出せたのは、彼女の家がこちらに反旗を翻したおかげでそもそも縁談自体無に帰したからだ。世話係として傍に侍った婆がよくよく聴かせてくれたのだ。『きっと、何時の日か見当もつかないけれど。碌なことに為らないでしょうから』と教えてくれたのだ。
そして、その婆の予言めいた確信は的を射ていた。『それと―人差し指を私の目頭あたりに浮かせ―決して彼女と結婚してはなりません、何故と仰いますか。彼女はあなたと係わり合いに為るだけで“禍星”の生まれになるのです。致し方有りません…』
心苦しそうに顔を歪める婆に何と言ったら良いのか。私は言葉に詰まってしまった、
漸く現在、落ち着いたのに彼の姫が登場するとは…、多少厄介である。今の私は王ではないが、だからと言って好き勝手行動して良い自由身分でもない。もぬけの殻になった空虚の城に行儀よく腰を据えるのが我が役目、彼の姫個人に思惑は無くとも影響力がないわけではない。彼女の家は滅んだ、先に言った反旗云々の件、そして幼い姫に責任を追及するほど忌々しい事件でもなかった。まあ、何と言うか取るに足りない話だったのだ。当時 五六歳の娘に何が出来る、個人的感情の瑣末に付き合いきれない。「姫には帰っていただけ、大人しく安全な我が家(幽閉のための城)へとな」意地悪く笑う私にディアーリは珍しく労しげな顔をした。
「稀代の詐欺師の言葉を鵜呑みに為さる必要はもう無いのです、」如何もディアーリは彼の姫に思い入れがあるらしく事有る毎に私に押し付けようとする。だが懸想してのことではない、最も厄介なことに一度もその顔を見たこと無い私が恋患っていると履き違えているのだ。一体、この男は何故そのような誤りを認めようとしないのか。
そして彼が魔術師と言って譲らない婆はもう―、それが堪らなく寂しいはずなのだが。感情の著しい起伏を封じられた私には、何処か足りないような欠落感が横たわるだけで、人間味らしい機微は長年蘇ってはこない。