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唐突に、  作者: 紅
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アルセルドの日記。小話色々...


 日常にふと、薫る女性職員の気配は酷く居心地がいいけれど。その度に哀しくなる、彼女は若く卒がなく欠けたものが見当たらない。此処の住人は皆、白衣着用の義務が無くともそれを羽織っている。立ち姿の美しい彼女は白衣ですら装飾ファッションの一部だった。

 「へえ、(やはり)恋人が居たのだね」世間話をしている序に思わずと言った具合で饗された内容に彼女が頬を赤らめた。薄々予想通りだが、何故か無性に物悲しい。今日は職務放棄げんじつとうひしようと牙城を崩す。滅多に掃除しないから、世話焼きの彼女が整理してくれる。だが、それでも足りず飛散しないが圧迫感を生む束に挑んだ。


 敢え無く失墜した―。「教授、好い加減まめに掃除するか。秘書を雇ってください、」


 役職に関係なく私は“教授”だの“先生”だのと呼ばれているらしい。つい最近知った事実だ、部下の男が「そういえば先生の御名前って、何でしょうか?」と真顔で訊いてきたので気付いた。教えた傍から「でも長くて覚えられる気がしないので、」と呼び方を改めようとはしなかった…


 「わ、判った!次からは掃除するから。今日だけは勘弁しておくれ…」意気消沈する私に同情したのか追撃はなかった。少し安堵して息をついたとき、「それと先生。あの子にアルセルドのことは禁句です」彼女が顔を寄せ小声で言ったことが暫らく咀嚼できなかった。「幸いにも碌に覚えてないようでしたので、今回は報告の義務も有りませんが―」とそこで通りがかった部下の男にも同じように仔細を話しているようだった。

 ゆらりと覚束無い足取りで出て行った私に遠慮したのか、引き留める声は聴こえなかった。と言うより、ふらふら歩いていて気付けば雑木林のなかにいたのだ。早退するにも手ぶらでは心許無いと職場へ引き返した。


 未だ白熱している蛍光灯。無人だったが、あの二人も何処か昼食にでも出掛けてしまったのだろう。遅々《のろのろ》と支度していると、見知らぬ人影が部署内をじろじろと覘いている。目が合うと会釈し、その人物は廊下の先に歩いて行った。街で見掛けるような服装の若者だが、仄暗い雰囲気が何とも言えず。

 冷えた手先で急遽荷物を引っ手繰り年甲斐も無く、走った私は通用口へと一目散だった。そこで―正確に言えばその中途で―愉快そうに談笑する男女が目の端を掠った、小さな庭園のベンチで弁当を拡げ仲良く食事していたのだ。それだけなら特に記憶にも残らないのだが。彼女と似合いの恋人(しかも先程の若者)がはばかり無く相手の口へ食物を運んで遣るのに、らしくもなく号泣してしまった。走っている内に水滴は乾いたし、汗だと言い張れば苦笑した警備が「急激な運動は控えて下さい。先生も御年なんだから」と笑った。


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