歩兵は森に侵入する
遅くなりました
翌朝。見張りの時間帯が最後だったため、早い時間に起きたフィムルは眠気をこらえながら森の方を見つめていた。彼の後ろには背中合わせで兵士がおり、彼は反対側を見張っている。最初は荒野の方角を見張っていたフィムルだったが、あまりにも変化がないために交代を提案してみたのだ。ある程度話して仲が良くなった第一歩兵隊の兵士は快く了承してくれ、風で揺れる木々の梢を眺めていたというわけだ。
「……変だな」
フィムルの口から呟きが漏れる。何か、違和感がある。具体的に言葉にはできないが、シュトウルの森からは不気味な気配が漂ってくる。これが三大秘境の一つ、とフィムルは恐れから来る震えを押さえつけた。呟きは後ろの兵士には聞こえなかったようで、そのまま二人は何事もなく見張りを過ごした。
やがて早起きの兵士たちが起き始め、それぞれがモソモソと携帯食料を口に運ぶ。砦の食事はお世辞にも旨いとは言えないが、この土のような携帯食料に比べたらマシである。フィムルも背中のバッグから支給されている携帯食料を取り出すと、目線を森から逸らさず食べた。まったく美味しくないため、ゆっくりとだが。
「交代の時間だ」
「はい」
背後の兵士が呟いたのを聞いて、フィムルは返事をして立ち上がる。やがてこちらに歩いてくる二つの人影を確認した。やや小柄なのは、フィムルの友人でもあるコムだ。その隣を歩くのは第一歩兵隊隊長キリグの副官であるギリー。軽く口論をしながらこちらに進んでくるが、口論はわりと見慣れた光景になりつつあるのでフィムルは普通にスルーした。
「ギリー副官、ご苦労様です! 北方向、南方向、ともに異常ありません!」
「ああ、お疲れ。このあと、午後から森に入る。しっかり準備しておけ」
「はっ、失礼します!」
ともに見張りをした兵士は敬礼すると、フィムルを促して立ち去った。基本的に見張りは二人ひと組で行うが、まさかギリー副官とコムが見張りを、と思ったフィムルはついついギリー副官を凝視してしまうがギリーは気にした様子もない。
「では、私も失礼しますギリー副官!」
「ああ。お前もきちんと準備して、足手まといにならないようにな」
「は、はい。頑張ります!」
フィムルも慌ててギリーに敬礼をすると、見張りをともに行った兵士のあとを追った。このあと二人でキリグ隊長に見張りの任が交代したことを伝えに行かなければならないのだ。走り去ってゆくフィムルの背中を、ギリーとコムがじっと見つめていた。
「コム、お前から見てフィムルはどうだ?」
「いい奴っすよ。まあ、あんまり兵士に向いてるとは思わないっすけど」
「ほう」
信頼し合っているように見えたフィムルとコムだが、とギリーは眉を寄せた。どうやらコムも、彼に兵士の才能がほとんどないことを見抜いているらしい。友情や愛情は人を見る目を曇らせるというが――コムはしっかりとフィムルの本質を掴んでいるようだ。
「あいつは、頭がいい。ギリー副官ほどじゃないかもしれないけど……それでも、軍師とか指導者とか学者とか、そういう立場に行くべきだったんだ」
「あいにくだが、そういう立場になるには高度の教育が必要だ。読み書き計算だけではない、知略を考える頭もな」
「あいつの実家に、そんな財力はなかった。本人もしがない宿屋の息子だって言ってたしな。俺だってなんの変哲もない農民の出だ。ギリー副官には悪いけどよ……」
「もう決めたことだ。俺の格闘術……全てお前に託すぞ、コム」
「……わかったよ、師匠」
コムは内心でフィムルに謝る。
わりぃな、フィムル。俺は先に行くよ――。
二人は見張りを行いながらも、流しの訓練を始めた。
それからしばらくして、なんの異変も起きなかった軍勢はゆっくりと森へと歩を進めた。歩兵隊のペースに合わせなければならないことに、騎兵隊の面々は苛立ちを募らせていったが、まさか騎乗したまま森を探索するわけにもいかない。地面で戦うことに慣れ、かつ幾度も魔物と交戦したことのある第一歩兵隊と別れるわけにはいかなかった。
「なーんか嫌な予感がするな」
ネチモの呟きは前を歩くイルミナが拾い上げた。
「ネチモ、無駄口は叩くなと言ったはずですが?」
「まあそういきり立つな、イルミナ。どういう感じだ、ネチモ?」
意外にもイルミナにストップをかけたのは、第一歩兵隊隊長のキリグだった。突然のっそりと現れた巨体にフィムルが怯むが、誰も気にした様子はない。
「おう、キリグの旦那。どうっていうかよ、こう、落ち着かねぇんだよ」
「どこからだ?」
「……森からだな」
「なるほど。ネチモ、いざという時はお前が第一歩兵隊を率いて退け」
「は!?」
「俺とギリーの奴が指示できなくなったら、ってことだ。そうそうそんなことは起きないと思うが……俺もどうも、嫌な予感がする。お前と同じ、あの森からだ」
「お言葉ですがキリグ隊長。このちゃらんぽらんの言うことなど信じない方がよろしいかと」
「おい誰がちゃらんぽらんだ、この生真面目エセ騎士」
「なっ、無礼極まりないですわね!」
「お互い様だろーが!」
フィムルはかなり近くなったシュトウルの森を眺める。フィムルが見張りのときに感じた違和感は消えていない、どころか近づくに連れてどんどん増していた。フィムルは煙をあげそうな自分の頭をフル回転させて、その違和感を正体をつかもうと考える。
(この違和感は感覚的なものだ、あの森は何かがおかしい……)
何がおかしい。考えろ、思い出せ。子供のころ遊んだ小さな森と何が違う? 普段砦から眺める森と何が違う? それが違和感の正体だ。
考えに考え抜いたフィムルは一つの結論に辿り着いた。いまだに言い争いを続けるイルミナとネチモを面白そうに眺めてたキリグに向けておそるおそる声をかけた。
「あの……」
「ん? フィムルか。なんだ?」
「あの、キリグ隊長とネチモさんの悪い予感の正体、わかったかもしれません」
「「え?」」
その言葉を聞いたイルミナとネチモの言い争いがやむ。イルミナはまさか、という思いから。ネチモはただ興味から、だがフィムルの言葉の一つ一つを聞き逃すまいと。
「言ってみろ」
「――あの森、静か過ぎます」
フィムルは端的に言った。自分が何回か訪れた地元の森はもっと鳥や兎などの小動物が出す音でざわめいていた。だがあの森からは木々の葉擦れの音しか聞こえてこない。鳥の鳴き声などが一切伝わってこない――近づけば近づくほどその違いは明確になっていった。
「静かすぎる……」
「はい。どうして鳥の鳴き声が聞こえないのでしょう?」
「確かに……この時期なら、あいつ……エリネイオンが繁殖時期のはずだぞ」
「あっ……」
エリネイオン。ただやかましい鳴き声を出すだけの害のない魔獣の一種だが、その声は凄まじく響く。近くで聞くのとほぼ変わらない声量で泣き喚くので非常に鬱陶しいはずだ。まして今は繁殖期。毎年、砦に届くほどではないがかなりの大合唱をしていたのを、第一歩兵隊の兵士は覚えていた。
それがない。ことここに至って、イルミナも嫌な予感を覚え始める。
「静かすぎる、か。確かにな……警戒するように通達を出しておこう。助かったぞ、フィムル。お前の言葉がなければ『なんとなく』でギリー相手にゴリ押しするところだったからな!」
理屈よりも自分の感覚を信じることを信条とするキリグが大口を開けて笑った。フィムルが違和感の正体を暴かなければ、自分の感覚を信じてギリーにつっかかり、『なんかよくわからんが警戒しろ』という無茶な命令を出していただろう。過去何度かそういうことがあったことを知っているイルミナとネチモは、呆れ顔で自分の隊長を眺めた。
「よし、小休止終了。これよりシュトウルの森偵察任務に入る。総員警戒して配置につけ」
ギリーの言葉に全員が力強く、それぞれ思い思いの返事を返した。ここまで護衛の役割もあった騎兵隊は森に入れないため、森の外で待機となる。異変があった場合即座に騎兵隊に知らせ、騎兵隊がそれを砦に知らせるためだ。中には馬やドルムより速い魔物も存在するが、そういったものが来た場合は砦の見張りが対応するしかない。
「我らはここで待機。五人でローテーションを組み、変事に備えよ」
「了解!」
こちらは返事を揃えて、騎兵隊の面々が敬礼する。ドルムも馬も、それぞれ鳴き声を上げて自分の主人に同意しているようだ。フィムルはその光景に羨望の視線を向けながら、森に向き直る。目の前にしてみればその違和感は顕著だった。本当に、静かすぎる。
「気を引き締めねーとな」
「……ええ」
同じことを思ったのか、ネチモとイルミナも口喧嘩をせずにそれぞれの得物に手をかけた。ネチモは異国の武器、鎖鎌。イルミナはスタンダードなショートソードだ。障害物が多い森の中ではバスタードやロングソードよりもショートソードの方が優先される。普段はロングソードを使っているイルミナだったが、今回の任務のためにショートソードを支給されていた。もちろん自前のロングソードも持ってきている。
「足を引っ張るなよ、坊主。……いや、フィムル」
「はい……頑張ります」
ネチモ、イルミナ、フィムル。キリグは三人ひと組のチームに第一歩兵隊を分け、探索させることを決定していた。扇状に広がり探索を行い、異変があった場合はとなりのチームに伝えて即座に合流するためだ。
三人のチームが計六チーム。一チームだけが四人の構成になったが、このチームにキリグとギリーが所属して中央を進んでいくはずだ。ごくり、とフィムルは喉のつばを飲み込むと、暗く広がる森を見つめた。まるで人を呑み込むように待ち構えているように見えるのは気のせいだろうか。進んでいったネチモとイルミナに遅れないよう、フィムルも森に足を踏み入れた。
† † † †
一方その頃、砦では。二人の女性が、森の方向を睨んでいた。
「エミル、やってみろ」
「はい、師匠」
エミルは一気に空気を吸い込むと、呼吸を止める。今度は間違えない、という強い意思によって真紅の瞳が煌めいた。あれから何度か師匠と意思の疎通を行い、自分の認識が間違っていたことを確認した。『爆炎』は巨大な炎の塊を圧縮させ、一つの炎球を生み出すのではなく、複数の炎球の集合体であるということがわかった以上、もう失敗する理由はない。師匠は謝ってくれたが、これは口下手であまり喋らない自分に責任がある。
「『燃え盛る火よ、灯よ、緋よ。その身に宿りし力を解放せよ』」
エミルの右手の上に呼び出された炎球が、巨大化する。これを複数の炎球にわけ、それを繋げて圧縮させる。イメージに沿って魔力を流したエミルの頭上で、瞬く間に炎の塊が収束していく。
(早い……! いや、エミルの才能を考えれば当然か)
類まれに見る制御能力と発想力の塊。魔法の――天才。
魔法の深淵は努力によってのみ認められる、というのが信条であるイエリですら、目の前の小さな少女の体に秘められた才能を認めずにはいられない。
「『我の願いを聞き届け、その力を解放せよ』!」
エミルが投げ放った炎球は、着弾地点で数十の炎球に分かれ、周囲に熱を振りまいた。通常の『爆炎』よりも多少効果範囲が狭いが、許容範囲内だ。無事に『爆炎』を成功させた弟子を褒めようと、イエリは歩き出した。
だが、ふと気配を感じて立ち止まる。エミルの右斜め前方に何かがいる。ここは砦に近いとはいえ、外だ。完全なる荒野、見通しがいいというのにここまで近づかれるとは――。
その生き物の姿を確認したイエリの心臓が、一瞬止まった。
「エミル避けろおおおお!」
「え――」
その生き物は、醜悪な口を開け。ゴフッ、と奇妙な音を立ててその喉からあるものを吐き出した。とっさにエミルが回避行動を取ろうとするが、魔法に集中した直後の出来事だ、そう簡単にはいかない。
「くっ――エミルうううう!!」
「きゃっ――」
似つかわしくない可愛い悲鳴だな、とイエリは呑気に考えながら、魔法を編んだ。愛おしき弟子に危害を加えた魔物だ、完膚なきまでに消し去ってくれる。
「『移ろい彷徨う風よ、我が元にとどまりその力を貸せ』!」
やたら乱暴な言葉使いになってしまうが、今は仕方がない。突如局地的に発生した竜巻がその生き物を巻き上げ、空中高く放り上げた。耳障りな悲鳴に耳を貸さず、イエリは更なる魔法を紡ぐ。
「『大地よ、不変たる者よ。その意地を我のために曲げよ』!」
落ちてくる影に向けて、地面から三本の土の槍が伸び、突き刺さった。土槍は発動が遅いため、気づかれれば外してしまうが身動きの取れない空中なら問題はない。三本の槍が影を貫いたのを確認し、イエリは連続で手の上に炎球を呼び出すと、その五つを叩きつけた。悲鳴すら上げられずに消し炭になる影。
「……あの、師匠」
「ん、なんだエミル」
「今の、なんの魔物ですか?」
「キュリミだ。さぁさっさと着替えるぞエミル。やがて耐えられないくらいの悪臭を放つからなそのローブ」
粘液まみれにされたが、特に怪我などを負ったわけでもないエミルは、釈然としないながらも師匠に従ってローブを脱いだ。広がり流れる長髪に、イエリが目を細める。
「あーそっか。なるほどな……」
「あっ……し、師匠、この髪は……」
「いや、何も言うまい。私が替えのローブをとってくるから、ここで待ってろ」
「は、はい……」
エミルは恥ずかしそうに自分の髪をまとめて掴むと、乱雑にシャツの中にいれて見えないようにする。ローブはそこらへんに放り投げた。
エミルの背中まである長髪は、銀から空色に変遷する不思議な色合いをしていた。
魔物No.06 『ドルム』
体長4メートルほどの蜥蜴。四足歩行を行い、乗りこなすのはかなり難しいが、兵士のあいだでは丈夫でタフなため重宝される騎獣。馬と違い、自身でも噛み付くなどの攻撃方法を持っており、調教せずとも勇敢で敵を恐れない。反面、興奮すると指示に従わない場合があり、基本的に騎兵隊は七割が馬、三割がドルムといった混成で作られる。ドルムは体高自体は高くないため、歩兵と同じくらいの高さで高速で戦場を駆け回る。弓や魔法でねらわれにくいという利点があるが、歩兵に簡単に攻撃されるという欠点もある。卵より調教しなければならないため馬よりも値がはる。このあたりも三割ほどしか採用されていない理由かもしれない。肉食。野生のドルムは岩礁地帯に生息し、水を泳ぐこともできる。
キュリミに関しては一話あとがきを参考にしてください。




