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歩兵の英雄  作者: ノム
第一章 歩兵
8/22

歩兵は森へと向かう

説明回……かな。

 そして、偵察任務の当日がやってきた。結局あの穴は無事に埋まり、フィムルが予想したとおりのスケジュールが過ぎていった。休日にウーノとともに資料室にこもって情報を集め続けたフィムルは、森に生息する魔物の全てを熟知することとなった。もちろん未発見、未記載の魔物に関してはどうしようもないが。


「第一歩兵隊隊長キリグ」

「副官ギリー」

「第二騎兵隊隊長、シュリーニ・ガルド」

「副官ノベリ・ユン」

「第一歩兵隊、総員集合しました」

「同じく第二騎兵隊総員集合!」


 砦の前の荒地に、それぞれの隊長の声が響く。さらにそこに馬のいななき、ドルムの鳴き声が加わりそれなりにうるさい。フィムルは腰にぶら下がっているロングソードの重さに緊張しながら、一言一句聞き逃すまいと耳をすませた。


「リテドル・ヒューミだ。今回の任務は偵察任務。騎兵隊が先行し、森のなかは歩兵隊が探索せよ。魔物と遭遇した場合は殲滅もしくは撤退、随時砦に知らせよ。万が一の事が起きた場合は、なんとしても情報を持ち帰れ。命令は以上だ」


 簡潔に命令を下すと、リテドルは踵を返した。それを敬礼で見送ったそれぞれの隊長が自らの兵たちに指示を出し始める。戦闘狂にしか見えなかったキリグから的確な指示が出ていることに内心驚きながら、フィムルとコムはなんとか第一歩兵隊についていく。

 一緒に行動してみればわかる。第一歩兵隊の練度は、他の歩兵隊に比べて桁違いだ。全ての動きに無駄がなく、警戒も適度に行っている。緊張しすぎている自分やコムとはえらい違いだ、と苦笑するフィムル。


「よお坊主。キリグの旦那に認められるなんてたいしたもんだな」


 周囲を警戒しながら、前方にいた兵士が気軽な調子で声をかけてきた。第一歩兵隊の兵士だ、名前まではわからない。


「あぁ、俺か? 名乗るほどのもんじゃねぇけどよ、得物がこいつってことは覚えとけ」


 そう言って目の前の兵士は腰にぶら下げた武器を見せてきた。その風貌から四十歳手前ほどの年齢であるはずだが、全身からは若々しく荒っぽい雰囲気を放っている。強い、とフィムルは確信した。キリグほどではないが自分ではまず勝てないと断言出来る。そして改めて視線を下に落として僅かに目を見開いた。


「驚いたか? 鎖鎌ってー異国の武器なんだが、一目惚れしちまってよぅ。以来、こいつが俺の相棒よ」

「ネチモ! 武器自慢もほどほどにしとけよ!」


 ネチモ、と呼ばれた兵士は小さく舌打ちすると前に向き直った。終わったのだろうか、とフィムルが安堵するよりも早く、ネチモが声を上げた。


「おいおい、堅いこと言うなよイルミナ。新米の緊張をほぐしてやろうっていう粋な心遣いじゃねぇか」

「今は行軍中です。貴方がそのような態度だから騎兵隊に馬鹿にされるのですよ、少しは節度を持ちなさいな!」

「ひゅー、おっかないねぇ」


 ここで、フィムルはようやくネチモに注意していた声が女性の物であることに気づいた。珍しい、第一歩兵隊には女性兵士もいるのか、とフィムルが驚愕する。女性で一般兵になることは非常に難しく偏見もあり、その能力の大部分を才能に頼る魔法兵だけが唯一の例外。彼らはその身一つで自衛の手段を持っているからこそ軍に所属できるのだとも言える。


「そっちの子も、集中なさい。いつ魔物が出てもおかしくはないのだから」

「まあこんな見通しのいい場所じゃあ、奇襲もなにもないけどな」


 確かに、とフィムルは周囲を見渡した。遠くに広がる森は確認できるが、今歩いている場所はだだっ広い荒野である。資料室で読んだところによると、この荒地はかつてシュトウルの森を開発しようとした名残らしい。広大な森、シュトウルの森。未だにその森は踏破されておらず、この大陸の三大秘境になっている。


 未踏の森シュトウル。

 凪の海域フドゥー。

 闇の洞窟マザラム。


 この三つは未だに人間が踏破できていない広大な場所だ。未踏の森シュトウルは、奥に進めば進むほど異種族や魔物が立ちふさがるため開発が進んでいない。毒虫や毒草、魔虫や魔草の類も数が多く、長期の滞在には非常に気を遣う。凪の海域フドゥーは、風が発生しない。その海面は常に凪いでおり、風を動力とする帆船はどうしてもそこから先は進めないのだ。手漕ぎや魔法士による風魔法による突破も考案されたが、それを行った船は例外なく沈没している。何かに襲われたことは確かなのだが、生存者がいないことからその正体はわかっていない。闇の洞窟マザラムには異種族が暮らしている、とされているがこちらの正体も判明していない。『地底の者たち(ヘーレ・ステラン)』と呼ばれる彼らは、ただ密かに侵入者を消すのみ。マザラムは、ただの帰らずの洞窟となっている。事態を重く見た王国政府によって立ち入り禁止が宣言されたが、それでも年に数人は侵入して、その全員が帰ってきていない。


「未踏の森シュトウル……」


 浅いところまでとはいえ、そこに侵入するのだ。この大陸の三大秘境の一つに。改めて気を引き締めるつもりでフィムルは周囲を鋭い目で睨みつける。しかし荒野には全く動きはなく、拍子抜けするほどに人間の行進の音しか聞こえてこない。


「おいおい坊主。気張りすぎんなって」

「そうね。業腹だけどそっちの男の言うとおりよ。その男ほど気を抜いてはダメだけど、緊張していざ戦う時に動けませんでした、では困るわ」

「業腹ってなんだおい。そうだ、坊主に面白い話をしてやろう」


 ニヤリ、と笑ったネチモに、フィムルが訝しげな視線を向ける。イルミナはまた始まった、と半目でネチモを見る。


「シュトウルの森にはな、二種類の異種族がいるって話だぜ。一つはドワーフ。兵士なら知ってんだろ? この大陸で唯一ディエイル鉱石の加工方法を知っていて、全ディエイル鋼製の武器も大量に持ってるって噂だ。こいつらはあっちの――」


 ネチモが右手で大きく南西の方角を指差す。そこにははるかな森を超えて、巨大な山脈がそびえ立っていた。『ついの山脈』、シュトウルの森に含まれる未踏の山脈だ。遠目にその山脈は確認できるが、その山脈が攻略されたことはない。ドワーフもだが、それ以上にそこをねぐらにしている亜龍種――ワイバーンが問題だ。亜とはいえ、曲がりなりにも龍種である。生半可な魔法や弓矢は通用しない上に空を飛ぶ。一方的に蹂躙された者も少なくないのだとか。


「あの山の洞窟に暮らしてる。ディエイル鉱製の武器は数がすくねぇからな、一本でも買い取れれば一生くらいは遊んで暮らせるぜ」


 ディエイル鋼。魔力をよく通し、それでいて硬度が高い不思議金属。フィムルも戦う者として、一度は憧れた金属だ。あらゆる鉱石の中で最も魔力伝導力がよく、現状『魔法を刻む』ことができる唯一の金属だ。刻まれた魔法は特定の『言霊ワード』をもとに起動し、あらかじめ定められた魔法を放つ。いわゆる聖剣、魔剣と呼ばれる武器の類は全てがディエイル鋼でできている。


「んで、こっちの森の奥にはな――なんと、エルフが住んでるってぇ話だ」

「……ネチモ、その情報の信憑性はどうなんです?」


 さすがにエルフの話は聞き逃せなかったのか、イルミナが振り返る。ドワーフやフェアリーに比べて存在自体が疑問視されている種族――エルフ。『名付』の秘伝を伝える、森に生きる種族。隠密と幻惑魔法に長け、外部と関わることを好まない。王国の聖剣エイソルに刻まれた魔法が現在では再現できないほど強力である理由も、エルフによる『名付』があったからだとされている。

 少なくともここ百数年ほど存在は確認されておらず、どこかでひっそりと暮らしているかすでに絶滅したものだと思われていた。イルミナが信憑性を疑うのも無理はない。


「あん、そう信用できたもんじゃねぇよ。前に冒険者があの森に突っ込んだ時に、金色の髪を持つ美形を見たんだと。あれこそが伝承に聞くエルフ……! って興奮してたぜ」

「怪しいものですね」

「まぁな。だがいるって思った方がロマンがあるだろ? なあ坊主」

「えっ、はいまあ……」

「んだよ、つれねぇな。まあいい。エルフなんて死体でも高値がつくだろうし、生きたまま捕らえられりゃあ……」

「ネチモ、それ以上の発言は私が許しませんよ」

「わーってるよ、冗談冗談」


 肩を竦めるネチモに、フィムルは嘘は感じなかった。彼も彼なりに、自分の緊張をほぐそうとしているのが伝わってくる。もっとも、イルミナはそこまではわからないらしくネチモに突っかかっていたが。面白い話を聞かせてくれたネチモに礼を言うと、ネチモは照れくさそうに頭を掻いて前を向いた。雑談で少し頭がすっきりしたフィムルは、体は周囲を警戒しながらも、脳内でシュトウルの森に住む危険な生物を復習することにする。


 結局その日は何も起きず、第一歩兵隊と第二騎兵隊は夕方になると同時に野宿の準備を始めた。


 † † † †


『――っ』


 暗闇に声なき声が響いた。瞬間、無数の明かりが暗い部屋に灯される。しかしその灯された明かりは周囲を照らさずに、光を放つのみ。様々な色に輝く明かりをよく見れば――その全てが瞳であることがわかっただろう。


『いったいどうしたのだ、イミ』

『はい。まずはこちらを……』


 暗闇に老人の声と、年若い中性的な声が響く。イミ、と呼ばれた若い声は、何かを見せるかのように答える。そして空間に輝いていた無数の瞳が驚いたように見開かれた。


『イミ。これはいったい……?』

『おそらくイブリースの変異体かと……膨大な魔力と特殊にして厄介な能力を秘めています』

『ふむ。奴らに突然変異が生まれるということは……』

『はい。おそらくですが遠くないうちに……戦争が起こるかと』


 その場に浮かんでいる瞳の持ち主たちも、イミの意見に特に思うところはないらしくただ肯定の意思を発している。奴……いや、彼らが見た少女はその存在自体が戦争の要因になりうるだろう。特にこのような力を持って生まれてしまっては。


 イブリースと人間の間に戦争が起きる――それはそう遠くない未来、と彼らはしっかりと心に刻み込んだ。


『なるほど。それでは今回も静観しようか』

『はい。我らが干渉する理由はありません』

『観察は怠るなよ。この世に未知があってはならぬ……膨大な過去の記憶から完全なる未来予測を成立させることこそが我らの悲願なれば』

『承知』

『では解散』


 無数の瞳から様々な言葉が放たれ。空中に浮かんだ無数の瞳が二つずつ閉じられて消えていく。数十回それが行われたあと、四つの瞳だけが残った。深い群青色の優しげな瞳と、突き抜けるような空色の純粋な瞳。二対の瞳が見つめ合い、群青色の瞳がゆっくりと閉じていく。寸前、イミの声が響いた。


『お待ちください長老』

『お前の言いたいことはわかる、イミ。我らの愛しい幼子よ』

『私はもう幼子ではありません。こうして観察するだけの日々になんの意味があるのでしょうか』

『観察し続けることによって未来の完全予測が可能となる――偶然という名の必然を回避し、必然の振りをした偶然を拾うことができる。そうすれば我らは永遠だ』

『永遠と世を見つめ続ける観測機になる、ということですか』

『イミ、これは我らの悲願だ。年若いお前にはまだわからなくてもな』

『長老……いえ、ユド様。どうか、ご再考を』

『……ダメだ。我らは傍観に徹する』


 ユドと呼ばれた老人の声に、失望したような気配を振りまくイミ。それを分かりつつも、ユドは決定を覆すことはできない。が。


『イミ。私はお前の行動を制限しない。その瞳でこの世をよく見てくるといい。そして我らに伝えてくれ』

『……ありがとうございます』


 それがこの種族の長としての最大限の譲歩だとわかったイミは、ただ礼を言って目を閉じた。

 ユドの瞳だけが残った暗闇で、ユドの声が響いた。


『若きイミが正しいのか。老いた私が正しいのか。いずれ、わかるだろう……』


 そして、最後の瞳が閉じた。

魔物No.05『ワイバーン』


 体長4メートルほどの亜龍種。蛇のような鱗と、体長の四割を占める長い首が特徴。肉食で、得物を見つけると上空から襲いかかる。龍種と違い、知性と呼ばれるようなものはないかわりに繁殖力が龍種よりは強い。喉から放たれる咆哮は、一時的に人間の平衡感覚を狂わせるほどの音を放つ。耳がいい生物ならその咆哮だけで気絶してしまうほど。陸上ではそこまで素早くは動けないが、空中での機動力はどんな生き物よりも強い。一応人間が飼い慣らすことは可能だが、腹を空かせると普通に飼い主に噛み付くので飼育には細心の注意が必要。トロルと同じく非常に厄介な魔物として知られている。討伐するには、強力な風の魔法や、城砦に取り付けられているバリスタなどで翼を射抜くのが効果的である。地上に堕ちた衝撃で死ぬこともしばしば。だが生きていたら迂闊に近づいてはいけない。彼らの首はよくしなり、不意を討たれる可能性が高い。遠距離から魔法を叩き込むのが得策だろう。最大で三十匹ほどの群れが確認されている。ワイバーンの革から作られるコートは防寒性能が高く軽いため、高額で取引される。

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