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歩兵の英雄  作者: ノム
第一章 歩兵
7/22

歩兵を少女が襲う

物理的な意味です

 翌朝、コムによって調練場に強制連行となったフィムル。俺が手伝ったのにお前が手伝わないのはおかしい、という真っ当であるようなそうでないような理屈を並べてフィムルを連れて調練場に向かう。ここで二人でばっくれるという発想が出てこないところがコムのいいところだよなぁと、フィムルは寝ぼけた頭で考えながらついていった。やがて調練場に辿り着いた二人は思わず朝の爽やかな空気を胸いっぱいに吸い込んだ。日が出る少しまえ、周囲はまだ薄暗い。それでも全く見えないほど暗いというわけでもない。


「ん?」


 コムの話によると、コムとキリグとギリーで外から集めてきた土の塊のそばに、見慣れない物が落ちているように見えた。適当に放り出されている三本のシャベルとは別に、人が一人倒れているようだ。

 なぜかランニングを始めたコムを無視して、フィムルはその人に近づいていく。その人物がかなり小柄である時点でフィムルは気づくべきだったが、寝起きでぼんやりとしている頭はまだ回っていなかった。


「こんなところで寝てるなんて……誰……」


 息が止まった。そこで寝ていたのは、この大穴を開けた少女――エミルだった。そして最悪なことに、ちょうど顔を覗き込んで呟いたフィムルの声が聞こえたのか、エミルがうっすらと目を開いた。至近距離で見つめ合う、茶色の瞳と真紅の瞳。

 エミルの口がパクパクと動き、だがなんとか悲鳴を飲み込んだようだ。お互いに一瞬で目が覚め、咄嗟に目をそらす。


「……おはようございます?」

「……一発、殴らせて」

「ちょっと待っておかしいだろそれは!?」

「私の寝顔、見たでしょ?」

「一瞬だけだよッ、ていうかこんなところで寝てる方が悪いだろ!?」

「うるさい」


 理不尽なまでの主張に目を白黒させるフィムルだったが、男性が女性に勝てることなぞほとんどない。ここは今まで多くの男性が涙を飲んできたように、おとなしく顔面を差し出すしかないのだ。だがたかが魔法兵のパンチなんぞ食らったところで痛くも痒くもないはずだ、と開き直って突っ立っているフィムルの視線がとんでもないものを捉えた。


「じゃあ、行くよ……!」

「いやいやいや待て! 待ってください! それはマズイって!?」


 エミルが固く握り締めた拳は、年相応に小さいが、問題はその拳の前に炎が浮かんでいることである。魔法兵のパンチ、ということは当然魔法も選択肢に入るわけで――


「それで殴られたら死ぬから!」

「大丈夫……死ぬほど熱いくらいで済む……! たぶん」

「今たぶんって言ったよね!」

「言ってない。……逃げるな」


 この状況を打開出来る人、どうか来てくれ、とフィムルはかなり久しぶりに神に祈った。コムは使えない。キリグ隊長やギリー副官は火に油を注ぎそうだ。ウーノ監査官なら止めてくれるだろうが、彼がほいほいと調練場に足を運ぶはずもない。知り合いが全滅したフィムルは、それでも必死に逃げる。『パンチ』と宣言した以上、炎球を放たないのは律儀というかなんというか。そのまま追いかけっこが始まりそうになったとき、フィムルにとっての救いの主は現れた。


「楽しそうだな、エミル」

「師匠!?」

「夜中に抜け出して、穴の修復をするその根性は立派な物だが……どうした、血相変えて。夜這いでもかけられたか?」


 あっはっは、と気持ちよく笑うイエリに毒気を抜かれたように、エミルも手に浮かべた炎を霧散させた。それを見てほっと一息入れるフィルム。そこに、ぐるっと調練場の周りを一周してきたらしいコムが合流した。


「あ、イエリ副官にファードさん、おはようございます!」

「ああ、おはよう」


 普通に挨拶を返したイエリ、無言で会釈するエミル。それなりに愛想のいいイエリに、気軽な雑談をするように話しかけるコム。昨日の片付けでそれなりに仲良くはなったのだろう。軽く息を整えたコムは少し気になったのであろう質問を投げかけた。


「イエリ副官、前から気になってたんですけど。副官って誰の副官なんですか?」


 魔法兵は三十人。それはそれぞれの隊に分けられるわけではなく、三十人をリテドルが直轄して運用する。つまり隊という区分がない以上、魔法兵に隊長という役職が存在しないのだ。隊長がいないのならば当然、そのサポート役である副官も存在しないはずであるが、イエリはキリグに副官と呼ばれていた。コムはそれが気になったのだろう。


「よくぞ聞いてくれた少年!」

「あっ……」


 何かを察したらしいエミルは、フィムルを手招きで呼び寄せると、ゆっくりとその場を離れた。幸いイエリの意識は全てコムに向けられているようで、頭上に『?』マークを浮かべたフィムルを連れて無事脱出に成功する。そしてやれやれと首を振ってから魔法を使って土をクレーターの中に運び始め……あわれにも捕まったコムは、至近距離でイエリに熱弁を振るわれていた。


「確かに、三十人の魔法兵に隊長は存在しない……だが、一人だけ、魔法兵のほとんどが敬意を払っている、魔法士が存在するのだ! 彼はその熟練した魔法といついかなるときも慌てない賢者のような人物でな、もちろん公にはなっていないがこの砦の魔法兵のリーダーといえば誰もが間違いなく彼を指名するであろうほどの腕前だ! 私は以前から個人的に彼を尊敬し、半ば追っかけのように兵士になってこの砦に来たのだ! 彼と再開したとき、自分に魔法の才があったことをクアレシア様に感謝したねっ!」


 偶然を司る女神の名前まで出されたコムは目を白黒させてイエリの言葉を聞いている。どうやら彼女の琴線に触れるような発言をしてしまったらしい、ということは辛うじて理解したコム。そしてイエリの熱弁を聞いたフィムルは、思わずという様子で呟く。


「つまり……副官は、自称……?」


 イエリには聞こえないようにギリギリの声量d呟かれた声は、狙い通りイエリには届かず、エミルだけに届いた。その言葉を聞いたエミルは、疲れたように首を振りながら、補足説明を入れてくれる。


「あれでも、師匠は魔法を教えるのは上手い……魔法の技量なら、魔法兵の中でナンバーツーなのは事実」

「へー……凄い人なんだな」


 とてもそうは見えないけど、という言葉を危うく飲み込んだフィムルに、エミルが眠そうな胡乱げな視線を向けた。もっとも、『彼』のことを語りだしたイエリに関しては、エミルもまったく同意見なので指摘することはしない。そのままのんびりと魔法を使って、土を落着させる。


「丁寧に運んでるけど、放り込むわけにはいかないのか?」

「どっちでも、消費魔力も、時間もほぼ変わらない。『土運』」


 『土運』は修復作業のためにエミルが編み出した魔法だが、この手の魔法は使用者がそれなりにいるので完全に新規の魔法というわけでもない。思考停止状態で先人たちが生み出した魔法を使う魔法士が多い中で、イエリはエミルの才能に目をつけ、必要以上の知識を与えていなかった。ゆえにエミルは独創的な――これぞ魔法と言えるような『その場に適応した魔法』を編み出して使用している。


 まあそれのせいで調練場に大穴が空いたと言えなくもないのだが。


「へー……魔法に関しては何もわからないからなぁ」

「心配、しなくても……魔法使える、だけの魔力がない」

「……地味にショックなんだが」


 ブツブツと呟きながらシャベルで土をクレーターの中に放り込むフィムル。空中に浮く土の塊に掬った土をぶつけてみるが、魔法で浮いている方はびくともせず、フィムルが放った土が四散するだけで終わった。魔法というのは摩訶不思議だなぁと感心しているフィムルの横から、エミルがジト目で睨んできたのでおとなしく土を運搬する作業に戻る。

 土が浮いていないときにクレーターを覗き込んでみるも、半分ほど埋まっていることが確認できたのみ。これはうまくすれば今日中に終わるだろうし、最悪でも明日の午前中には終わらせることができるだろう。偵察任務が四日後、手前二日が休み……今日が終われば、明日調練を行い、休み二日をはさんで偵察任務だ。休みの二日は昨日読みきれなかった資料を読むためにウーノ監査官を探す決意をするフィムル。キリグ隊長とギリー副官が来ればたぶん今日中に終わるなぁとのんびり考えながらフィムルはシャベルを土山の中に突き入れた。


 † † † †


「ふむ、では明日の訓練は問題なく行えそうか?」

「ええ、キリグ隊長によれば今日中に修復は終わるそうです」

「意外と早かったな……」

「そうですね。魔法兵二人と隊長格が二人、それにフィムルとコムという歩兵も手伝っているようですし」

「罰の意味もあるからな、他の兵に手伝わせるわけにはいかん……それに、兵を休ませておいたほうがいい気がするのだ」

「……勘ですか?」

「ああ。魔物の大規模侵攻の前にはなんらかの予兆がある。今回の違和感がそうではないことを祈っているが……念のため中央に警告文を送っておいてくれ」

「今、中央は政権争いでゴタゴタしているので無意味とは思いますが……やるだけやっておきます」

「ああ、第一王女と第一王子か。全く、王女に即位する気がないのだから放っておけばいいものを。陛下も早く後継を指名すればよいのだ」

「聞き流しておきますが、王女は王子に比べて優秀ですからね。王子も平凡ではありませんが、あの才能に比べるとどうしても……」

「では聞き流してくれたことに感謝して私も聞き流すとしよう。陛下も迷っておられるのかな」

「……そうかも、しれませんね」


 リテドルとウーノは難しい顔をして考え込む。これでもリテドルも貴族の端くれ、ウーノも現在は家名を剥奪されているものの元貴族である。監査官になる時には家名を捨てなければならないのだ。中央の政権争いをしている大貴族の名前には聞き覚えもあるし、会ったことも何回かはある。

 もはやほとんど無関係ではあるが、一応知っている人間同士の争いである。リテドルの感想はまどろっこしい、もうちょっとはっきり戦えといういかにも軍人らしい考え方であったが。


 第一王女セクレータ・フォレティス。

 第一王子メディオ・フォレティス。


 面倒な二人だ、とリテドルは深く椅子に沈み込む。せいぜい噂に聞くくらいだが、セクレータ王女は笑顔を振りまく秘密主義で、その頭脳は幼い頃より神童と謳われてきた。メディオは優秀ではあるが、特筆するところはない。姉に対して萎縮しつつ反発しているのは、今の政権争いからも伺える。三大貴族はどちらにつく、ということはせず静観を決め込んでいるようだ。騒いでいるのは中堅以下の貴族たちである。

 中央から遠く離れたこの砦にもそういった情報が流れてくるのだから、それなりに大変な状態になっているのだろうとリテドルは気楽に考える。政権争い、権力闘争などといったドロドロとした戦いは苦手だ、と自覚はしている。だからこそ、ここで体を鍛え、兵とともに戦うことを良しとする。


「……というか、第二王女はどうなったんだ?」

「ああ、あの夢見がちな……レーヴ様ですか。まあ彼女は政権争いに参加することはないでしょう……さすがに傀儡政権を打ち立てようとするほど愚かな貴族はいないでしょうし」


 西に敵対国家を抱えている王国としては、隙を見せるわけにはいかない。小康状態とはいえ、どんなきっかけで戦火が開かれるかわからないのだ。貴族たちも、あの現実が見えていない少女を女王に据えるのはどう考えてもマズイ、ということくらいはわかるのだろう。あの王女を擁立すれば、どうあがいても王から『傀儡政権を作ろうとしている』という印象を抱かれることは必定。そしてそんなことになればいずれ潰される。今までうまく国を運営してきたアザーム・フォルティスがそのような貴族を見逃すはずもない。王家の力は絶対ではないが、いまなお強い権力を残している。


 だが、とウーノは考える。


 中央に戻ったときに、偶然レーヴ王女と会う機会があった彼は、彼女と話している。確かに現実が見えていない王女という表現は全く正しい。ウーノもあれが演技だとしたら空恐ろしいが十中八九それはない。だが、もし。


「現実を知って、そこから立ち直れればあるいは――」


 化けることも考えられる。なにせ、まがりなりにもあのフォルティスの血筋なのだ、とウーノは妙な予感に背筋を震わせた。考えても詮無き事、と自分の思考を切って捨てる。



 それは、思考停止というウーノが最も嫌う状態であることに気づかぬまま、ウーノの一日は過ぎていった。

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