歩兵は監査官と話す
調練場は、砦の外にある。ほとんど野ざらしだが、草は抜いてあり、硬質な地面が延々と続いている。毎日百人以上の人間が走り回るせいで地面は完全に踏み固められ、かなり硬い。金属製の鍬なら、全力で打ち付ければ食い込むかもしれない、というくらいには硬い。
そんな調練場の地面が、およそ直径七メリトに渡って抉れていた。深さも、およそ一メリトほどはある。その恐ろしい威力の魔法を放った少女は、現在師匠とともに頭を深く下げていた。
「つまり、なんだ……《爆炎》のつもりで放った魔法が、全く違う魔法で、調練場の地面をこんなにしたと?」
その淵に立つのは、この砦のトップであるリテドルだ。まさか魔物の襲撃か、と武装を整えて駆けつけてみれば、調練場の地面が深く抉れていたのだ。このような大穴を作り出すにはオーガが数十匹必要だろう。その場にいた六人から証言は取れているが、にわかには信じがたい現象だった。そしてそれをやったのが十三歳の少女だとは……六人ともが全く同じことを言っているし、そんな嘘をつく理由も全くないはずなので、リテドルは本当だと信じざるを得ない。
だがこの規模で破壊をもたらす魔法、というものをリテドルは寡聞にして知らない。かつては軍学校で用兵・戦術を学んでいたのだ、そこには当然魔法兵が扱う基本的な魔法も学習内容に含まれる。
「はい……申し訳ありません」
「いや、いい。さすがにお咎めなしとまではいかないが、過失であることは理解した」
だがそれよりも、この破壊をもたらした魔法の方が重要だ。もしもこの魔法を複数回放てれば、どのような魔物の集団でも壊滅に追い込むことは難しくない。砦中に響いた爆音、さらに大量の土砂を巻き上げ吹き飛ばす炎系統の魔法……中央でふんぞり返っている魔法士たちに見せてやりたいものだ。
《魔法塔》。数十人にも及ぶ著名な魔法士が所属し、この世の神秘と奇跡を詰め込んだその塔は、首都に堂々たる威風を見せて建っている。王家より捻出される研究費によって、彼らは自ら魔法の深淵を解き明かそうとしている。そして有事にはこの王国に力を貸すのだ。今まで彼らが動員されたことはないが、彼らの魔法の技術は間違いなく国内最高峰。
《魔法塔》が動けばどんな戦争も終わる――そんな言葉もまかり通っているほどだ。だが、リテドルは知っている。現在《魔法塔》に所属する魔法士のほとんどが、過去の遺物にすがりつく俗物たちでしかないことを。国民の安心感を失わせないために国王が《魔法塔》を解体できず、その事に甘えろくな研究もしていないことを。まだ《魔法学院》の生徒の方が向上心があるだけマシだとも言える。
「それでは……」
「うむ、その魔法の実用化の研究。そしてこの調練場を元に戻すことを条件で、許そう。ああ、実用化は無理しなくてもいい。彼女がそのあとに倒れたのも聞いている」
自身の持つ全ての制御能力を向けたエミルは、魔法が爆発すると同時に気を失って倒れた。魔法を学び始めたばかりの弟子によくある現象で、エミルは密かに恥ずかしく思っていたのだが、イエリからしてみればあの規模の魔法をなんの代償もなく放つことができたらと思うと、恐ろしくて仕方がない。
「はい。ご配慮、感謝します!」
「ああ、下がっていいぞ」
「失礼します!」
リテドルは、調練場の中央に空いた巨大なクレーターを眺めながら思う。三、四日は訓練を中止せざるを得ないのではないか、と。
† † † †
「訓練中止だってさ」
「まぁそりゃそうか」
コムの言葉にフィムルは頷いた。あれだけの大穴が空いてしまったのだ、訓練どころではないだろう。フィムルとしては、あの一件でエミルにどのような罰がくだされるのかが気になっていたが、一般兵である彼にはどうしようもない。
「しかし降って湧いた休みだなぁ。どうするか」
「そうだな……」
一応、兵士にも休みはある。隊ごとにまとめて休まされるのだ。第一歩兵隊が休んで、第二歩兵隊が休んで、といった具合に持ち回り式で休みをもらっている。突然もらったこの休息期間、何か有効活用したいところだ……と思ったところで、コムがいいことを思いついたという表情で言う。
「俺、ギリー副官とこに行って訓練できないか聞いてみる! 調練場じゃなくてもやれることはあるはずだし!」
「ああ……俺は、ちょっと行きたいところがあるから遠慮しておこう」
「そうか? じゃあ早速探してくる!」
コムの言葉を聞いてフィムルも一つ、やりたいことを思いついた。フィムルの脳内に浮かぶのは、五日後に控えた偵察任務のことである。森の中へと入る以上、様々な準備が必要だろうし、情報も持っておいた方がいい。この砦には、その手の情報が保管されている場所がある。フィムルは、とりあえずそこに向かうことにしたのだった。
「ここか……」
砦のなかを彷徨い始めてから二十分ほど時間が経過したころ、ようやくフィムルは目的の場所にたどり着いた。その扉には厳しく、『資料室』と書かれている。初めて入る場所に少し緊張しながら扉を押すと、あっさり開いた。拍子抜けしながら、中に足を踏み入れると、今まで嗅いだことのないような匂いが鼻をつく。その部屋に収まっていたのは大量の羊皮紙でできた巻物だった。
「おや、君は確か……フィムル君でしたか。ここは本当は一般兵は立ち入り禁止なのですが」
「えっ!」
見たことのない景色に圧倒されていると、飄々とした男が棚の影から姿を現した。その姿に見覚えのあったフィムルは慌てて敬礼の姿勢を取る。
「お久しぶりです、ウーノ監査官!」
「ああ、いいですよそんな気を遣わなくても。私も貴方の直接の上司というわけではないですし」
ウーノは右手に持った巻物を机の上に広げながら言う。そこには無数の言葉が書かれており、安くはない紙を無駄にはしまいという著者の気迫が感じられた。何気なく、フィムルはそこに書かれた文字を読んでいく。
「『炎球』……『風刃』、『水壁』……?」
「字を読めるのですか。珍しい、どちらで習ったので?」
「実家が宿屋なので、帳簿をつける時に。多少の計算もできます」
ウーノが確認していたのは魔法に関する巻物だった。昨日の事件に関する魔法が確認されてないかを確かめに来たのだが、おそらく見つからないだろうと思っている。この資料室には普段鍵がかかっているので、ウーノがいなければフィムルも無駄足を踏んでいただろう。
「なるほど……やはり、昨日のような規模の魔法は確認されていませんね。そういえば、君はどうして資料室に?」
「五日後の偵察任務のために、森の魔物の情報があればなーと思いまして」
「ふむ、そういった考察心は素晴らしいことです。大事にしたほうがいいと思いますよ」
「ありがとうございます。ウーノ監査官は、昨日の魔法を……?」
「ええ、そうですね。なにせ魔法兵たちが口を揃えて知らないと言うものですから。『爆炎』ではあそこまでの威力は出ないし、仮に暴発したとしても地面を抉りとるなんて不可能だそうです」
二言目にはありえない、何かの間違いじゃないかなんて言うものですからうんざりですよ、と肩を竦めるウーノ。ウーノの言葉を聞いたフィムルは、少し難しい顔をした。
「それは、新しい魔法ということですか?」
「まあ、その可能性もあるでしょうね」
すぐにその結論に至ったフィムルに、ウーノは密かに感嘆する。宿屋の息子とはいえ、貴族ではない以上ろくな教育は受けていないはずだ。学校と呼べる物は王都にしか存在しないし、軍学校は貴族しか入れない。魔法学院の生徒ならば魔法兵としてここにいるはずである。
ウーノは、キリグの評価もあながち外れてはいないかもしれない、とフィムルの評価を立て直す。思考を放棄していない彼ならば、様々なことを考えて、動くことができるだろう。
(彼は兵士よりも、指揮官……いや、もっと大局を見るのに向いているのかもしれないな。ギリー副官が才能なし、といった理由はそこか)
兵士としての才能は、忠実に命令に従う力と、戦闘力である。色々考えてしまうフィムルはあまり向いていないのだろう。面白くなったウーノは、一隊を持たせてみたいとも思ったが、それはあくまで自分の興味である。そんな権限もないし、リテドルに告げるほど目覚しい才能を見つけたというわけではない。どちらかというと、兵士よりも指揮官よりかな、と感じただけで、特に何かをしようとは思わなかった。
「フィムル君は、あの魔法を見たときどう思いました?」
ウーノの質問に、フィムルは少し考える。あれが生まれて初めて見た魔法なのだ、特に分析もせずに思ったことを話す。
「あんなに集めてから撃つのか、時間がかかるなぁと」
「ふむ。……ん?」
確かに六人の証言では、エミルという魔法兵は魔法を完成させるのに時間がかかっていた。『爆炎』も成功したことがない、というイエリからの言葉で制御能力に難があるのかと思っていたが……もし、そうではないとしたら? 完全に未知の魔法を創り出し、その制御が異様に難しかったのだとしたら――?
「少し、イエリ副官に訊ねる必要がありますか」
「え?」
「ああ、いえいえ。少し気になることができましてね。そうそう、森の魔物に関する知識なら……」
別に答えてもよかったが、推論の域を出ない話だ。一般兵に聞かせる意味もない、とウーノは話題をそらした。そして比較的近い棚から三本の巻物を取り出す。それを丁寧に広げると、そこには『シュトウルの森』で今まで確認された魔物の詳細が記されていた。開拓しようとしたときの記録もあるので、深部の魔物についても書かれている。もっとも、それはもう何百年も前の話のため、その魔物が今もいるのかどうかはわからない。それでも、森の中に関する知識がほとんどないフィムルにとってはありがたい話だ。この膨大な資料のなかから求めていた知識が書かれている巻物を見つける手間も省けたのだから。
「ありがとうございます!」
「まあ今回は特例としておきます。私も向上心のある人は嫌いではありませんし、鍵をかけてなかった私にも責任はありますしね」
兵士の立ち入りが禁止されている場所に踏み込んだ事を不問にする、と告げてからウーノは目の前の巻物に視線を落とした。その邪魔をしないように、フィムルはもう一度深く頭を下げると、広げてある巻物に視線を向けた。
† † † †
少女は悩んでいた。この問題は自分が引き起こしたこととはいえ、心の中では納得していないこともある。そしてなにより、それを解決する手段を思いつかないことに少女は苛立っていた。先ほどから思考とは別に少女の口は動き続けているが、それによる成果は微々たるものだ。もっと効率的に作業を進めたいものだが、それで再び制御に失敗したら目も当てられない。つまり、
「一体いつ終わるの……」
目の前のクレーターが、さっぱり埋まっているように見えないということだ。
「そんなこと言ったって、ジリジリ埋めていくしかないだろう」
「でも師匠、こんなペースじゃいつ終わるか……『土運』」
再び魔法が発動し、積み上がった土の山からかなりの量の土が移動する。魔法で土を移動させているのにはかなり情けない理由があった。エミルがすぐに根をあげたのだ。最初は手間もかかり魔力という制限もある魔法よりも、人力で土を運んだ方が時間効率はいいという話になったのだが、悲しきかな、そこまでの腕力と体力がエミルにはなかった。同様の理由でイエリも魔法を使って土を移動させている。
いっそのこと、もう一度あの魔法で吹き飛ばせば平にならないかな、と魔法の連続使用で疲弊したエミルは益体もないことを考える。土の塊がクレーターの底にたどり着いたのを確認して、イエリと目配せして休憩することを提案する。確かにイエリの感覚的にも残りの魔力は少ない。単純作業に飽きてきたこともあって、二人で休憩することになった。
と、ちょうどそこに三人の男が帰ってくる。
「おー休憩か。おつかれさん」
「もうちょっとハキハキ運んでください」
「はぁっ……! はぁっ……! なんで俺が……!」
吹き飛んでしまった土の代わりに、外から土を運んできてくれている三人である。キリグとギリーは命じられて、コムはうっかりギリーに見つかって強制手伝いと相成った。
「コム、これも訓練です。筋肉がつけば君の剣を振るうスピードが上がって私に当たるかもしれませんよ」
「適当なこと言いやがって(それもそうですね、がんばります)!」
「コム、本音と建前が逆ですよ」
額に青筋を浮かべながらギリーが指摘する。確かにコムは責任はないが、そもそも上官の命令に逆らうような発言はすべきでない。フィムルという少年は素直に言うことを聞くのに、これは少し兵士としての訓練が必要かもしれない、と暗い笑みを浮かべるギリー。ギリーの膝が、コムの太ももに直撃する。
巨大な穴が空いた調練場に、コムの悲痛な叫び声が響き渡った。




