歩兵は魔法を見る
十数分後、そこには一人の少年が息を荒げて横たわっていた。名前はフィムル。コムの方は未だにギリーを相手に立ち回り、その隙を探っている。だが何十回と実戦を経験しているギリーにとって、コムの攻撃は鋭くはあるが読みやすい、単調な攻撃ばかりだった。
「視線を向ける場所を工夫しなさい。どこを狙っているのか簡単に読めてしまいますよ」
「ちっ!」
横になぎ払った木剣を、馬鹿にしているような奇妙な体勢で回避するギリーに、コムが思わずといった様子で舌打ちする。腹を引っ込ませ、体をくの字にして回避される、というのは狙いが完全に読まれている証であった。馬鹿にされていると思われても仕方のない回避方法である。
「……というか、俺が戦うのは魔物相手なんだから、別に読まれてもよくないか?」
「できた方がいい、ということくらいはわかるでしょう? それともあなたはまさか、圧倒的な膂力を誇る魔物相手にスピードやパワーで圧倒するつもりですか?」
議論する余地なし、と切って捨てるギリーに、コムもそれもそうだと頷く。先ほどから上官に対する態度ではないのだが、キリグもギリーもまどろっこしいのはなしだと許可したので、咎められることはない。コムは再び油断なく木剣を構えると、いけ好かないギリーに一撃を与えるべく、力強く足を踏み込んだ。
それをどこかぼんやりと眺めているのは、エミルである。段々と日も落ちてきて、すでに腕の先の動きなどは霞んで見える。あと一刻ほどで、夕日も完全に沈んで夜になるだろう。そうなってしまえば視界を頼りに戦う一般歩兵はほとんど役に立たなくなる。毎日毎日使う人間がいるかもわからな調練場にかがり火を出すほど砦に余裕があるわけではない。一応、魔法を使って照らす方法もあるにはあるが、光を維持し続けるにはそれなりの魔力をつかうし、有事の際に魔力切れしてましたでは話にならない。
エミルは徐々に頼りなくなってきた目に頼ることをやめ、瞳を閉じた。そして魔法士の間では《魔触》と呼ばれる技術を用いて、ギリーとコムの戦いを観戦する。《魔触》によって、魔力のある人間は力強く発光して感じられる。ここにいる六人の中で最も魔力が多いのはエミルで、次が隣に座るイエリ。そして驚くべきことに、コムはその身に一般人の三倍ほどの魔力を秘めていることが判明した。次がキリグで、一般人より多少多い。ギリーも同じくらいで、フィムルは一般人より少し魔力が少ない。イエリもコムの魔力量に少し驚いた気配が伝わってきた。あれだけの魔力があれば、下級の魔法を五回か六回は使うことが出来るはずだ。
「師匠……」
「ああ、あのコムという少年はなかなか恵まれた才能を持っているな」
魔力の総量は、生まれついた時点で決まる。そして年を経るごとに、どんな人間であっても徐々に増えていくのだ。魔力、というエネルギーが人間のどこから生まれているのかは定かになってはいないが、生命力――つまり、生きるためのエネルギー――の余剰分ではないか、というのが一般的である。魔力が残っていないのに、魔法を使おうとすると気絶する。ごくまれに、気絶せずに限界を突破して魔力を使う者がいるが、長年の研究により、それを行った者は寿命が削られていることが判明していた。
「もう見えなくなってきましたね。今日はここまでにしましょう」
「あー、ちくしょうっ! 今日もダメかよー!」
ギリーに一撃入れることを目標にしているコムは、悔しそうに喚く。そもそもこの訓練を始めてまだ二日目なのに、今日ももなにもない、とギリーは内心思うのだが、やる気を削ぐのは良くないとその気持ちを抑え込む。そしてすっかり思考の隅に追いやっていた魔法士二人組を思いだし、そちらに目を向けると、二人はこちらに寄ってくるところだった。おぼろげな輪郭しか見えないが、足音からそれがわかる。
「おつかれさまですギリー副官」
「ああ、いえいえ。お邪魔して申し訳ない、すぐにどきますので。隊長! どきますよ!」
「おう、わかってる! なあ、イエリ。魔法の訓練、見学して行っていいか? ここに来たってことは、それなりの魔法を使うんだろ?」
「ええ、構いませんよ」
イエリは口の中で素早く魔法言語を唱える。すると、中空に白い光を放つ球が浮かび上がり周囲を映し出した。先ほどから発言していないフィムルというらしい少年は、驚いたということを顔中で表現して光球を見つめている。
「エミルも、いいね?」
「はい、問題ありません」
言って、エミルはチラリとフィムルを見やった。視線を向けられたフィムルは気恥かしそうに顔を背け、それを確認したイエリは、必死に口元が釣り上がるのを我慢した。笑いをこらえているのを気配で察したのか、エミルの表情が『しまった』という表情に変わるが、もうあとの祭りである。二人きりになったときに根掘り葉掘り聞かれるのは間違いない、と半ば投げやりに思う。だが、それも一瞬のことですぐに気を引き締める。これから使う魔法は、中途半端な気持ちではできない――それは、何度も発動に失敗しているエミルが一番よく知っていた。
「では、少し離れてくださいね」
言って、イエリが魔法の範囲外に四人を追いやる。四人とも素直に移動し、背後からイエリとエミルを見つめる。キリグやギリーは魔法を見たことがあったが、フィムルとコムは戦闘用の魔法を見るのは初めてである。魔法兵になるには一定以上の保有魔力と、もっとも初歩的な『炎球』を放てることが最低条件だ。だがキリグがそれなりの、というからには『炎球』よりも上位の魔法だろうと、フィムルもコムも集中した様子で二人を見つめている。
五人が見つめるなか、静かにエミルが息を吸って、吐く。
「……行きます。『火を乞い願う』」
音も立てず、エミルの差し出した右手の上に炎球が出現する。手のひらでちょうど握り込めるくらいの炎球は、赤々と燃え盛り、その熱を周囲に振りまくが、術者であるエミルは別だ。別なのだが、今エミルの額には大粒の汗が浮かんでいた。本来、炎球を出現させるのに魔法言語を使うのは魔法士見習いまでだ。少しでも慣れた者なら、何も発声せずに炎球を出現させることはたやすい。
だが、エミルの集中力は、今は炎球にすら割く余裕はない。
「『燃え盛る火よ、灯よ、緋よ。その身に宿りし力を解放せよ』」
魔法言語とエミルのイメージに導かれ、炎球が膨張する。少し上に移動した炎球はエミルの頭上で、直径二メリトほどの炎の玉になった。その威容に、フィムルもコムも息を呑む。あんなものをぶつけられたら、どんな生き物でも黒焦げは免れないだろうと察したのだ。だが、エミルが使おうとしている魔法はここで終わりではない。そのことを知っているイエリだけが、厳しい表情で巨大な炎の塊を見つめていた。
「……ん?」
最初に気づいたのは、観察眼に優れるギリーだった。つい先ほどまで二メリトほどあった炎の塊が、徐々にではあるが縮んできていているのだ。確認しようと目を凝らすギリーだったが、そうしているあいだにも炎は段々と小さくなっていき、ついに半分ほどの大きさになった。すわ失敗か、と構えるギリーだったが、横に立つイエリが小さく呟く。
「《爆炎》。巨大な炎のエネルギーを圧縮させて投げつけ、着弾点で大量の炎球をばらまく魔法だ。だが問題はここから。半分になった炎をさらに圧縮するのは難しいぞ……エミル」
イエリが言ったように、エミルは四苦八苦していた。最初に比べると明らかに圧縮のスピードが落ちてきているのだ。内側から反発してくる炎のエネルギーを必死に押さえ込み、その力を一点に集約させようとする。
これは、エミルの方法が間違っている。イエリが説明したように、《爆炎》は『複数の炎球をまとめて周囲にばらまく魔法』である。つまり、本来の《爆炎》は大量の炎球の集合体であり、エミルが今作ろうとしているのは『巨大な炎球のエネルギーを一点に集中させた強力極まりない一つの炎球』なのだ。根本的に本質が違う。そして、その難易度は《爆炎》よりも高い。
本来、そういった間違いを指摘するための師匠なのだが、一般的な魔法士である彼女にその間違いを指摘するのはかなり難しい。エミルがやろうとしていることはかつて前例が無いものであり、その圧倒的なまでの魔法への才覚があって初めて挑戦できることだからだ。イエリですら捉えきれないほどの魔法の才覚に、イエリが間違いに気づけなかったこと。そして勘違いに気づかないエミルによって、その魔法は完成しようとしていた。
――炎が、圧縮される。小さく、もっと小さく。その膨大な熱量を閉じ込めるために、更なる詠唱を、エミルは紡いでいく。
「『宿した力を減じず、その身に閉じ込めよ』……えっと……『縮め、そして耐えよ』……」
より的確な魔法言語を探し、エミルが迷う。最後に投げつけるためのフレーズと、爆発させるためのフレーズは暗記しているが、圧縮するための魔法言語は完全に即興。それも含めてイエリから出された課題であるため、手を抜くことは許されない。なにより、そんな余裕はなかった。自分の持つ制御能力の全てを向けて、炎を小さくする。
(くっ……!)
ついに、炎が人の頭ほどの大きさになる。それは圧縮が終了した証であり、魔法を放つ準備が整ったということだ。そこまで行ったところでイエリが、エミルの様子がおかしいことに気づく。いや、エミルというよりも、その圧縮された炎の球に違和感を覚えた、というのが正しいか。
(魔力の流れがおかしい……? いや、多すぎるだけか……?)
それは、魔力の込めすぎだ。明らかに《爆炎》に必要な魔力量を上回っている。途中までは少し多い程度だったので気にも止めなかったが……今やその魔力量は、必要魔力量の三倍を超えていた。
圧縮に使う魔力が多すぎる……そこまで魔力を込めなくても圧縮する事自体はできるはずだ。そう考えたイエリは、改めて『魔触』で炎の塊を確認する。そこに込められた魔力は、やはり多すぎる。間違いや勘違いではない。
それを確認したイエリの背筋に冷たいものが走った。それは、俗に言う『嫌な予感』というものだったが、イエリはその予感を信じることにした。何もなければ笑い話で済む。
「『その力を、我が望む元に運べ』!」
「『水を乞い願う! 高きより低きへ、その力を移せ!』」
イエリの手元に出現した水球が、エミルの正面に移動していくのと同時、エミルの手元から圧縮された高エネルギーの炎が飛び出す。それは暗闇の中煌々と燃え盛り、調練場の中央へと飛んでいく。イエリの記憶では、《爆炎》の有効範囲は着弾地点から半径五メリト。この距離ならば万が一にも巻き込まれることはないはずだが、嫌な予感が彼女を突き動かした。
「『我が命じる! 秘めた力を、今こそ解き放て』!」
エミルの解放用の魔法言語と同時。
「『水よ、壁となり、その全てを遮断し我を守れ』!」
イエリの解放用の魔法言語も、調練場に響き渡った。一瞬、炎が脈動し。その脈動の隙に、水でできたカーテンがエミルと炎の間に揺らめく。そして。
耳を劈く爆音と衝撃が、砦を襲った。




