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歩兵の英雄  作者: ノム
第一章 歩兵
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歩兵は評価を受ける

 コムは右手で握り締めた木剣を目の前の男に向けた。眼鏡の奥から観察するような、値踏みするような容赦のない視線が送られてきているのを感じる。フィムルの前では強がって見せたが、コムもフィムルもとっくに気づいていた。第一歩兵隊副官、ギリーは……強い。コムの背中を一筋の汗が流れた。緊張からくるものだろう。ギリーは自然体で立っているように見えるが、そう見えるがゆえにどこにも攻め込めない。力の抜けた現状は、どこにでもすぐに力を入れられるということだろう--。


「来ないならこちらから行きますよ」

「っ、!?」


 距離にして八メリト。普通、一足飛びに詰められる距離ではない。だが、ギリーという男はその距離を普通に一瞬で縮めてきた。

 その理由の一つとして、彼がとてつもない軽装であることがあげられるだろう。一般的な兵士は革鎧を着て訓練に参加しているが、ギリーは普段着。平民の市民がよく着るような、麻の服を着ているのだ。防御力はないに等しいが、身軽である。


「ほう、よく躱しましたね」


 高速で放たれた掌底を辛うじて回避したコム。無理やり避けたため、体勢が崩れて反撃どころではない。みぞおちに向けて放たれた掌底を体をねじって回避したため、体は隙だらけである。このタイミングならギリーは確実に攻撃を当てられたはずだが、それをせずに距離を取った。


「さ、かかってきなさい」


 舐められている--コムはそう感じ、頭に一気に血が上った。なんとしてもこの男を叩きのめし、自分を認めさせる。決意したコムは我流の構えを取ると、猛然と目の前の眼鏡男に突っ込んでいった。右手一本で木剣を振るうが、そんな単調な攻撃は読まれてあっさりと回避される。


「スピードも、パワーも足りませんね」

「がっ!」


 肺から空気を全て吐き出して、コムは喘いだ。体勢が崩れたところに、ギリーの蹴りが炸裂したのだ。体をくの字に折って痛みに耐えるコム……と見せかけて、起き上りざまに木剣をギリーに叩きつけた。蹴りはクリーンヒットしたが、もとより革鎧を着ているのだ。ただの蹴りなどは対したダメージにはならない。


(けどまあ、重かったな……!)


 見た目に似合わずギリーの蹴りはかなりの重さだった。まだ若いコムに比べて体格がしっかりしているというのもあるだろうが、それ以上に速い。足が動いた、と思ったときには衝撃がコムの体を走っていたのだ。速さと柔軟な動きを追求したスタイルなら、確かに革鎧など邪魔なだけである。


「いいですね。キリグ隊長が目をかけるだけの理由はあるというわけですか」

「けっ、言ってろ!」

(どうする……勝ってるのは武器のリーチくらいか。スピードもパワーも負けてやがる)


 ならば、近寄らない。コムは木剣を構えると、慎重にギリーとの距離を測り始めた。木剣の間合いで戦い、蹴りも掌底も届かない位置で一方的に叩く。


「ふむ。そうするしかないでしょうね」

「その済ました顔、ムカつくぜ……!」

「上官に向けてその言い様、減点です」

「あっ、汚ねえぞ!」

「もっとも変に謙られるよりはよっぽどマシですが」


 ギリーが凄みのある笑みを浮かべた、とコムが認識した瞬間、彼の体は宙を舞っていた。


 † † † †


「ちっくしょー!」

「器用だね、コム」


 夜。小声で叫ぶという奇妙な特技を疲労してくれたコムに、フィムルは少し皮肉混じりに返した。日が暮れてからそこそこ経つ。普段なら眠っている時間だが、今日はフィムルとコムだけ起きていた。同室の二人を起こさないようにコソコソと話を続ける。まあ、コムの一方的な愚痴なのだが。


「あの陰険眼鏡絶対ぶちのめしてやる。ぐねぐねぐねぐね攻撃避けやがって……!」

「陰険眼鏡、って……」

「あいつは絶対陰険だぜ。掃除した場所を指で擦って『埃が残っています。やり直し』とか言うタイプだ」

「それは普通じゃない?」


 掃除したと言った場所が汚れているのならば、掃除しなおすのは当然である。首を傾げるフィムルに向けて、コムはちっちっち、と指を振った。


「あいつはどっか汚れてるところから埃を指につけて、嫌がらせのためにやるんだよ」

「うわぁ」


 ここにギリーがいたならば、そんな面倒くさいことしませんと冷静に反論していただろうが、あいにくと聞いているのは起きているフィムルだけである。さすがにそこまで陰湿な嫌がらせをしていては陰険眼鏡のあだ名も仕方がない、と納得しかけるフィムルだったが。


「……ギリー副官、そんなことしてたの?」

「いや俺の想像」


 フィムルは抗議の意味を込めてコムの肩を小突くと、この話は終わりと言わんばかりにコムに背を向けて寝に入った。コムも自分が無茶苦茶なことを言っている自覚はあったのか、一度ため息を吐くと眠りについた。


 一方その頃。フィムルとコムを完膚なきまでに叩きのめした第一歩兵隊の隊長と副官は、一人の男に呼び出されていた。


「第一歩兵隊副官ギリー、入ります!」

「隊長のキリグだ」

「ウーノです。ヒューミ司令官からの命令をお伝えします。一週間後に第二騎兵隊とともに森へ偵察任務に向かってください」

「それは第一歩兵隊が、ということですか?」

「はい。ですが、五人までなら他の隊から引き抜いても構いません。現在、森では異常事態が起きてる可能性があるので念のためです」


 と言われても、新しい兵士を引き抜けばそれなりに摩擦も生じるし、なにより隊列が組みづらくなる。ウーノ自身もそういったことは承知しているらしく、引き抜くのならば勝手にやってね、という雰囲気だ。おそらく引き抜くことなどないと思っているのだろう。


「ちょうどいい、第九歩兵隊からフィムルとコムを引き抜くぞ」


 だから、キリグが発言したとき、二人の思考は止まった。『許可が出ている』というだけで『やらなければならない』というわけではないのに、わざわざ面倒事を増やす上官に、ギリーは内心頭を抱えた。だが、言ってしまった以上取り消すのも面倒だし、キリグが引っ込むタイプだとは全く思えないギリーとウーノはそれを認めた。すなわち、一時的な二人の所属隊の変更を、である。フィムルとコムには、明日説明が行われるだろう。


「ん? 何か問題が?」

「……いえ、ありません。第九歩兵隊のフィムルとコムですね? 確かに承りました」


 転属させるための面倒な書類仕事を思い、ウーノは多少憂鬱になるがこれも仕事だと思い気持ちを切り替える。昨日からキリグがお気に入りを見つけて鍛えているという報告は上がってきていたが、第一歩兵隊に組み込むほど気に入っているとは思わなかった。


「しかし、偵察前に壊さないようにしてくださいね?」


 一応、という様子で警告するウーノ。訓練に熱を入れすぎると、転属させたのに怪我で出撃不可能、という笑えない事態になりかねない。釘を刺したウーノにギリーが苦笑する。


「できるだけ私が見張りますからご安心ください」

「……ギリー殿がそう言うのであれば」

「おいおい、俺は信用ないなぁ」

「貴方が何回備品を壊したと思ってるんですか。今や私たちは兵士なのですから、集団行動というものをですね……」


 説教を始めたギリーに向けて、わかったわかったと面倒そうに手を振るキリグ。ギリーもすでに何回も繰り返してきた問答なのでしつこく言ったりはしない。文句を言ったのはウーノに向けたアピールである。キリグの手綱である自分は常識のある人間ですよ、という主張をしているのだ。不和を生まないための作戦でもある。


「そういえば、キリグ殿とギリー殿がそこまで気にかける二人は、どの程度戦えるのでしょう? コムという少年は何度か聞いたことがありますが」

「コムか、あいつには才能がある。ギリーもそう思うだろ?」

「ええ、間違いなく精鋭に仕上がるでしょう。というより、私でも彼の才能の底は見えません。剣でも強く、思い切りもいい。少し独創性や判断力が欠けていますが、欠点と言うほどではありません」


 キリグとギリーがベタ褒めに等しい評価をする。キリグが直感で悟った感覚的な才能を、言葉にして伝えるのがギリーの役目だ。今日、何度かコムと戦ったギリーは、その小柄な体に秘められた才能に感服していた。ウーノに告げる気はさらさら無いが、コムならば自分が編み出した戦闘技術を継いでくれるのではないかとすら思っているのだ。第一歩兵隊の兵士たちも優秀ではあるが、如何せん素直すぎる。ギリーは自分の戦闘術がコムによって世界に広がっていく様を夢想したが、ウーノの言葉によって現実へ引き戻された。


「なるほど、優秀な少年なのですね。では、もう一人のフィムルという少年は?」

「凡庸ですね」


 手合わせしてみるまでもないと、ギリーは断じた。フィムルには平凡な才能しかない。このまま鍛えていっても、いいとこ副官止まりだろう。確かに現状、一般兵よりは強いが、それも『実戦経験』があるという一点だけで成り立っているようなものだ。剣技も体術も、およそセンスというものが感じられない。キリグがなぜ目をつけたのか不思議に思い、初対面で思わず凝視してしまったほどだ。


「意外です。キリグ殿も同じ評価ですか?」

「ああ。あいつに才能はない……あるとすれば一つだけだ」

「なんです?」


 ウーノが訊ねるまえにギリーが声を上げた。自分ですら見抜けなかった才能をキリグが本能で察する--今までも何度かあったことであり、ギリーは自分の分析よりもキリグの直感を信じることがある。時と場合によるが。


「生き残る才能だよ。グダグダと余計なことを考えるわりに決断は早い。逃げ足もなかなか。大成するかと言えば、未知数、と俺は答えるね。どんな才能があったとしても、死んじまえば終わりなんだ」


 形容し難い感情を込めて、キリグは言い切った。後悔と喜びと悲しみと、様々な感情を滲ませてキリグの瞳は揺れ動いていた。ギリーもその言葉に思うところがあったのか、顔を伏せる。二人は、今も昔も死と隣り合わせの職業で生きているのだ。


「……なるほど。私の方でもそれとなく気をかけておきましょう……武器は剣でよろしいので?」

「ああ、問題ない。普通に一般歩兵用の武器と防具で頼む」

「了解しました」


 ウーノが敬礼し、ギリーとキリグも敬礼を返す。このあたりの上下関係は存外適当で、お互いにお互いを上だと思っている。もっとも曖昧なのはウーノの周辺だけでそれ以外はキチンとしているので今まで特に問題は起きていなかった。転属用の書類を制作するため、執務室に戻っていくウーノを見送りながら、ギリーはキリグに問いかける。


「……どう思う?」

「偵察任務か。キナ臭いな……慎重に行くぞ」

「ああ。そうすべきだろう、な」


 油断は即、死につながる。そのことを経験から痛感している二人は、短い言葉でお互いの認識を再確認した。


 なぜ魔物の襲撃が少ない?

 ゴブリンすらいないとはどういうことだ?

 トロルが出てきたらどうする?


 疑問に思うことや対策しなければならないことなど大量にある。冷たい石畳の床から、死神の鎌が伸びてきている光景を幻視して、ギリーは身震いするのだった。




魔物No.04『トロル』


 身長2メートルほどの人型の魔物。膂力が強く、肉食。その全身は分厚い脂肪で覆われており、短い武器で致命傷を与えるのは非常に難しい。ハンマーやロングソードで頭を潰すのが一番てっとり早いが、武器の相性次第では全滅も有りうる。分厚い脂肪からは特殊な体液が分泌され、いかに深い傷だろうと徐々に治癒していく。トロルの治癒液とも呼ばれるその液体は非常に強力な魔法薬の材料となるため買取の値段は高い。だが抽出に特殊な手順と技術が必要とされるため、トロルを倒したあとに引きずっていく余力がないとお金にはならない。王都の方では、一年に何度かトロル討伐隊を送り、良質な魔法薬の確保に利用している。魔法で焼き払うと治癒しないため、魔法使いがいると一気に討伐が楽になる。いない場合は弓などで行動を阻害して、地面に引きずり倒して頭を潰すなり首を跳ねるなりするべきだろう。非常に厄介な魔物として知られている。群れても、せいぜい五頭程度であるのが救いと言えば救いだろうか。


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