鋼剣は眠り続ける
遅くなりました。少し以上に仕事が忙しいのでちまちま書いていきます。
「あの、これどこに向かってるんですか?」
「あ? そりゃ鋼熱族の集落に決まってるだろうが」
両手を縄で縛られ、森を歩かされている青年が、前を歩く人影に問いかける。整備もなにもされていない森の中は非常に歩きづらく、先程からかなりの回数木の枝が顔に直撃して、青年は若干グロッキーだ。
「集落、ですか。ちなみになんで俺は縛られているんですか?」
縛られている青年の名を、フィムルと言う。シュトウルの森のそばにある砦で暮らす兵士だったが、ある日魔物の群れが砦を襲撃し、その主犯と遭遇するも命からがら逃げ出し――シュトウルの森で迷子になり、さまよっているうちに目の前の鋼熱族と出会ったのだ。出会い方は最悪に近かったが。
「んー……鋼熱族の奴らには荒っぽいやつもいるからな。他種族が集落に侵入したら、殺気立って襲ってくるかもしれん。その予防だな」
「え?」
「つまり、抵抗できない奴に襲いかかってくるような誇りなしは鋼熱族にはおらん、ということだ」
「な、なるほど」
前を歩くがっしりとした鋼熱族はドルモスと言う。二人は奇妙な縁で出会うことになり、フィムルの現状を知ったドルモスは彼を集落に招待することにしたのだ。罠にかけてしまった負い目もあるし、人族に前から興味があったというのもある。
「しっかし稚拙な剣に鎧だなぁ……もうちょっと上手く作れんのか……」
「はは……」
フィムルは職人ではないので、ドルモスが言っている意味はわからないが、鉱物に愛される彼ら鋼熱族なら、フィムルの剣になにか思うところもあるのだろう。
「お、もうちょっとでつくぞ」
「あ、はい」
段々と木々がまばらになってきて、代わりに岩や砂利が目立つようになる。それはこのシュトウルの森の終わり――ではなく、途切れた空白地帯である。その空白地帯は少し盛り上がった丘のようになっており、丘の上からはぐるりと周囲を一望できる。最も、木々が邪魔でそんなに遠くまでは見渡せないが。
そんな丘の麓に辿り着いた二人だったが、ドルモスが歩くのをやめたことでフィムルも足を止める。周囲を見渡すが特に何かがあるわけではなく、ただ乱雑に岩が転がっているだけの大地だ。
ひときわ大きい岩の前にドルモスが歩いていき、その岩を軽く三度叩くと、内側からかすかに振動が五度返ってくる。それを聞いたドルモスが慎重に四回岩を叩き、それでようやく相手は確信を得たのか、ゆっくりと巨大な岩が動き出す。それを、フィムルは呆然とした目でみることしかできなかった。
鋼熱族は膂力が強く、その技術力は大陸一だと聞いてはいたが、まさか巨大な岩の下に入口があると誰が想像するだろうか。目の前の岩のサイズは、ちょうどフィムルの身長ほど。横幅はフィムルの身長二人ぶんだ。
「……ドルモスか?」
「おう。入れてくれい」
「《地走竜》は?」
「ダメだった。まあそのうちこの俺が倒してやるから、安心しろって」
「……期待しないで待ってるよ」
二人は顔見知りらしく、親しげに会話を交わしながら地面にぽっかりと開いた穴に入っていく。それをぼんやりと眺めていたフィムルは、穴から飛び出てきた一本の腕が手招きするのを見て、慌てて追いかけて穴の中に潜り込んだ。
鋼熱族用に作られた入口は微妙に狭く、フィムルは何度か腰を引っ掛けながら、苦心惨憺して降りていく。縛られた状態で暗闇のなかを歩いていくのはなかなか難しかったが、狭すぎる入口は倒れる心配をしなくても大丈夫だった。
「よ、来たかフィムル」
「って人族!?」
明るい光に照らされたフィムルは思わず目を細めた。煌々と光り輝くのは、一人の鋼熱族が手に持つ松明だ。人族が使用する木の松明ではなく、金属でできている。ランプに近いものだろう。
「おう、《地走竜》の代わりに罠にかかったから拾ってきた」
「拾ってきた、ってドルモス! お前なぁ!」
「まあまあ、いいじゃないか」
フィムルの目の前の鋼熱族が言い争いを繰り広げる。そのうち相手も諦めたのか、それとも考えるのをやめたのか、面倒くさそうにフィムルの手首に腕輪をかけた。銀色に鈍く輝くそれは、鍵がなければ外せないようになっていて、とても目立つ。
「これは?」
「滞在中はそれを着けろ。滅多に訪問者がいない集落だからこそルールがある。人族が適用されるのは初めてだがな」
「そいつがあれば、身元は保証されるってわけだ。こいつがそれを出すまでにひと悶着あるかと思ったが、大丈夫だったな!」
「さっきひと悶着しただろうが!」
門番らしき鋼熱族は口から泡を飛ばしながらドルモスに迫るが、ドルモスはどこ吹く風だ。それを見ただけでドルモスがどういう人間--鋼熱族なのか察したフィムルは思わず笑みを浮かべた。
(マイペースなひとだなぁ……ああ、人じゃないんだっけ)
「ふぅ。まあいい、これでお前の身元は『ドルモス・デ・スタッカート』が保証するってわけだ。ドルモスに迷惑をかけたくなかったらおとなしくしていることだな」
「はい」
「フィムル、こいつはアトレスって言うんだ。覚えとけ。だいたいここで門番やってるからな!」
アトレスという名前を脳裏に刻み、フィムルは頭を下げる。ドルモスとの出会い方は最悪に近かったが、鋼熱族の集落に保護してもらえるのならばなんだってよかった。あのまま一人で森を彷徨い続ければ、遠くないうちに魔物に襲われて死んでいただろう。
「んじゃ、こいつは不要だな」
そう言ってドルモスはどこからかダガーを取り出してロープを切断した。そのダガーの切れ味もなかなかのもので、そこそこ太いロープを何の抵抗も見せずに切断するあたり、鋼熱族の技術力の高さが伺える。フィムルが小さいことに感嘆していると、ふたりがさっさと歩き出していたのでさっきのように慌てて追いかける。松明だけをたよりに歩いているので、何度か頭を天井にぶつけたが、なんとかふたりに着いていく。やがて空間が広くなっていき、松明の明かりが重々しい黒鉄の扉を浮かび上がらせた。
『石畳と鋼鉄の町、カンナへようこそ。熱き鉄、創造のゴルディア様のご加護を』
アトレスが鋼熱族にしか伝わらない新霊言語で告げる。新霊言語を習得している人間は皆無に等しく、その挨拶はフィムルに向けたというよりは、誰かを集落に招き入れるときの慣習のようなものだった。だがそれに、二つの返答が返ってくる。
「「火の精髄、大いなる精霊の御名を捧げん」」
その挨拶に対する的確な返しを、フィムルが告げたのだ。精霊族にはそれぞれ信奉する神がおり、それは各々の生活や挨拶の基盤となっている。それを、宿屋で育ったフィムルは知っていた。鋼熱族などごくまれにしか来なかったが、酒が入った彼らは饒舌で、フィムルは幼いときに聞いたその挨拶をしっかりと覚えていた。
「お前さん、鋼熱族の挨拶を知っているのか?」
「はい、宿屋の息子だったときに、お客さんの鋼熱族が言ってましたから」
「はっはっは! なるほどなるほど!」
「あ、でも、新霊言語は喋れませんよ?」
「そんなん喋れる人族なんていないって!」
新霊言語は、すでに半分以上失われた言語である。喋れる精霊族もいるが、非常に難解な言語のため、好んで使う者は少ない。日常会話に使っていたのは森護族くらいで、現在では簡素でわかりやすい大陸共通言語が用いられていた。この共通言語は大陸全土で通じるが、地方によっては独自の発展を遂げた方言なども残っている。
この共通言語も謎が多く、多くの歴史研究家を悩ませている要因だ。いったいいつ言語が統一されたのか、全く記録にないのである。人族だけならば何度か統一国家ができているので、その時に統一されたと思うのが普通だが、他種族までこの言語が共通言語になっていることを考えると、理由も証拠もさっぱりわからなくなるのである。
対して、新霊言語は共通言語より前にあったと言われる精霊族の言語である。今は、祭典や儀礼的な挨拶でしかその言葉を聞くことはできない。
黒鉄の扉が重々しい音を立てて開いていく。人族では動かすのに大人が十人ほど必要そうな門扉だが、どうやら鋼熱族の扉は機械仕掛けで動いているようで、そこに人力の要素はほとんど見受けられなかった。
(すごい……!)
その技術力に、素直に感嘆するフィムル。そして目の前に広がった光景に感嘆の息を漏らした。細く穴があいている天井から、差し込む柔らかな日差し。夕暮れが近いからか、各所にランプがともされ、煌々と光を放っている。幻想的なその光景は、まさに精霊族の住処として相応しい。
おそらく天井に空いた穴は換気や採光を考慮しつつ、魔物に見つからないように工夫がしてあるのだろう。光源を維持するために灯されたランプの明かりから考えても、人族が暮らす町や集落とは一線を画す技術力だ。
「どうだ、俺たち自慢の集落、カンナは? これだけの地下空間を作るのに二十年近くかかってるんだぜ? 人口は千人くらいだけどな!」
「信じられないですよ……すごすぎです……」
思わず丁寧な口調になるフィムル。これを集落と呼んでいいものか。もはや一つの国と捉えてもおかしくはない。それだけ、この鋼熱族の街は完成していると言ってもよかった。
「けどよぉ、最近は《地走竜》がこのあたりを走り回ってうるさくて仕方ねぇんだ。あいつはちょっと速すぎるからな、罠で仕留めようって話になったんだが」
「ああ、それで」
あんな巨大な落とし穴が仕掛けてあったわけか、とフィムルは深く納得した。確かに、アトレスともそのような話をしていた。アトレスは期待なんかしていないような反応だったが、それには何か理由があるのだろうか。
踏み固められた道路を歩いていると、あちこちから興味深そうな視線が向けられてくる。小柄で丈夫な体が特徴の鋼熱族は、身長が高くないフィムルよりも少し低いくらいで、何か見上げられているような妙な感じに包まれるフィムル。隣を歩くドルモスは気にもしていないようで、ドスドスと足音荒く歩いていく。どうやらこれは鋼熱族の特徴でもあり、道行く鋼熱族は皆ドスドスと歩いていた。
(なんか面白いな……)
「よぉし着いたぞ! 入った入った!」
「え、え!?」
考え事をしていたフィムルはドルモスに押され、その家の中に押し込まれた。石造りの家なのに中は明るく、寒くもない。ドルモスが家の中にあったランプに火を灯すとなおさら明るくなった。本でも読めそうな明るさだ。奥の方には工房らしきスペースがあり、何に使うかよくわからない道具が乱雑に転がっている。さらにその奥には部屋があったが、その部屋の扉には厳しい錠前がついていて、中を伺うことはできない。扉も金属製で、壊すことは難しそうだ。反対側の部屋の端にはベッドが置いてある。何の特徴もない普通のベッドだ。
「ここが俺の家だ。今日からいろいろ手伝ってもらおうと思う」
「はい」
「シュトウルで迷うとは運のないやつだなと思ったが、それでもタダ飯食らいを保護する理由はない。わかるな?」
「……僕にできることならなんでもします、だからここにおいてください!」
「よく言った」
ドルモスは満足げに腕を組み、鼻から息を吹き出した。フィムルとしても命の危険がありすぎるシュトウルの森よりも、この町にいたほうが圧倒的に状況はいいのだ。砦に戻れないのはそうだが、ここならなんらかの情報が入ってくることもあるだろうし、なにより--
(砦が無事だったとは限らない、か……)
だがここで無理難題を言われるならば、イチかバチかシュトウルの森に逃げ出して砦に帰ることも視野に入れなければ、とフィムルはわずかに身をこわばらせるが。
「やってもらうのは家事だ。掃除と洗濯と料理」
「へっ?」
「ん? 多いか? しかしなぁ俺も色々やることがあるし、これ以上は……」
「いやいやいや、やりますやります! 少ないくらいです!」
ドルモスというこの男は思ったよりいい人間らしい--いや、鋼熱族らしい、とフィムルは心の底から安堵した。
こうして、鋼熱族と人族の奇妙な共同生活は始まった。
誤字指摘・感想などは作者のやる気になります。




