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歩兵の英雄  作者: ノム
第一章 歩兵
12/22

歩兵は魔法を学ぶ

「いいですか、魔力とは生物ならば例外なく体に宿している力のことを指します」


 眠そうに目を閉じかけていたコムの額に、ゴリッと石がめり込んだ。当然、コムは痛みにのたうちまわるが、ギリーは一切気にも止めない。砦に存在するとある部屋にて、ギリーとコムは向かい合っていた。ギリーが自身の生み出した戦闘技術を余さずコムに伝え、後継者にするためだ。


「とくに魔力量が高い種族として、いくつかの種族が挙げられますが……コム、答えなさい」

「んあ? え、えっと、エルフだろ?」

「残念、不正解です。エルフももちろん魔力量の多い種族として認識されていますが、彼らが歴史から姿を消してから四百年の時が経ちます。いまや彼らの存在を証明するのは王都に存在する『聖剣エイソル』に施された【名付】の魔法のみです。」


 ギリーは右手でくいっと眼鏡を持ち上げると、もったいぶった口調で続けた。教師役にはまっているのか、知的な風貌も相まってなかなか様になっている。


「ですが、最も魔力量が多いのは真龍族……ドラゴニアスと呼ばれる種族です。その膨大な力と理知的な思考能力から、この世界最強の種族と考えて間違いないでしょう。彼らは積極的に襲いかかってきたりしませんしね。そして、二つ目の種族が我々人間とも因縁の深い――イブリース。魔族、とも呼ばれる種族です」

「やたら肉弾戦が強い種族だっけ」

「そのとおり。しかし獣人族のような獣の特徴、海翼族のような水中に適した体を持っているわけではありません。彼らの肉体の構造は限りなく我々に近い。それがなぜ圧倒的な身体性能を誇ることができるのか」


 答えはこうです、と呟いてギリーは右手に握った拳大の石を粉々に粉砕した。


「私はこれを魔闘術と名付けました。自分の魔力を触れているものに送り込み、内部で荒れ狂った魔力が内側から対象を破壊する。外皮が堅い魔物にも確実にダメージを与えられる技です」

「……すげぇ」

「ですが欠点もあります。一つ、素肌が対象に触れていなければならないこと。二つ、魔力の使用効率が非常に悪いため、本気で撃てるのは私の魔力量で二発がやっとです。イエリさんに尋ねたところ、君ならギリギリ四回撃てるそうです」

「えっ、まじ? ギリー副官より俺の方が魔力量多いってこと?」

「調子に乗らないように」


 ギンッ、と眼光鋭くコムを睨みつけるギリー。その鋭さに、コムが思わずすくみ上がる。オーガをもあしらう実力者に逆らうほど、コムもバカではなかった。浮かせていた腰を下ろして、おとなしく席に座る。それを見て満足そうに頷いたギリーは、再び講義を開始した。


「魔闘術の真髄は、二つ存在します。一つは先ほども説明した、魔力注入による、“内部破壊”」


 ギリーが黒板に、獣とその体内で暴れ狂う魔力の図式を描く。この魔力をさらに暴走させると、ギリーが倒したオーガのように、体を爆散させる羽目になる。


「二つめは、“身体強化”。我々が無意識に行っている魔力を用いた身体強化を意識的に行う手法です」


 そう言って、ギリーはポケットから小石を取り出した。少し歪な、なんてことはない小石だが、ギリーはそれをなんの気負いもなく捻り潰した。魔力を内部に注入して破壊するのではなく、ただ膂力、指の力だけですりつぶしたのだ。その異様な光景に、コムの思考が一瞬止まる。


「はっ?」

「兵士や冒険者は、無意識に体全体を魔力で強化しています。それを右手の人差し指と親指に集中させれば、こんな芸当もできるわけです」


 砂になった小石が、ギリーの指の隙間からこぼれ落ちていく。その光景を見たコムは、自分の胸が酷く高鳴るのを抑えられなかった。ギリー副官が生涯の戦闘を通じて生み出した、凄まじい戦闘技術の後継者に自分が選ばれたのだから。ちらり、とフィムルの顔が脳裏をよぎったが、すぐに興奮がそれを洗い流した。


 † † † †


 オーガの死体を見て、彼女は考える。

 彼女が共有している凄まじい量の知識によって導き出された未来予測とは異なる結果だ。

 人間の、こんな辺境の砦には傑出した人物はいないはずだ。ごくまれに中央で疎まれた才覚者が飛ばされることはあるが、そういった人間は積極的に出ては来ない。それが、二人の犠牲者を出しつつも同時行動しているオーガ二匹を殺害。尋常ではない。


「おかしい。イブリースのことといい、オーガのことといい……」


 何者かが動いている。たしかに最近、イブリースの少女が類まれなる才能を開花させたが、まだこの付近に影響を及ぼすほどではないはずなのだ。だがそれでもオーガは異常な行動を起こし、人間がそれを異様な戦力で止めた。

 戦闘が起きている砦とはいえ、オーガ二匹を容易に殺害できる戦力を偵察に使うのは明らかな過剰戦力。


「私たちが知らないところで何かが起きている……っ!?」


 魔法の気配を感じた彼女はとっさに自身の体に隠蔽の魔法をかけて木の上に隠れる。見れば、地面を小さなネズミが走り去っていくところだった。


(ネリモス……【使役魔ファミリア】か)


 【使役魔ファミリア】。小動物や小型の魔物を使役する使役魔法によって拘束された生き物たちを指す。【死霊術】ほどではないが、嫌われる魔法の一つであり、人間のあいだで使い手は非常に少ない。脳内の知識に素早く検索をかけた彼女は、息を殺してネリモスが走り去っていくのを見送った。


「【使役魔】を使えるほどの魔法師があの砦にいるのか。いよいよもって、過剰戦力のような」


 木の葉ひとつ落とさずに、彼女は地面に降り立った。使役魔法は人気がなく、また秘術ともいえる魔法の一つだ。当然、使役魔法を使える人間はほかの魔法も高い練度で修めていると見て間違いないだろう。


「何か、嫌な予感がする……」


 彼女はそうつぶやいた。それは風に乗って虚空に消え、その呟きに返すものはなく、森はただ葉擦れの音を返すだけだった。


 † † † †


「暇だ」


 一人、フィムルは呟いた。緊急の場合に備えるということで、訓練は中止。コムはギリーに呼び出されて消えた。二人が自分に隠れて何かを訓練しているのは知っている。嫉妬の感情もあるが、コムの呑み込みの早さを考えれば納得もいく。


「「あ」」


 漠然とした不安を感じながらもとくに何をするでもなく砦の中をうろついていたフィムルは、目の前から歩いてくる小柄な人影と目があった。真紅に燃え盛る瞳と、わずかに見える銀色の前髪。口元はローブの襟に隠れて見えないが、整っていることがすぐにわかる顔立ち。


「エミル……」

「……お久しぶり?」

「そんなに経ってないけどね」


 お互いに目線で、暇なの? と問う。同意。二人は何を言うでもなく、歩調をそろえて歩き出した。


「せっかくの休み……」

「寝たい」

「魔法の訓練とかは?」

「今日は師匠が教わる日……」

「あーなるほど?」


 グダグダと会話を続けながら、二人の足はこの砦における数少ない憩いの場に向かっていた。陽光が降り注ぐ、絶好の昼寝ポイント――中庭へ。


「あー……心地いいな……」

「うなー……」


 中庭で本当に兵士なのか疑いたくなるレベルでリラックスする二人。周囲にはちらほらとほかの兵士の姿も見えるが、一切合財を思考の外に放棄して、二人は束の間の休息を全力で味わう。仰向けになっても外れないフードを、フィムルが疑わしげに見る。


「なあ……そのフード、どうして取らないんだ?」

「見せたくない、から」

「何を?」

「……髪」


 フィムルは少年特有の無遠慮さで、ずけずけと踏み込んでいく。普段は落ち着いて思考してから発言するのだが、いかんせん今は完全にオフモード。思考を垂れ流しているだけである。一方困ったように返しているエミルも、昔に比べれば髪を見せることにほとんど忌避感を覚えていなかった。それは、自分の師匠でもあるイエリにすでに見られていること、見られた上で彼女の対応がほとんど変わらなかったことに起因する。


「なんで?」

「フィムルは……」


 言いかけて、フードを外そうとするが寸前で思いとどまる。かつて向けられた失望と軽蔑の視線を思いだしたからだ。この呪いのような迷信は、平民にはほとんど伝わっていないとはいえ――未だに信じられている地域も存在する。もし、フィムルがそこの出身で、拒絶されたら。


 エミルは、初めてできた同年代の友人を失いたくなかった。


「なんでも、ない」

「そっか……じゃあ、気が向いたら見せてくれよ」

「……うん」


 初めて出会った時にあったギクシャクした関係は、もうない。ともに訓練し、ともに労働したからこそ、二人は気安く現在の平穏を満喫できる。空を流れていく雲は緩やかで、フィムルはゆっくりと瞳を閉じた。その隣でエミルも、陽光を浴びながら眠りに落ちるのだった。





「はっ!」


 ガバッ、と脈絡もなくフィムルが跳ね起きた。柔らかな日差しを注いでいたはずの太陽は消え、周囲はほの赤い夕暮れに支配されている。昼寝を始めたのが昼前だとすると、かなり長い時間眠っていたことになる。慌てて隣を見ると、そこには寝返りをしてフードが取れたエミルの姿があった。

 フィムルは言葉を失う。フードに隠れていた髪が現れ、薄く夕日を反射している。それも美しいが、なによりその素顔はとても無垢で――危うかった。


 触れれば壊れてしまう、砂細工のような脆さ。

 透き通った清純さを表す、硝子のような透明さ。


 ただ一言で言うならば――美しかった。フィムルが呼吸を忘れて、思わず魅入るほどに。


(こんな綺麗な奴だったのか……!)


 一度だけエミルの寝顔を見たことがあるフィムルだったが、その時はここまで感動することはなかった。まだ成長途中の、少女と女らしさが同居しているがゆえに、危ういバランスで成り立つ美しさ。『可愛い』より、『愛嬌』より、ただ『美しい』と評するべき美貌。だが普通ならば人を寄せ付けないその美しさは、純粋無垢な寝顔によって、魅力だけを生み出していた。美人にありがちな、鋭いトゲトゲしさが全くない。


「い、いや落ち着け、落ち着けフィムル。エミルは貴族だ、身分が違う。落ち着け……」

「……んあ……あれ……?」


 ブツブツと呟くフィムルの声で目が覚めたのか、寝ぼけたような声を上げながら顔を触るエミル。その様子からフィムルは思わず目をそらし、顔を触っていたエミルの顔が真っ赤に染まった。

 自分のフードが外れていることに気がついたのだ。慌ててフードを勢いよくかぶると、目元すら見えないように前をきっちりと合わせる。


「み……」

「み……?」

「見た……? 髪……」


 髪? と内心首を傾げるフィムル。そういえば眠りに落ちる前、うっすらと髪の話をしていたような気はするが、あまり覚えていない。自分の記憶を探ってみるが、エミルの顔を正面から捉えた画像しか浮かび上がってこないので、後頭部にあるであろう髪は見ていない。前髪は見たが。


「前髪だけ……」

「……そう。なら、いいの」


 ようやく落ち着いたのか、エミルはフードを押さえ込んでいた手を離した。まだねむたげな双眸は、夕焼けよりも鮮烈な真紅。その瞳に飲まれそうになりながらも、フィムルはなんとか言葉を紡いだ。


「い、行こうぜ。たぶんそろそろ夕飯だ」

「うん」


 話してみると幼いところが目立つ。魔法を扱うものの精神は、実年齢よりも成熟しているというが、エミルは魔法を使っているとき以外はそんなことはなかった。年相応の、少女である。

 ふたりは微妙な距離感を保ちながら、食堂に向かって歩いて行った。



 そんな二人を見つめる影が二つ。


「師匠、のぞき見は趣味がいいとは……」

「貴様だって乗り気だっただろ」


 エミルの師匠であるイエリと、そのさらに師匠であるトレーヤイが立っていた。彼らほどの腕前になれば、砦の中の魔力反応を魔触で探知、エミルの位置を割り出すなど難しいことではない。挙句の果てには【使役魔法】を駆使する【耳目の賢者】がいるのだ。誰にも知らされていないことだが、この砦においてプライバシーなどないに等しい。彼が好んで使う使役魔であるネリモスは、砦では害獣として駆除されてしまうが、ほかにも鳥など、使役魔にできる小動物は大量に存在する。


「面白くなってきたじゃないか」

「師匠も、その野次馬根性がなければ……」

「おい、何か言ったかくそ弟子」

「口も悪いし……能力的には《魔法塔》の賢者でもおかしくないのに……」

「おいくそ弟子、お前本当に儂のこと尊敬してるんだよな?」

「ええもちろん」


 しれっと言い切ったイエリに、半眼を向けるトレーヤイ。だがその視線をなんの感情も見せずに受け流すイエリ。もし、他の人がこの光景を見たら、九割の人間が同じ感想を抱いただろう――この二人、性格がそっくりだ、と。もちろん、本人たちは頑として認めはしないだろうが。


「エミル、か。どうなんだ、お前から見て」

「空恐ろしいほどの才能ですね。なんせ、あの年で原典魔法を一つ生み出したんですから」

「調練場に穴を開けた魔法か……」


 ふむ、とトレーヤイは顎に手をあてて考え込んだ。原典魔法そのものはそんなに珍しいものではなく、イエリもトレーヤイも何個か保有している。イエリが二つ、トレーヤイが七つ。原典魔法とは自分で編み出した魔法のことを差し、自分が進んで教えたり、他者が盗んだりしないかぎり自分しか使うことができない魔法だ。だが想像イメージしたとおりに効果が変動する魔法で、原典魔法かどうかの判断は非常に難しい。

 だが、イエリは迷いなくあれが原典魔法だと断言した。十二歳の小娘が、ベテランと言ってもいいイエリに断言させるほど斬新で強力な魔法。


「面白いことになりそうだな」

「はい?」


 ニヤリ、と笑った自分の師匠の呟きに、イエリが怪訝そうな声をかける。


 近いうちに、何かが起こる――。


 確たる証拠はないにしても、砦の周辺で何人かがその事を確信していた。

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