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恋人・Lv3

作者: 平なつしお

 ふと、寝ぼけ眼で枕元においた目覚ましがわりに利用している携帯を手にとった。外も室内も暗い中、バックライトがいっそうと明るく見える。

「……まだ、七時前」

 タイマー設定したストーブもまだ動いていない時間だが、目はしゃっきりとしている。まぁ、昨日は日付が変わる二時間くらい前に布団に入ったから。

 いやはや、我ながら子供じみていると思うけどしょーがない。

 ちらりと外に目をやれば、薄暗くも雨は降っていないくらいはわかった。

 よしよし。天気予報どおりなら、今日はきっちりと晴れそうだな。せっかくのデート、それもがっつりと一日だ。雨なんかで中止になったら、やりきれねえ。

 夜景の見えるレストラン……とは行かないけど、ちょっいっと高めのお店は確保済みだしな。まぁ、雨でも行けっけど。

「んー……」

 身体を伸ばし、ほぐす。

 目はもともと覚めているけど、これで頭もすっきりしたかな。

「うっし、まだ早いけど準備しますかね」

 着替えは昨日の内から用意してある、濃紺のジーンズに黒い長袖シャツ。上から、ワンポイントの入った白いカッターシャツっと。ああ、それと靴下……無難にグレーのにしとこ。

 手早くパジャマを脱いで、着替えを済ませる。脱いだ服は、今晩も着るからベッドの上に。

 あとは顔洗って、ひげそって飯食って歯を磨いて終わりだな。

 やっぱり昨晩から用意しておいたショルダーバッグを手にしかけて、その前に中身を確認。

「よし、問題なし」

 財布にハンカチと、それから隠し玉っと。こいつのおかげで、わりと資金難だけども今日の分のデート代は大丈夫だろう。

 大丈夫、だよな?

 チケットは先に買ってあるだろ、樋口一葉と野口英世が一人ずつ控えてる。頼りになる五百円玉ワンコインと常備軍である百円玉も七枚あるし……まぁ、昨日も確認したから増えてねえよな。

「さって、とりあえず下に行きますか」

 準備は十分。あとは時間を待つばかりっと。






 階下に降りて、とりあえず洗顔と髭剃りを済ませる。鏡に映るのは、見慣れた顔だ。寝癖はないみたいだけど、セットは飯の後にすっか。

 脱衣所を出て、向かいのダイニングキッチンへ。物音がするし、何か談笑する声も聴こえる。珍しいな、親父たち起きてるのか。

「おはよー」

 扉を開けながら声をかければ、聞き慣れた二つに混じってもう一つ。

「あっ、おはよう。ご飯はもうすぐ炊けるから、座って待ってて」

 淡い緑色のジャージに、母さんが使っているひよこのワンポイントがついたエプロンをつけた彼女――斑鳩巴いかるがともえが、キッチンから顔を出しながら言った。

 一度シャワーでも浴びたのか、まだ濡れたままの髪を軽く縛っている。

 その隣では、母さんが鍋をかき混ぜているようだ。

「おー、サンキュ。メニューは?」

「おじさんのリクエストで、チーズトーストと目玉焼き。それから、ちょっとしたサラダにオニオンスープ」

 見事に洋風だ。我が家では和風な朝食が多いぶん、物珍しさが先立つな。

 にしても、チーズトーストのリクエストとは、なかなかに子供っぽい。苦笑いしながら、オレは父さんの前に座った。

 その父さんは、一心不乱に買ったばかりのスマートフォンを弄っている。だからなのか、ここの所は会話の中にひたすらネット用語が混じり、まぁ、控えめに言って、ちょっとアレだ、うっとおしい。

 たいていの事なら別にいいけど、流石に『リア充爆発しろ』はなぁ。ご近所さんからオシドリ夫婦とか呼ばれてる相手に言われれると、やっぱり納得行かないものだ。

 と言っても、今日は茶化してくる様子はない。時々、うすうすと笑う様子からも熱中している事がよく分かる。

「おっまたせー、二人分できたから先に食べちゃってて」

 不意に、巴がお盆に乗せたチーズトーストを二つ、オレと父さんの前に置いていく。

 溶けて、わずかに焦げ目がついたチーズが、黄金色をした食パンの上に乗って白い湯気を立ち上らせる。

 いい匂いだ。

「いや、待ってるよ。すぐに出来るだろ」

 正直に言えば、匂いを嗅いだ瞬間から腹がかなり好き始めてきたけども、流石にな。

「うーん、冷めちゃうと思うけど……それじゃあ少しだけ待ってて。

 あっ、おじさんは先にどうぞ」

「そうだね、ありがとう。頂かせてもらうよ」

 スマートフォンを胸ポケットにしまい、いただきますと手を合わせてからチーズトーストにかぶりつく。

 普段からあまり表情が動かない父さんだが、微妙に口元が綻んでいることから、相当に喜んでいるようだ。

 ……って、そういえば。

「巴って、なんだって母さんと朝飯を作ってんだ?」

 なんか、ごく普通に馴染んでたから聞きそびれてたよ。実際、二、三ヶ月に一回はうちで朝飯を食ってく日はあったけどさ。

「え~、今更聞くのそれ」

 わずかに頬を膨らませながら巴が、台所から顔だけ出す。

「んっ、まぁ父さんに捕まったんだろうけど」

「そうね。私が早朝ランニングと発声練習をしてるのは知ってるでしょ」

「この間、文化祭が終わったばっかりなのに頑張るな~」

「日々練習が上達の近道です」

 ニッコリと笑いながら、巴は残り二つのチーズトーストを運んでくる。そのすぐ後ろには、母さんがスープを持っている。

 それぞれの前に置き、巴がオレの隣に、母さんは父さんの隣席に座った。

 よっしゃ、これでご飯にありつけるな。




「では、いただきます」

 遅れるように巴と母さんの声が続く中、オレはひとまずチーズトーストを手にとった。

 少し冷めてるけど、チーズと香ばしい食パン。溶けたバターがアクセントになって、非常に美味しい。

「へっへ~、バターは塗らないで固形のまんまオーブンに入れるのがポイントかな」

 確かに、溶けたバターのおかげか濃い味わいがある。うっかりすると垂れてきそうだけども、かなり美味い。

「まぁ、その分カロリーが……こう、あれな感じに」

「バターにチーズだもんな」

 どっちも、高カロリーの代名詞だ。女の子としては、たまになら良いけどってところだろう。

「うぐぅ、良いもん。今日も外を走ってきたし……きたし!」

 力強く断言しながら、巴は半分にちぎったチーズトーストをこちらによこしてくる。ああっ、バターが垂れるって。

「おいおい、それじゃあオレが太るだろ」

「ぬあっ! 言わないように気を使った単語をズバッと言うなよぅ」

 ペソペソと、巴がオレの肩を叩く。

「そうですよ。女の子に、年齢と体重とお肌とお化粧の詳細を聞くのは、ダメですからね」

 そんなありさまを見ながらか、母さんが苦笑しながらやんわりと注意してくる。

 秘密が多いなぁ、女の子。

 思っても口にしないけど。なんか、母さんの目が笑ってないし。父さんが小刻みに震えてるし。

「……祐一」

「ん?」

「慣れろ」

「頑張るよ」

 真横でうんうんと頷く巴を盗み見ながら、オレは父さんの声に力なく返した。




 ほどなく、朝食を食べ終わったオレたちは順々に食器を流しに持っていく。

「さって、洗い物はオレがやってやるよ」

「珍しいじゃない。普段はそのまま置きっぱなしなのに」

 一番最後に食べ終えた母さんが、食器を片付けながらに言う。

 うっせ。彼女が来てる時くらい、カッコつけさせろや。

「ともかく、洗っとくから巴は準備して来いよ」

 まだ時間はあるけど、女の準備は長いってのは決まってるらしいからな。

「うーん……」

 巴が腕を組み、小さくうなり声をだす。そして、何を思ったのか腕まくりをしながら近づいてきた。

「ならさ、一緒に終わらせちゃいましょ。その方が早いって」

「いやいや、早いとかじゃなくてさ」

 お礼っつか、気を使った感じなんだけど。

 そう言おうとして、しかし巴はオレが口を開くよりも早く動き出す。

 スポンジを湿らせ、洗剤をつける。お湯で濡れた食器を、次々と洗っていく。

 やべぇ、オレがする事ない。てか、割り込めない。

「ふふっん。この斑鳩巴ちゃんは、人様のお家でご飯をごちそうになっておいて、ハイさようならするほど不躾ぶしつけじゃないのよ」

「作るときに手伝ってたから、別にいいと思うけど……」

 巴がスポンジで磨いた泡まみれの食器を、ぬるま湯で流してからシンクに並べていく。

「えっと、それじゃあさ……ちょっとした疑似体験ぎじたいけんして見たかったって理由だと、どうかな?」

 少しだけ手を止めて、巴がこちらを見上げてくる。

 疑似体験って……えっと……。そう言う事、だよな。

 どうしよ。なんて返せばいいよ。

 いや、別に嫌じゃねえけど。ただなんていうか、まだ早いってか。

「あー、その……なんだ。

 つっ、次は一緒に料理でもしてみるか?」

 なに火に油を注ぐようなこと言ってんだオレっ!

 いや、でも、下手にごまかして傷つけたら意味ねえし、かと言って一足飛びにある意味の終着点に行くのもどうよ。

「うっ、うん!」

 はーい、次回のデートの予定が決定しましたよー。

 そんな本気で嬉しそうに返事されたら、断れるかっての。断る気もねえけどな!

「見えるか、母さん。アレが世間で言うリア充と言うやつだ」

 と、壁を殴りながら父さんが。

「ええ。なんだか、こうモヤっとするものが湧いてきますね。

 ――それはそうと、壁を叩かないでください」

 と、父さんを叩きながら母さんが。

 ちくしょう、なんか微笑ましい物をみる感じで見るんじゃねえやい。

「あははっ、流石にちょっと恥ずかしいね」

「まあ、な」

 でも。

「なんだか、悪くないかも」

 図らずも、二人分の言葉が重なった。




 着替えに帰った巴を待つことになったので、オレは粉末のミルクティーをいれて待つことにした。さすがに、数十分はかかるだろうしね。

 母さんは洗濯物を干しに行き、オレと父さんだけがリビングに居る。

「それにしても、だ」

 中身は緑茶だが、父さんがオレと同じように一服しながら口火を切った。

「付き合い始めて、ずいぶんと変わったな」

「そうだろ。まあ、元々可愛かったしな」

 最近じゃあ、ナチュラルメイクってのか化粧の仕方も変わったみたいだし。

「巴ちゃんもだけど、お前もだよ」

「かな? 自分じゃあ、実感は……」

 ああいや、あるか。幼馴染だったころは、たぶん可愛い何て巴に言ってねえや。

 それに、こうやって休日に一緒に朝飯を食ったりもしてない。遊びに行くのは、わりとやってたか。

 でも、こうやって誕生日にとかはなかったよな。

 そう考えると、けっこう変わったのか。

「どうやら、実感が出てきたみたいじゃないか」

 ニヤリと笑いながら、父さんが茶化してくる。

「うっせ、どうせ告白が誤爆するまで気付きもしなかった鈍感野郎ですよーだ」

 改めて考えてみると、十年近くも気が付かなかったもんだ。

「それにだ、そう言う関係以外でも、色々と変わってきてるだろ」

「たとえば?」

 パッとすぐに思い付かないから、父さんに水を向けてみる。

「例えば、お前の成績だってだいぶ良くなっただろ」

「そりゃあ、ね。付き合い始めのころに赤点連発して、職員室に呼び出されたし」

「おい、初耳だぞそれ」

「ひゅっ、ひゅーひゅー」

 音にならない口笛を吹いてみる。

 やべ、そういえば言ってなかった。

「補習は回避できたのか」

「なんとか頼み込んで、追試で。巴と一緒に」

「……はぁ、まあそこから自分で努力したことに免じて、不問にしよう」

「わーい、パパありがとー」

「調子のいいやつめ。けど、成長したってことなんだろうな」

「ん、今のでそれを実感されちゃうの」

「そうじゃない。自分で勉強をし始めたってところだ」

 ああ、それか。

 でも、当たり前だよな。

「なんせ、そうしないと巴と遊ぶ時間がなくなるからな」

 補習にかまけてとか、マジ勘弁。それで別れるはめになったら、本気で泣く自信がある。

「でも、バイトはしてるだろ」

「遊ぶ金ほしさに、ね。秋は巴も部活で忙しいし、空いた時間を有効活用したんだよ」

 今月からは日数を減らさして貰ったけど。それでも、週に三回から四回はバイトだ。

「変わった……違うな、成長したのか。

 まったく、親がなくとも子は育つというが、勝手にどんどん大人になりやがって」

 生意気なと言いながら、父さんがお茶を飲み干す。

 気がつけば、オレのカップも微温くなっていた。思った以上に話し込んでたのか。

「――巴ちゃんの、どこが好きなんだ」

「なんだよ、突然」

 本当にとうとつに、父さんが聞いてくる。うーん、どこって言われてもな。

「まあ、全部じゃね?」

 そりゃあ、ホラーを見せようとしてくるところとか思う所がないわけじゃないけど。

 でも、惚れた弱みなんだろうな。そう言うやな所でも巴らしいってか、なんだか許せちまう。

「ベタぼれって所か」

「なにせ、巴の一挙手一投足いっきょしゅいっとうそくが愛おしくて堪んないんでね」

 苦笑する父さんに、ニヤッと笑って返す。

 それに、父さんが嫌らしく笑いながら人差し指でこちらを指してきた。

 後ろ?

「……ひぅ」

 真っ赤な顔した巴がいました。

 今日は遊園地に行くのだからか、普段のデートでは着て来ない薄い青のジーンズ。上には緑とグレーのボーダーのシャツに、ベージュのジャケットだ。

 髪は先程のポニーからおろし、前髪部分に何時かにプレゼントした髪留めを使って止めている。

 手にはバスケットと、肩には小さなバッグ。

「えっと……似合ってるな、その格好も」

 気不味さから、ついつい早口でまくし立てる。

「ありがとー。えへへ……そんなにアタシに惚れちゃってたカー、いやー仕方ないよね、こんな美少女ダモン」

「うん、否定しない」

「そっ、ソウ?」

 巴もオレと同じような感じだ。乾いた笑い声とカタコトな言葉。なんとも言いがたい雰囲気が漂う。

「そういえば、いつの間に?」

「驚かせようと思って、お庭で洗濯物を干してたおばさんに断ってこっそりと……」

 お互い、それ以上に何にも言えずにモジモジとする。

 いや、正確には何かを言おうとするんだけど、タイミングが重なって上手くいかないんだよね。

「おーい、そこで甘酸っぱい空気を醸し出してるバカップル。バスの時間、間に合わなくなっても知らんぞ」

 見かねたのか、父さんが呆れたと言いたげに声を上げる。

 あっ、やべ。

「急げ、巴! あと十分でバスが出ちまう」

「えっ、嘘っ」

 巴の手を空いてる手を取って、走る。

 別に遊園地は逃げねえけど、やっぱり長く遊びたいからな。

「じゃっ、行ってきます。夕飯は食ってくるから」

「おじゃましましたー」

「楽しんでこいよー」

 父さんの声を背中に受けながら、オレたちは手を取り合ってバス停まで走った。




 なんとか間に合ったバスに乗り込むと、中はだいぶ空いていた。

 停留所、わりと最初の方だしな。これから混んでくるだろうけど、今は座っててもいいだろ。

 そう思い、オレと巴は並んで二人分の座席に座る。

 窓際が巴で、通路側がオレだ。

「あっ、少し窓開けて良い?」

「おう」

 確かに、走ってきたせいか少しばかり身体が火照ってる。少しばかり、涼んでおこう。

 巴が窓を開くと、外から風が吹き込んでくる。

 それに合わせて、ふわりと巴のおろした髪が揺れた。ふと、あまり嗅いだことがない香りがする。

「香水か、これ」

「あっ、うん。変、じゃないよね」

「いい匂いだと思うけど」

 なんだろう。甘い香りって言うのかな、それほどキツくないんだけどもしっかりと存在感を示す。そんな感じがする匂いだ。

「ちょっと甘すぎるかな、とも思ったんだけど」

「そうかな、オレはこれくらいならいいと思うぞ」

 本当に少しだけ、フワッと香る程度だし。

「そっか。それなら、今度もつけてこようかな」

「ああ、そうしろって」

 照れたように笑う巴に、こちらも微笑んで返す。

 おおう、今日はなんだかオレが攻めて行けそうだぜ。

「実はこれ、部長に教えてもらったの」

「部長ってと、演劇部の?」

「しかいないでしょ」

 そりゃあ、まあそうだ。学校で部長なんて役職についてるの、各部活くらいにしか所属してない。

「文化祭用の小道具を買いに行った時に、ちょっとだけ寄り道して教えてくれたの。

 あんまり流行りを追いかける人じゃないんだけどね、これは気に入ったんだって」

演技一筋えんぎひとすじって印象があったけど、そうでもないんだな」

 文化祭の準備中、寂しさに負けて何度か差し入れを持っておじゃました時も、顧問の先生よりも厳しい上にオレが中に入るのを嫌がってたしな。

 なんでも、本番の綺麗な状態だけを見せたいらしい。いわゆるプロ意識ってやつなんだろうか。

 そんな人が、こっそりと寄り道してるってもの意外だ。

「あー、まあアンタは普段の部長を知らないもんね。

 部活というか、演技には本気だけどそれ意外だと普通の乙女(自称)なんだから」

「自称とか言ってやるなよ……」

「いいのよ、かっこ自称かっこ閉じる。までが、部長の持ちネタだから。

 ともかく、そんな風に紹介して貰ったから使ってみようかなって」

「何て紹介してもらったんだ?」

「あー……それを聞いちゃうか」

 ちょっとだけ頬を赤らめて、巴がぼそぼそと何かをつぶやく。

「その、さ。

 ――彼氏に喜ばれるよって、言われたから」

 くるくると指で髪の毛を弄びながら、巴は今にも消え入りそうな声で言った。

 あっ、今なんか胸のあたりがキュンってなったわ。

 顔が赤くなって、なんとなくまともに巴の顔が見れない。

 まったく、我が彼女ながらなかなかに恥ずかしいことを言ってくれる。

 可愛いいな、もう!

 思わず顔をほころばせれば、巴がぷっくらと頬をふくらませて抗議するように目線を向けてくる。

「もう、そんなニヤニヤと笑わなくてもいいでしょ!」

「悪い悪い、可愛いなあと思ってさ」

 掛け値なしに、そう言える。

「むぅ、あんまりそういう恥ずかしいこと言うなら、こっちにも考えがあるんだからね」

 ふふんっと、巴が得意げにウィンクをする。

 そして、これ見よがしに膝の上に置いていたバスケットを、オレの眼前につきつけた。

「これ、何が入ってると思う?」

 大きさは横幅がだいたい人の胴回りと比較して、やや小さいぐらいか。白地をベースに色とりどりの水玉が大小、いくつか散らばっている。

 深さは、辞書が二冊ギリギリで入るくらいかな。

 なんというか、まあ恐らく。

「よもや『お』のつくやつでしょうか」

「そうそう。

 斑鳩巴ちゃんお手製、特性の――」

 バスケットを開いてみせて、言い切った。

「美味しい美味しいおにぎり!」

「そこはお弁当じゃねえのっ!」

 どっちでも意味は同じだろうけど。

 ただ、言うとおりに中身は幾つかのおにぎりがタッパーに詰められている。

 ノーマルからふりかけで味付けをしたであろう見た目の物まで、多種多様に十個ほどだ。

「おおー、美味そう!」

「おかずは、おにぎりの中ね。これが鶏の唐揚げで、こっちが……えっと、たしか海老天だったかな」

 あれこれと指さしながら、巴が教えてくれる。

 それにしても、いつの間に作ったんだこれ。確か、朝は少なくともオレが起きてくる前にはうちにいたみたいだし。

 疑問に思い、オレは率直に聞いてみた。

「おかずは夜のうちに仕込んでおいて、後は簡単におにぎりができるって触れ込みの型でちょいちょいっとね」

 巴はバスケットを膝の上に置いて、軽く握るような仕草をしてみせる。

「へぇ、そんなのがあるんだ」

「そっ、だからそんなに時間はかかってないのよ」

 とは言うものの、二人分ともなればそんなに簡単じゃないはずだ。

「ありがとな」

「どーいたしまして」

 にっこりと、巴が笑う。

 釣られて、オレの頬が緩んだ。

「あっ、見えてきたみたいよ」

 不意に、巴が反対側の窓を指さす。

 流れる風景の中に、今回の目的地である遊園地の代名詞とも言えるジェットコースターが、建物の隙間から見え隠れしていた。

 さて、お楽しみなデートはこれからが本番だな。

 思わず、顔がにやけて巴に突っ込まれてしまった。




 人によっては肌寒いと感じるこの時期。綺麗に晴れた秋空の下では、多くの人で賑わう遊園地の入り口が見えた。

 あまり可愛くないイタチをデフォルメしたてん君が、ゲートの上から見下ろすように笑っている。

 いわゆるウザ可愛いを狙ったらしい。おもいっきり外しているような気もするが。

 県下最大をうたうここ、当越ドリームランドは家族連れやオレたちのようかカップル、友人グループと幅広い年代が楽しめるテーマパークとして多くの人が利用している。

 チケット売り場にはすでに行列ができているが、オレは前もって買っておいたのですぐに出入り用のゲートに並び、すんなりと園内に入ることができた。

 まだ開園まもないってのに、すでにかなりの人数が園内に散らばっていっているようだ。

 ひとまず、巴の作ってくれたお弁当をコインロッカーに預けてから動くことにした。

「前も言ったけど、本当にありがとうね」

「ん?」

 ロッカーに鍵を閉め、入り口で貰ったパンフレットを開き、さてどう回ろうかと相談しようとした矢先に巴がゆっくりと口を開いた。

「遊園地デート。誕生日プレゼントも兼ねてるからって、一日フリーパスは高かったでしょ」

「たぶん、巴が思ってるよりは安いから気にすんなって」

 そのおかげで、追加のプレゼントを買えたしな。こいつはサプライズだから、ギリギリまで教えないけど。

「いいから、今日は楽しもうぜ。久しぶりのデートだしよ」

 ニッと笑ってみせる。

 楽しんで欲しくて、今日のデートはセッティングしたんだからな。

「う~ん……わかった。今日は、甘えさせてもらうね」

 言いながら、巴がパンフレットをオレの手から抜き取って、二人で見えるように広げる。

「そうそう、楽しまなきゃ損だって。

 で、定番の観覧車はまあ夕暮れか夜景のどっちかにするとしてだ」

 園内の北側。やや小高いところにある観覧車は、いわゆるデートで定番のスポットだ。

 行くなら、ロマンティックなタイミングがベストにきまっている。

「そうねぇ……やっぱり、ここかな」

 言って、巴が指さしたのはここからすぐにある場所であった。




 お化け屋敷と言うものは、大雑把に分けて二種類ある。

 トロッコのような乗り物に乗って、施設内を進んでいくライド型。そして、自分の足で歩く箱型とでも言うべきものだ。

 どっちのほうが怖いって――両方とも怖いけども――真実、恐ろしいのは自分の足で進んでいく箱物の方だろう。

 だって、ライド型なら目と耳を塞いでればその内に終わってるからねっ!

「いや、そこまで怯えなくても良いと思うんだけども」

 巴の差し出した左手を、自分の両手でしっかりと握りながら、恐る恐ると歩みを進めていく。

 お化け屋敷の中だ。

 うすぼんやりとした間接照明に、立ち込める謎の白い煙。

 誰かの悲鳴が聴こえる室内は、背筋が寒くなってくる。

 通路も迫っ苦しいし、歩いて行くだけで嫌な汗がにじみ出てくるほどだ。

 余計なことに、最新の技術を駆使したなどという代物で、やたらとリアルな造形をしたお化けがそこかしこから現れてくる。

 ぶっちゃけ怖い。

「あっ、そういえばさ」

「なんだよ……」

 手を引いて前を行く巴の背中を、頼もしく見返しながら言葉を返す。ややぶっきらぼうになってしまったのは、震えを誤魔化すためだ。

「この間テレビでやってたんだけど、最近になって一部を改装したんだって」

「お化け屋敷の?」

「イエスっ!」

 余計なことすんなよ経営者っ! 怖がっている人もいるんですよっ!

 キョロキョロと、挙動不審きょどうふしんに周囲を見渡す。

 不意をついて、物陰からグロテスクな人形が飛び出してきて、おもわず巴の手を強く握る。

「ふふふっ、そんなに怖いんだー」

「当たり前だっての」

 軽くトラウマだよ。その主因は、ガキの頃に巴が見せてきたグロテスクなゾンビ映画だけど。

「なら、もっと、ギューっとしてこない。

 ほらほら、ここが開いてますよー」

 巴が右手で、左側の肘の当たりを指さす。

 なっ、なんちゅう提案をしてくるんだ……。

 全身に衝撃がはしるとは、このことか。

 立場的に自分が有利だからか、ドヤ顔しつつもちょっと恥ずかしいのか頬を赤くしてるのが非常に可愛い彼女の提案。

 これは、受けざるをえない。いまも『どう、どう』と視線をチラチラと向けてくるんだから、断るだ何て選択肢はありません。

「あー。怖いから仕方ないよねー」

「そうそう、怖いならムリしないでくっついちゃえばいいのよ」

 握っていた手を離し、恐る恐ると立ち止まってこちらを向いている巴へと近づいていく。

 薄暗く、ビビりまくってるから歩みは遅いけど。

 あと少し。組みやすいように、広げられている巴の腕に近づいた瞬間だった。

「うひやっ!」

 勢い良く噴出する白い煙とともに、焼けただれた顔の人形が壁の中から現れた。

 おもわず上ずった声が上がってしまい、巴もまた引きづられるようにビクリと震える。

「あっ、あはは……」

 なんか気まずい。こう、いい具合に行こうとしてたところを、最高のタイミングで横っ面を殴られたような気分だ。

 ちくしょう、お化けなんか嫌いだ。

 ふてくされ、薄暗い中を手探りで進もうとする。そのオレの腕を、何やら柔らかい物が包んむ。

「うひひっ、お化けじゃないよー」

 恐る恐ると見てみれば、巴がオレの右腕に両手を絡めて上目遣いに見上げていた。

 ……やわっこいのは、アレですね。わかります。

「あー、えっと……」

「なによー、彼女が勇気出して腕を組んであげてるのに反応なしってのは、寂しいじゃないよー」

「ううううっ、うっせ。流石に恥ずいんだよ」

「でも、怖いのは吹っ飛んだでしょ?」

 まあ、さすがにね。

 巴のやわらかい感触と、近づいたことで香る匂い。

 先まで会った恐怖心は、あっという間に巴の情報で上書きされて消え去った。

 むしろ、あれげな気分。

 ともあれオレは薄暗い中、巴の身体の感触だけを覚えてお化け屋敷から無事に生還した。




 遠くから絶叫が聴こえる。

 お化け屋敷から歩くこと数分。今度は、この遊園地でも目玉とされるジェットコースターに来ていた。

 流石に人気のアトラクションだけあり、長蛇といって良い列だ出来上がっている。

 とは言え、長々と待たされた甲斐かいもあってか後三回も待てば乗れそうだ。

「そういえばさ、知ってる?」

 お化け屋敷からこっち、オレの右腕に絡まったままの巴が上目遣うわめづかいに聞いてくる。

「知ってるって、何がだ」

「ここのジェットコースターの都市伝説」

 迷わずに耳をふさぐ。聞こえませーん。

「大丈夫! 別に幽霊がでるとか、そんなんじゃないから」

 手を耳から引き剥がされたオレは、やや不信感を込めた視線を巴に送りつける。

 今までも、そうやって言って騙されてきたからな。また怖い話をされてたまるかっての。

「実はさ、ここのジェットコースターはたまに通常ではしない動きをする事があるんだって」

「それ壊れてんじゃね。やだー! 別の意味で怖いじゃないかー!」

 意図にない挙動をするジェットコースターとか、リアルに命の危険を感じるだけだよ。

「どうかな、普通よりも速いとかそんなんじゃないかな?」

「それはそれで怖いだろ」

 列を進みながら答える。たぶん、次くらいには乗れそうだ。

「でも、そういう有り得そうなハプニングってわくわくするわよね」

「まあ、そりゃあな。レアっぽいし、そういうのに当たれれば、いい記念になりそうだ」

 本当にそんなのがあるならだけど。おおかた、話題作りのためのデマか、誤動作が大げさに広まっただけだろ。

 そうこうしている間に、一周を終えたコースターが戻ってきていた。




 二人並んでコースターに乗り込む。位置は、だいたい真ん中くらいだろうか。

 係員が安全器具の最終確認を行い、けたたましくブザーが鳴り響く。

「うわぁ、やっぱりいよいよ走りだすって時はなんだか、みょうに緊張するよね」

 オレの右隣に座った巴が、言葉のわりには楽しそうな表情で言った。

「そうな、こうじっくりと最初に昇っていくとことか妙な雰囲気があるよ」

 言うとおり、カタンカタンと音を立てながらジェットコースターが進んでいく。

 徐々に徐々に角度が付いて行き、視界はレールから秋空へと変わる。

 どうにも、この間は無言になっちまうな。

 ゆっくりと、ジェットコースターが進んでいく。感覚的にはもう、真上を向いているような気分だ。

 たっぷりと時間をかけて、ジェットコースターは最初の急勾配を登り切って……空が遠ざかっていった。

「――っ!」

「わっ、わわわっ!」

 思わず歯を噛み締めた。真横で巴が、うろたえた悲鳴をあげる。

 落下の衝撃はあった。

 けれども、予想していたのとは真逆だ。

 初めに進んでいた方向とは本当に真反対。後ろ向きに、ジェットコースターが加速していく。

「うっわぁああ!」

「きゃああああ!」

 耐え切れず、悲鳴が口から漏れる。景色が猛スピードで流れ、遠ざかっていく。

 ジェットコースターはますます加速していくが、視線は前に固定されているからどこをどう走るか検討もつかず、ひたすらに身体が翻弄されてしまう。

 悲鳴は多く、もはや誰がどれだけ叫んでいるのかもわからない。

 どう進むのかもわからず、ただただ身体が振り回されてしまう。

 そうして、長い時間をかけて戻ってきた時にはオレも巴もぐったりとしていた。




 ジェットコースターから降りたオレたちは、休憩もかねて早めの昼食を取るために入り口近くのフードコートに移動していた。

 さすがに、あれの後に何かアトラクションに乗る気にはなれないからな。

「はぁ、あれはきつかったわね」

「まさか逆走するなんてな。てか、あれが噂のやつなんだろうな」

 係員に聞いてみると、何十回かに一回だけ逆走させているそうな。

「さって、それではお弁当をいただきますかねー」

 巴の提案だが、おにぎりだけでは寂しいのでフードコートからポテトとチキンナゲットも購入。あとはペットボトルのジュースを二つだ。

「ふっふーん、自信作だからね。味わって食べるよーに」

 バスケットからお弁当箱を取り出し、さらに蓋をあけて見えるように広げる。

 そこにはバスの中で見た通り、十数個のおにぎりが所狭しと並べられていた。

「うまそ~。

 んじゃ、いただきます」

 ちゃんと手を合わせて、まずは手近なところから一つ。形はどれも整った三角形で見た目からは中身を知ることはできない。

「ん~……おっ、こいつは海老の天ぷらか」

 たぶん車海老だろう。マヨネーズに唐辛子が入ってるのか、ピリッと辛くて食欲をそそる味わいがある。

「どう? どう?」

「めっちゃ美味い!」

 初めの一口を飲み込み、空いた手でサムズアップをして見せながら笑って答える。

「でっしょー。いや~さすが巴ちゃん。料理も完璧ってね。

 ほら、もっと食べて食べて」

「そう急かすなって。おっ、こいつは唐揚げか」

 しょうゆ味の中にわずかなにんにくの風味。肉とご飯の組み合わせは、最強すぎる。

 ただ、おにぎりが小さいのかそれともオレの口がでかいのか、あっという間に食べ尽くしてしまうのがもったいないようにも思う。

「それが唐揚げだと……あっ、こっちが鮭ね」

「おっ、そっちも美味そうだな」

 どれどれと、手を伸ばす。

 が、やんわりと巴の手がそれを拒んだ。

「せっかくのデートだしね」

 言って、巴が意地の悪い笑みを浮かべながらおにぎりをこちらの口近くに持ってきた。

「はい、あーん」

「うえっ!」

「なによ、嫌なの」

 思わず漏れてしまった驚きの声に、巴が不満そうな声をあげる。顔は変わらず笑っているから、からかっているんだろうけど。

「別に嫌じゃないけどよ……」

 自意識過剰じいしきかじょうかもしれないけど、周りにちらほらといる客の目が恥ずかしい。

 あーもう、顔が熱くなってきた。

「ほ~ら。もう一回、あーん」

 グイッと近づけられたおにぎり。ああもう、恥の書き捨てだ。

「あっ、あーん」

 口を広げ、待ち構えるおにぎりに近づき――かぶりついたが、感触は歯のそれだった。

「や~い、ひっかかったー」

 けらけらと笑って、巴が手に持ったおにぎりを口に運ぶ。

「あっ、てめっ!」

 ちくしょう、オレが恥かいただけかよ。

「ごめんごめん。ちょっとやってみたかったのよ」

 軽くウィンクを飛ばし、改めてと言いながら巴がおにぎりを手にとった。

 おい、まさか。

「それじゃ、改めて。

 はい、あ~ん」

 満面の笑みが、おにぎりの向こう側で光っていた。

 実に美味しかったです。はい。




 午後からはレーザー光線を使った、サバゲーのアトラクションやメリーゴーランドにフリーフォールと、そこまで大きくない物を順番に回っていった。

 とはいえ、秋も深まりつつある時節じせつだ。気がつけば日も暮れかかり、園内を歩く人の姿は減りつつある。

「次で、最後になっちゃうかな」

 少し寂しそうに、巴がつぶやく。

「だな。じゃあ、定番の観覧車でどうだ?」

 別のアトラクションでも構わないけど、できれば乗りたいところだ。ロマン的に。

「うん。締めとしては定番だもんね」

 遊園地の北側。カラフルな箱型のアトラクションは、遊園地では定番中の定番だ。

 そこにある観覧車は、とうぜんながらオレたちと同じような事を考えているカップルで賑わっていた。

 事前に調べたが、ここでは一周が約十五分ほど。二人っきりの空間を楽しむには、十分すぎる時間だよ。

 それに、常に乗り降りを繰り返しているからか人の回転も良い。並んでいる数に比べて、思ったよりも早く乗ることができた。

 オレたちは向かいあって座り、ゆっくりと高くなっていく視界から見える景色を楽しむ。

 初めは遊園地の壁くらいだが、ほんの数分ですぐに街景色まちけしきが見えてきた。

「やっぱり、夕焼けって綺麗よね」

「ああ、そうだよな」

 徐々に沈んでいく夕日。オレンジ色に染まる街の情景じょうけいは。月並みな表現だが幻想的ですらある。

「もう、そこはキミのほうが綺麗だよ。とか言うところでしょ」

「キャラじゃねえって。てか、まじめにオレがそれを言ったらどうするよ」

「もち、全力で笑う」

「ひでぇ」

 二人分の笑い声が重なる。

 それが途切れて、ふとした沈黙。

 嫌なものじゃない。

 なんていうのかな。いい雰囲気ってやつか。

 さて、こっからがある意味では本番だよな。

 持ち込んだカバン。その中にあるプレゼントを渡すには、やっぱりてっぺん付近か。

 だとすると、もうちびっとか。

「ねえ。一つだけお願いがあるんだけど、いいかな」

 こっちをまっすぐに見つめて、巴がどこか緊張した様子で問いかけてくる。

「ん、どうした」

「あのさ……アタシが告白した時って、覚えてるよね」




 告白は巴からだった。

 何時もどおりの帰り道で、なんでもない会話の中でポロッとこぼれ落ちたそれ。

『まぁ、アタシはあんたのことが好きだけどさ』

 そんな風に、思わず漏れてしまった巴の本音。

 今から振り返ってみれば、言われるまで気が付かなかった自分が情けない気持でいっぱいになる。

「本音を言えばね、こんな風に観覧車の中で。とか、色々なシチュエーションを考えてたの。

 でも、実際はあんな自爆じみた方法だったでしょ」

「まあ、な」

 ちょっと自虐するように巴が笑う。正直、そういう顔はあんまりしてほしくない。

 笑い話って言えば、それまでなんだけども。

「だからね、やり直したいなって」

「やり直すって、告白を?」

「うん。ほら、もう付き合ってるから振られる心配はないしね」

「当たり前だ。オレが巴を振るとか、絶対にありえん」

 当然、その逆にならないように頑張る所存。恥ずかしいから言わないけど、心に固く誓っとく。

「ありがとっ。

 ――それじゃあ、行くね?」

 間を置く。

 巴は大きく深呼吸して、それから言った。

「アタシは、井沢祐一いざわゆういちの事が大好きですっ!

 初めて会った時から、ずっとずっと、好きでした!」

 緊張しているんだろう。少し上ずった声だけども、なによりも感情がこもっている。そう思えてしまうのは、惚れた弱みか彼氏びいきか。

 でも、嬉しいって素直に思える。

 一目惚れしたって言ってくれて、それからずっと想い続けてくれたこと。

 今も、こうして彼女でいてくれること。

 これからも、ずっと居てくれるだろうこと。

 だから、オレから返す言葉は一つ。

「ありがとう」

 短く答えて。

「オレも、巴の事が大好きだ。

 あの日に告白してくれたから。自爆だって言うけども、おかげで気づけた」

「あははっ、アタシとしては将来的には茶化されそうな過去なんだけどね」

「いいさ。二人で笑えれば、十分に思い出だ」

 どれだけ先の未来でもな。

「だからさ。今日の告白のお礼と、誕生日のお祝いに」

 カバンから、赤いリボンでラッピングした手のひらサイズの箱を取り出して、巴に手渡す。

「えっ、ええっ!」

「誕生日おめでとう。まだちょっと早いけど、な」

「そっ、そんな。このデートのお金もかかってるのに……」

「良いから良いから。

 好きな人の生まれた日なんだ、全力で祝わせてくれよ」

「うっ、うん。

 ありがとう。ねぇ、開けてもいい?」

 顔を赤く染めて、遠慮がちに聞いてくる。

「おう。こういう時に、巴が欲しいって言ってたプレゼントを用意できれば良いんだけどな。

 ちとわかんなかったから、オレのセンスで選んだけど……」

 今更ながらに緊張してきた。

 あー、気に入ってくれっかな。気に入って、くれるといいな。

 巴が丁寧にラッピングを外していく。

 出てきたのは、ちょっと高そうな雰囲気の赤いケース。

 中身は……。

「わぁ、ペンダント」

 ハートをモチーフにした、シルバーのペンダントだ。

「本当に、いいの。高そうだけど……」

 手のひらにのせて、巴がペンダントを撫でながら遠慮がちな声を向けてくる。

「良いってことよ。それより、デザインは気に入ったか?」

 オレ的にはそっちの方が重要だ。

「うん」

 照れた顔のまま、巴がはっきりと首を縦に振ってくれた。

「あー、良かった」

 ホッとした。

 プレゼントは気持ちって言うけど、同じならやっぱり相手がもっと喜んでくれる物を送りたいって思うもんな。

「ほんと、可愛い。あっ、そうだ」

 巴がオレにペンダントを持たせてくる。気に入らなかったって、わけじゃなさそうだけども、なんだろ。

「せっかくだからさ、祐一がつけてよ」

「えっ?」

 そろそろ、観覧車はてっぺんに到達しようとしていた。




 ほら。

 言って、巴が身体を前傾ぜんけいさせてくる。

 狭い観覧車内で、密着しそうなくらいに近づくオレと巴。

「えっと、それじゃあ……後ろを向いて」

「やぁよ。このまま、顔を見ながらね」

 すげえやりにくい。

 なんでって、否が応でも巴の顔が近づくじゃん。恥ずいって。ドギマギするって。

 ううっ、でもこの上なくいいムード。ここでやらねば男がすたるってね。

 ちょっと緊張で震えるけども、ペンダントの留め金を外して右手と左手で持つ。

「とっ、そうだ。悪いんだけど、少しだけ髪の毛をどかしてくれるか」

「あっ、そうだった……しょっ、これで良いかな」

 巴が両手を後ろにまわして、髪の毛を持ち上げて隙間を作る。

 改めて思うんだけど、これってそれなりに近づかないとやりにくいよな。

 少しだけ、オレの身体を巴の方に寄せる。

 グッと近づいた顔と顔。お互いの呼吸が聴こえる距離。

「あっ、赤くなってるね」

「お前もな」

 オレが見ている巴の赤さが、そのまんま見られている顔だろうな。

 にしても、やっぱり可愛いな巴。

 パッチリと開いた眼。日本人らしい黒曜石こくようせきを思わせるそれが、オレだけを写している。

 そして、オレの眼には巴だけが。

 二人の世界ってやつだ。

 ああもう、最高の雰囲気じゃねえか。これでやってやらなきゃ、本気でかっこわるいぞ、オレ。

 間近で見る巴の顔。それを視界からわずかに外し、オレは両手で持った留め金を首裏に回す。

 すんなりと付けられればもっとかっこよかったんだけども、流石にそう上手くはいかない。

 二度、三度と両手を動かす。

「んっ」

 少しだけ、巴が身震いする。

「わりい、痛かったか」

「大丈夫、くすぐったかっただけ」

「あー、すまん。さすがにやったことなくてな……っと、これで……ついたな」

 何度目かの挑戦で、ようやく留め金がきっちりと噛み合った。

 思わずため息をついて、身体を後ろに倒す、前に。巴の両手がいつの間にかオレの後頭部を掴んでいて。

「ありがとう。

 だから、これはお礼――ね」

 そっと、巴が目を閉じて。

「んっ」

 巴は身体全部を預けるようにして、お互いの唇を重ねあわせた。


 目と目が交差する。

 さっきまで以上に、お互いしか見ない瞬間。

 正真正銘の二人の世界。

 本当に重ね合わせるだけのキス。だけど、何よりも大事なんだって、思える。

 手を重ねるよりも。

 腕を絡めるよりも。

 ただひたすらに、巴の事を愛おしく思える。

 初めにあった驚きはもうない。

 ただ、大事にしたいって言う思いだけを走らせて、巴の背中に回す。

 巴の身体を支えるようにして、少しだけ唇を離す。

「もうちょい、カッコつけさせろ」

「大丈夫。アンタは、アタシが知ってる中で一番かっこいいから」

 答えを聞いてから、今度はオレからその口をふさいだ。




 日もくれているが、オレたちの顔は真っ赤なままだった。

 いや、まさか下に行くまであのまんまだったとはね。係員さんがニヤニヤと笑いながら、もう一周行きますかとか聞いてくるんだもん。

「えっと……この後って、どうするんだっけ」

「一応は夕食でもと思って、レストランを予約してるけど」

 高い所は無理だけど、雰囲気の良い安いお店を検索して探してある。下見もしたから、味はバッチシだ。

 今の雰囲気だと、ちと恥ずかしい気もするけど。

「そっか。うん、それじゃあ行きましょっ」

 巴がオレの手を取り、歩き出す。

「ととっ、大丈夫なのか。さっきので気まずいってんなら……」

 言いかけて、でも振り返った巴は意外な言葉を口にする。

「念願かなったんだもん、もうアタシに怖いものなんてないですよーだ。

 バカップルだなんて、言いたいやつに言わせておけばいいの。

 アタシは、アンタと一緒ならなんだっていいんだから」

 本当に嬉しそうに笑って、巴が言いきった。

 ああ、もう。

 かなわないなぁ。オレは、もうどうしようもないくらいに。

「そっか。なら、残りの時間も楽しむか」

「ちっちっちっ。これからの時間も、よ」


 あっ、やっぱオレは巴にゃ勝てねえや。

 惚れてた期間の違いってやつかね。


 でも、まあ。


「さっ、デートの続きに行きましょっ!」


 巴が笑ってるなら、それでいいやって思えるオレも相当だよな。


 お互いに手をとりあって。

 時に巴が引っ張って、あるいはオレが追い抜いて。


 そんな風に、オレたちは一緒に進んでいく。




《終わり》




●あとがき


 ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございます。

 井沢祐一と斑鳩巴のバカップル話、楽しんでいただけたでしょうか。

 思えば一番最初のLV1に『続く?』とつけたことから、気が付けばシリーズにまでなるとは二年ほど前では想像だにしませんでしたよ。

 とはいえ、それも今回で一区切りとさせて頂きたく思います。

 ダラダラといつまでも『続く?』でひっぱり続け、ネタができたら書くと言うスタンスでもいいかも知れませんが、やはりある程度の総括したオチがあった方が良いかなと愚考した次第です。

 ですので、今回は今まで以上にがっつりと書いてみました。オチも、お約束を意識してあんな形に。

 やっぱ、キスって大事ですよね。

 基本、この二人の場合は巴の方が主導権を持ってる感じなのです。そして、これからもあんな風にイチャイチャしてるかと。してますね、絶対。


 長くなりましたがこのへんで。

 改めまして、お読みいただきありがとうございました。

 またどこかで、バカップルが出て来ましたらニヤニヤとして下さい。

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