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倒錯(後編)

作者: 杏ひふみ

――あれから秋が過ぎ、冬を越えて春になり、夏になった。

あの日より学校での風当たりも良くなった「彼女」は人生における“華”の期間を迎えていた。

文化祭も無事成功を収めた事で、非公式ながらファンクラブも出来たようだ。

流石にそこまで生徒の支持がある以上下手に手出しする事も出来ないので、先生方も半ば諦め、半ば面白さ目当てで「彼女」の女装を実質許可した。

春になれば新入生の多くは魅了された。「彼女」が男である事を知って幻滅した者も若干いたものの、多くは新たな道を切り拓いた。

夏に入れば誰もが薄着となる。それは正にパラダイス。薄着となった「彼女」に心ときめかせた者は少なくない。

校内限定ながら、運動部の応援も行った(流石に校外に出してはいけないという上の判断である)。“何故か”熱の入った生徒達に、「彼女」は勿論の事、鬼教官も厳しい先輩も満足した。

まさに絶頂。「彼女」は満開の花そのものであった。


――沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を表す――

そう、散らぬ花など存在しない。

何の例外も許さず、全ては移ろい行く。

滔々たる時の流れは、「彼女」すらも無情に流して行く……。


ある日の夜。いつも通り「夜の儀式」を行っていた時の事。

「彼女」は自身の喘ぎ声を聞きながら思った。

(何かが……違う……?)

声を出してみる。やはり違和感を覚える。

その正体を探る。幾度か声を出している内に、自身の喉に“出っ張り”が出来ている事に気付いた。

所謂、喉仏である。首の中央に聳える男性の象徴。

「彼女」は動揺を隠せずにいた。不可逆的な身体の変化ばかりが頭から離れず、その夜は眠れずにいた……。


明くる朝、彼は目元にクマを携えたまま学校に向かった。

普段ならそのまま学校へ向かう所を、一度公園へ向かう。

トイレに入り、鏡を見る。クマの所為で可愛い顔が台無しである。

「ホント……酷い顔。」

笑いながら思わず一言漏らしてしまった。

「こんなんじゃ、ダメだよね。そう、声がちょっと変わったくらいでくじけてちゃ、ダメだよ。」

蛇口を捻って顔を洗う。ハンカチで水滴を拭い、もう一度鏡を見る。

表情が心なしか、少し明るく見えた。

悩みは水と一緒に流れて行った、「彼女」はそう思った。


「ヨシコちゃんおはよー!」

「ヨシコちゃん元気無いの?どしたの?」

クラスメイトが次々に声を掛けてきた。ちなみに、ヨシコというのは名字「吉村」から取って付けた名前だとか。

「ちょっと……声の調子が悪くて……。」

「ホントだ、ちょっとハスキー(キュン」

「ハスキーボイスの!ヨシコちゃんも!萌え―――!!ハァハァ」

一部変な人も混じってはいるものの、声が変わったくらいで皆の対応が変わる訳では無かった。

自分がまだ「ヨシコ」で居られるという、その事に安堵を覚えた。


それからまた幾月かの時が流れた。「彼女」はすっかりハスキーボイスキャラとして定着し、また幾人もの男子生徒を新たな属性に目覚めさせた。

「彼女」もそれに満足し、変声“ごとき”で悩んでいた事などすっかり忘れてしまっていた。

しかし――災害というものは忘れた頃に再来する。

無垢な「少女」を、悲劇はじわじわと、だが確実に襲うのだった――。


夏も終わり、秋になった。夏休みを挟んで再び学校に通う時が来た。

夏休みの間はオンラインゲームに精を出していた為、外に出る事は殆ど無かった。肌は綺麗を通り越して病的なまでに白かった。

自キャラの武道家のレベルが400まで上がった事に満足感を覚えつつ、久々の学校だ、と颯爽とセーラー服を取り出し、着ようとする。

「あれ……これってこんなに小さかったっけ……?」

夏休み前まで普通に着れた制服が小さく思える。心なしかきつい。

休暇中はラフな格好しかしていなかったので、自身の成長には気が付かなかったのだろう、と軽く考えた。

スカートは普通に履けたようだ。変に締め付けられる感じも無ければ丈が短くなったという事も無い。

少し違和感を覚えつつも、その日は平常通り登校する事にした。

そう、平常通り。ずっと変わらない「毎日」が訪れてくれる。

そう「彼女」は確信した。


だが――、違和感は徐々に「彼女」を蝕んでいった。


“初めて”感じた違和感は、その時には違和感に思えても、共生している内に忘れてしまうものである。

上着の窮屈さも、共生してしまえば何て事は無かった為、すっかり頭から飛んでしまっていた。

そんな日の事だった。

普段通り登校した……はずが、周囲の目に冷ややかなものを感じる。

空気が持つ重み、心まで突き通してしまいそうな痛く冷たい感じ、かつての居場所の悪さと似通っている。

誰もが一歩引いているような、そんな感じさえした。

そんな中、一人の女子生徒が“勇気を持って”話しかけてきた。

「おはよう。……何なの、この空気?凄く重々しいけど……?」

「分かってないの?あなた、ヒゲ、生えてるよ。」

稲妻、心に突如突き刺さるそれは、外から見ても分かる程に彼の顔を青くした。

急いでトイレに駆け込むなり彼は鏡を覗く。

――口元には薄いながらも、一見すれば分かる程度に青く毛が茂っていた。

考えてみればこれまでにも変調はあった。声然り、肩幅然り。

喉仏はすっかり姿を現し、肩は広くなり、既に「男性の身体」になっていた。

ヒゲは剃れば何とかなるだろうが、骨格だけはどうする事も出来ない。

肋骨程度なら今からでも矯正すれば何年か先には結果となって現れるだろう。でも、肩の骨の場合はそう問屋が卸してくれる事はない。

女装でアイデンティティ、居場所を築いてきた彼にとって、身体の男性化は自身の存在を否定されたかのように感じたのであった。

その日は、針のむしろにでも巻き付かれているかの如く肩身の狭い一日だった。


その日の夜。改めて女装をして鏡に映った自身の姿を眺めてみる。

ヒゲを含め、多くの体毛を剃り落としたものの、骨格の所為で「女子」ではなく「女装男子」にしか見えない。

加齢に伴った身体の変化。生きる以上抗う事の出来ない逆境に、彼は絶望したのだった。

明朝より、彼は男子制服を着て、一般的な「男子生徒」として生きる事にした。


次の日から、“それまで通り”の彼の一日が始まった。

学校に通えば絞められ、廊下を歩けば避けられ、教室では誰も話す相手が居ない。

一人。味方も何も居ない、孤独。

そんな生活の中で――彼は唯一の光を見つける。


夜。彼は「彼女」になる。鏡に映った「女装男」に唇を重ね、自身の愚息を慰める。

最早、「己」を愛せるのは「己」だけ……。彼は一層深く、自身に想いを重ねゆく。

――ああ……、今日も醜く、美しいよ、吉村禁后――

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