表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/23

七 牢獄



「君は本当に恐れることなんて何もないんだね。羨ましいなぁ」

 彼は笑いながら言う。

 手には瓶。

 真剣な様子は無い。ただ、弄ぶように それ を持っていた。

「君は俺の誇りだよ。君ほど優秀な子はそういない」

 彼は笑う。

「君はちゃんと一番大切なことが分かっているんだから」

 そう言って彼はアクラブの頭を撫でた。







「な、何もなかった? ハ、ハイヤトゥン様……そ、それは本当ですか? ほ、本当にただ仲好く一緒に寝ただけ?」

 ターシャの悲鳴にも似た声が響く。

「あ、ああ……あまり騒ぐな。アクラブが起きてしまう。いや、そろそろ起きてもらわねば困るのだが……」

 困惑したようなハイヤトゥンの声。

 アクラブの意識はまだ夢うつつだ。

 どうして彼と陛下が一緒に居るのかしら?

 うつらうつらと考える。

「アクラブ、起きられるか?」

「ん……師匠?」

「は?」

 驚いたような男の顔。

 見慣れた顔だ。肖像で。

「……え? ハ、ハイヤトゥン・ハウル国王陛下!?」

 アクラブの意識はすっかり覚醒した。

 そしてそのまま五体投地の姿勢に入る。

「……とんでもない寝ぼけ方をするな」

 呆れたように笑いながらハイヤトゥンはアクラブを抱え上げる。

「私の妻は寝起きが悪いようだ」

「……夢の続き?」

「現実だ」

「……師匠は?」

「師匠?」

「……夢だったの?」

 でも、確かに頭を撫でてくれた人が居る。

 髪に微かに温もりがある。

「頭を撫でてもらった気がします」

「ああ、お前の髪はとても心地よい」

 ハイヤトゥンは笑う。

 この笑顔はとても魅力的だとアクラブは思った。

「陛下が?」

「私のことはハイヤと」

「これ以上混乱させないでくださいませ」

 アクラブはハイヤトゥンの腕から逃れようとするが、彼の力は予想以上に強くそれは叶わない。

 結局自分は毒殺の専門なのだと思わざるを得なかった。

「離れがたいがこれから仕事があるのでな」

「どうぞ行ってらっしゃいませ」

「私が居ぬ間はここに居てくれ。ターシャがお前の世話をする」

「ハイヤトゥン様は私をこんなにも煌びやかな牢獄に閉じ込めてどちらに?」

 アクラブの言葉に彼は笑う。

「私もまた牢獄があるのでな。厄介な書類から逃れると大臣たちの小言がうるさい。あれを片づけなければお前との結婚の許可が下りそうに無いのだ」

 それはまた随分と情けない国王だとアクラブは思う。

「ハイヤトゥン様は私の前で口を開かない方がよろしいのでは?」

「これは冷たいな」

 ハイヤトゥンは苦笑して寝室を出る。

「奥様、御召替えを」

「自分でできるわ」

「ですが」

「ごめんなさいね。人に触られるのが嫌いなの」

 特に背後に立たれるのが、という言葉は呑み込んだ。

「絹、金糸、真珠……この衣装一つで一年は食べていけそう」

「奥様、それだけ貴女様が尊い、責任ある立場になられるという証です」

「責任? 私に何を求めるの?」

「そうですね、ハイヤトゥン様の暴走を止めることと、立派な御世継ぎを」

 ターシャは笑う。

「私、あの方と相性は悪いと思うわ」

「そこを何とか。ハイヤトゥン様が初めて興味を示された女性なのですから」

「え?」

「見合いはすべて会う前に断られるし、側室を用意しても会ってすら下さらない。私どもも、てっきりあちらの趣味なのかと思い男娼も用意したのですがふざけるなと怒られましたわ」

 ターシャは深いため息を吐いた。

「……ご本人の意思の尊重って大事よね」

「ええ、本当に。ですから、今回ばかりはハイヤトゥン様がご自分でお連れになった奥様に皆の期待を」

「……荷が重いわ」

 今度はアクラブが溜息を吐く。

「私、あの方が嫌いよ」

「え?」

「大嫌い。住む世界が違いすぎるもの」

 ずっと憧れの存在でいてくれればよかったのに近づきすぎてしまった。

 もう戻れない。

 アクラブは再び溜息を吐く。

「いらないわ」

「そういうわけには」

 ターシャはアクラブの制止を振り切り金の首飾りを着ける。

 ずっしりと重い。

 ハイヤトゥンは常にこんなにも重い飾りを身につけているのだろうか。

「貴族の中には理解せずに贅沢の限りを尽くし、国民を虐げる者もいます。他国の王にも同じことが言えます。ですが、ハイヤトゥン様は違う。この首飾りの、衣装の、この部屋の、そして玉座の重みを理解していらっしゃる」

「私には重すぎるわ。私は一番身軽な場所に居たのだもの」

 責任なんて命だけ。

 それも自己責任。

 自由奔放に、毒に魅入られるままに生きていたアクラブに金の首飾りは重すぎた。

「王は国民の命を預かっているのです」

「それは傲慢だわ。国民は王が居なくても生きていけるもの」

 あの逞しい師やその友人のように国に見捨てられようとも、王が滅びようとも生きている。それどころか王を必要としない彼らだ。

「奥様は貴族なのでしょう?」

「爵位ばかりの。とても貧しく、けれどもとても身軽だったわ」

「身軽、ですか?」

「ええ、食べるのに困ったことはまだないし、人と触れ合う制約は無いけれど、死にかけたことは何度かあるわね」

「まぁ……奥様は飢えたことが無いのですね」

 ターシャは少しだけ翳りを見せる。

「え?」

「私は、常に飢えていました。奴隷商に売られていたところをハイヤトゥン様が買って下さった。そして学校にも通わせて下さった。今、私が生きているのはハイヤトゥン様がいらしてこそ。だから私は全力でハイヤトゥン様に尽くす。たとえ奥様の希望に沿わないとしても、ハイヤトゥン様が望まれるのであれば私はそちらに従います」

 アクラブはただ、ターシャを見た。

「何も仰らないのですか?」

「……羨ましいわ」

「え?」

「いえ、何でもないの。この金が毒になって私を殺してくれればいいのに、なんて思っただけ」

「何故?」

「いいえ、既に毒なの。私はもう逃れられない。私の心を蝕んでいく。王宮も、絹も金糸もみんな毒。きっとこの檻で私は死ぬわ」

 アクラブは枕元の小箱に触れる。

 とても愛おしいようなそんな想いを込めて。

「奥様、その箱は?」

「……蛇蝎です」

「え?」

「蛇と蝎の絵が彫られているでしょう? 師が昔、私の為にと特注したものです」

 指で蝎を撫でながら答える。

「これに蜘蛛が加わればもっと素敵なんだけど、あのときはまだそんなことは知らなかったわ」

「奥様?」

「ターシャ」

「はい」

「貴女なら、この箱に何を入れるかしら?」

「私、ですか? 私なら……胡桃を入れます」

「胡桃?」

「お腹がすいたらこっそり食べるのに」

「まぁ、素敵。母に訊いたら釦を入れるのだと言われたわ。綺麗な釦を沢山詰めて時折眺めて楽しむのだと」

「まぁ、それでは奥様の答えは?」

「蛇蝎よ」

「蛇蝎?」

「忌み嫌われるもの。私はね、人が嫌うものが好きで、人が好むものが嫌いなのかもしれないわ。だから、私はハイヤトゥン様が大嫌いなの」

 そう言った瞬間、頬に熱が走る。

「無礼は承知の上です。首ならいつでも差し上げます。けれども……どうか我が主にそのようなことは……」

 頬を撃たれたと気付くまで、そう、時間はかからなかった。

「首なんていらないわ。眼球なら貰ってあげるけど」

「は?」

「目が多い方が可愛いでしょ? 蜘蛛みたいで」

 冗談だと態度で示せばターシャは呆れたように溜息を吐くだけだった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ