四 入城
「お兄ちゃん、ありがとう」
少女は青年の頬に口づけた。
青年は何が起きたのか理解できずにその場で固まる。
「あのね、おっきくなったらね、お兄ちゃんのお嫁さんになるっ!」
少女は無邪気に笑った。
アクラブは王宮の門で固まった。
「あ、あの……」
「なんだ?」
「五体投地しても?」
「却下だ」
ハイヤトゥンは呆れた目でアクラブを見る。
「お前は王族を神と勘違いしていないか?」
「神よりも尊い存在だと思っております」
「……王も人間だ。私はお前に崇められたいわけではない。愛されたい」
ハイヤトゥンはアクラブの頭を優しく撫でる。
「こんなに近くで王宮を見たのは初めてで……ハイヤ様に抱きかかえられるなんて妄想の中でもあり得ませんでした」
夢よりさらに贅沢な夢。
アクラブにはそうとしか考えられない。
両親に送りだされた時も、夢の続きにしか思えなかった。
罪深い夢。恐れ多い夢だ。
「慣れろ。今日からここがお前の家になるのだ」
言いながら門を潜る彼の表情は威厳に満ちている。
アクラブは胸が高鳴るのを感じる。
尽くすべき王。敬愛する王。絶対的な支配者が目の前にいる。
これほど喜ばしくも恐れ多いことは無い。
にも関わらず、その敬愛する王はアクラブを妻にと求めるのだ。
「ハイヤ様……」
アクラブはうっとりと国王を見る。
絵姿よりも優しい人。
絵姿よりはかっこう悪い人。
けれども絵姿よりずっと近い。
ぼうっと見つめていれば、衛兵に声を掛けられる。
「ハイヤトゥン様、その方は?」
「俺の妻になる女だ。丁重に扱え」
「はっ、しかし、王宮に入る前に所持品の検査を」
漸く王宮に来たという実感が持てる言葉。
しかし、不味い。
所持品の検査と言うことは小箱の中も検められるのだ。
そう思い、アクラブは小箱を抱きしめた。
「これは、俺が今買い与えたものだ。問題ない」
「……では、別室で身体検査を。箱は預かります」
衛兵が小箱に触れる。
蝎が疼く気がした。
「案ずるな、怖いことは何もない。ただ、規則だ。王宮を出て戻れば皆検査を受ける。それだけだ」
「何のために?」
「武器の所持は認められない。王と護衛の他は」
「まぁ」
絶体絶命だ。
きっと護身用のものでさえ、受け入れられないのだろう。
そう思い、アクラブはびくりと震える。
女官らしき者に促され、アクラブは渋々と後を追う。
ちらりとハイヤトゥンを見れば彼はただ頷いただけだった。
「規則ですので、こちらに着替えていただきます」
女官が言う。
白い装束。
何故? 首を傾げたが、他人に触れられるというのはあまり良い気はしない。
「さぁ、脱いでくださいませ」
彼女がアクラブの方に触れた瞬間、反射的に着物の中から銃を取り出し構えていた。
「自分でできる」
「……武器……やはり謀反を!」
彼女は怯えた様子でアクラブを見た。
そして部屋の外に人を呼びに行く。
じきに兵士たちが来るだろう。
「……めんどくさいな」
思わず呟いた。
「何事だ? 入るぞ」
ハイヤトゥンの声にとくんと心臓が啼く。
まるで別の生き物のようだ。
そして、彼はアクラブを見た。
「驚いたな。噂は本当だったのか」
「噂?」
「蝎娘は気性が荒く、すぐに武器を構えるが、今のところ相手を殺したことは無いと聞いている」
「……お恥ずかしい限りです」
「にしても、異国の武器か?」
ハイヤトゥンは興味深そうにアクラブの持つ銃を見た。
アクラブの銃は長銃だが、弾丸は使用しない。
代わりに強力な毒と魔力を込める。
蝎毒。アクラブの師はこの長銃をそう呼んだ。
「無礼は承知の上でしたが、無いと落ち着かないのです」
「……構わん。所持は認めよう。だが、人は撃つなよ?」
ハイヤトゥンは笑う。
「……善処します」
人を撃つなとは何事だろう。
アクラブは呆れた。
人を撃たずに何を撃つ。雉か? ラクダか?
呆れながらもアクラブはハイヤトゥンを見る。
「部屋に案内させよう。そこで着換えろ。お前の為に作らせた装束がある」
「……」
こんな時はどう返事を返せば良いかなんて、両親も師も教えてはくれなかった。
「それと、猫を被るのは止めたらどうだ?」
「え?」
「その……武器を構えた瞬間が一番お前らしい気がしたのだ」
ハイヤトゥンは悪戯っぽく笑った。
本当に、よく笑うお人だ。
「では、お言葉に甘えさせていただきます。ハイヤトゥン様」
そう言って丈の長い着物を捲り、帯を解いて結び直す。
「どうも、丈が長い着物と言うのは性に合いません。もっと、こう、すぐに武器を構えられるようなそんな装束が理想ですね」
「……では、次からはそう作らせよう」
呆れたように彼はアクラブを見た。
「ハイヤトゥン様は女の着物を着たことはありまして?」
「いや、無いな」
「一度お召しになってくださいませ。動きにくくて苦しくて憂鬱になりますわ」
「……そうか、ところで……私と二人の時は言葉も崩して構わん。無理が滲み出ている」
「さすがにそこまでは」
ハイヤトゥンは笑いを堪えながらアクラブを見る。
「言葉よりもその格好の方が無礼にあたるだろうに。今さらだ」
「いえ、一度崩すと戻らなくなるので」
没落とはいえ仮にも貴族の娘が下町の汚い言葉を使うのは些か気が引ける。
「接客業は愛想が一番、と両親がいつも言っています」
「その点は合格だろう?」
「だからと言って汚い言葉を使えば一気に印象が悪くなる、でしょう?」
今度こそハイヤトゥンは腹を抱えて笑う。
周りの兵たちが困ったように主を見た。
そう、彼は兵士たちをその場に居ないものとして扱っている。
つまり、兵士が居る空間であっても、彼にとってはアクラブと二人、という考えになってしまうのだろう。
そう考え、アクラブはため息を吐いた。