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参 絵姿


 いつまでも国王と外で話しているわけにはいかないと思い、店内に招き入れ、アクラブは後悔することになる。

 初めてハイヤトゥンの姿を目にした母親は五体投地の体勢から動けなくなり、父親は未だに信じられないと口をぱくぱくとさせている。


「ふむ、アクラブはなかなか肝が据わっているのだな」

「それは、女性に言う言葉ではありませんよ? ハイヤトゥン様」

「そうか? だが、アクラブは美しい」

 我が物顔で席を独占する主従にアクラブはこっそりと溜息を吐く。

「アクラブ、昨夜のジュースは旨かった。また、作ってくれないか?」

「まだ、ありますよ」

 グラスを二つ用意し、ジュースを注ぐ。

 その手をハイヤトゥンがじっと見ていることに気付きアクラブは彼を見た。

「どうかなさいましたか?」

「いや、お前が私の妻になると思うと嬉しくてな」

「まぁ」

 どこまで冗談なのか分からない人だ。

 アクラブは思う。私たち親子をからかっているのではないかと。

「こ、国王陛下……その、娘を……アクラブを王室へとは本気で?」

「ああ、本気だ。アクラブは私の正室に迎える。まぁ、側室は腐るほどいるが……アクラブを娶るなら全て王宮から、いや、国から追い出しても構わん」

 横暴だ。

 アクラブは思わず叫びそうになった。

「顔も見たことが無い妻は沢山いるが、私がこの手で手に入れるのはお前が初めてだ。アクラブ」

 ハイヤトゥンは優しく微笑んだ。

 再び胸の高鳴りに襲われる。

 まさか、あの憧れの国王が自分の元に現れるなんて妄想はしたが夢にも思わなかった。

「両親との別れは辛いだろうが……一刻も早くお前に会いたくてな。夜まで待てなかった」

 ハイヤトゥンは笑う。

 良く笑う人だと思う。

 この人を見て、恐怖の国の魔王だなんて誰が信じるだろうか。

「本当に私などが正室でよろしいのですか?」

「お前が欲しいと言ったはずだ」

 少しだけ不機嫌そうにハイヤトゥンが口にした。

「で、ですが、陛下……アクラブではあまりに身分が……」

「身分? 身分が必要であればいくらでもくれてやる」

 何が良い? ハイヤトゥンは問いかける。

 身分など王の一声で変わるとでも言うように。

「別に奴隷層にあろうと、アクラブであれば私は娶るつもりだ。それに、いくら貧しいとはいえ貴族だからな。問題は無かろう。ああ、金が必要ならばいくらでもくれてやる。アクラブが手に入るなら安いものだろう」

 王の言葉に両親はただ呆然とする。

「アクラブはもともと私に好意を抱いていたようだし、問題は無かろう?」

 同意を求める視線に、アクラブは反射的に頷いてしまった。

「しかしアクラブは……」

「まだ何か問題でも?」

 王は不機嫌に父親を見た。

「いえ……」

 父は何も言えなくなる。

「そうか。では、アクラブ、荷物を纏めなさい。必要なものは何でも用意しよう。だが、手放したくないものもあるだろう?」

 そう言われ、アクラブが真っ先に思い浮かべたのは王族の肖像画の数々だった。

 宝石や金銀の装飾を手放しても決して手放さず、集め続けた品々。

 だが、それを目の前のご本人に見せるわけにはいかない。

「そうですね……ローザ様の肖像は手放せません」

「……アクラブ嬢はどうやらハイヤトゥン様だけでなく、王族全体がお好きのようですね」

「……え、えっと……」

 ネルガルの言葉は事実なので、アクラブは何も言えない。

「ほぅ、是非ともアクラブの育った部屋を見てみたいものだな」

 ハイヤトゥンは意地悪く笑った。

 この人はまるで大きな子供のようだとアクラブは思う。

 悪戯好きの賢い子供がそのまま大人になればこうなるのかもしれないと。

 何せ、人の弱味をすぐに見抜くのだから。

「お許しを」

 アクラブは精いっぱい笑って言う。

「とても国王陛下がご覧になられるような部屋ではありません」

「そうか、よほど見られたくないのだな。ということは……謀反の企ての可能性あり、と取って良いのか?」

「まさか! 滅相もございません。私たち親子は国王陛下に忠誠を誓う所存!」

 父が慌てて叫ぶ。

「では、命令だ。アクラブの部屋を見せろ」

 酷い人だ。

 自分のわがままを通すために身分を利用するなんて。

 アクラブはこっそり溜息を吐いた。

 もしかすると自分はとんでもない勘違いをしていたのではないか?

 これは権力を持たせてはいけない人間の代表格ではないか。

 そう思っても口に出すことはできない。

 アクラブは大人しく自分の部屋にハイヤトゥンを案内する。

「……陛下」

「何だ?」

「一つだけお願いがあります」

「言ってみろ」

「部屋に何があっても笑わないでください」

 これほど恥ずかしいことはあるだろうか。

 部屋に飾る肖像のご本人に部屋を見られるのだ。アクラブは今すぐ逃げ出したい気分だった。

「約束しよう」

 ハイヤトゥンは真面目な顔を作って言う。

 どうも胡散臭くしか見えない。黙っていれば威厳あふれる二枚目なのに、口を開けば三枚目。

 残念な男だ。

 アクラブは気が重いまま自室に彼を招き入れた。

 薄手の幕で仕切られただけの入り口。

 風通しは良好。

「王宮がよく見える以外はごく平凡な部屋です」

「王宮など眺めて楽しいか?」

「そうですね……庶民からすれば憧れの対象ですから」

 アクラブが言い終わる頃、ハイヤトゥンは部屋に足を踏み入れた。

「……こ、これは……私か?」

「……すみません。無礼は承知の上です」

「いや……」

 部屋の壁の隙間が無いほど沢山の王の肖像。

 その大半がハイヤトゥンの姿。その中に紛れて歴代の王族の肖像画がある。

「これはローザだな。こっちはアイムネス。何故私の肖像を?」

 圧倒的に多いそれに彼は首を傾げた。

「私の知る王はハイヤトゥン様ただお一人です。ハイヤトゥン様には日々感謝しております。朝一番と就寝前に王宮に向かって礼拝するのが私の日課です」

「……それはまた……随分珍しい習慣だな」

 彼は笑いこそしなかったが少しばかり呆れた様子でアクラブを見た。

「申し訳ございません」

「いや、お前がそれだけ私を想ってくれているということだろう。だが、これからは、一人の男として愛してほしい」

「え?」

 アクラブは驚いてハイヤトゥンを見上げた。

「お前に一目惚れしたと言えば信じるか?」

「御冗談を」

「だが、お前を妻に迎えたいのは事実だ」

「理由をお訊ねしても?」

 アクラブは平静を装って言う。

 けれども内心はひどく動揺していた。

「私は二十七になるが未だに妻を持たないものでな。そろそろ美しい妻が欲しいと思っていたところだ」

「もっと美しく相応しい方は沢山いらっしゃるでしょう?」

「私はお前が欲しい。嫌だと言うなら少しばかり手荒な手段に出させてもらうほどには手に入れたいと思っている」

 逆らえるはずがない。

 恐怖の国の魔王だ。勝てるはずがない。

「私は陛下の思っているような女ではありません」

「蝎の毒はじわじわ効く。お前もまた……」

 ハイヤトゥンはアクラブの頬に触れる。

「少しずつ私を蝕んでいく……」

「陛下……」

「ハイヤと」

「え?」

「ハイヤと呼べ。お前にはそう呼んでほしい」

「……そういうわけには」

「命令だ」

「……ハイヤトゥン様」

「ハイヤ」

「……ハイヤ様」

「……まぁ、許容範囲だ」

 少しばかり不機嫌そうに言い、ハイヤトゥンはアクラブを抱きかかえる。

「この中に手放したくないものはあるか?」

「え?」

「言っただろう? お前を迎えに行くと。今日、お前を連れ帰る」

 アクラブは固まる。

 本気だったのか。無茶な人だ。

 そんな言葉を飲み込んで、寝台横の小箱を指さした。

「この箱を」

「これは?」

「私の宝物です」

 蛇と蝎が彫られた木箱。

 装飾品を仕舞うような箱だが、鍵は無い。

「あまり物には執着がないつもりですが、これだけは」

「特別な品か?」

「……ええ……とても特別な……」

 かつて師と仰いだ人が、アクラブの為に特注した箱。

 それだけではない。中身こそ、アクラブの真の収集品だ。

「中身は?」

「ダメです。これはいくらハイヤ様でも……恥ずかしい……」

「また、私の絵姿か?」

 ハイヤトゥンは笑う。

「……ご本人を前に言うのは恥ずかしいわ。いっそ死なせて下さいませ」

「妻に死なれるわけにはいかん。却下だ」

 ハイヤトゥンはひょいとアクラブの手から小箱を取り上げる。

「見事な細工だな。彫っている字は読めるか?」

「いいえ、私は学が無いもので文字は全く」

 実際は読み書きに苦労しないが、一般的にハウルの女性は読み書きを習わないのでアクラブはそう答えた。

 箱には『蛇蝎の運命に従え』と書かれている。

 忌み嫌われる仕事に就くものにはそれなりの覚悟と掟が必要だという師の戒めだった。

「随分変わった趣味をしていると思ったが……普通、女は蛇や蝎を嫌う」

「彫があまりにも見事なもので」

 アクラブは曖昧に誤魔化すことを決め込んだ。

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