第37話 「初恋」
広い晩餐室の50人は腰掛けられる長テーブルで、三人だけのディナーだった。
洋式のフルコースが次々と運ばれてくる。
令和で食べるものよりも少し薄味の気もしたが、食材そのものが新鮮で深みがある。
(転生してからずっと離れ住まいだったし。こんなご馳走、前世でもなかったよお。ほくほく)
凛音の笑顔が絶えない。
星児も同じのようだ。
「ねえ。リンちゃん。ゆきちゃんが小山内先生の自由劇場に勧誘をされたそうね。その後、どうなったのかしら?」
「もう、大変だったよ。薫くんは何が何でもってしつこいし、ゆきはみんなと離れたくないってギャン泣きするし、で。結局、ゆきの気持ちが傾いたら改めて話をするってことでまとまったけどね」
「あら。未来の大スタアになり損ねたんじゃなくて?後悔しないかしら?」
「でもさ。ショービジネスってそんな甘いモンじゃないと思うよ」
前世での地下アイドルの経験から痛感したことだ。
「いくら上手つっても、ゆきの歌はレコードのコピー、モノマネだからね。プロってのはその人にしか歌えない歌を歌う人なんだよ」
「あら。あの子を妹みたいに可愛がってるリンちゃんにしては、手厳しいわね」
「妹みたいな子だからよ。ただ、私もあの子には大劇場の舞台とかじゃなくて、もっとのびのびと歌わせてあげたいな。うちの子たちと一緒に」
「ちょうどいい舞台があるぞ」
「はい?」
「いま天童組が建設している演芸場で、出演してくれる歌手を捜してるんだ。そんなに上手いんだったら、一度聞かせてほしいもんだな」
「へえ。ねえ。バックでうちの子たちが踊る、アイドルグループでもいい?」
相手が転生者なので、つい令和で使う言葉が出てしまう。
星児が耳打ちする。
(おい。バックもアイドルも、大正じゃ通用しないぞ)
(…そっか。でも雅ちゃん天然だから大丈夫だよ)
案の定、雅はふたりの内緒話をいちゃいちゃだと思って微笑んでいる。
「ところで、お式はいつ頃挙げますの?前回は地味になさったみたいだけど、今回はパーティー形式にして披露宴をなさってはいかがかしら?」
ふたりが口をつぐむ。
「……あのね。叔母様。実は…」
「俺から言おう。雅さん。今のところふたりとも、結婚については考えていないんです」
「まあ」
「俺たちは、あの事件以前の記憶を失くしています」
「あら。星児さんも、なの?」
「はい。銃弾が心臓に刺さりかけたそうで、衝撃が原因のようです。ですが先日あらためてお見合いをした際、お互いにこの人しかいないという想いだけは蘇ったんです」
「まあ。それで、あの抱擁なのね?素敵。素敵ですわ」
「俺も感動しました。それで思ったんです。もう一度ふたりの思い出を作り直して、以前よりももっと大きな愛を育んで行こう、と。な、凛音」
そう言って、凛音の手を握る。
(うげ。このドS刑事、よく言えんな)
「なので、結婚のことはそのあとで考えようと…」
「つまり今は形式にとらわれない、ふたりだけの恋愛期間なのですね?そういうことなら、わたくしも納得ですわ」
(ふう。一番の難関を突破したぞ)
「わたくしも、本当はそんな風に、恋を実らせたかった……」
貴婦人が頬杖をついて、自らの思い出を手繰り寄せた。
「星児さんのお父様・侑李さんは、わたくしの初恋の方でしたのよ」
雅の話は、この言葉から始まった。
明治23年(1890年)。
雅は誠心女学園中等部3年生、15歳の乙女。
三歳年上の兄・時貞は慶應義塾大学の学生で、フェンシングに熱中していた。
その兄がよく邸宅に連れてきていたのが、1年生にして部活のエース・天童侑李ヴォルコフだった。
「雅。この大きい男が、僕が敬愛する朋輩だ」
「天童、侑李です。よろしく」
まず、その容姿に驚いた。
父親がロシア人、母親が日本人のハーフだった侑李は、背丈も手足も長く髪がところどころ金色に輝いていた。
(異形!異形の者ですわ)
差し伸べられた手をまじまじ見る。
巨大だ。
(こんな手につかまれては、指が折られてしまいますわ)
雅は握手を拒絶して、時貞のうしろに隠れた。
「おい。雅。失礼だぞ」
「ははは。いいんだ、時貞くん。子どもと初めて会うと、みんなこうなるんだ」
(まあ。レディを子ども扱いなど、無礼な…)
侑李を睨みつけようと見上げる。
その顔は、笑っているのに青い瞳だけが寂しそうに揺れていた。
すぐに直感した。
このひとは優しい。
このひとは美しい。
このひとは哀しい。
(無礼なのは、わたくしの方…)
勇気を振り絞って、前に出た。
袴の裾をつまんで頭を垂れる。
「お初にお目にかかります。清流院雅でございます。ご機嫌麗しう」
「雅。侑李くんと握手を」
「いいえ。お兄様。淑女たるもの、初めてお会いする殿方のお体に触れることは失礼にあたりましょう」
本当はこわかった。
この人の手につかまれるのは、自分の心の方のような気がしたからだ。
「そうなんだ?雅ちゃんは淑女の鑑だね。では、次に会うときは僕と握手してくれる?」
侑李の眼がようやく微笑んで、雅の顔を覗き込む。
(ち、近い!)
容姿だけではない。
物腰も優しい声も話し方も…。
(す、素敵すぎますわ……)
脳が沸騰し、頭から湯気が出るのがわかる。
一目ぼれだった。
つづく




