第32話 「萌え」
先代・天童侑李の葬儀の日。
大川は遺族の気持ちを慮って、焼香に参列することは控えた。
かわりに送り出しの行列を、道端で隠れるようにして見守った。
先頭で骨箱を抱いて歩く星児は、痛々しいほど男泣きしていた。
大川は、故人とその息子に深々と頭を下げた。
(あの勝負は、俺が勝ったわけじゃねえ。労がいが、病が天童に勝っただけだ)
この二年間、大川は後味の悪さと後ろめたさのようなものを引きずっていた。
「辰さん。終わりましたよ」
ひいきの芸妓・松千代が按摩を終えたところで、大川は我に返る。
「ああ、極楽極楽。やっぱ、お松の按摩は天下一品だぜ」
「またまた。誰にでも言ってるんでしょ?」
大川は照れる松千代に一円札を握らせた。
令和の2万円にはなるだろうか。
「ダメですよ、こんなの。あちきだってお給金ぐらい貰ってるんですから」
「とっとけって。俺の商売は、見栄を張ることなんだからよ」
そのきっぷの良さで、ここ吉原での大川の好感度は高い。
拝むようにお札を頂いてから、松千代は退出した。
「じゃあ、あっしもこれで」
坂崎が一礼して退がっていくのを、軽く手を振って見送る。
ふたりと入れ替わるようにして、若頭の後藤雄之助が入ってきた。
「総長。政友会の先生と日本愛国会の会長さんがお見えです」
「ち。またかよ。俺は政治のことなんかわからねえし、興味もねえ。後藤。おめえが適当に相手してやってくれ」
「いけやせん。向こうもそれなりの貫目なんですから、総長じゃねえと気分を悪くされやす」
「わかったわかった」
大川は着物の襟を正して、渋々応接室に向かった。
カフェ清流の売り上げは順調だった。
特に蒸し暑い6月に入ってからは、学生たちが来てくれるようになった。
雅社長が、扇風機を買ってくれたことも大きい。
当時はまだ、一般家庭にはなかったからだ。
学生たちは扇風機のない図書館より、ここで勉強する方が快適だと気づいたようだ。
それでも長袖メイド服では暑くなってきたので、凛音が衣替えを提案した。
「ねえ。従業員全員、水着ってのはどう?」
却下。
「じゃあ、浴衣」
「動きにくいです」
「それに、お客様と紛れてしまいそうですね」
(そうか。令和ではふだん浴衣なんか着ないからコスプレっぽくなるけど、この時代はみんな着てんだもんね)
結局、メイド服を薄い生地の半袖にすることになった。
(う~ん。でもなんか、イベント感がほしいよな。夏なんだし)
あらためて、店内を観察する。
平日の午後にしては、まずまずの入りだ。
よくよく見ると、男子学生ばかりのようだ。
勉強する振りをして、チラチラと女給の花や蝶子を見ている。
(まあ。このふたりはカワイイ上に、双子っていうオプションがつくからね)
だが他にも、厨房を覗いている小太りの男性客もいる。
完食して満足そうだ。
小太り男のアテレコをする。
(う~ん。なんて美味い料理なんだ。こんなものを毎日食べれたらなあ。あ、なんだ。あんなカワイイ娘が作っていたのか?胃袋も心もをつかまれたなあ…とか思ってんのか?)
よしこに教わってバリスタを務める久美にも、男の視線が向いている。
アテレコ。
(こんな娘と夜明けのコーヒーが飲めたらなあ……でしょでしょ。ウチの子たち、みんなカワイイでしょ?指名する?)
ちいママの気分になっていた。
そう言えば、今朝新聞で「選挙」という漢字が躍っていた。
前世の撫子はノンポリJKだったので、街角のポスターを見て「へえ。オトナもアイドルみたいなことやってんだ」ぐらいにしか思ってなかった。
(例えばウチの子たちでアイドルグループを作って『総選挙』とか?)
などと妄想をめぐらせていると、音楽が変わった。
いつもは客の会話の邪魔にならないようにモーツアルトやバッハなどのクラシックをかけているが、なぜか松井須磨子の「ゴンドラの唄」になった。
♪ いのち短し 恋せよ乙女……
(ん?ゆきちゃん、どした?)
ゆきが花に向けて親指を立てている。
花は「もう」とつぶやいて顔を赤らめながら、コーヒーを配膳する。
(あ。あいつ、この間花に謝ってた学生じゃん)
「お待たせしました。珈琲です。(ケンジさん)」
周りに聞こえない声で名を呼ぶ。
学生は俯いて伝票に何か書き込んでから、すっと差し出す。
その伝票をしばらく見てから、花が応える。
「かしこまりました。楽しみですね」
(ん?楽しみ、なんてメニューあったか?)
「ふたりはお付き合いしているんですよ。ひい様」
「わ。蝶子ちゃん?」
「伝票に書いたのは、今度のデエトの時間と場所です」
「なんで知ってんの?」
「花は毎回あの伝票を持ち帰って、大切にとってるんです。ラヴレターなんです」
「……萌え~~」
「もえ?いえ。絶対燃やしたりしませんよ」
(令和ならLINE一本だけど、アナログもキュンキュンがあってよろしい。がんばれ、花ちゃん)
ゆきも二人の関係に合わせて選曲をした、ということなのだろう。
(グッジョブ。令和なら、D.J.になれるぞ)
親指を立てて見せると、あの尊いドヤ顔が返ってきた。
つづく




