第22話 「ドーピング」
未勝利戦が始まった。
スカイキッドが端を切る。
いい出だしだ。
あっという間に三馬身差をつけて、逃げをうつ。
確かに前のレースとは別の馬のようだ。
(よし。いける)
最終コーナーを回った。
逃げ切る、と思ったところで大外から恐ろしい勢いで追う馬が現れた。
(黑鹿毛。かかってた馬か?)
首を振ってよだれを撒き散らしながら追走する。
目も血走っている。
(まるで暴れ馬じゃねえか。なんか変だぜ、あの馬)
スカイキッドの後ろについた。
ヒヒ~ン!
狂気じみた黑鹿毛の雄たけびが、観客席まで届く。
スカイキッドがひるんだ。
その隙を突くように黑鹿毛が追い抜く。
ゴール。
スカイキッドは2着に終わった。
(負けた。だが、審議が入ってもおかしくねえ)
黑鹿毛は、ゴール板を抜けた後も走り続けている。
もう一周する勢いだ。
騎手が御し切れないでいる。
(かましやがった。興奮剤を)
令和で言うところの「ドーピング」だ。
このレース、一着のタイムは新記録となった。
4歳馬でも出ないタイムだった。
あり得ないレース展開を、星児以外誰も疑っていない。
歓声もない代わりに罵声も飛ばない。
令和のように電光掲示板もタイムを報せもしないし、客の少ない前座レースだからだ。
案の定、審議にはならなかった。
(試験段階……どれくらいの分量なら審議にかけられないか、ギリギリの線を探っているというわけか。となると、下手人はダフ屋を操るスジ者だな)
「「「「「店長。おはようございま~す」」」」」
店内には、従業員全員が揃っていた。
「なんであんたたちが、ここにいるのよ!休みでしょ」
「休みだから、みんなで新橋に買い物に来ましただ」
(銀座に行け!)
「「そしたらたまたま、お店の前を通りがかって…」」と、双子姉妹。
(いつも通ってる道で、そんな偶然あるか!)
「あ、そう言えばお鍋しっかり洗ってなかったな、って」と、栄子。
「私は新しいメニューを思いついて」と、みつえ。
(昨日やっとけ!うちでやれ!)
「お見合いの席で、お嬢様の服がほつれたりしたら一大事だと」と、久美。
(ほつれるほど激しい動きなんて、お見合いにねえよ!)
「うう。お、お、お、おんがく…な、な、ながす」
蓄音機を磨きながら、ゆきまでが手ぐすねを引いている。
ぐぬぬ、と身もだえする凛音の肩を霧子が叩く。
「みんな、お嬢様のことが心配なんですよ。大丈夫です。見合いが始まったら私がみんなを連れ出して、ふたりきりにさせますから。みなさん、それでよろしいですね?」
「「「「「はい!」」」」」
「…ならまあ、いいけど」
「あら、早かったわね。リンちゃん、気合が入っているようね」
「まるで、恋に急ぐ乙女ですわね。おーほっほ…げほげほ」
衣装を抱えて奥から出てきた天然コンビだ。
「社長。なんでこの子入れたの?ごんだわらは部外者でしょーが」
「ほら。わたくしも若い娘の流行りまでわからないじゃない?だから…」
「コーディネーター、よ」
(ターミネーターだろ。神出鬼没のスケルトンの方の)
「あら、これとか似合いそうですわ」
そう言いながら、銀の刺繡を施したモガ風ワンピースを凛音に当ててきた。
(ねえ。清流院凛音)
よしこが耳元でささやく。
(縁談がまとまったら……教えて、ね?)
顔を真っ赤にして、目を潤ませている。
(エロか?エロなのか……って、ツッコミ疲れたわ!)
「おまえら、なんかしたんだろ!」
六平が黑鹿毛の控え厩舎の中で叫んでいる。
調教師は顔を伏せる。
「でなきゃ、あんなデタラメな走りできるわけねえ!」
「おいおい、小僧。めったなこと言うもんじゃねえぞ」
着流しの男とハンチング帽のあの男が現れた。
六平がハンチング帽の男にしがみつく。
「やっぱり。あんただろ。これ、あんたが落としたやつだよな?」
ポケットから注射器を取り出す。
「あんた、三番の馬に何か打ったんだろ?」
「……」
「あの黑鹿毛のせいで、オイラのスカイキッドは負けたんだ。引退させられるんだよ!どうしてくれんだよお」
「小僧。言いがかりもいいかげんにしな!」
ハンチング帽が六平を蹴り飛ばす。
「くそ。こうなったら、この注射器持って競馬場のエライさんに言いつけてやる!」
男たちが顔を見合わせる。
着流しの男が笑顔になって、六平の前にしゃがむ。
「わかったわかった。小僧。その注射器が誰のもんか知らねえが、俺が代わりに審判のとこに持ってってやる。おめえみてえなガキが行ったって、どうせ取り合っちゃあもらえねえからな。こっちよこしな」
「いやだ!オイラが持って行く」
「…そうかい。なら、しょうがねえ、な!」
六平のみぞおちに、拳が撃ち込まれた。
星児はレースの後、渡辺調教師と話し合った。
負けたとはいえ、スカイキッドは殺処分にはしない。
競馬会のルール上、もうレースに出ることはできない。
だが、星児が通っている乗馬倶楽部で引き取ることでまとまった。
「倶楽部には明日言っておく。俺はそこにも出資しているから問題ねえ」
「旦那はそれでいいんですかい?乗馬じゃ金は稼げませんぜ」
「ああ、かまわねえ。仮にでけえレースに勝つ馬になったとしても、ボロ負けだとしても引退したら俺の手元に置いとくつもりだった。少しばかし早まっただけだ」
「ありがとうございます。こっちも殺すなあ後味が悪くて」
「じゃあ、決まりだ。細かいことはまた今度な。このあとちょいと用事があるんで、帰るぜ」
去りかけたとき、もうひとりのキッドのことを思い出す。
「おっと。小僧はどうした?いねえな」
「ああ、さっき三番の厩舎に文句を言いに行くつって、拾った注射器持って出て行きやした」
「…注射器?そりゃあ、まずいな」
黑鹿毛の控え厩舎に行ってみる。
もぬけの殻。
すでに引き揚げた後だ。
六平の姿もない。
地面に、注射器らしいガラスの破片が散らばっている。
そして、キャラメルの箱。
拾い上げる。
(……キッド)
つづく




