第21話 「懸案事項」
見合い当日の日曜日の朝。
その日は、目黒競馬場の開催日でもあった。
(見合いは昼からだ。新橋なら十分間に合うだろう)
星児は、レース前の控え厩舎を覗いてみた。
先日話をした渡辺調教師がいる。
「テキ(調教師)。スカイの調子はどうだ?」
「旦那。併せ馬の時計も上々で、いい感じに仕上がってます。これまでの走りが嘘みてえに」
「なら、今日は期待していいな。キッドの方はどうだ?」
「おい。六平。オーナー(馬主)さんがいらしてるぞ」
星児がキッドと呼ぶ、調教師見習の六平が挨拶する。
「オーナー。おはようございます!」
「厩舎の仕事は慣れたか?」
「あ、はい。勉強させてもらってます。いろいろありがとうございました」
「スカイは、おめえの蹄鉄が効いてるみてえだな。ごほうびだ」
星児がポケットからキャラメルを取り出して渡す。
「わ。十個入りのミルクキャラメルだ」
子どもらしく、嬉しそうに受け取る。
この頃のキャラメルは貴重な甘味であり、子どもより大人が買う嗜好品だ。
「未勝利戦は今日のレースが最後だな。負けたらホントに引退になるが、大丈夫か?」
「楽勝です。もともと、こんなとこでモタモタしてる馬じゃないんで。任せてください!」
客席に行く前に、他の控え厩舎も覗いてみる。
スカイキッドが走るのは未勝利戦と言って、これまで一勝もしていない三歳馬をふるいにかけるレースだ。
対戦相手は弱い馬ばかりだ。
星児は自分自身乗馬もやっているので、馬を見る目はある方だ。
(脚が痩せてる。毛艶もよくねえ馬ばかりだ。問題ないな)
殺処分にされかけたスカイキッド。
殺されかけた自分。
共感性が高い。
(キッドのためにも勝ってもらわねえとな。ん?)
一頭の馬が厩舎の中で暴れている。
未勝利戦に走る馬の一頭だ。
(あいつはかかり過ぎだな。よだれを垂らしてやがる)
3番枠の黑鹿毛の馬だった。
ーこのあと、第5回三歳馬未勝利戦のパドック観覧を開始します。
場内放送だ。
(おっと。のんびりし過ぎたな)
パドックに急ぐ。
星児の後を、キャラメルを手にした六平が追う。
「オーナー。これ、やっぱりこんな高いもん、オイラもらえない…あ!」
誰かとぶつかった。
「気を付けろ!くそガキ」
ハンチング帽を深くかぶった怪しげな男だった。
逃げるように去って行く。
「そっちこそ気をつけやがれ!」
立ち上がる時におかしな物を見つけた。
「何だ、これ?」
それは、ハンチング帽の男が落とした注射器だった。
凛音たちは、今もあの離れの宿舎に寝泊まりしている。
いったんは退去要請が来たが、雅が賃貸料金を払うことで猶予された。
職場に近い物件もあったが、あえてここに住んでいる。
(お金が貯まったらこの屋敷を買い戻して、伯爵令嬢にカムバックだ!)
通勤する前に、没収された清流院邸を見上げて決意の確認をするためだった。
朝ご飯のおにぎりを食べながら、路面電車に乗る。
窓の外の大正時代の街並みをおかずにしながら。
ここ数日、眠れない夜が続いた。
いろんなことを考えた。
まずお見合いの席で、星児に凛音の中身が別人になってんのバレんじゃね?の件。
そもそも、生前から一緒に暮らしていた小梅たちに気づかれてないのだろうか?
昨夜それぞれインタビューしてみた。
「まあ、確かにキオクソー・シチューのせいでおかしなことを言うようになっただが、ひい様は何も変わってねえですだ。お優しい方ですだ!」
信奉者の意見なので、あまりアテにはならない。
家庭教師だった霧子に訊く。
「……バカになりました。昔はもっとおしとやかで聡明なお嬢様でしたが、すこぶるバカになりましたね。まあいろいろあったから、バカになっても仕方がないのですけど」
辛辣。
雅の意見。
「そうねえ。そう言えば、わたくしが接吻しようとすると嫌がるようになったかしら?」
赤ちゃんの頃と較べていた。
人選ミス。
女学生時代を知っている悪役令嬢にも訊く。
「変わらぬ永遠のライヴァルですわ。おーほ…」
カットアウト。
(鈍いやつばっかで今は助かってるけど、星児さんはプライベートの深い部分も知ってる可能性があるんだよね)
仮にも、一度結婚までいった相手なのだ。
他の者が知らないプライベート。
例えば、初デート。
例えば、ファーストキス。
(あ。婚前交渉!)
令和では当たり前だ。
この時代はどうなんだろうか?
「初夜」なんて言葉を聞くから、許婚者でもその日までは純潔を守る?
いや逆に、性に対しておおらかな時代、という説も……。
脳が沸騰する。
(ま、まさかだけど、星児さんと会ったら…身体が反応する?あれは、そーゆーこと?)
もうひとつの懸念材料。
幽体離脱。
リベンジ葬式の日、凛音は祝言以来の星児との再会をした。
そして、令和ギャルの魂を引き剝がして独自の行動をとった。
(お見合いの席でも、あーしは強制退場させられるのかも……)
胃が痛くなってきた。
つづく




