第17話 「喧嘩の報酬」
大正7年(1918年)5月某日。
名古屋市内。
朔月ビルヂングの入り口に、強面がずらりと並んでいる。
「お疲れ様です!」
ハイヤーを降りた天童星児と江田島甚八が、ヤクザ達のハーモニーに迎え入れられる。
「天童組長と若頭の江田島さんですね?中で会長がお待ちしています。どうぞ」
この日、星児と江田島は名古屋まで赴いた。
朔月会の渡辺省三会長との、手打ち(和解)の話し合いだ。
「おお。これはこれは。わざわざ、こぎゃあな田舎までよう来やあた。まあ、どうぞどうぞ」
うさん臭い作り笑いに迎え入れられ、ソファにどっかと座る。
「まあ、お茶でも飲んでちょ。最高級の玉露だで。あ、珈琲の方がよかったかしゃん?」
まるで旅館の仲居のような低姿勢だ。
「いや、飲み物は結構。さっそく、要件にはいらせてもらいやす」
若頭が口火を切る。
天童組側の要求はこうだ。
捕虜にした松平以下構成員全員を解放する代わりに、縄張りの明け渡しと「今後一切東京に出入りしない」という旨の誓約書を書くこと。
戦勝国が突きつける一方的な要求だ。
「まあ。あんたらのド派手な喧嘩のことは、ここ尾張でも評判になっとるでね」
渡世の噂、特に武勇伝の類には尾ひれが付く。
ー天童組が朔月会事務所に、大砲を撃ち込んだ。
ーどうやら朔月会の構成員全員が首を刎ねられて、さらし首にされたようだ。
ーすでに名古屋の周りを、天童組の兵隊数百名が取り囲んでいるらしい…などなど。
噂とはいえ、ここ数日渡辺の心中は穏やかではなかった。
「だでまぁ、しょんねえだわ。その要求飲ませてまいますわ。ほんなら、証文でも一筆…」
「そんなもんでごまかす気か?ざけんな!」
テーブルを蹴り上げて、江田島が撥ねつける。
「ひ!」
一大組織の会長が悲鳴を上げる。
「俺が持って行った上原の証文は、松平が焼いて捨てやがった。おめえらにとっちゃ、証文なんてものは紙切れなんだろ?」
「…な、なら、どうすれば?」
星児が鞄から書類を取り出す。
「おめえらが根城にしていた旅館。それにシマ内にあった店や土地の権利書を持って来てやった。譲渡の手続きをとれ。根こそぎ俺らに差し出せ」
私的な証文は信用できないが、国が保証する書類なら間違いはない。
「それと、誓約書も警視庁に預ける。朔月会の連中が一歩でも東京に足を踏み入れたら、名古屋のデコスケ(警察)がおめえの首にお縄をかけに行く、ってえ寸法だ」
大正時代に警察庁はなく、帝都にある警視庁が全国の警察当局に指示することはあった。
理にかなっているように見えるが、これはハッタリだ。
警察が極道組織のいざこざに関わる事なとほぼない。
だが「東京の極道たちは、どうせここまで攻めてこない」と高をくくっている連中に、釘は刺せる。
渡辺はすべて言われた通りにした。
「ああ。それと、上原組の組員たちは天童組で引き受ける。もともと東京のヤクザだからな。名古屋の連中は来週にでも船で送り付けてやる。煮るなり焼くなり好きにしな」
星児たちはそう言い残して、名古屋を後にした。
(くっそお。わしに大恥をかかせてまって。破門くらいじゃ済ませせんでな、松平のどたわけが!)
渡辺の怒りの矛先は、松平の方に向いた。
江田島を殺そうとした男は、名古屋に帰る船の上から何者かに海に突き落とされた。
一週間後。
星児の目の前に、競馬場のトラックが広がっている。
(縄張りの近くに、こんなもんがあるのか?なるほど、朔月会が東京進出したがったわけだ)
東京府荏原郡目黒村(現・目黒区)。
ここには、東京競馬倶楽部主催の目黒競馬場がある。
6万4580坪、一周1400mと現在の府中競馬場の三分の一の規模だ。
ただ馬券の現金交換は禁じられていて景品との交換だったため、客の入りはあまりよくない。
(だが、だからこそ旨味がある。景品交換では満足できない連中を集めて、ヤクザ達はノミ行為に走るわけだ)
ノミ行為とは、公式の勝ち馬投票とは別にヤクザ団体などが独自に賭けをする行為だ。
こちらは現金でやり取りをするため、ギャンブラーはより熱くなる。
当然いさかいも絶えないので、ヤクザ団体の出番となるのだった。
(現金を手にして調子に乗った連中を、今度は丁半博打に誘って搾り取るわけか。うまくできてやがる)
朔月会のシステムのことだ。
(せっかくここまで来たんだ。運試しでもしてみるか)
馬券を買うためにパドックを見てみる。
次のレースは5頭立ての新馬(三歳馬)戦だ。
5番のゼッケンをつけた馬に目が行く。
(芦毛か?名前は……ほう。スカイキッド、か)
スカイを天と訳せば、スカイキッドは天童になる。
それに芦毛は自分のスーツの色に近い。
5番の馬券を買うことにした。
「カフェ清流だす。よろすくお願えしますだ!」
「ライスオムレットとサンドイッチ、美味しいですよ」
午後3時。
誠心女学園の放課後。
手の空いている凛音と小梅は、下校生に向けてビラ配りをしていた。
オープンから一月。
売り上げは順調だ。
ただ、商売は水もの。
油断することなく営業活動を続けるべし。
それが、鬼軍曹・中村霧子の方針だった。
たまに物珍しそうにビラを受け取る女学生もいるが、概ね見なかったように無視されている。
(さすが、お嬢様学校だわ。学校やお家の人からおかしなものは受け取るな、とか言われてるのかな。それにしても、着物と袴かわよ~~)
マンガや朝ドラでしか見ないファッションに、凛音は眼福を感じている。
(和風なのに、編み上げブーツにサテンのリボン。大正~~)
「ちょっと、あなた!」
つづく




