第16話 「半ドンの日」
翌日午後2時。
凛音たちは愕然としていた。
きのうは戦場のようだったお昼時に、客が数名しか来なかったのだ。
(まさか。きのうのオープンで評判を落とした、とか?)
カレンダーを見てみる。
「霧子さん。今日は土曜日だよね?週末ってもっとわんさか…」
「逆です。半ドンですよ」
「半ドン?」
「それも覚えてないのですか?正午に太鼓がドンと鳴って、半日でたいがいの会社は営業終了です。新橋は勤め人の街だから、12時になるとすぐに家に帰るんですよ」
少しホッとする。
「でも、それにしたって…」
「少なすぎますね。江戸っ子は新しいモン好きだが飽きるのも早い、とは言いますが」
「たった1日で、飽きられた?」
「か、あるいは……」
霧子でさえ言いよどむ。
この店の料理が気に入られなかった。
コーヒーが気に入られなかった。
接客が気に入られなかった。
店の雰囲気が…などなど。
考えれば考えるほど、ネガティブになる。
ホールの隅っこでは、双子姉妹がしゅんとしている。
髪型も変えてエプロンの色も変えてもらったのに……。
厨房のふたりとコーヒー係の久美も、手持ち無沙汰に黙り込んでいる。
せっかく、少しは要領よくなったのに……。
ゆきが、蓄音機の前でうずくまっている。
やっと、できることが見つかったのに……。
(この子たちが泊まり込んでまでした努力が、報われないなんて)
切なくなる。
「お。やってんのか?半ドンだってのに」
野太い声がして、男が入店する。
(あれ?きのうの、客にウ○コ食わすんじゃねえ、のおっさん?)
男の後から、家族らしき三名が続く。
5,6歳の男の子と女の子。
最後に入って来た奥さんらしい女性がお辞儀をする。
「「いらっしゃいませ!」」
久しぶりの接客に、山田姉妹の声も張り気味だ。
うっかり、二人そろって水を持ってきてしまった。
「おう。おまえら、見てみろ。このおねえちゃんたち、双子なんだぜ」
「あ。ほんとだ。おんなし顔」と男の子。
「わあ。かみ、かあいい!」
女の子が目を輝かせて、蝶子のツインテールを撫で回す。
「へえ。きょうはちゃんと区別がつくな。あんたら、きのう客に間違えられてたもんな」
えへへ、と揃って苦笑いしながら、メニューを渡す。
女の子は、ふたりのエプロンをじっと見ている。
「さあ。なんでも好きなモン注文しな」
「あのえぷろん」
「エプロンは売りものじゃないんだよ」
「ゆうべとうちゃんが『めちゃくちゃ、うめえ』って言ってたの、どれなの?」
「ええと……ライスオム…オム…ウンコライスだ!な?」
おっさんが凛音に向かって笑いかける。
(根に持ってんのか?)
「お。ほんとだ。カフェだ、カフェ」
「わあ、素敵。きれいなお店」
「あ、すごい。蓄音機があるよ」
今度は、祭りの法被を着た団体がぞろぞろと入ってきた。
凛音があわてて接客する。
「いらっしゃいませ。何名様ですか?」
「えっと。20人くれえなんだが、大丈夫かい?」
「はい。5席くらいに分かれて、ご自由にお座りください」
集団の中に、きのう花に「いつまで待たせんだ。ナメてんのか!」と罵声を浴びせた学生らしき男がいる。
要注意。
「あのう。今日は何かあったんですか?そのハッピ」
「ああ。明日が地元の祭りで、町内で準備やら稽古やらやってたんだよ。ひと段落ついたんで、ここで遅い昼飯でも食おうってことでよ」
誤算だ。
地元の催し事まではチェックしていなかった。
厨房が大忙しになった。
だがみつえも栄子も、生き生きときのうの成果をためそうとする。
ホールのふたりも、楽しそうに接客する。
(でもさすがに、お客様を待たせることになりそうだな。その時は、ウチの秘密兵器だ)
雑談の合間をうかがう。
「ゆきちゃん」
パチン、と指を鳴らす。
「うむ、任せろ」と頷いてから、ゆきがレコード針を下ろす。
♪ カチューシャかわいや わかれのつらさ
せめて淡雪とけぬ間と
神に願いを ララ かけましょか
…… …… ……
「お。この歌知ってるぜ」
「松井須磨子。きれいな歌声よね」
大正11年時点では、ラジオ放送はまだ始まっていない。(大正14年開始)
プロの音楽を聴けるのは稀少な事なのだ。
うっとりする客もいる。
一緒に口ずさむ客も出てきた。
(よしよし。これで気が短い江戸っ子も少しは…ん?)
きのうの罵声男が、花を手招きしている。
(あいつ。また、ウチの子を…)
何か言ったら止めよう、と歩み寄る。
だが、神妙な顔で囁いているだけだ。
(あのう。きのうは…怒鳴って…ごめん)
(あ、いえ)
(おいは田舎モンで、カフェなんて生まれて初めてやったけん、東京にナメられたらいけん…とか八つ当たりんごとばして……すみませんでした)
子どものように素直に頭を下げている。
(そうか。男のひとだって、初めてのことは怖いものなんだ。ふふ。かあいい)
花がクスリと笑うのを見て、凛音がほっとする。
(これで、少しは男慣れもするかもね)
「美味かったあ」
「今度はもっとゆっくり、珈琲飲みに来ようっと」
家族も集団も笑顔で店をあとにする。
店長にとってはモチベが上がる瞬間だ。
ハッピ親父に声をかける。
「また、みなさん来ていただけますかね?」
「おう。町内会の連中引き連れてくるぜ。この町でカフェ続けてくれんなら、みんな応援してくれるはずだからよ。じゃあ、またな」
お辞儀をしながら、拳を握る。
やっぱり、努力は報われる。
やっぱり、私たちだってできる。
「うううっ、しゃああ!」
凛音は太陽を割る勢いで、拳を天に突き上げた。
第1章「凛音」 終
次章「天星」につづく
「わだすも仕事してましただ。裏で薪を割ったり、力仕事してましただ。なのに……」
「描かれてなかったのね。小梅ちゃんの努力が」
「報われないですだ、努力なんて…うおおお!」
「見るな!小梅ちゃんの哀しみを、その慟哭を、誰も…見るな!」
「…ひい様、ジャマ」




