第15話 「天童組の喧嘩」
剃刀で頬をスッと切られた。
「……やりたきゃ好きにしな。ただ先に名乗っておくが、俺は天童組の若頭・江田島甚八だ」
「それがどうしたんだて。わしだって朔月会の理事やで。松平金造や」
「田舎ヤクザは作法を知らねえようだが、カシラを殺すということは組同士の戦を始めるってことだ。それでいいんだな?」
「戦?東京モンは大仰だでかんわ。うちの会長が東京進出を望んどるもんで、上原みたいなお調子もんに任せてみたけどよ。まあ、潮時だわ。ここらで引き揚げるわ」
「……」
「わしらの城は名古屋なんだわ。攻めて来れるもんなら、いつでも来やあて」
交通の便がない時代の東京ー名古屋間は、組員総出で移動するだけで一週間はかかる。
抗争が長引けば月単位になる。
その間縄張りは無防備の状態だ。
「そのかわり、その間に天童組は大吉一家あたりに乗っ取られるかもしれんでね」
(ち。上原から、こっちの内情を聞いてやがったか)
「それに今、ええことを聞いたわ。天童組の若頭の首を持って帰りゃあ、会長へのええ東京土産になるだわ。おみゃあさんの命をわしの小指代わりにして、許してまうことにするわ」
名乗ったことが脅しにも取引材料にもならなかった。
万事休す、だ。
「安心しやあ。わしが直々に首刎ねたるでよ」
へらへら顔の松平の眼が変わった。
「おい。刀、貸せ!」
大衆旅館の裏手には小高い丘がある。
星児たちは、そこから朔月会事務所を見張る。
あたりは真っ暗で、二階の電灯が揺れている。
「ち。……」
望遠鏡で何かを確認する親分が、舌打ちをしてつぶやく。
佐久間は隣にいたが、つぶやき声は聞き取れなかった。
「矢を一本よこせ」
佐久間が背中の矢筒から抜き取って、親分に渡す。
星児は内ポケットにしのばせた物を取り出して、矢先に結び付ける。
「親分。それは?」
「知らねえか?ダイナマイトだ」
「ま、マイト?」
「こいつで建物を吹っ飛ばす」
「え?いや。そんなことしたら、中にいるカシラが」
「何度も言わせるな。江田島は死にに行ったんだ。やつの意思を尊重しろ」
言いながらマッチを取り出す。
「弓を構えろ」
頭が真っ白になったまま、催眠術のように命令に従う。
「どこでもいい。一階の壁を狙え。いいな。一階だぞ」
江田島がいないことを願いながら、狙いを定める。
「火をつけるぞ」
導火線に点火する。
「5,4,3……」
手が震える。
「2,1…」
泣きそうになる。
「射!」
矢が放たれた。
「よう押さえつけとかないかんでなも」
子分たちが江田島の両手両足を押さえつけ、亀のように首を引っ張る。
「おみゃあさんに怨みはなんもあれせんけど、渡世の義理だで悪う思わんとってちょうよ。南無阿弥……」
松平が反動をつけるため、刀を大上段に振り上げる。
「陀仏!」
刀を振り下ろした瞬間。
ドーン!!!
凄まじい轟音が鳴り、建物全体が飛ぶように上下に揺れた。
大衆旅館の二階にあった座敷牢は、中庭まで吹き飛んだ。
「よし。ダンビラ(日本刀)隊は、出てくる連中を斬りまくれ。行け!」
「おお!」
われ先にとダンビラ隊が丘を駆け下りる。
「ほかの者は、俺について来い!」
星児がサーベルを抜いて、中庭へ走って行く。
丸太を抱えた男たちが後を追う。
(か、カシラ~~)
佐久間はその場を動けないままだった。
(う。ううう。なんや?何が起きたんだて?)
確か、宙を飛んだ気がする。
そして地面に叩きつけられた。
松平が半身を起こすと、旅館が燃えていた。
炎に煽られて、朔月会の手下たちが逃げまどっている。
「地震、か?」
その喉元にサーベルが突きつけられる。
「いいや。これが、天童組の喧嘩さ」
白スーツの男が、こちらを見下ろしていた。
「おい。しっかりしろ。カシラ」
頬を叩かれて目を開く。
「…あんたは、吉岡…組長?」
あたりを見回す。
向こうの方では、天童組の者たちが朔月会の若衆と斬り合っている。
「親分さんが、なぜここに?」
「気づかなかったか?おめえが入った時から、盆でサイコロに賭けてたんだよ」
「…ではたまたま、ここに遊びに?」
「んなわけあるか。客の振りして、朔月の動きを見張ってたんだよ。んで、おめえの組が乗り込んできたところで、これを書いて報せてやったんだ」
腹巻から紙を取り出す。
「カシラ、二カイ、ヤラレル」
「…どうして、こんな…」
「決まってんだろ。おめえんとこの二代目に頭下げて頼まれたんだよ。『ウチのカシラを守ってやってくれ』ってよ」
(……若)
斬り合いは、だいぶ天童組に分があるようだ。
相手は爆弾に度肝を抜かれて、戦意喪失している。
戦う前から勝負あった、というところか。
「燃え移る前に、建物を叩き壊せ!」
星児の声が飛ぶ。
中庭では組員たちが、燃えている旅館の壁を丸太で打ち壊している。
延焼を防ぐためだ。
「いいか。素人さんに迷惑をかけるんじゃねえぞ!」
とび口で壁板を剥がし、刺又で柱をを倒していく。
これらは戦うための道具ではなく、このためだった。
「おもしれえ喧嘩をするじゃねえか、おめえの親分はよ。それに、情もある。子分を見捨てねえ」
「…はい。いずれ…」
「ん?」
「いずれ天下を取る、日本一の大親分になりますよ」
「はっはっは。そりゃあ、いいや。やれ。やれ。どんと行け!」
赤い炎が、夜空を熱く燃やしていた。
つづく
「なんかわし、東京まで来て、名古屋人のイメージ悪くしただけだがや」
「松平くん、ドンマイ。もともと、あんま良くないし」
「わ~ん。タモリのせいだわ。タモリのどたわけ!」
「タモさんが悪口言ったのは30年以上前だよ。そっから先は名古屋人の自業自得」
「身も蓋もあれせんがや。わ~~ん」
「ドンマイ」




