旅立ち
「時間は余裕のつもりだったけど、結局深夜になっちゃったね」
ロープを結ぶのが難しかった。
「首に合う輪っかを作らないといけないからね」
明かりをつけられないから手元も暗いし。
「見つかったら台無しだからね。代わりにロウソクを立てたじゃないか」
か細すぎ。
「でもムードはあるよ」
まぁな。
「それで、倉庫のどこにくくりつける?」
奥に梁があるだろ。そこが頑丈だ。
「なるほど。脚立は支えるから、頼んだ」
はいよ。
「おぉ、ついにあの輪っかが目の前に…… 感動……」
旅館の景色にも劣らないな。
「いいね、実にいい。強度はどうかな?」
ぶらさがってみるか…… よいしょ。
「動じないね。実に猛々しい」
よし。じゃあこの下にビールケースを置くぞ。
「可愛らしい処刑台だ」
次は手を後ろに回して、親指の付け根を結束バンドで留める。万力でしっかり締めるんだ。
「うん、うん…… どう? 締まってる?」
ガッチガチだ。俺のは?
「それはもう立派なことで」
いい、完璧だ。
「全ての準備が整った。シは目の前に」
緊張するよ。
「それは今まで頑張ってきた証さ。さてさて、遺す言葉はあるかい?」
そうだな、少しだけ。
「拝聴しよう」
……俺の人生は決して褒められたものではなかった。1人のシあわせのために、9人はシに追いやった。
楽しく感じる瞬間もあった。笑って生き長らえることができるかもと思った。
でもまとわりつくものは消えやしない。どんどん俺の意義を蝕んでいく。俺はやせ細っていった。
日に日に萎んでいく頭は真理を作った。世界が求めるものの中に俺は含まれていないのだと。
そう気づいてからはかえって楽になった。全てを裏切る決心がついたから。
そしたら、お前が傍にいた。
「……」
ありがとう。最後に一緒にいるのがお前で本当によかった。
「光栄だ」
長く喋ったな。聞くよ。
「別に無いんだが」
そういうわけにいくか。お前もスピーチするんだよ。
「じゃあ、ちょっとだけ…… 世界は笑い続けてきた。それはこれからも変わらない。しかしどこかで気付いている、『シ』は避けられないと。同じなんだ、世界だって。みんなみんな『シ』との向き合い方を探しているのさ。だから……」
だから?
「先達になるのさ、誇らしいだろう?」
全くだ。
「ふふ。じゃあ行こうか。首を入れようね」
「チクチクするね。こそばゆいよ」
少しの辛抱だ。
「では、合図と共に台を蹴り出そう」
思い切りよくな。合図は任せていいか?
「任されよう」
うん、頼む……
「大丈夫、落ち着いて。1人にはならないよ」
あぁ……
「ただ、サヨナラを言うんだ。今までの自分と、これからの世界に」
うっ、うぅっ……
「ボン・ボヤージュ」
うぁぁぁっ!
ぐっ?! ぎっ、ぎぃぃぃ……
あ、あ…… が……?
ん……
「そ……か。意……だ。や……よ。し……ね」
……
シは、身近にある。
夜泣きする赤子のように、世界の中心で息づいている。
シは、形を変える。
時に丸まり、時に角張り、時に尖り、時に細長く、時に太く短く。
どこにでも当てはまるように、そこにある。
だからシというものは…… いつでもあなたの肩をそっと叩いてくれる。