第七章 追跡
一
「そういえば……」
自転車で自宅アパートへと帰る道の途中、壮介は歩道で立ち止まり、右側を向く。
そこには潮見川沿いへと抜ける道があった。
「まだ事件現場って見てなかったよな。ちょっと行ってみるか、寒いけど」
壮介は自転車の前輪を右へと向け、潮見川へと降りる細い道へと入っていく。そこは外灯もなく真っ暗な道。自転車のライトだけが頼りだった。
一分程走ると、すぐに潮見川沿いの道へと出る。夜でも月明かりの下、無数のゴミが浮いているのが判る汚れた川。
汚れた水面、満月の明りは差し込んでもその姿は映し出されていない。
「相変わらず、きったねえ川」
壮介は自転車から降り、手で押しながら道を歩く。
「確か前にTVで見た時はこの辺りだったような」
壮介は歩きながらリンの遺体発見現場を捜す。
そしてしばらく川沿いの道を歩いていると、或る場所で壮介は立ち止まる。
壮介の視線の先、そこに花束と缶ジュースがそれぞれ一つ置かれていた。
「ここです……か」
壮介は自転車を停め、その場所に近寄り、前でしゃがみ込む。
そして目を閉じ、手を合わせた。
「さて……と」
壮介は立ち上がり、目の前を流れる汚れた川を眺める。壮介の目に映るのは漆黒の水面とそこに浮かぶ無数のゴミ。
リンは、或る寒い日の朝、ここに浮かんでいたのだ。この無数に浮かぶゴミのように……。
「こりゃ、浮かばれねぇよな」
壮介はそう呟き、こめかみをポリポリと掻いた。
「しかし……」
壮介は身を乗り出して、水面を凝視する。
「蛍光色のゴミなんかは判るけど、それ以外のモノって結構見難いな。夜じゃここに人が浮いていても気付かないかもな」
壮介はリンがいつ川へ遺棄されたのかを考えていた。発見される直前なのか? それとも夜のうちに川へ投げ込まれていたのか?
壮介は後ろを振り返る。
そこにはフェンスがあり、そのフェンスは一メートル半程のコンクリート製土台の上にあった。フェンスの向こう側には道路が走っているため、車からの不法投棄防止用の防壁となっていた。
「川沿いの道、丁度この部分だけ向こう側から死角になるわけね」
壮介はフェンスへと近付き、その高さを確認する。
「ってことは、夜のうちにここから遺棄しても、周囲には気付かれ難いってわけか」
壮介は周囲を見渡す。フェンスの向こう側は道路であり、また雑居ビルも建っているため周りからその様子を確認し辛くはなっていた。
壮介は再び川の方へと近付き、花束の前でしゃがみ込む。
「この花、まだ新しいな。誰が置いていったんだろう」
壮介は考えながら頭を掻く。リンは最近台湾から来た留学生であり、交友関係は限られる。同じ学校の学生、フラワーの従業員、
そして、萩田亮平。
壮介もその名前を頭に思い描いたのであろうか、ガリガリと髪の毛を掻き毟った。
「一体どこへ行っちゃったんだよ、萩田君……」
壮介はポツリと呟く。
事件発覚直後に比べればその注目度は静まってきたものの、今でもTVのワイドショーではこの事件は連日取り上げられていた。
そして萩田の名前こそ出てはいないものの、リンの交友関係について重要な鍵を握る人物がいると報道されている。
コメンテーターの無責任なコメントを鵜呑みにすれば、まるでその「重要な鍵を握る人物」が犯人かのような印象を持ってしまいかねないものでもあった。
「…………」
壮介は内心動揺していた。壮介や洋は萩田亮平がそのようなことをするような人物とはまるで思っていない。しかし連日連夜の報道により、その信念を外堀から埋められている感じがするのだ。ましてやその本人は姿をくらましている。壮介は自分の思いとは別の方向に事が進んでいこうとしていることに、焦りそして苛立ちを覚えていた。
殺人・死体遺棄容疑で逮捕される亮平の姿など、想像もしたくないであろう……。
「あ~っ、ちっくしょう!」
壮介は立ち上がりワシャワシャと両手で髪の毛を掻き毟った。
焦りと苛立ち……。
壮介はいつになく動揺。
そんな姿を、満月は無表情に照らし続けていた。
二
「誰?」
壮介の背後から女性の声。振り向くと、そこには手に缶コーヒーを持った仁藤冴子の姿があった。
「ああ、冴子さん」
「あら、アンタは……」
壮介は冴子の方へ向き直る。そして髪の毛をポリポリと掻く。
「どうして、アンタがここに?」
冴子は訝しげな表情で壮介を見る。すると壮介は苦笑いを浮かべ、さらに頭を掻く。
「い、いやあ、ははは。調査ですよ、調査」
壮介の答えに、冴子はさらに顔をしかめる。しかしその表情から警戒心というものはなく、持っていた缶コーヒーを両手に抱え、壮介の方へと近寄っていった。
「ああ、ボタンちゃんの……。まだ頑張ってたんだ」
冴子はクスクスと笑う。笑う度に口から白い息が漏れる。
「今夜も冷えるわね」
冴子はそう言いながら花束の置かれている所の前でしゃがみ込む。
「ほらボタンちゃん、温かいコーヒーだよ……」
そして冴子は両手で持っていた缶コーヒーをそっと置いた。
その横に壮介もしゃがみ込む。
「この花束とかは冴子さんが?」
すると冴子は少し意外そうな表情になり首を振る。
「私じゃないわ。何度かここには来たことあるけど、モノを持ってきたのは今日が初めてよ。いつもキレイな花束置いてあるけれど、アンタたちじゃなかったの?」
壮介も首を振る。
「いいえ、俺は何も……。そうか、じゃあ全く別の人がこれを置いたのか。一体誰が……」
壮介がそう言いながら頭を掻いていると、冴子は立ち上がった。
「ここに座ったままじゃ寒いわよ」
冴子は壮介に向けて手を差し伸べる。それに気付いた壮介は苦笑いしながら、その手を握らずに立ち上がった。
「冴子さんはどうしてこんな時間に?」
すると冴子は笑いながら或る雑居ビルを指差した。
「あのビルは確か、キューピットが入っているビルですね」
壮介は場所を確認し、そこがキューピットの場所であることを思い出した。
「そ、粘ってみたんだけれどねぇ、寒いからお客が来なくてね。あ、ここに来たのはほんの気まぐれ。お店を出た時、ふとボタンちゃんのこと思い出したから」
冴子はそう言って笑ってみせる。しかしその表情にはどこか淋しさを滲ませていた。それがキューピットでお茶を挽いていたことなのか、リンのことを思い出してのことなのか、壮介には思い計れなかった。
「ああ、そういえば……」
その時冴子が何かを思い出し、壮介の肩をポンと叩く。
「この間キューピットで、前のアンタたちみたいにボタンちゃんのことを訊ねてくる男がいたのよ。あんまりしつこいし、何か小汚い格好だったから、適当にあしらっちゃったんだけどね」
その言葉に壮介は敏感に反応する。
「え、その男ってどんなカンジでした」
壮介の意外な喰い付き様に、冴子は少し驚く。
「えっと、だから何か小汚い格好してたわ、無精髭で……。年齢は、アンタと大して変わんないんじゃないかしら」
「名前は……聞いてないですよね?」
壮介の自身のない問いに、冴子は首と手を同時に振る。
「あ、そうだ」
何かを思いついた壮介は、ケータイを取り出す。
「冴子さん、その男って、こんな奴じゃなかったですか?」
壮介は自分のケータイのディスプレイを冴子に見せる。
「これは……」
壮介が冴子に見せたのは、ケータイのカメラで撮影された画像。それはゼミの飲み会で撮影されたもので、そこに映っていた人物は戸山教授を中心に壮介と洋、そして亮平であった。
「この一番右に映っている男です。どうです?」
冴子は壮介からケータイを受け取り、画像を凝視する。
そして……、
「断言はできないけれど、似てるわね……」
ひとしきり画像を見た後、ケータイを壮介に返す。
「そうだ! あとね、これもこの間の話なんだけれど、今日みたいにこの場所に来たんだけれど、いたのよそいつが」
冴子は再び花束の前にしゃがみ込む。
「こういうカンジで座ってた。後姿だからちゃんと顔は見てないんだけれど、多分キューピットで会った男と一緒よ」
それを聞いた壮介は頭をガリガリと掻く。それがもし亮平だったなら……と考えているのだろうか。
「その男、何か言ったりとかしましたか?」
すると冴子は少し考え込む。
「うん、何かボソボソ言ってたんだけれど、声が小さくて聞き取れなかった。んで、何か怖くなって、すぐこの場を離れちゃった」
冴子はそう言い立ち上がり、歩き出す。
「寒い~。私そろそろ行くわ」
冴子はポケットからタバコを取り出して火をつける。
「あ、はい。気をつけて。俺をそろそろ帰ります」
壮介は花束の前を離れ自転車の方へ。
「そっちこそ。調査頑張ってね。何か私に聞きたいことがあったら、キューピットか前に行った喫茶店覗いてみて。大体どっちかにいるから」
冴子はそう言い残し手を振りながらその場を後にした。
そしてその後姿を見送った後、壮介も自転車に跨りその場を後にした。
三
「う~寒い寒い……」
青白く光る月夜、壮介は白い息を吐きながら自転車を漕ぐ。
その間、壮介はずっとあることを考えていた。
殺されたリンのこと。いなくなってしまった亮平のこと。事件現場に置かれていた花束のこと。
或る寒い日の朝、リンの遺体が発見され、そして亮平が姿を消してから謎が謎を呼んでいた。壮介にとってすれば、一つの謎を紐解いていこうとすれば、また新たな謎がそこから出てくる、まるでロシアの土産物のようだった。
「しかし、どこ行っちまったんだよ」
そして何より気にかけていたのは、亮平の安否だった。
姿を消して以来、まるで連絡が取れない。大学には来なくなり、ケータイ電話は電源が切られているし、自宅アパートにも行ったがポストに郵便物が溜まった状態で帰った形跡はない。煙のように消えてしまった。
しかし冴子の話しよれば、亮平らしき人物が事件現場いた。もしそれが亮平ならば、とりあえずこの近くにいることだけは確かということになる。
そしてそれは壮介も確証はないものの信じて疑わなかった。
「アイツは遠くへ逃げちまうヤツじゃない。きっと……」
きっと、アイツも事件の謎をアイツなりに追っているんだ……。
壮介はそう思っていた。
目の前の信号が赤に変わったので、壮介は自転車を停める。
その時、ピュウと冷たい風が壮介の身体に吹き付ける。
「ひ~。さみぃ」
壮介は空を見上げる。走り出してから二十分程。もう繁華街を抜け出し幹線道路から脇に入ったので、周りに高い建物やネオンが少なくなり地上からでも空が広く見渡せる。
そこにはオリオン座とそれ以外の星座、そして満月が青白く輝いている。
壮介は手袋ごしに頭を掻く。
「アイツもこの満月見ているのかな?」
壮介はそう呟く。
この満月の下、同じようにこの街にいるであろう亮平の姿を思い出す。今の壮介にとって、間違いなく一番再会したい人物であった。この同じ街にいるはずなのに会えず、また捜しようもないことに壮介はある種の歯がゆさを感じていた。
壮介はもう一度頭を掻く。
この事件に足を突っ込んでしまった以上、壮介はその結末を見るまで後には引けない。
始まりはいつもちょっとした好奇心。
そしてそれを追い求めるあまりに、結果誰も行き着けなかった深みにまで辿り着いてしまう。
そうやって壮介は今まで数々の難問・難事件を解決してきたのだ。
「まずはアイツの尻尾を掴まなくちゃな」
壮介が今やるべきこと。それは亮平を捜し出し、再会することだと認識していた。
「明日また洋と相談しなきゃな」
そう言って、壮介は自転車のペダルに足をかける。
そして目の前の信号が青となり、壮介の自転車は再び走り始める。
「う~、カゼひきそうだ……」
笑いながら壮介は寒風の中疾走する。
「待ってろ萩田亮平! 絶対捜し出してやるからな~!」
壮介は夜中に近所迷惑ながらも、上空で青く光る満月に向かってそう叫んだ。