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第六章 別れた理由


 夜、興橋の歓楽街。

 美しく光る月も星も薄汚れたビルに遮られた街、その中で一人の男が下を向いて歩いていた。

 男の瞳に映るのは、行き交う人の足とタバコの吸殻、そして踏み付けられた蛾やゴキブリの潰れた死骸。

 時折キャバクラのキャッチらしき若い男性がその男に声をかけてくるが、その男は声に見向きもせずに歩き続ける。相手にされなかったキャッチの若い男性が後方で捨て台詞を吐いても、振り向くことはなかった。

 男は興橋の歓楽街を歩き続ける。ただ男の足取りは、しっかりしたもののように見える。

 そしていつしか男は歓楽街を抜け、潮見川の方へと向かっていた。

 ここまでくると薄汚いビルは姿を消す。街のネオンのせいで星は見え辛いが、月ははっきりと見えた。

 

 今夜も丸い月が、暗い足元をほのかに照らす……。

 

 男は潮見川のほとりに立つ。夜の闇の中でさえもゴミが浮き、その汚さが判る程の川。

 男はほとりにしゃがみ込む。ただ汚い川の水面を見つめる。

 

 その汚い水面を満月が照らす。


 そこで何を見つめているのか? そこに何が見えるのか?


 男が見つめるその先……、

 そこは数日前、或る寒い日の朝、或る留学生の他殺体が浮いていた場所だった。


「…………」

 男の背後に人影。

 いつの間にそこにいたのか、いつからそこにいるのか、男には判らなかった。

 男がそれに気付いたのは、背後の人物が男の名前を読んだから……。


「…………」

 名を呼ばれても、男は動かずに川の方を向いてしゃがんだままだった。

 

 男は川を見つめる。そんな男の背中を、背後の人物は見つめる。この間二人に会話はない。

 しかし、二人には何かが判っている。判っているから、こんな所で出会っているのにも関わらず、一言も言葉を交わそうとしない。

 しばらくの沈黙の後、

「…………」

 再び背後の人物が名前を呼ぶ。

 すると男は首を少しだけ動かし、左眼の視線だけ背後の人物に向ける。

 そして、口を開く……。


「殺したのは、お前だろ?」


 すると背後の人物は……、

「…………」

 何も言わず、首を縦にも横にも振らず、その場を後にした。



 或る日の夜、

 壮介と洋は興橋にほど近い商店街のアーケード内にいた。

 この日はとても寒く、アーケード内にいてもその寒風が肌に凍みるほどだった。

 コートのポケットに手を突っ込み白い息を吐く洋と、メモ用紙のような紙と睨めっこしている壮介。

「おい、多分ここだぜ」

 壮介たちが行き着いたのは、とあるチェーン系のラーメン屋の前。

「ったく、お前さんも人がいいというか、物好きというか、なんと言うか……」

 寒そうな洋は壮介に呆れた表情を見せる。

「しゃあねぇだろ。向こうから是非会いたいって言ってきたんだら。拒む理由はねぇだろ」

 実はこの日の前日。壮介のケータイ電話にある人物から連絡があった。

 その人物とは川奈晶子、亮平の元恋人である。

 その川奈晶子から壮介に、話したいことがあるので直接会いたいと申し出があったのだ。

 亮平のことを追う壮介にとって、晶子からの面会希望を断る理由はない。そしてお互いのスケジュールを調整した結果、今夜となった。洋はたまたま時間が空いていたため、壮介が連れてきたのだ。

 ただ約束した時間が晶子のアルバイトの終了直後ということもあり、二人が晶子のアルバイト先まで迎えに行くととなり、壮介は電話で晶子のアルバイト先を聞きだしていた。

「あ、あの娘じゃね?」

 店内を覗くと、店内にある満席用の待合イスにショートカットの若い女性が外の様子を窺いながら座っていた。

 壮介がその女性と視線を合わせ、軽く会釈をする。すると女性は立ち上がってカバンを肩にかけ、店を出て壮介たちのもとへとやってきた。

「あの、新谷壮介さんですか?」

 川奈晶子らしき女性が壮介に訊ねる。壮介は頭を掻きながら再度会釈をする。

「どうも、新谷です。川奈晶子さんですね?」

 すると晶子は軽く口元を緩め、礼をする。壮介たちと同年代で、可愛いというより綺麗な顔立ち。

 そしてその晶子の視線は壮介の横へ。

「ああ、一応紹介します。こいつは俺のダチで藤田洋っていいます。一緒に萩田君の行方を追っています」

 そう言うと壮介は洋の脇を晶子に見えないよう小突く。

「ああ、どうも初めまして。萩田君の友達の藤田です」

 洋が会釈をすると、晶子は洋の方へ向き直り礼をした。

「ではここでは何ですので、別の場所へ移動してもよろしいですか」

 晶子は壮介たちに確認を取り、歩き出す。

 向かった先はアルバイト先から五十メートル程離れたところにある終夜営業の喫茶店。晶子・壮介・洋の順番で入店した。

 そして入店し席に着こうとした時、

 ドカッ

「キャッ」

 晶子が向こう側から来たサラリーマン風の男性客とぶつかった。

 ぶつかった拍子に、晶子は肩にかけていたカバンを床に落としてしまい、中身の一部が床に散乱した。

「すみません、不注意でした。大丈夫ですか?」

 サラリーマン風の男性客は申し訳なさそうに頭を下げながら、床に散らばった物を拾う。

「あ、いえいえ。こちらこそすみません。あ、大丈夫ですから」

 そして晶子もしゃがみ込み、床に散らばった私物を片付ける。

 その様子を所在無さ気に見守る壮介と洋。

 ただ壮介は散らばった晶子の私物の中で意外な物を発見する。

「へぇ、タバコ吸うんだな、あの娘」

 そう思いながら壮介は頭を掻き、フロアの奥に席を確保しに動く。洋も後に続いた。

「失礼しました」

 散らばった私物を片付けた晶子がすぐにやってきた。

「いやいや、いいって。とりあえず注文しよっか。俺はブレンドコーヒーね。洋は」

 すると洋は「お前と一緒」と無言で合図を送る。

「では私はエスプレッソでお願いします」

 そして全員が注文を終え、五分程でそれぞれの前にカップが並んだ。

「さて飲み物もきたことだし、本題に入るとしましょうか、川奈さん」

「はい……」

 晶子は一度カップに口をつけ、そして眉間に皺を寄せた……。



「話したいことってのは、萩田君のことだよね?」

 壮介は単刀直入に亮平の名を出す。すると晶子は無言で首を縦に振った。

「実は昨日、亮平君から連絡があったんです」

 そして晶子は目を伏せながら話し始める。

「私のケータイに着信があった時は本当にビックリしました。慌てて出てみたんですけれど、向こうからは何も反応がなくて……」

「反応が……ない?」

 壮介は身を乗り出す。

「電話はかかってきたが、向こうは何もしゃべらず……ってことですか?」

 続いて洋が晶子に確認する。

「はい……。こちらから何度も語りかけたんですけれど、二分くらいそんなやり取りがあって、向こうから電話を切られました」

 言い終わると晶子はコーヒーに口をつける。その向かい側に座る壮介は頭を掻く。

「結局、無言電話で終わったということですか」

 洋は今聴いた話を簡単に纏め、コーヒーを啜る。その瞬間、洋のメガネが曇る。

「電話中、本当に何もしゃべらなかったんですか? 何か気付いたことは?」

 壮介は頭を掻きながら晶子に訊ねる。

「そうですね……。向こうからは確かに何も……。ただ、繁華街にいるみたいで、周りはとても騒がしかったです」

「ということは、街ん中で電話をかけてきたってわけか」

 洋はそう言い壮介の方を見る。壮介は右手で頭を抱え、何かを考え込んでいる様子だった。

「おい、壮介!」

 あまりにその状態で動かないので、洋は壮介の肩を小突く。

「え、いやいや。スマン……」

 その姿を見た晶子は口元を少し緩め、ゆっくり首を振った。

「確証はないけど、萩田君はまだこの辺に潜んでいるんじゃないかな?」

 壮介は苦笑いを浮かべた後、洋に向けて話す。

「ん~。そんな気がするよな。俺もよく判らないけれど……」

 洋は眉間に皺を作る。それはまさにフィーリングであった。

「しかし、何でまた川奈さんに電話を……」

 壮介はその点に引っかかった。

 姿をくらました萩田亮平と川奈晶子の関係は、「元」恋人同士。何故今更前のカノジョに連絡などしてきたのだろうか?

「それは、私にもよく判りません……」

 晶子は表情を曇らせる。

「そもそも何で川奈さんは萩田君の行方を捜しているんですか?」

 洋がコーヒーを飲みほしてから訊ねる。すると晶子の表情がさらに曇る。

「私はただ心配なだけで、特別捜しているというわけでは……ないんです」

 洋の問いに答える晶子。しかしその歯切れは悪い。

 その様子を見た壮介は頭を掻き、そして訊ねる。

「少し、聞き難い質問をしていいですか?」

 少しの間の後、晶子は頷く。これから何を訊ねられるのか、晶子には判っているようだった。

「どうして別れたんですか、萩田君と」

 その質問をした次の瞬間、洋が壮介の脇を小突くが、壮介は洋の脇を小突き返す。

 その後、しばらくの沈黙が流れる。

「言い難いなら、無理に言わなくてもいい」

 そう壮介が言おうとした時、晶子は口を開く。

「最初は、些細なケンカでした」

 心の奥底に閉まっていた思い出を、少しずつ傷がつかないよう紐解いていくかのように、晶子はポツリ・ポツリと話す。

「付き合い始めてから丁度一年。それまで小さなケンカは何度かありましたが、ずっと一緒にいました。私も、亮平君のことが大好きでした」

 壮介は洋に視線を合わせる。二人はその視線で会話をし、そして晶子の方と見る。

 晶子は両手でコーヒーカップを包み込んで話す。

「あの日、私たちはまた些細なことでケンカをしました。その時は感情的になっていましたが、そのうち頭も冷えてきて、また明日もいつものように会えると、そう思っていました」

 そして晶子は両手でカップを持ち、口を付ける。中身を全部飲みほし、それをテーブルに置いた。

「でも、その日を境に、私たちは疎遠になってしまいました。私には理由が判りませんでした。だってあんなケンカ、いつものことだから。いつもみたいにすぐ仲直りできると思っていたのに……」

 飲みほしたコーヒーカップ、それはまだ晶子の両手の中にあった。カップはカタカタと小刻みに音を立てていた。

「そして丁度一月前、亮平君の方から「別れよう」って、連絡がありました。理由を聞いても、答えてくれませんでした」

 ここで晶子は大きなため息をつき、目を伏せる。泣いているのか……それは壮介たちの位置からでは判断できなかった。

「そ、そうですか……、理由は判らないと」

 壮介はガリガリと頭を掻き毟る。洋はフケかかからないように身をくねらせる。

「しかし、そんな話を何で俺たちに?」

 洋が自分の疑問をぶつける。

「それは、一緒に亮平君を捜してほしいからなんです」

 晶子の瞳が二人を捉える。ここで二人は晶子の目に涙が滲んでいたことを知る。

「私は亮平君が殺人を犯すような人だとは思えません。早く亮平君を捜し出して、その無事を確認したい。そして……」

「何で別れを切り出したのかを、聞きたいですか?」

 壮介が晶子の言葉を代弁する。すると晶子は無言で頷いた。

 壮介は苦笑いを浮かべ頭を掻く。

「判りましたよ。俺たちも亮平の潔白を信じている。一緒に萩田君を捜しましょう!」

 そう言うと壮介は右手を晶子に差し出した。

 最初キョトンとしていた晶子だったが、その右手の意味を理解し、晶子も右手を差し出す。

 そしてお互いの手を握る。

「ほら、洋も!」

 壮介が促すと、洋はため息をついたあと右手を出し、二人の手の上に右手を置いた。

「頑張ろうぜ」

 壮介がそう言うと、晶子は涙目ながら笑顔で頷いた。

 そして三人は手を戻す。

「新谷さん、藤田さん、ありがとうございます」

 晶子は備え付けのナプキンで目尻を拭く。口元は緩み、緊張が一気に解れた様子だった。

「あ、あの、一本吸ってもよろしいですか?」

 緊張が解れたためか、晶子はカバンからタバコを取り出す。

「え、ああどうぞ遠慮なく」

 洋は自分の近くにあった灰皿を晶子の元へ差し出す。

「あ、すみません」

 そして晶子はタバコに火をつける。

 その後しばらく三人は談笑する。学校のことやアルバイトのこと等他愛もないことを。

 そして晶子は八割程吸いきったタバコを灰皿に押し付けて立ち上がる。

「今日はどうもありがとうございました。また何かありましたらよろしくお願いします」

 晶子は壮介と洋に礼をする。

「いやいやこちらこそ。何か判ったことがあったら連絡してください。こっちからもするから」

 そして壮介たちは店の前で晶子と別れる。晶子は何度も振り返り手を振った。

「ええ娘やの」

 壮介はしみじみ言う。

「そうやの。タバコさえ吸わんかったらな」

 洋もしみじみ答える。

 そして二人はアーケード出て駅へと向かう。

「じゃあ俺はここで、お疲れさん」

 洋はそう言い残し、駅へと消えていった。洋が改札を通ったのを確認し、壮介は駅前を離れた。壮介はここから自転車で帰る。

 駐輪場への道程、壮介は空を見上げる。

 そこにはかすかに輝くオリオン座と煌々と輝く満月があった。


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