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第五章 キューピットでの出逢い


「はい、いらっしゃい」

 キツネのような顔をした店員が壮介と洋を出迎える。

 今二人がいるのはフラワーから出てきた女性が入った雑居ビルの四階。そこに店舗を構える出逢い喫茶「キューピット」であった。

 二人ともこのような店にやってきたのは勿論初めて。おどおどしながら扉を開き店内へと入った。

「ご利用ははじめてですか?」

 店員の言葉に無言で何度も頷く二人。

「では、当店のシステムをご説明致しますので、どうぞこちらへ」

 キツネ顔の店員が出てきて、二人を店内の奥へと促す。

 その時壮介は店員の右胸に付けられている名札を見逃さなかった。

 そこには「興橋店 店長 江嶋武雄(えじま たけお)」と記されていた。

「こちらが男性用のスペースとなっています」

 


 まず二人はこの「キューピット」のシステムの説明を受ける。

 店内は一つのフロアを半分に間仕切りして男性用と女性用のスペースで分けており、入店するとそれぞれのスペースに誘導される。男性は入店料等の料金が必要だが、女性は完全無料で過ごすことができる。男性スペースにはモニターが設置されており、そこには女性スペースの様子が映し出されており、その映像を観て気に入った女性がいれば、その女性を別にある個室へと連れ出し、一対一で話ができる。そこでどんな約束事……例えば援助交際の交渉をしていても、店側は一切関知しないという仕組みとなっている。

 壮介と洋は今まで自分たちの知らない世界を垣間見た心境であり、ぽかーんとした表情で店員の説明を受けていた。

 説明は五分程で終わり、店員はさっさと受付へ戻っていった。

 壮介と洋はキョロキョロしながらモニター前のベンチに腰掛ける。男性スペースには二人以外の客はいない。

「さて、勢いで来たはいいけれど、これからどうするよ」

 洋が壮介に訊ねる。洋はあまりこの場所に留まりたくない様子。

「決まってるだろ、あの女性を探して、話を聞くんだ」

 場慣れしないものの、壮介は女性スペースが映し出されたモニターに見入る。

 モニターに映し出されている女性は三人。どの女性も顔立ちからして、もう若くないという感じ。

「なあ洋、どれだと思う?」

「う~ん……」

 壮介の問いに洋は嫌々ながらモニターを確認する。

 そして、

「この人じゃないか? この左端に座ってタバコ吸っている人」

 洋はモニターを指差すと、壮介は頷く。

「ああ、俺もその人じゃないかって思ってたんだ」

「じゃあ、いちいち訊くなよ」

 洋が壮介の肩を小突く。

「一応確認したかったんだよ。じゃああの人と会ってみるわ」

 そう言うと壮介は受付の方へ移動する。

「待て、壮介!」

 しかしそれを洋が止める。

「壮介、ここはシステム的に長く話すことができない。できたら店外へ連れ出すように話を纏めてくれ」

 それを聞くと壮介は右手の親指を立てる。そして、

「トーク料と連れ出し料は割り勘だからな」

 この「キューピット」、個室で女性と話をするには「トーク料」として千円。一緒に店外へ出るには「連れ出し料」として二千円必要であった。



 受付で千円を支払った壮介は、店員の誘導で別室へと案内される。

 案内された部屋は小さな四角いテーブルとイスが置かれた狭いスペース。壮介は奥のイスに座るよう指示を受ける。

 店員が去ると壮介は一人残される。

「何かタバコ臭いな……」

 テーブルには汚れた灰皿が一つ置かれていた。

 そして程なく、コツコツと足音が聞こえてきた。

 姿を見せたのは、あのフラワーの前で見た女性だった。

「こんにちは」

 女性はニコリと笑う。それに合わせて壮介も会釈をする。

「ここは、初めて?」

 そう言いながら女性は壮介の向かい側に座る。ここで壮介は女性の姿をはっきりと見る。女性は見た目三十代後半、化粧はきっちり施しているが、それがかえって年齢を感じさせている。

「あなた、名前は?」

 女性は持っていたカバンからタバコを取り出す。

「新谷……です」

 壮介は相手の出方を窺いながら答える。

「貴女の名前は……」

「冴子。仁藤冴子(にとう さえこ)よ」

 仁藤冴子はタバコを咥え、火をつける。

「あなた、店から私のこと尾けてたでしょ?」

 その言葉を聞いて壮介から血の気が引く。思わず頭を掻き毟りそうになるのを必死に堪えた。

「気付かれてないつもりだったわけ? もう丸判りよ、三流探偵さん」

「あ、いや、その……」

 壮介は何かをしゃべろうとするが、言葉が見つからない様子。また口の中がカラカラになってきていた。

「私に何か用? 何が目的?」

 冴子はタバコをふかしながら話す。壮介を問い詰めてはいるが、その表情は穏やか。尾行を見破られて動揺する壮介の姿を楽しんでいるかのようだった。

 すると壮介は堪らず頭をガリガリ掻き毟る。とうとうヤケになったのか。

「もうバレちゃ仕方ないな」

 壮介は頭を掻きながら苦笑いを浮かべる。その姿を見て冴子も薄っすらと笑う。

「確かにお店の前から後をついてきました。スンマセン……」

 壮介は両手を膝において頭を下げる。

「いいわよ別に。……で、何か私に用なの?」

 冴子は笑いながら首をゆっくりと振る。その仕草には大人の女性の柔らかさがあった。

「はい、実はお伺いしたいことがありまして……」

 すると冴子はタバコを灰皿に押し付ける。まだ半分も吸っていない。

「でも、何かここじゃ話し辛そうなカンジね」

 壮介は再び頭を掻きながら苦笑い。

「参ったな、そこまでお見通しってわけですか」

 そう言った後、壮介は顔を引き締める。

「ちょっとここでは色々と具合が悪いんです、場所を変えさせてもらえませんか?」

 すると冴子も目つきが変わり、何故か部屋の外の様子を窺う。

 そして、大きなため息。

「どうせ内容は、アレでしょ? いいわよ、暇だし悪い子じゃないみたいだし相手したげるわ」

 そして冴子は立ち上がる。

「近くに私の知ってる喫茶店があるの、いい所だからそこへ行きましょ」

 その言葉に壮介は頭を下げる。そして壮介も立ち上がる。

「あと、もう一人連れがいるんですが、大丈夫ですか?」

 壮介は洋のことを伝える。

 すると冴子は何かを思い出したかのような表情を見せる。

「ああ、さっき江嶋に女の子とのトークを迫られて困ってたメガネの子ね」

 そして冴子はニコッと笑う。

 それを聞いた壮介は洋の受難を思い、ただただ苦笑いを浮かべるしかなかった。

 

 壮介はここへ来て、冴子と出会ってから何度苦笑いを浮かべたことであろうか。

 いつの間にか壮介は、冴子の手の平に乗せられていたのであった。



 三人はキューピットから歩いて五分程の所にある喫茶店へと入る。

 モダンな雰囲気の店内に、壮介と洋は興味深そうにキョロキョロする。

「こっちのテーブルに座って頂戴。二人ともコーヒーでいいでしょ?」

 冴子が一番奥の四人掛けのテーブルに二人を促す。入り口からは観葉植物の陰となり、そこに誰が座っているのかは見えない。

 二人を促すと冴子は奥側のイスへと座る。そして壮介と洋は手前のイスに並んで座った。

「いいカンジの所でしょ。私のおきによ」

 程なくして初老の男性によりコーヒーが三つ運ばれてくる。そして冴子はタバコに火をつける。

「ここ、テーブル席はタバコ吸えるけれど、カウンター席は禁煙になってるの」

 壮介は振り向き改めて店内の様子を見る。確かに使用されているテーブル席の全てでタバコを吸っている人はいたが、カウンター席では誰も吸っていなかった。

「何故だと思う?」

 冴子は二人に訊ねる。

「さぁ……、何ででしょうね?」

 洋は苦笑いを浮かべながら首を振る。

「理由はガスレンジの換気扇の場所じゃないですか?」

 壮介は冴子の方へ向き直り答える。

「どうして?」

 冴子はニヤリと笑いタバコを燻らせる。

「見たカンジ、換気扇はカウンター奥のガスレンジ上にある。あれを回している状態でカウンターのお客さんにタバコを吸われたら、煙がカウンターでコーヒーを作っている人に向けていっちゃいますよね」

 すると冴子は一呼吸置いた後で手を叩く。

「ご名答。ご褒美に三流探偵から二流に格上げしてあげる」

 その言葉に壮介は頭をポリポリ掻く。

「昔はね、カウンターでもタバコが吸えたんだけれど、あなたの言った理由でマスターが喉を悪くしちゃったの。マスターももうトシだしこれ以上悪くなったら堪んないってことで、カウンターだけ禁煙になったのよ」

 冴子はまたタバコを半分くらいで灰皿に押し付ける。

「で、そろそろ本題に入るわよ」

 冴子の表情が変わる。……が、それは一瞬だけですぐにその口元は緩む。

「どうせ聞きたいことって、ボタンちゃんのことでしょ」

「「ボタンちゃん?」」

 予想していなかった名前に壮介と洋は顔を見合わせる。

「ボタンちゃん……、この間死んじゃった娘の、店での源氏名よ」

 冴子は視線を落とす。その先にはブラックのコーヒー。そこに映るのは冴子の曇った表情。

「日本語はあまり上手い方じゃなかったけれど、明るくて優しくて、こんな仕事も一生懸命だった。あんないい子が、殺されちゃうなんて……」

 そう言うと冴子は一度コーヒーに口をつけ、二本目のタバコを取り出す。

「リンがどういう経緯でお店に入ったかご存知ですか?」

 壮介が訊ねると再び冴子の表情が変わる。今度はずっとそのまま。

「うちの店長は国外の売春組織のブローカーと通じて、中国や台湾・韓国なんかから女性を引っ張ってきてた。大体、お金が必要な訳アリな女よ」

 言い終わった後、冴子はどこか遠くを見ていた。

「リ、リンもその内の一人というわけですか?」

 今度は洋が訊ねる。緊張しているのか洋のコーヒーはもう空っぽになっていた。

 すると冴子は深く頷く。

「本人から聞いた話だけれど、お父さんが事業で失敗して多額の借金を抱えたんだってさ。それでお金が必要となって……」

「留学生の名目で日本へ入国してきたと」

 冴子の言葉を壮介が繋げる。その言葉に冴子は頷く。

「別に売られてきたわけじゃないのよ。本人の意志でこんな仕事をしてるのよ、一応ね」

 冴子は「一応」という言葉に力を込める。聞き手には皮肉にしか聞こえない言い方である。

「リンの周りで何かトラブルらしいことはありましたか?」

 壮介の問いに、冴子はしばらく考え込むが、その後ゆっくり首を振る。

「私の知るところでは……。カンジのいい娘だったし、お客さんからのクレームもなかったと思う」

 冴子は二本目のタバコを灰皿に押し付ける。

「ただ……」

 冴子の言葉に壮介と洋は横目で視線を合わせる。

「うちの店長、嵯峨野栄太(さがの えいた)ってんだけど、やたらボタンちゃんに入れ込んでたわね。ボタンちゃんを嵯峨野が自分の女にしようとしてたんじゃないかって、一時期噂になったことがあるわ」

 言い終わると冴子はコーヒーに長く口をつける。その姿を見ながら壮介は頭を掻く。

「い、今、そ、の嵯峨野という人は?」

 洋は喉がカラカラで上手く声が出ない。壮介は自分のコーヒーを洋の前に差し出す。その光景を見て冴子は笑う。

「そういえばお冷が出てなかったわね。ねえマスター! お冷みっつ!」

 冴子がカウンターで作業をしている初老の男性に叫ぶ。間もなく初老の男性がお盆にお冷を三つ載せてやってきた。

 冴子もコーヒーを飲み干していたので、一度お冷に口をつける。

「嵯峨野は例の事件以来警察の事情聴取責めよ。ボタンちゃんのこともさることながら、風営法の一件でもね。売春エステってマスコミが騒いだから、普段は大甘の警察も一応のポーズとらなくちゃいけなくなったわけで。おかげで店は無期限休業。嵯峨野がやってる他の店も一緒よ」

「ということは、あのビルに入っているお店全部……ってことですか?」

 壮介の問いに冴子は目を閉じて頷く。

「真面目に働いていたこっちにはいい迷惑よ。おかげで平日の昼間っからキューピットで油売らなくちゃいけなくなったのよ。あ、因みにあそこの店長の江嶋、アイツ元嵯峨野の部下で、前はフラワーの店員だったのよ」

 そして遂に冴子はここへ来て三本目のタバコを取り出す。

「あ、あの、もう一つ聞いても、いいですか?」

 洋が言葉を詰まらせながら訊ねる。その姿にとうとう壮介も吹いてしまった。

「ど、どうして冴子さんはフラワーで働いているんですか?」

 洋の問いに、ライターで火をつけようとしていた手が止まる。

「報道じゃフラワーってアジアンエステで、外国人女性が中心だったと聞いてます。なのに……」

「何で日本人の私が働いているのかって?」

 冴子は火のついていないタバコを灰皿の上に置く。

「フフ……、イタいとこついてくるわね。二流探偵から一流に格上げね」

 すると冴子は壮介のように髪の毛を掻き毟る。

「私、こう見えても昔は神戸のソープで働いてたの。No1にだってなったことあるし、月に二百万稼いだことだってあったわ」

 そして冴子は置いてあったタバコを咥え、火をつける。

「歳をとるって怖いわね。昔はあんなにちやほやされたのに、三十過ぎて身体にハリがなくなってきたらもう誰も相手にしてくれなくなっちゃった。若い頃は一回五万円の女だったのが、今じゃ一回九千八百円の女よ」

 遠くを見つめる冴子の言葉に、二人はどう反応していいか判らず困惑の表情を浮かべていた。

「ああごめんなさいね。変な話しちゃって」

 そう言うと冴子は吸いかけて間もないタバコを灰皿へと押し付けた。

「ああ、いえいえ。ははは……」

 壮介は苦笑いを浮かべながら頭を掻いた。



「あの……、冴ちゃん」

 会話が途切れたところでマスターである初老の男性がやってきた。

「嵯峨野さん、来てるよ」

 その言葉に壮介が振り向こうとするが、冴子はそれを止める。

「わかった。そっちに行くわ」

 冴子は嵯峨野が来ているのを知っていたのか、大した動揺はしていない。

「んじゃ、私行くね。あ、会計はよろしくね」

 席を立ち上がると冴子は伝票にキスマークをつけて壮介の前に置く。

「ああ、はい。そういうお約束ですからね」

 壮介は伝票を受け取り、席を立つ。

「カウンターに端に座ってるイカツい男が嵯峨野。先にあなたたちが出て行ってね」

 ここで壮介たちは嵯峨野の後姿を見る。パンチパーマに派手なシャツで一見すると「その筋の人」だ。

「ではお先に失礼します。長い時間ありがとうございました」

 壮介と洋は冴子に会釈をする。

「いえいえこちらこそ。服タバコ臭くしちゃったわね。ちゃんと洗濯しなさいよ」

 その言葉に壮介と洋は笑顔を見せ、店の出口へ向おうとする。

「あ、そうそう」

 その時、冴子が洋の肩を叩く。

「私がこの仕事をしている理由だったたね。それはね」

 冴子は洋の耳元へ近付く。

「私も訳ありでね、高校卒業してすぐこの仕事始めたの。この仕事以外したことないの。だから私には、この仕事しかないのよ」

 そう言うと、冴子は博の頬に軽くキスをした。

 

 そして壮介は、頬にキスマークをつけ硬直してしまった洋の身体を抱え、喫茶店を後にした。


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