第四章 フラワー
一
「おい、ニイちゃんや」
寒い夜のお城公園、ホームレス風の男性がベンチにうずくまる若い男性に声をかける。
「……」
「こんな所でそんな格好で寝てたら風邪引くでな、おい、起きぃな」
声をかけても返答がないのを不審に思いながら、ホームレス風の男性は近付いて、その身体を軽く揺すってみる。
「……」
「おいってな!」
ホームレス風の男性は「もしや!?」という不安がよぎり、身体を強く揺さぶってみる。
「……ん」
何度か揺すっていると、ようやくその若い男性は小さく反応した。
「やっと起きたか……。死んどるんかと思ったわ!」
ホームレス風の男性はそう言い安堵の表情を浮かべる。
「…………」
ベンチにうずくまっていた男性は首を左右に振り顔を抑える。そして寒さからか肩をブルッと震わせる。
「ニイちゃん、目ぇ覚めたか? そやったらそこどいてくれへんか? ここはオッちゃんの場所やねん」
そう言うとホームレス風の男性はベンチの端に持っていた荷物を置き、中から毛布やダンボールといった防寒具を取り出す。
ホームレス風の男性が寝支度を始めるのを見ると、その男性はベンチから立ち上がり夜の闇へと消えていく。
「ニイちゃん、今夜は寒ぅなるからの、気ぃつけやー!」
ホームレス風の男性は闇に消え行く背中にそう叫んだ。
男は夜のお城公園を歩く。
広大な公園の周囲は木々で覆われ、周辺市街の喧騒から逃れることはできるが、その反面灯りに乏しく道を照らすのは所々に設置されている弱々しい外灯のみだった。
そして少し道から外れてしまうと、その灯りは殆ど届かなくなってしまう。二、三メートル先どころか、足元さえはっきりと確認できない暗闇。
男は空を見上げる。
木々の間から僅かに空が見える。
曇っているのか空に月は出ておらず、暗幕を被せたかのように真っ暗であった。
「…………」
男は空に向かって呟く。
彼が何を呟いたのか、それは判らない。
ただ、彼は……、
それを今は見えない月に向かって放っているように見えた。
二
「壮介、ここだ、ここの三階だ」
洋がある雑居ビルを指差す。
「なんか似たような店が入ってんな」
壮介はその雑居ビルを一望して呟く。
壮介と洋、二人は今興橋の歓楽街の一角にいた。
そして二人が辿り着いた場所、それは殺されたリン・エイミが働いていたとみられるアジアンエステ店が入居しているビルであった。
そもそもの言いだしっぺは勿論壮介だった。
姿を消してしまった亮平の追うために、壮介は事件の真相を探るべきと考えた。そのためにはまずリン・エイミとはどういう人物だったのかを知る必要があった。リンの素性についてはワイドショーが連日報道していたが、今回壮介はマスコミ報道を鵜呑みにすることをせず、自らの調査で得た情報を優先することにした。
壮介の行動に、洋は勿論反対した。何故ならそれはあまりに無謀であり、真相に辿り着く可能性は殆どゼロだと思ったからであった。
しかし最後は壮介の「並外れた好奇心」に馬鹿負けし、そして腐れ縁とばかりについていくことにしたのだった。
また洋はこの殆どゼロの可能性に、心の片隅で期待していた。
洋は壮介が「並外れた好奇心」を発揮した結果、数々の難問・難事件を解決してきたことを知っている。だから、もしかしたら今回もそれをみることができるのでは……と考えていたのだった。
「ここの三階だったよな? 店の名前は?」
「あそこに出てるぜ」
壮介の問いに洋は雑居ビルの入り口を指差す。そこにはエステ店のネオン付看板が所狭しと転がされていた。
「うわぁ、このビル全部がコレ系かいな」
「興橋じゃよくあるモンだぜ。おい壮介、どれが三階か探せって」
二人は三階店舗の看板を探す。そして程なく発見。
「アジアンエステ フラワー か」
それは向日葵と並んで若い女性が微笑んでいる看板。一番下には「三十分 四千円~」と書かれてあった。
「さて、どうするよ?」
洋は看板に腕を置き、壮介に訊ねる。しかし洋は答えを聞かずとも、これからどうするか判っているようだった。
「決まってるっしょ!」
そう言うと壮介は乱雑に転がっている看板を横目に見ながら、「フラワー」のある三階へと通じる階段を上がる。
「全く、同じ学部のヤツに見られたら言い訳できねえよ~」
洋は周りに顔見知りがいないかを確認して、壮介の後を追い雑居ビル内へと入っていった。
三
『しばらくの間休業します』
三階の扉にはそう書かれた張り紙が乱暴に貼り付けられていた。
「まあ当然といえば、当然か。こんだけ騒ぎになってんだから」
張り紙を前に洋は冷静に解説する。
壮介は扉に手をかける。
鍵がかけられているようで、押しても引いても扉はビクともしなかった。
「中の様子、判んないかな」
壮介は周囲を調べてみる。しかし窓もないので中の様子を窺い知ることはできない。
「あ~ん、しまったなぁ。もう少し早く来たらよかった」
壮介はそう言いながら頭をガリガリと掻き毟る。
「念のため、他のフロアも見て回ろうぜ。何か判るかもしれないし」
洋は気落ちする壮介の肩をポンと叩く。
「俺は下のフロアを見てみるから、お前さんは上のフロアに行ってみてくれ」
「おお、判った。頼むわ」
そして壮介と洋は二手に分かれて雑居ビル全てのフロアを見てまわる。
この雑居ビル自体は六階建の細長い構造となっており、ワンフロアに一つのテナントしかない。
要はその階のテナントが開いているか閉まっているかを調べるというわけで、それ程時間のかかる作業ではない。
そして上から順に調べてきた壮介、四階で下から上がってきた洋と合流した。
「おう、どうだった?」
壮介が声をかけると洋は無言で首を振った。
「そうか、こっちもだ。どれも閉まってる」
壮介は再び頭を掻き毟る。このビル全体閉店状態という意外な状況に、壮介は少し苛立った。
「看板はちゃんと出ているのにな。つけっぱなしは電気のムダだぜ」
洋も少なからず壮介と同じ心境のようだった。メガネを外し、前髪をかき上げる。
「おい、どうするよ」
洋はメガネをかけ直して壮介に訊ねる。
「どうするもなにも、もぬけの殻状態のビルにいたってしょうがないだろ。出直そうぜ」
そう言って壮介は階段を降りようとした。
その時。
三階のフロアで物音がした。
その音に気付いた二人は、思わずその場にしゃがみ込み身を隠す。
そして二人は一瞬顔を合わせ、無言で三階フロアを密かに見下ろす。
すると三階フロア、フラワーの扉が開き、中から一人の女性が出てきた。
女性はファーのついた白いコートを着込んでおり、旅行カバンのような大きめのカバンを肩から提げていた。
「……」
女性が周囲を見回すのを見て、壮介と洋はさらに身を隠す。
そしてカチャンという、鍵をかけるような音をした後、女性はエレベーターに乗って下へと降りていった。
いなくなったのを見計らい、二人は立ち上がる。
「おい、壮介! 今の人フラワーから出てきたぞ」
洋がやや興奮気味に言う。
「判ってる、行くぞ洋!」
そして壮介と洋は駆け足で階段を降りていった。
二人が雑居ビルの前に出ると、フラワーから出てきた女性は五十メートル程先を早足で歩いていた。
「壮介、あれ!」
洋が壮介に女性の背中を示す。
壮介も女性の背中を確認し、その後を追う。
早歩きから駆け足に、そのスピードは徐々に速くなる。
そしてある程度の距離にまで追いつき、声をかけようとしたその時だった……。
その女性はある建物の中へと入ってしまった。
壮介はその建物の前で立ち止まる。女性はエレベーターに乗って上にいってしまった。
壮介はエレベーターの停まる階を確認する。
エレベーターは四階で停まった。
「どうした、壮介」
程なく洋が追いつく。
「なあ洋、このビルの四階って何だ?」
そう言いながら壮介は一旦ビルの外へ出て看板を確認する。
「あ、壮介、これ四階だ!」
看板を見つけたのは洋が先だった。
そしてその看板に書かれていた店名、それは「出会い喫茶 キューピット」であった。




