第三章 消息不明
一
興橋の横を流れる潮見川でリン・エイミという女子留学生の他殺体が発見されてから一週間……。
その間、ニュースやワイドショーではこの事件が連日トップニュースをかざっていた。
その一因として、殺されたリン・エイミという女子留学生の素性について大きく割合を占めていた。
最初にリンの顔写真が公開され、その容姿端麗な姿にワイドショー等は「美人女子留学生」「台湾美少女」といった肩書きを競うかのようにつけていった。
また台湾の実家についても報道され、実家は貧しい家庭であることが知らされると、リンは苦学して日本へ勉強にやってきた立派な留学生であると新聞・TV等のメディアは伝えた。
事件発覚からすぐにリン・エイミは、貧しい家庭から一家の将来を支えていくために単身異国の地にやってきて真面目に勉学に励んでいたが、不幸にも何者かの手によって殺害され川に捨てられてしまった美人留学生。……といういわば「悲劇のヒロイン」という人物像がメディアによって創り上げられていった。実際ワイドショーではリンに対して同情的な報道がなされ、コメンテーターが思わず涙ぐむ一幕もあった。
こうしてリンは日本全国から「悲劇のヒロイン」として同情の念を向けられることとなる。
しかしこの「悲劇のヒロイン像」はある報道によって一変する。
それは遺体が発見されてから四日後のあるスポーツ新聞に掲載された記事。
その記事とはリンが行っていたアルバイトについて。
リンは奨学金により留学しており、学校が終わった後は学校近くの飲食店でアルバイトをしていた。それ自体はどこにでもあること。
しかしリンにはもう一つのアルバイトがあった。飲食店でのアルバイトを「表」とするなら、そのアルバイトは明らかに「裏」のアルバイトだった。
そのアルバイトとは興橋にある回春アジアンエステ店。そこでリンはエステ嬢として男性を相手に接客をしていたことが発覚した。
しかもそのエステ店は密かに違法行為を行っており、一万円前後でエステ嬢に「本番」という名の売春行為をさせていたのである。
勿論、リンもその例に漏れることはなかった。
この報道により、リンの「悲劇のヒロイン像」は一瞬のうちに崩壊する。メディアは手のひらを返したかのように、連日リンをバッシングする報道を行う。
またリンが就学ビザで入国しているということもあり、実のところリンは「留学生」という肩書きを隠れ蓑にし、ブローカーを通じて計画的に日本へ売春目的で入国したのではないかという憶測を呼んだ。ワイドショー等では「元売春婦」を名乗るアジア人らしき女性が、モザイク越しに実体験を泣きながら吐露するという胡散臭い特集まで組まれ、リンもその内の一人であるという結論に至っていた。
こうしてリン・エイミという留学生は、この一週間の間で印象が「悲劇のヒロイン」から「アバズレ女」へと全く正反対なものとなり、「死んで当然」等と激しいバッシングに晒されることとなる。またリンの実家にも心無い嫌がらせをする輩まで現れる始末であった。
そんなこの一週間の報道の移り変わりを、壮介と洋は複雑な心境で見守っていた。
見守るしかなかった。何故なら、事件の参考人である萩田亮平が警察署の前で別れて以来、行方を暗ましてしまったから……。
二
「おい、壮介」
講義が終わって部屋から出たところで、洋が何かに気付き壮介の肩を小突く。
「ああ……」
壮介もそれに気が付いているようで表情は変えない。
壮介と洋の視線の先……、そこにはスーツを着た二人の男性が立っている。
壮介と洋はその二人に見覚えがあった。いつか亮平を参考人として「連行」していった刑事たちだった。
洋はため息をつく。
「またかよ……」
二人と視線が合うと、洋は眉間に皺を寄せ、壮介は頭をガリガリと掻いた。
二人の刑事は壮介たちが一歩踏み出す前に近付いてきて、行く手を阻む。
「どうも、学業お疲れさま」
刑事の一人が壮介たちを上から見下ろすような口調で話す。
「はあ……、またですか?」
「よっぽどヒマなんですかね?」
半ば呆れた表情の壮介と、眼鏡越しに眼光を鋭くする洋。反応はそれぞれだが、二人共刑事の態度に萎縮はしなかった。
二人の返答に刑事の一人がムッとした表情を見せるが、もう一人の刑事が制止する。
「これがうちらの仕事なモンでね。悪く思わんでくれ」
そして刑事は胸ポケットから手帳を取り出す。
「で、あれからどうだ? 萩田亮平から何かしらのコンタクトはあったのか?」
「ねえよ、何にも」
刑事の問いかけから殆ど間をおくことなく、壮介は答える。その横で洋も無言で首を振っていた。
「本当か?」
刑事の一人が壮介に詰め寄る。
「本当だよ」
いい加減壮介もイラついたのか、自分たちを見下した態度を取る刑事を睨み付ける。
「お前ら、本当のことを言っておいたほうが身の為だぞ」
「くどいぞ!」
今度は洋が苛立ちを声に出す。
「…………」
「…………」
壮介と洋、刑事二人はその場で睨み合う。国家権力に対し、壮介たちは一歩も引かなかった。
「チッ」
そのうち、刑事の一人が舌打ちをして一歩後ろへ下がる。
「では今日の所はこれで失礼するよ。また何か判ったことがあったらすぐ警察に連絡してくれ」
「いいか、絶対だぞ!」
そう言い残し、刑事二人は踵を返しその場を後にした。刑事が姿を消すと、今度は壮介と洋の同級生たちが周りを囲む。
二人は同級生たちから質問責めを受けるが、無論それらには付き合わない。壮介と洋は同級生を巧く交わしながら、刑事たちとは違う方向からその場を後にした。
風が強い校門への道、壮介は頭をガリガリと掻き毟る。
「おい、よせって。フケがこっちへ飛んでくるだろ」
洋はそう言いながらコートについた白い粉を払う。
「なあ洋、お前は実際どうなんだ? 萩田君からの連絡」
洋は壮介の問いかけが少し意外なものだったようで、その瞬間メガネの奥の瞳が大きくなる。
「いや、全くの音沙汰無しだよ。そういうお前さんはどうなんだよ?」
すると壮介は手のひらをヒラヒラさせる。
「同じってことか……」
洋は大きなため息をつく。
二人が最後に亮平と会ったのがあの警察署での一件。それから亮平は大学に姿を見せなくなってしまった。アパートにも戻っていない様子でケータイも電源が切られている。壮介は一応亮平の実家にも連絡を入れるが、こちらも連絡がとれず亮平の両親はかなり困惑していた。
「あとは萩田君が行きそうな場所か……」
壮介が独り言のように呟く。
「壮介、どっか心当たりはあるか?」
洋が訊ねると、壮介はその場に立ち止まってしまった。
「う~ん、全く見当がつかないや……」
そして壮介は頭を掻き毟る。
「そうか……。俺もお前さんと同じだ」
洋はそう言い空を見る。
太陽はもう西に傾き、澄んだ冬の空気は夕焼けを一層美しくする。
そしてその夕焼け空にはもう白い満月が姿を現していた。
三
その日の夜、壮介がアルバイトを終えて寒い夜道を自転車で家路についている時、ズボンのポケットに入れてあるケータイのバイブが震えた。
壮介は丁度前を通りかかったコンビニの駐輪場に自転車を停め、ズボンからケータイを取り出す。画面には見慣れない番号が表示されていた。
「もしもし、新谷です」
壮介は恐る恐るながら出てみる。
『…………もしもし』
しばらく間があった後、若い女性とおぼしき小さな声が聞こえてきた。
『あの……突然すみません、新谷壮介さんですか?』
その声は震えて、ややおどおどしたもので聞き取り辛いもの。壮介はケータイを耳にグッと押し付ける。
「あ、はい……そうですけど、あなたは?」
『あ、すみません申し遅れました。私、川奈晶子と申します」
「川奈……さん?」
壮介は川奈晶子という名前について思い出してみる。しかし記憶のどの引き出しを開けてみても、そのような人物の名前を聞いたことがなかった。
この人物は一体誰なのか、そもそも何故自分のケータイ番号を知っているのか……壮介は電話の向こうにいる女性に対して警戒心を強める。
「で、俺に何か?」
『あの……実は萩田亮平についてお伺いしたいことがあって、突然お電話させてもらいました』
萩田亮平……その名前を聞いたその瞬間、壮介に緊張感が走る。
「あなたはいった……」
『萩田が今どこにいるか、ご存知ないでしょうか?』
壮介が言葉を発するよりも早く、晶子は訊ねてきた。その言葉にはかなりの焦りを含んでいる。
『全然、連絡が取れないんです。家にも帰ってないみたいだし、もう何が何だか判らなくて。それに……』
晶子は矢継ぎ早に自分の想いを吐き出してくる。壮介は話を遮ろうにもそのタイミングを計れないでいた。
『今までこんなこと一度もなかったのに、私、私……どうしたら」
一頻り話した後、晶子の言葉が一瞬途切れたところを壮介は聞き逃さなかった。
「か、川奈さんだっけ? とりあえずいいかな」
壮介はケータイを持つ手とは反対側の手で頭をポリポリ掻く。
「あ~と、まず萩田君に関してだけれど、単刀直入に言うと俺たちも音信不通なんだ。どこに行ったのか全然判らない」
すると電話の向こう側で晶子は黙り込んでしまった。
「とりあえず、今のところ俺たちは向こうからの連絡を待つしかできない」
『そ、そうですか……』
その声には明らかに落胆の色を滲ませていた。
ここで壮介は逆に自分の疑問を訊ねてみる。
「ところであなたはどうして俺の連絡先を知ってたんだ?」
するとしばらくの沈黙後、晶子は答える。
『はい、以前萩田が親しい友人の方として新谷さんのことを話していました。連絡先は萩田が私の家に置いていた学生名簿から拝借させてもらいました。すみません、突然このような形で連絡してしまって』
「萩田が晶子の家に置いていた」。この言葉に壮介は違和感を覚える。
「あの失礼だけど、あなたと萩田君ってどのような関係?」
すると晶子はボソボソと聞き取り難い声で答える。
「はい、私と萩田は付き合っていました。最近、別れてしまいましたけれど……」
萩田亮平に恋人がいた。
その事実に、壮介は本人に失礼とは思いながらも驚きを隠せず思わず口を半開きにしてしまった。
「あ~はいはい、そうなんだ、それでね」
別れた男を心配するということは、つまりはそういうことか……と壮介は不要な想像を張り巡らせていた。
『それでは、失礼します。どうも突然すみませんでした』
「あ、いえいえ。また何か判ったことがあったら、連絡して下さいな」
壮介は電話を切った。そしてすっかり冷えてしまった身体を温めるために、自転車から降りてコンビニへと入る。
雑誌コーナーで雑誌を立ち読みしながら壮介は思う。
萩田亮平、罪な男だな ……と。




