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第二章 夜、警察署の前


 その日の夜。

 満月輝く寒空の下、壮介と洋は警察署の前にいた。

「全く、お前にゃバカ負けだわ」

 夜の冷え込みが身体に染みるのか、洋は身体を縮込ませる。そして恨み節のように壮介の背中に向けて言葉を投げつける。

「いくら何でもここで待ち伏せしなくたっていいだろ。いつまで取り調べをするかも判らない。もっと言うならここにいるかどうかもはっきりしてねぇのに」

 昨日よりも冷え込みが厳しく、吐く息だけでなく鼻息まで白くなりそうな夜。そんな中、壮介たちは二時間以上もこの場にいる。堪り兼ねた洋は缶コーヒーを三本消費し、近くのコンビニでトイレを三度借りていた。しかし壮介はずっとこの場に立ち続けていた。

「さっきも言っただろ」

 すると壮介は振り向かず答える。

「学内のどこを捜してもあの刑事たちはいなかった。てことは学外へ亮平を連れて行ったことでほぼ間違いない。興橋の一件で亮平を連れて行ったとしたなら、所轄であるこの警察署の可能性が一番高いんだ」

 壮介の言葉に洋は二度長い瞬きをした後大きくため息。

「はいはい、判ってるよ。名探偵さん」

 洋は壮介の人となりをそれなりに理解している。だから何故壮介がこのような行動を取るのかも、呆れはしているもののそれを咎めようとはしない。壮介は気になることがあると真相を導き出すまで突き進んでいく並外れた好奇心を持った男であることを十分理解し、ここまで付き合っているのだ。

 そしてその好奇心が結果として数々の難問・難事件を解決に導いたことも知っていた。

 洋は近くの自販機でこの日四本目となる缶コーヒーを購入する。

「う~、アチアチ……」

 そしてそれを持って壮介の元へ。

「どうせお前さんのことだ、何か腑に落ちないことでもあるんだろ?」

 洋は壮介に購入した缶コーヒーを手渡す。

「おう、サンキュ」

 壮介は缶コーヒーを開け、少し口をつける。

「考えてみろ、あいつら変だぜ」

「ああ、確かに変だった……というより、やり口がかなり強引だったな」

 洋はあの時の一部始終を思い出す。

 壮介は缶コーヒーに再び口をつける。

「あいつら逮捕状を持ってなかったろ? ということはあくまで任意同行レベルの筈なんだ。でもあいつらはほぼ強制的に亮平を連行していった」

「まるで……百パーセント犯人扱いってか?」

 洋の言葉に壮介は頷く。

「死体は今朝上がったところだ。正直司法解剖が終わったかどうかも微妙なタイミングだろ? それなのにあまりに動きが速すぎる」

 寒さと、暖かいコーヒーを飲んでいるためか、壮介の吐く白い息は濃い。

「つまり、お前さんは警察が初動で亮平が犯人と踏み、そしてそれが大きな間違いだと言いたいわけだ」

「ああ、それで大体合ってる」

 すると壮介は少し笑う。それを見た洋は真っ白な息を吐き出す。

「全くお前は……」

 すると壮介はそれまで持っていた缶コーヒーを洋に返す。

「じゃあ洋、お前はどう思う?」

 突然の質問に洋はやや面食らった様子だったが、すぐに元の表情へと戻る。

「さあな……、俺は名探偵じゃないから、そこまで頭は回らんよ」

 洋は壮介から渡された缶コーヒーを見つめる。

「ただ俺は、萩田君は人殺しをできるような男じゃない、そう思ってるだけだ」

 そして洋は缶コーヒーをグイッと飲み干す。コーヒーの湯気でメガネが曇る。

「壮介、お前だってそうだろ?」

 洋の問いかけに壮介は無言。

 ただ壮介は、ニヤリと笑っている。それが答えだった。



 そんなやりとりを交わしてから三十分程経過した頃、

 警察署から出てくる一人の男性の姿があった。

「おい、あれ……」

 その姿を見つけた壮介は丁度余所見をしていた洋の背中を小突く。

「来たか?」

 洋は警察署の方へ向き直る。そして壮介と共にその姿が誰なのか目をこらす。

 そして男性が近付いてくるにつれて、それは確信に変わっていく。

「「おっ!」」

 壮介と洋は同時に声を上げ、顔を合わせる。

 その男性、顔を伏せて歩いているためその人相や表情を窺い知ることはできない。しかし背格好や着ている衣服から、萩田亮平であることにほぼ間違いなかった。

「ほらビンゴだろ」

 壮介は洋に得意げな顔をみせる。

「はいはい、判ったよ。で、どうするんだ?」

 洋は壮介から警察署へ行き亮平を待ち伏せすると聞いていたが、亮平を見つけた後のことを聞かされていなかった。

「お、おい壮介」

 しかし壮介は洋の問いに答えず前へ出る。

 壮介の足は一直線に亮平の方へと向いていた。

「萩田君!」

 三メートル程の距離にまで近付いたところで壮介は亮平の名を呼ぶ。

「…………」

 その時、亮平の足が止まる。そしてゆっくりと顔を上げる。

「萩田君……」

 壮介と亮平は視線を合わせる。外灯の下、亮平の表情はやや青白いものとなっているが、その他は大学で会った時と変化はなかった。

「…………」

 先に目線を切ったのは亮平の方だった。警察署と出てきた時と同じように再び顔を伏せる。そして静かに歩き始める。

「なあ、何があったんだ? 心配したんだぜ」

 壮介はそう言いながら亮平の元へ駆け寄る。

「え……」

 しかし亮平はそんな壮介を無視するかのように、立ち止まらず歩き続ける。

「な、なあ、萩田君! 何があったんだよ? 教えてくれよ!」

 動揺した壮介は亮平の後を追い、横に並ぶ。そして門の所まできたところで洋もそれに加わる。

「萩田君……」

 しかしその亮平の様子を見て、洋はその足を止める。

「おい、壮介」

 洋は追いすがる壮介の腕を掴む。

「な、なんだよ!」

 腕を振り払おうとする壮介に、洋は眉間に皺を寄せて首を振る。

「ひ、洋……」

「俺もよく判らないけど、今は止めておいたほうがいいというのだけは判る……」

 そう言った後、壮介の腕を掴む力を強める。

「壮介、今は空気読め」

 洋は一層の目力を込める。その表情に壮介は言葉が出ない。

「…………」

 壮介の力が緩んだところで洋は手を放す。

「悪ぃ、洋……」

 壮介は申し訳なさそうに視線を落とす。

「…………」

 その時、洋は亮平が立ち止まり、背中越しに視線を送っていたことに気付く。

 洋はその視線に喰らいつく。

 すると亮平は視線を切り、再び歩き始める。

 洋はそんな亮平の背中に視線を貼り付けたまま動かない。

 洋も壮介同様、亮平に訊きたいことは沢山あった。しかしそれをグッと堪え、その場を動かなかった。

 そして壮介がそんな洋の様子に気付いて振り向いた時、亮平の姿はもうそこにはなかった。



 とてもとても寒い、煌々と輝く月明かりさえも青白くて冷たく感じるそんな夜、

 男は一人項垂れて歩いていた。

 

 その男の表情に生気というものは感じられない。

 あえて感じるものがあるとすれば、それは絶望。


 男はただ歩き続ける。どこへ向かっているのかまるで見当がつかない。

 それはまるで制御不能となり、バッテリーが切れるまで動き続けるロボットの様。


 男は今何を考え、何を想っているのか。

 傍目でそれは判らない。


 ただ男にとって、とてもとても辛いことがあった。

 それにより、男は絶望してしまった。


 男は何も話さない、口に出さない。

 しかし男の表情、顔色、背中、足取りから、それだけを感じることができた。


 空には満月。

 抜殻のような男を冷たく・弱く・優しく照らす。


 ネオンや外灯で照らされた街。

 そんな中、空に輝く満月も男を照らし続ける。


 男は気付いているのだろうか。

 絶望してしまった自分を照らす満月の存在を。


 この満月は知っているのだろうか。

 この男が知ってしまった絶望を。


 男がこれから歩んでいこうとする路の先を……。


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