第十四章 真相
一
寒い冬の夜。風はないもののその肌寒さは身に凍みる。吐く息は白く、肌はピンと張る。
寒い冬の夜は空気がとても澄んでいる。空を見上げれば無数の星空と白く輝く満月が一つ……。それはとても神々しく、美しいもの。そしてその月は真っ暗な夜の足元を、じっと優しく照らす。
そんな夜、病院の待合所に三人の影。新谷壮介、藤田洋、そして川奈晶子だった。この三人以外、この場所には誰もいない。
「最初は、亮平君からの電話でした。あの時、突然会いたいと言われ、指定された場所に行ってみると彼がいて、すぐに言われました。別れようって……」
病院の待合所、グレーの長椅子に座り、晶子は静かに語り始める。それを壮介と洋は一度目線を合わせてから、黙って聞いていた。
「最初は亮平君が何を言っているのか信じられませんでした。嘘じゃないかって思いました。だってついこの間まで、とても仲良く過ごしていたのに。確かに、些細なケンカは何度かしたことあったけれど、急にあんなこと言い出すんだから……。私、わたし……」
晶子は当時のことを一つ一つ思い出しながら話す。彼女にとっては辛い思い出なのかもしれないが、彼女の言葉はそれらを全て吐き出してしまうかのように止まらない。
「…………」
そんな晶子の姿を、壮介たちは見つめる。壮介は一度頭をポリポリと掻く。
「最初、私は嫌だと言いました。だって意味が判らなかったから。亮平君には何度もその理由を聞きました。でも、もう終わったというだけで、納得できる理由は教えてくれませんでした」
ここで一度晶子の言葉が止まり、鼻をすする。感極まっているのかその瞳はやや潤んでいた。
壮介と洋はここで一度顔を合わせるが、ここでは何も言葉を発しなかった。
「それで……別れた後、私はひとしきり泣いてから考えました。何故亮平君は私と別れたいなんて言い出したのかって。帰ってからずっと、ずっと考えていました」
晶子は自分の手をぎゅっと握る。
「そして私は或る考えに行き着いたんです。亮平君、他に好きな人ができたんじゃないか……って」
晶子は鼻をグズグズとすすりながら話す。そして瞳から雫が床に零れ落ちた。
「それから私は、亮平君には他に好きな人ができた、そうとしか思えなくなっていました。そしてその相手が誰なのか、知りたくなりました」
壮介はカリカリと頭を掻く。そしてこのタイミングで壮介が口を挟む。
「それで貴女は萩田君の周囲を調べ始め、リン・エイミの存在に気付いた」
壮介の言葉に晶子は小さく頷く。
「フラワーの店長である嵯峨野さんと接触したのも、その頃ですね?」
壮介の問いに晶子は再び小さく頷く。
「萩田君の周囲に、一人の女性がいることが判り、私はその女性について知りたくて色々調べました。調べてみるとその女性は風俗店で働いていたんですが、私にとってそんなことはどうでもよかったんです」
ここで晶子は再び手をぎゅっと、先程より強く握り締める。
「私にとって重要だったのは、何故亮平君がその女性と親密になったのかということでした。それについても調べていました……。そして、そのうちに……」
その時、今まで下を向いて話し続けていた晶子が顔を上げる。その頬は涙でくしゃくちゃになっている。しかし、その瞳には今までにはない力が宿っていた。その力を感じ取った壮介と洋は顔を合わせる。
「変わっていきました、恨みに……。私の亮平君を奪った女性に対し、怒りや哀しみ、そして言い様のない憎しみを抱くようになっていました。亮平君がその女性に傾倒している様を聞く度に、その想いがどんどんどんどん高まっていきました……」
話し続ける晶子、虚空を見つめどこを見ているのか判らない。しかし、その瞳にはまるで小さな炎が灯っているようだった。壮介と洋はその晶子の「想い」を、ひしひしを感じていた。
「その後、リン・エイミとどのようにして接触したのですか?」
洋が晶子に訊ねる。すると晶子は洋の方を見ずに話し始める。
「最初は探偵でも雇おうかと思いました。でもその女性、亮平君を私から奪った女の顔を自分の目で拝みたくて、亮平君を密かに尾けていました。そして或る日の晩に、その女の姿を見ました」
晶子の言葉に、次第に「恨み」の想いが強くなってきていた。
「そしてあの晩、働いている風俗店から出てくるところを呼び止めました。話があるって……。そうしたらその女どうしたと思います?」
晶子は二人の方を全く見ず、二人に訊ねる。壮介と洋はその反応に困惑する。しかしその回答を待たずに晶子は話し始める。
「急いでいるからダメだ。カレが待っているからって、あの女そんなこと言ったんですよ。だから私は……」
ここで晶子の口元が緩む。まるで、笑っているように見える。
「私は言ってやったんですよ。私は萩田亮平の恋人だって。そしたらその女、すごくビックリした顔だった」
その後も、晶子は口元を緩めながら話し続ける。
壮介は頭をガリガリと掻き毟った。
二
「殺すつもりは……なかったんです……」
晶子は両手を見つめながら話す。おそらく、あの時のことをおもいだしているのだろうか。
「最初はちゃんと話し合うつもりでした。あの潮見川沿いの道へと移動し、私が亮平君の本当の恋人だ。だからもう亮平君とは会わないでほしいって……そう伝えました」
「でも、リン・エイミはそれを拒んだ」
壮介が話すと晶子は小さく頷いた。
「それで私は脅かすつもりで、家から持ってきたナイフをあの女にちらつかせたんです。本当はこんなことしたくなかったけれど、そうしたらあの女、怖がってもう亮平君には近付かない……そう思ったんです」
「でも、リン・エイミはそういう態度は取らなかった」
晶子の話を聞いた壮介が静かに呟く。すると晶子はゆっくりと壮介の方に視線を向ける。その表情はとても恨めし気なものであった。
「あの女、それでも亮平君とは別れない……ときっぱり私に言ってきて、そんな脅しには負けないとも言ってきました」
話し続ける晶子の歯がガタガタと震え始める。そして、とうとうその時を迎える。
「そうしたらあの女、カッとなって私の持っていたナイフを取り上げようとしてきたんです。それでしばらく揉みあっている際に……」
「つい、カッとなって刺してしまった……と」
壮介がその先を答える。すると晶子は首をガクンと垂れた。
「しかも刺した箇所は運悪く左胸。おそらく、即死だ」
壮介の後に洋が冷たく言い放つ。それに対して晶子は何の反応も示さなかった。しかし事の重大さは晶子が一番痛感していた。
そして晶子は今まで見つめていた両手で顔を覆う。
「本当に、殺すつもりは、なかったんです……」
そして晶子は両手で顔を隠したまま黙り込んでしまった。その姿を見た壮介と洋は同時に大きなため息をついた。
「…………」
壮介は一度頭をガリガリと掻き毟る。そして口を開く。
「川奈さん、一つ質問があります」
それに対し、晶子は無言。壮介の声が耳に届いているのかどうか、判らない。しかし壮介は続ける。
「貴女はリン・エイミと話し合っている際、タバコを吸っていましたか?」
すると晶子は両手で顔を覆ったまま小さく頷いた。
「その吸殻が、現場に落ちていたんですね。そしてその吸殻が、萩田君が俺に送ってくれた吸殻というわけです。これが何を意味しているか、貴女には判りますか?」
すると晶子の肩がプルプルと震えだす。その反応を見て、洋が壮介に視線を送る。
「見ていたんですよ。貴女とリン・エイミのやり取りの一部始終を……」
「つまり、川奈さんがリン・エイミを刺し殺す、その場面をね」
壮介の後に洋が付け加える。すると晶子の震えは次第に大きくなっていく。
「貴女がリン・エイミを殺害・潮見川へ遺棄して立ち去った後、萩田君はその現場へと行った。そして現場にこの吸殻が落ちていることに気付いた。そしてこの吸殻を見て、誰がリン・エイミを殺したのかを、知ってしまったんですよ」
「うう、うう……」
顔を覆う両手の間から、晶子の嗚咽が漏れ始める。もう全てが崩れ落ちる寸前であった。
「それを知った時の萩田君の苦しみ、哀しみ、痛み……どれ程のものだったか、俺たちには想像もつかない」
話す壮介と洋の目にも光るものがあった。洋はメガネを外し、目尻を拭った。
「ただ川奈晶子さん、貴女が行ったことで奪ってしまったのは、リン・エイミの命だけではない……萩田君の心の光すらも奪い取ってしまったのです。それは萩田君にとって、死ぬこととおなじだったのではないでしょうか……」
壮介が言い終わった後、ついに晶子の想いが決壊した……。
「うわわああぁぁーっ!」
晶子はその場に崩れ落ち、そして地面に這いつくばりながら、泣いた、泣いた……。
「亮平君! 亮平君! あああぁぁ……!」
洋は立ち上がり、床で泣き崩れる晶子の身体を抱きかかえ、長椅子に座らせる。その後ろで壮介も立ち上がっていた。
「川奈晶子さん、俺たちは警察じゃない。自分の身の振り方は、ご自身で決めてください。ただ……、これ以上、誰も傷つかない選択を、お願いします」
そう言うと壮介は踵を返し、その場を去った。
「洋、行くぞ」
「ああ……」
洋はメガネをかけ直し、壮介の後を追った。
「うう……、うう……」
そしてその場には両手で顔を覆い、今だ後悔に暮れる晶子だけが残された……。
三
病院の待合所から離れた壮介たちが向かった先は、亮平の病室だった。
面会謝絶の札が下がっているが、壮介はその扉を開けた。
「おいおい……」
この行為に洋はさすがに戸惑ったが、壮介が中へと入ってしまったので、洋も後を追うように入っていった。
亮平は未だ意識不明の重体。亮平の身体には様々なチューブが繋がれ、その周囲には幾つもの機械が置かれていた。
壮介は亮平の横を通り、窓側へと移動する。そして窓から上空を見つめる。
「壮介?」
その姿に洋は訝しげな表情を浮かべる。
「洋、こっちへ来てみろよ」
壮介は窓の方へ手招きをする。洋は少し緊張した面持ちで壮介の方へ近付く。
「何があるんだ?」
壮介に促されるままに洋は窓の外を眺める。するとそこには白く輝く満月があった。
「月が、どうかしたのか?」
洋が訊ねると壮介はニヤリと笑う。
「月光……だよ、洋」
そして壮介は再び上空の月を見つめる。
「あれが月光、あれがあるから、真っ暗な夜をほのかに照らしてくれる。どんな暗闇でも足元を照らしてくれる光があるからこそ、歩いていけるんだ」
壮介はベッドの上で眠る亮平に視線を移す。
「萩田君にとっての月光とは、リン・エイミだった。そして川奈晶子にとっての月光が、萩田君自身だった」
「なるほどな……。萩田君という月光を失った川奈晶子は、暗闇に包まれて、遂に暴走してしまった」
洋は窓越しに上空を見上げる。満月の光がこの病室にも微かに、確実に届いている。それを壮介も、洋も感じ取っていた。
「なあ壮介、一つ聞いていいか?」
洋が壮介に訊ねる。すると壮介は視線で「何だ?」と合図を送る。
「どうせお前さんのことだ。前から川奈晶子に目星をつけていたんだろ? いつからだ?」
すると壮介は苦笑いを浮かべながら頭を掻いた。
「前に、俺と洋で川奈さんに初めて会った夜のこと、覚えているか?」
すると洋はしばらく考え込んだ後、手を横に振った。
「あの当時、萩田君はリン・エイミ殺害の重要参考人として扱われていたろ。しかしその名前と顔写真は公表されていなかった」
そこまで聞いた洋はピンときたようで、指をパチンと鳴らした。
「なるほど、萩田君の名前が伏せられている状況下で、何故萩田君がリン・エイミ殺害に関わっていることを知っていたのか……ってわけか」
「そういうこと」
壮介はそう言うと再び頭を掻きながら窓の外を見上げた。
「月光……か」
そして壮介は亮平の方をみる。
そして壮介は呟いた。
「萩田君、ごめんな……」